20. お父さんのための湯豆腐
放課後になると、私は急ぎ足で帰宅をした。
崇さんにはLINEでご飯を作りたいことを伝え、了承をもらった。家で他の仕事をしながら待ってくれているはずだ。
「ただいまー」
玄関で声を上げると、お父さんがリビングから顔を出して「お帰り」と言った。
顔色は良さそうだ。
着替えてキッチンへ向かうと、崇さんはすでに料理をしていた。
包丁の手を止め、顔をあげて「お帰りー」と言ってくれる。
「ただいまです」
エプロンを急いでつけて、崇さんの横に立った。
「今日は何を作りますか」
「湯豆腐にしようかと思うんだ」
「湯豆腐! 寒いから体が温まっていいですね」
「ああ、あっさりしてるから親父さんも食べやすいと思うし、白菜や長ネギなどもたっぷり入れて、それだけで満足できるようなものにする」
「わかりました。で、何をすれば?」
「まずは、この土鍋に水を張って、濡れ布巾で軽く拭いた昆布を一枚入れてくれ」
崇さんは作業台に置いた土鍋と昆布を指差す。
「えーと、綺麗な布巾は……」
「ん」
辺りを探そうとしたら、すぐに崇さんが取ってくれる。
私はお礼を言って昆布を拭き、水を張った土鍋に沈めた。
「これは30分以上このまま置いておく。食卓にIHの卓上コンロを出してるから、そこに土鍋を置いてきてくれ」
「はい」
私は両手で土鍋を持ち上げると、慎重に運んだ。
キッチンに戻って、「次は?」と問うと、崇さんは1/4ほどにカットされた白菜と長ネギ、えのき茸を取り出した。
「白菜はザク切り。長ネギはこう斜めに切って、えのき茸は石づきを取って手でほぐして」
私に指示しながら、すべてを少しずつ切って見せてくれる。特に難しそうな作業はないので、なんとかなりそうだ。私は手を切らないように気をつけながら言われた通りに切っていった。
「できました」
「うん。じゃあ、切った野菜をこの大皿に盛り付けてくれ」
「盛り付け」
「鍋に入れるから適当に並べてくれたらいいぞ」
そうは言われても、小さな見栄くらい張りたい。できるだけ綺麗に見えるように盛り付けていく。上半分に白菜をこんもりと盛り、その手前右側にはえのきを白菜に立てかけるように置く。左側には白ネギだ。
「豆腐は8等分に切って、こっちの皿に並べて」
「はい」
切った豆腐を皿に移した。
「あとは?」
「それで出来上がりだ」
「えっ、これで終わりですか?」
私は驚いて崇さんを見て、それから盛り付けたお皿を見る。あっという間に終わってしまい、味噌汁を作るより簡単だった気がする。
「ああ。あとは具材を入れて火を点けて、煮上がったらポン酢を付けて食べるだけだ。ご飯にするとき、火を点けたらいいよ」
「なるほど」
と答えてから気づく。
「てことは、残りは崇さんのいない時に私がやるってことですよね?」
大丈夫かな……と急に不安になってきた。
家族でご飯を食べることがなかったので、鍋を囲むという経験もろくにないんだ。何度か鈴木家でご馳走になったくらい。簡単そうではあったけど、鈴木のおばさんに任せっきりだったので、自分でお鍋を作ったことはない。
「具材を入れて点火のスイッチ押すだけだし、大丈夫だって。豆腐は温まれば食べられるし、白菜が柔らかくなってきた頃には他の野菜も火が通ってる。それにさ、そのくらいならきっと親父さんだって出来るだろ」
「あ、そっか。お父さん……」
いざと言うときは、お父さんに任せればいいのか。
「でも、できるだけ自分でやりたいので、頑張ってみます」
崇さんは「頑張れ」と笑いながら、鍋用の深い取り皿とポン酢を差し出した。
「並べといてくれ」
「はい」
取り皿を各々の座席の前に、ポン酢はお鍋のそばに置いた。取り皿の前にはお箸を並べる。
