第15話 悪魔の契約(2)
「えっ……?」
「はっ……?」
お互い、時が止まる。
「え……あ……嘘……?」
信じられないと言った風に目を見開き、しばらく口をぽかーんと開けて俺を見つめるそいつはやはり記憶の誰とも一致しない。
こいつのことを知らない。
それは間違いがなかった。
「いや……誰だよお前……」
「えっ……、」
壊れたおもちゃのように固まっていたそいつをよそに一応頭をひねってみるが特に思い当たる節もない。
蛇口全開で記憶をさらって見たところで、こんな女と知り合った覚えは一切なかった。
しかしながら俺の言っていることが信じられないと言った風に口をパクパクと動かし、近づいてきたそいつは俺のほっぺたを思いっきり引っ張った。
それはもう、おかまいなく。全力で。
「あだだだだ!! 何すんだよ!!」
「何って……あんた……守衣だよね……? 厨二ネームの守衣玲衣……」
「ああそうだけど、だからお前誰だよ! 初対面で人の名前どーだとかひどくねーか?」
さっきみーこがどうとか言っていたと言う事はそれなりに俺に関係ある人物なんだろうが、生憎俺には覚えはない。歳は俺とそう変わらないんだろうけど身長が低いせいで少し子供にも思える。白玖と並べれば月とスッポンとでも比喩できそうなほどでお世辞にも美人とは思えないし、人によっては可愛いと言うかもしれないがそもそも俺のタイプでもない。詰まる所、何処か成り行きで助けたがそのまま忘れていたとしても不思議じゃないほどだ。
「俺が寝てたことも知ってるってことはレジスタンスのメンバーか? 悪りぃけど俺はお前んとこの「バカ!!」「……ぁ……?」
突然怒鳴られ、胸元を掴んで睨み上げられる。
「ふざけるのも大概にしてッ……私はそういうの嫌いなの」
「って言われてもなぁ……」
真剣な眼差しで迫られるが本当に心当たりがない、悪いが、本当に、これっぽっちも思い当たる点がなくて混乱する。
こうして責められることで何だか罪悪感は込み上げてくるものの、それは虚構で、思い過ごしに過ぎない。
「人に感謝されるようなことをした覚えもないが恨まれる覚えもないんだが……」
それにできる限り人との交流を絶ってきた俺としてはこんな風に絡まれるのは心外だった。ましてや初対面の相手に怒鳴られるほど居心地の悪いものはない。人々の目が血走っているからこそ、面倒な争いを避けたくて距離を置いているのだというのに。
「っ……、……本当の……本当に……? ……わかんないの……?」
「ぁ……ああ……」
しばらく両手を上げ、降参を示していると信じられないと言った顔で手を離してくれた。どうやら俺のいうことが伝わったらしい。念のために再度告げておく。
「悪いけど本当に心当たりないんだ。あの子を助けたのは成り行きだけど君に責められるような事をした覚えはないし、いや、それは関係ねーよな多分……だったらあれか……? 人違い……? まぁ、あんたもいろいろ大変だろうけど元気出して俺はこれで帰るからできればー……、……ぁー……?」
「っ……」
穏便に事を済ませようとは思っていたが、こうなるともはやどうしようもなかった。
声こそ殺しながら突然泣き始めたその子を前にあたふたとどうしたらいいのか分からず、帰るにも帰れない空気に戸惑っていると肩でみーこがあくびを上げた。
「つくづく自分の不運を恨むんじゃなー」
「お前なぁ……」
あくまでも他人事として扱うみーこに助けを求めつつ、目の前のその子を気遣うが、残念ながら何かしてくれるつもりはないらしい。肩に座り、頭にもたれかかってきた悪魔は鼻で笑い「そもそもお主と此奴の間にはこれと言って何もなかったじゃろうに」つまらなそうにこぼした。
「その記憶で済んだのだから主としては喜ぶべき事で、お前としてもホッとすべきではないのか。なぁ、双葉陽景?」
双葉……陽景……?
