21. クリスマスが嫌いな理由
それから15分後、キャメル色のコーデュロイパンツと黒のセーター、グレーのダウンコートに着替えた私は崇さんのバイクの後ろで必死にしがみ付いていた。
バイクに乗るのは2回目で、慣れていない。
バイクが、というよりも崇さんと密着することに落ち着かないのだ。走行音や風の音で、私の心臓の音なんて聞こえないとは思うけど、緊張が伝わらないか不安になる。そうしたら、さらに緊張してしまう。
「ねえ、どこに行くの」
風の音に負けないように、大きな声で問いかけた。
返事はすぐに来る。
「クリスマスマーケット」
「は?」
「だーかーら、クリスマスマーケット!」
崇さんは先ほどよりゆっくりと、大きな声で言った。
私は反射的に叫び返す。
「聞こえてる!」
それよりも、行き先だ。クリスマスマーケット?
クリスマスが大嫌いな私としては、行きたいと思ったこともない。どうしてそんなところに行かなくてはならないのだ。
「私、クリスマスマーケットだったら行きたくない」
このまま連れて行かれても堪ったものじゃないので、正直に言った。いつもより低い声になる。
「うまい飲み物や食べ物が色々あるから、難しいことなんて考えんなよー。飲み食いを楽しめばいいって」
「でも……」
そうこうしているうちに、バイクは大きな公園に着いた。
私も何度か来たことのある公園だ。ここでクリスマスマーケットなんてしているとは知らなかった。
グラウンドの入り口には、いつもはないゲートが取りつけられ、イルミネーションが輝いている。
ゲートをくぐると、その先にはイルミネーションで飾り付けられた小屋のような外観の、可愛い屋台がグラウンドの円周いっぱいに並んでいた。少しノスタルジックで、まるで異国の街に迷い込んだかのような雰囲気だ。
中心には、10メートル以上はありそうな巨大なツリーが見える。イルミネーションでできたツリーで、赤、青、黄、ピンク、緑などカラフルに輝いている。
「うわあ」
思わず声が出てしまう。
クリスマスは嫌いなのに、こういうものを見ると、どこかワクワクしてしまう自分もいる。
目を見張るのは、イルミネーションだけではない。もう暗くなっているのに、いや、暗くなった方がイルミネーションが綺麗に見えるからなのか、大勢の人で賑わっている。
「クリスマスマーケットってのはドイツのイベントなんだってさ」
「ドイツの?」
だから日本とはちょっと違う雰囲気なのか。
「ああ。ドイツのホットワインやソーセージ、料理やお菓子、クリスマスのオーナメントなどが売っているらしい。ホットワインはアルコールで飲めないけど、ノンアルコールのホットワインやホットチョコレートもあるぞ」
崇さんは入口に置いてあったパンフレットを私に渡しながら、説明してくれた。
パンフレットを広げて見ると、飲食のお店がたくさん出店しているようだ。目移りしてしまう。
崇さんは私の持つパンフレットを覗きこむようにした。
「何か食べたいものはあるか?」
「うーん」
私は、パンフレットに書かれたショップ名や提供されている料理名などを指でたどりながら、考える。
「やっぱりソーセージは食べたい。ドイツのソーセージって日本のと味が違うのかな?」
「さあ、どうだろ? でも、ドイツってソーセージの本場だろ。うまいのは間違いない」
「ですよね。それだけじゃ物足りないだろうから、何かお腹に溜まりそうなものも。でも、ソーセージだけでも何店舗もあるみたいで、どれが美味しいのか迷いますね。パンフレット見ていても決まらないので、屋台を見て回りたいです。飲み物はホットチョコレートも気になるけど、せっかくだから他では飲めそうにないノンアルコールのホットワインも飲みたい」
「よし、まずはノンアルコールのホットワインを買うか」