崇さんはさっき盛り付けたお皿にラップをかぶせてお鍋の左右に置く。具材を取り分けるための菜箸も添えてある。
これで本当に準備が終わったらしい。
あとは夕食の直前に、崇さんが炊いてくれた白米をお茶碗によそうだけになった。
その後、作り置きを作っている崇さんを手伝い、すべてを終えて帰宅するのを見送った。
すっかり暗くなった外を見て、そろそろご飯の頃合いかも、とスマホを取り出して時間を確認する。6時頃だ。
ちょっと早い気もするけど、構わないだろう。
リビングで新聞を読んでいたお父さんに、「晩ご飯にしよう」と声をかけた。
用意した具材の半分を土鍋に入れ、火を点ける。残りの具材は様子を見て、食べながら追加をするつもりだ。
「これ、茜が用意したのか」
お父さんは食卓を見て、目を丸くした。
「うん、一応」
「すごいな」
「いや、簡単なやつで、料理ってほどじゃないから」
褒められることに慣れてなくて、むず痒い。照れてしまう。素直にありがとうと言えばいいのに、言えない。
それに、やったことと言えば、具材を切って、鍋に入れて火にかけたくらいで、調理らしい調理は本当にしていない。褒められるほどのこともしてないんだ。
キッチンにある炊飯器から白米をよそって、食卓へ運ぶ。
父は鍋用の取り皿にポン酢を入れてくれていた。
「ありがとう、お父さん。食べよっか」
「ああ」
席について手を合わせると、お鍋の蓋を開けた。グツグツと煮立っていて、食べられそうだ。
お父さんは自分の取り皿に穴あきのおたまを使って豆腐を入れた。私も無難に豆腐を選ぶ。豆腐は温まれば食べられると言っていたので、豆腐なら煮えてるかの心配がないはず。
「うん、美味しいよ。茜」
お父さんは一口食べて笑った。
昆布出汁で煮たものをポン酢で食べるだけなんだから、失敗のしようもないし、美味しくて当たり前。そうは思ったけど、やはり美味しいと言ってもらえると嬉しい。
「そっか、良かった」
私は黙々と食べていく。
あっさりしていて、美味しい。
自然と頬が緩んでいく。
私もお父さんも何も話さなくて、ほとんど会話のないままご飯を終えた。それでも、今回は何も気にならなかった。
ずっと感じていた気まずさを感じず、自然でいられた。
食後、お皿を洗いながら、そんな変化を不思議に感じていた。
☆
お父さんは火曜日も仕事を休み、水曜日に出社をした。
食事量や内容は普通に戻っていて、顔色も良かった。体調は問題なさそうで、ホッとしながら出勤するお父さんを見送った。
それが朝のことで、夕方、私は学校を終えて家に帰った。
家では崇さんが待ち構えていて、外へ遊びに誘われた。
「たまには遊びに行こうぜ」
「えっ、今から? 今日は料理を教えてくれないの?」
何がなんだかわからず、戸惑ってしまう。
玄関で出迎えた崇さんは、すでにエプロンを外し、ブルゾンを着てメッセンジャーバッグをかけている。準備万端のようだ。
「今日の料理教室は休みだ。そんなに遅くなるつもりはないから、外でご飯を食べよう」
崇さんはそう言うなり、玄関から出て行く。
「いや、ちょっと待って。せめて着替えさせて!」
私は崇さんを追いかけ、腕を引っ張った。
コートを着ているとはいえ、その下は制服だ。どこに行くのか知らないけど、このままだと悪目立ちするかもしれない。
何より、崇さんだと移動はバイクだよね。「バイクにスカートは困るし」と言うと、崇さんは振り返って、ニヤッと笑った。
「じゃ、待ってるから」
「う、うん」
なし崩しで了承してしまったことに気づき、愕然とする。してやられた気分で悔しい。
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