そう呼ばれた彼女は泣いている姿をみーこに見られることが余程苦痛だったのか涙をぬぐい、口をキッと横に結んで俺たちを見つめた。
赤く腫れた目元がどうにも痛々しい。そんな顔をさせた原因が俺だとするならなんだか申し訳ないがそれ以上の感情は浮かんで来なかった。
できることなら早く俺のことは忘れて、新しい恋に生きて欲しい。……いや、そういう関係とかじゃないとは思うけど。全然タイプじゃないし(本日二回目)。
「守衣が……忘れてるならそれでいい……別に私だって……君のこと、そこまで好きじゃないしあの力の代償がこれだっていうなら全然よかったって思える……」
なに、マジで俺の知り合いなの……?
みーこの口ぶりからするに「悪魔との契約」によって忘れてしまった相手らしいけど、いやいや、嘘だろ。白玖との一件があったからこそそんなこともありえるのかーとか思えなくもないけど、ンなピンポイントな忘れ方そうそう……、
「あるから不運じゃと言っとろうに」
「まぢかぁ……」
呆れ調子のみーこは助けてはくれないらしい。
当然だがこういう時、悪魔はほんと役に立たない。
いや、天使とのあれこれは十二分にお世話になったので文句を言うのもお門違いなんだろうけどさ。
「っ、ぐっ……」
おいおいおい——、もう泣くなよ……? そう思えるほどに今にも泣き出しそうな顔で必死にこらえて告げる彼女はいかにも真剣で。残念なことにそれを受け止めるほど俺は真面目に聞いてもやれていない。
だが、そんなことはお構いなく彼女は言った。
「あんたがいてくれてよかった」
と、
「本当に感謝しきれないほど助けられた」
と。
これと言って思い当たる節がない俺としてはそれを聞いてどうすればいいのか分からず手の汗をシャツで拭くのだが、改めて迫ってきた姿に思わず身を引く。得体の知れない女ほど怖いものはない(by赤羽の経験談)。
だがそれでも思うところがないわけでもなく、とりあえず適当に誤摩化そうと
「あのさ、おま「少し黙って」
言葉を発した瞬間、まだ微かに潤んでいた瞳が近づいてきたかと思ったら思考回路を強制停止させられた。
頭の上でみーこが口笛を吹き、解放された時には思わず息も止めていたことに気がついてなんだか急に恥ずかしさが込み上げてくる。
「っ……あんたがお礼だっていうならって言ってたから……だからあの……これで終わりだから!」
「おっ、お前ッ……?! ばっ……ばっかじゃねーの!!?」
逃げるように去っていく後ろ姿に思わず呼び止めるがそれでもまだ頭がぼんやりしていた。
覚えている限りではファーストキス……ではないのか、
「私もお主にしたからの?」
「いや、あれはノーカンだろ」
だとしたらこれもノーカンか。
呆然とする頭でどうでもいいことを考え、正直初対面の相手にキスされたからと言ってドキドキと心臓は無駄に早くなっているわけで……。ああダメだ、頭が混乱してる。
「っとに……なんなんだ、あいつ……」
不意打ちとはいえまだなかなかに収まってくれない心臓の音に深呼吸をひとつ大きくついてみる。今なら赤羽の気持ちも少しは分からないでもな買った。マジで何考えてるのかわかんねー、女ってマジこえー、そんなところだ。
「……いくぞ」
「一丁前に照れおって可愛らしいのー?」
「うっセーよ!」
頭の上のみーことギャーギャー言い合いながら普段より静かな街を歩いて行く。
いつか、終わりなく、こんな気楽な世界が帰ってくれば良いのにと何処かで願いつつ。
様々なものが失われてしまった世界の中で、これまでと何も変わることなく、ただ俺たちは今日を生きていく。
消えてしまった物に思い果てることもなく、必死に。
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