「そうだね。崇さんは普通のホットワインを飲まないの? 20歳だから飲めるよね」
崇さんは私の頭を小突いた。
「バカ。バイクで来たのに飲んだら、帰りは飲酒運転だろ。事故でも起こしたらどうするんだ」
「あ、そっか」
私は頭を押さえながら、てへへ、と笑って誤魔化した。
崇さんって気にせず飲酒運転でもしそうな見た目だけど、そうだった。ヤンキーっぽい見た目のわりには真面目な人だった。
「それにしても、ちょっと寒いし、早く体を温めたいね」
人が多いとはいえ、真冬の夜だ。
バイクで冷たい風に当たったこともあり、かなり冷えている。セーターの下にはヒートテックとカットソーを、パンツの下には厚手のタイツを重ねてしっかり防寒したつもりなのに、夜の寒さには勝てなかった。
パンフレットによると、ノンアルコールのホットワインも数店舗あるようだ。ゲートにほど近い、すぐ目についたお店で購入した。
ホットワインは雪だるまの形をしたマグカップに入っている。
「マグカップが可愛いね」
「確か、持って帰れるんだよ。これ」
「ほんと?」
カップを見ていた私は、顔をあげて崇さんの目を見た。
これなら家でも使いたい。
一口飲んでみると、ベリーのジュースに香辛料を混ぜているようだ。甘いけど、スパイシーでくどくはない。体がポカポカと温まる。
「美味しいね」
「ああ」
私達は笑いあいながらマグカップ片手にお店を回り、ソーセージと野菜煮込みを買った。野菜煮込みにはパンが付いている。
崇さんは野菜煮込みではなく、ビーフシチューとパンのセットで、ソーセージもホットドックにしたものだ。
会場の片隅には、テーブルと椅子の並んだ飲食スペースがあるので、そこで食べることにした。
ほとんどの座席は埋まっていたけど、人の立ったタイミングで隣合わせの2席を確保する。
「ぷりぷりで美味しい!」
私はケチャップとマスタードを付けたソーセージを頬張って、感嘆の声を上げた。
「こっちのビーフシチューも肉がトロトロでやばい。マジでうまい」
「てか、さっきから私たち、美味しいとか、うまいとか、そういうことしか言ってないね」
「うまいんだから仕方ない」
崇さんは大きな口でシチューをかっ込んだ。本当にどれも美味しくて、食が進む。私達はすぐにたいらげた。
「ごちそうさまでした」
これらの代金を崇さんが出してくれたので、私はお礼を伝えた。
崇さんは「おお」と返事をしながら、空いた紙皿などを捨ててきてくれる。慌てて手伝おうと腰を上げたけど、崇さんに制止されて、再び腰を下ろす。
なんだか至れり尽くせりだ。
「せっかくだし、雑貨なんかも見てから帰るか」
「はーい」
飲食スペースを離れて、雑貨スペースを見て回る。
ツリーの置物に、サンタや雪だるまのオーナメントなど、どれも可愛いものが並んでいる。
可愛いのに、それらを見ていても心は踊らず、通りすぎてしまう。
クリスマスなんて私には無縁だ。
「なあ、茜」
「はい?」
崇さんの呼びかけに、私は顔を横に上げた。
「なんでクリスマスが嫌いなんだ?」
「それは……」
私は口を結んだ。
自分の心のうちを人に見せることが苦手で、言いたくないと思ってしまった。
崇さんは返事をじっと待っている。
私は観念して息を吐き出した。息が白く染まる。
「クリスマスには、いい思い出がありませんから」
「親父さんがいないからか?」
「まあ、そうですね」
祝ってもらいたいときに、祝ってほしい人はいない。
私はやがて待つことを止めた。
「あ」
話しながら屋台をいくつか通り過ぎ、私は一つの屋台の前で立ち止まった。
キラキラと輝くゴールドの星のオーナメント。星の下は筒状になっていて、ツリーの頂点に差して飾る星だ。
私はそれを手に取った。
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