31. 壊れたブレーキ
明かりの灯った家々を横目に通り過ぎ、我が家が見えてきた。
我が家はどこにも明かりが点いておらず、真っ暗だ。
お父さんはまだ帰っていないようだ。ホッとする。顔を合わせたくないので、今日は本当にさっさと寝よう。
冬場だからケーキは一日くらいもつだろうし、冷蔵庫に入れて、どう食べるかは明日考えよう。明日なら真衣も食べてくれるかもしれない。
玄関を開けて、「ただいまー」と声をかける。もちろん返事はない。家の中はしーんと静まり返っている。
誰もいないことはわかっている。最近は誰かいることが多かったので、「ただいま」と言うことが癖になり始めているのかもしれない。
でも、「ただいま」なんて言うべきじゃなかった。返事がないと、むなしくなるだけだ。ついこの間までは、誰もいない家が当たり前だったのに、今は心に穴がぽっかりと開いたみたいになる。
「バカバカしい」
首を振って否定する。
寂しいだなんて、そんなわけがない。否定をして、昔の自分を取り戻さないと、自分が自分でなくなってしまいそうで怖かった。
何より、その怖さを認めたくなかった。
思わずため息がこぼれる。
私、心が弱ってるのかな。そんな風に考えながらリビングの扉を開けた。
その瞬間、パーンと音が鳴り響く。何かが飛んでくる。パッと明かりがつくと同時に「お誕生日おめでとう!」と複数の声がした。
「え……」
さっきの音が何だったのか。今、何が起きているのか。頭の理解が追いつかない。
呆然としたまま首を
シャツの上からセーターを着てジーパンを穿き、珍しくラフな格好をしたお父さんに、崇さん、真衣がいた。
みんな、楽しそうに笑っている。笑っていない私だけが場違いみたいに感じて、戸惑う。
それぞれの手にはクラッカーがあり、ようやく音の正体が掴めた。私の頭には、クラッカーから出た紙吹雪が垂れ下がっているようで、視界の端に黄色やピンクの紙紐が映っている。
それを手に取った。
昨日、約束を破って帰宅できなかったくらい忙しいお父さんが、どうしてここにいるのだろう。
もう仕事を終えて、さよならをしたはずの崇さんがどうして。
茜の用事はこのことだったの?
頭の中をグルグルと回る。思考の整理ができない。
心はなぜか冷えていた。みんなからの好意を感じれば感じるほど、冷え込んでいく。なぜだか、嬉しいとは思えなかった。
3人から視線をずらすと、リビングの壁は折り紙か何かで作った輪っかや花で飾り付けられていた。
ダイニングの方へ視線を移すと、食卓にはたくさんの料理が並んでいる。
10尾以上ありそうなエビフライに、お皿いっぱいのサラダが2種類、一口サイズのサンドイッチがやはりお皿にいっぱい。あと、ポテトフライに、唐揚げ、ハンバーグ。
こういう料理をご馳走と呼ぶのだろうか。
誕生日のご馳走なんて、お母さんが亡くなって以来だ。誕生日に限らず、みんなで食べるご馳走がうちの食卓に並んでいるなんて、初めて見た。
もしかして。
私は手に持つケーキの箱に視線を落とした。
この中に入っているのは、クリスマスケーキではなく誕生日ケーキ?
世間ではクリスマスイブで賑わっている今日は、私の17回目の誕生日だ。
「茜、昨日は帰れなくてごめんな。そして、おめでとう」
お父さんはソファに置いていた赤い包みを持ってきて、私に差し出した。
きっと誕生日プレゼントだ。それはわかる。
お母さんが生きていた頃のことはあまり覚えていないので、これが私の記憶の中で、初めての家族からの誕生日プレゼント。本来ならとても嬉しいはずなのに、私は手を伸ばすことができなかった。
「茜……?」
突っ立ったまま動かない私に、お父さんは不安そうな目を向ける。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。そんな顔をさせるしかできない自分が歯がゆいと思ってはいるのに。
お父さんを見て心が痛んでいるのに、私は止まれなかった。ブレーキは壊れ、自分勝手な気持ちが爆発するように胸からあふれ出す。
「なんなの……」
私はプレゼントを受け取らずにお父さんの横を通り抜け、テーブルにケーキを置くと、お父さんに向きなおった。
一度あふれ出した気持ちは止まらない。もう私にも止められない。
「こういうことをすれば、私の機嫌が取れると思ってるの? 物で釣れると思ってるの」
吐き出した瞬間、「茜!」と崇さんの鋭い声が飛ぶ。しかし、崇さんの制止の声も助けにはならなかった。
「私が喜ぶと? 私は……私は……」
無意識に手を強く握りしめる。自分の爪が食い込む痛みを感じても、冷静になることはできなかった。
「私はこんなことよりも、昨日、傍にいてほしかった! 約束通り、ご飯を食べてほしかった!」
言い切ると同時に、私の頬が熱くなった。燃えるような衝撃に
頬は一瞬の熱さからジンジンとした痛みに変わる。そこを手で押さえながら、徐々に飲み込んでいく。
私、崇さんに頬をぶたれたんだ。
思考も心も追いつかなくて、ただぼんやりと崇さんを見た。
真衣は「ちょっと崇さん」と言う。崇さんは真剣な目で私をじっと見ていた。
「それ以上言うことは許さない」
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