第14話 悪魔の契約(1)
目が覚めてみれば清々しいほどの晴天だった。
窓は開け放たれており、朝の心地よい風が吹き込んできている。
あちこち痛む身体に顔をしかめながら起き上がるとどうやら病室のようで、清潔とは言い難いものの、それなりに小綺麗にされた四人部屋のベットに俺が一人寝かされていた。呆気にとられるほどの静かな朝だ。
「お〜っ、起きとったか玲衣きゅんー」
そんな静寂を打ち破ったのは全身包帯巻きのエセ関西弁だった。
「……ずっと思ってたんだけど、お前のそれって何リスペクトなの。出身、東京の山奥だろ?」
「お師匠さんが関西の人やったからな。てか、うちの流派は全員関西弁基本やで。全ての武道はボケとツッコミに始まり天丼に終わるってのが格言でなー。まぁ、嘘やけど」
「だと思った」
ゴロン、と背中からベットに転がり、どうやらお互い生き延びたらしいと悪運の強さに呆れる。
あれから二日……いや、三日か……? 丸一日ってコトはないだろうと思いつつ「どれぐらい寝てた」確認してみる。
「一周間」
「マジ」
「これはほんと」
通りで体中ぼきぼきなわけだ……めちゃくちゃだるい。
「ってゆーても、三日目にはみーこがお前の体で好き勝手遊んどったけどな」
「はァッ!?」
「まー、ここまで帰ってくるンもみーこはんやったし、御礼言っとかなあかんのちゃうか?」
「悪魔に御礼って、冗談だろ」
「まーな、俺もマイデビルには恨み言しか出てこーへんわ」
ケラケラと笑う赤羽は見た目以上に元気らしい。
こいつの場合悪魔憑きの能力でそれなりに身体能力も向上しているそうだし、元々鍛えていたこともあって怪我には人一倍強いとかなんとか……。個人的にはあのまま死んでくれていた方が静かで助かったのだが——、
「……それで、どうなった」
なんとなく、避けていた話題を切り出した。
「天使は」
俺は天使の最期を見届けてはいない。
トドメを刺したらしい所までは覚えているが、天使の再生能力は異常だった。あそこから復活したと言われても大して驚くつもりはない。
だがコトはうまく運んだらしく、「無事討伐成功で俺らの株も上がりまくりっ」と情けない笑みを浮かべてのVサインだ。
「あの後、十束剣の人らの本隊も到着してな。ちゃんと消滅を確認したそーや。新宿界隈ではちょっとした英雄扱いやぞ俺ら」
「マジか……まぁ……それはどうでもいいんだけど……」
「お?」
何か察したのかニヤニヤと別の笑みを浮かべる赤羽に心底ムカつく。なんつーか、こいつはみーことは違った意味でうざいんだよなぁ……。
「なんやなんや? 何を気にしとるんかなぁ〜玲衣きゅんはー?」
「うっセーなぁ……」
気になる事は気になる、けど、今この表情を見せるこいつに尋ねるのは癪だった。というか嫌だ。今後ずっとそのネタを引きずられそうで絶対に弱みを見せたくはない。
「玲衣……?」
そうこうしているうちに誰か部屋に入ってきたらしく、消えこうな声色に俺たちの視線がそちらに逸れる。花瓶を抱えて部屋の入り口に立っていたのは十束剣のメンバー・ハクだった。
「目が覚めたのね……?」
「あ……ああ……」
恐る恐るといった足取りて近づいてくる彼女は緊張していて、その意味を理解するのに少しだけ時間がかかった。
「大丈夫、覚えてるよ、ちゃんと」
「……!」
言って安心させる。この人は本当にコロコロと表情が変わる。最初見たときの印象とは正反対に案外子供なのかもしれない。
と言っても、それほど彼女について知っているわけではなく、「覚えていない」のだけど。
「改めまして……守衣、白玖です……。あなたは忘れてしまったと思いますが、あなたの双子の姉です」
「……ぁ?」
思わぬ発言に思考が止まり、笑いを必死に堪えそうになっている赤羽を見るにこいつ知ってやがったな……?!
「あ、あ、姉って……ていうか、双子……?!」
「玲衣きゅん自分の容姿に興味なさそーやもんなぁ? 言われて見たらそっくりやで自分らっ」
盛大に笑い転げる赤羽はそのまま死んでくれればいいのに。
「え、え、えー……?」
つか確かによくよく見てみれば見覚えのある目元っていうか、あれ……。
「本当に主らは双子じゃよ」
「みーこっ……」
ぽんっと膝の上に飛び出してきたみーこは猫の姿で思いっきり背筋を伸ばす。傷は癒え、完治しているらしい。まだ寝足りないのかあくびを噛み殺しつつ俺たちを見上げると面白そうに笑って「どうじゃ? 感動の再会は」赤羽と同じく俺で遊び始める。
「あのなぁ……」
知ってたんなら早く言えよ……。そう言いたかったが言ってしまえば何だか負けた気がして言えなかった。なんの勝負かはわからないけど、とにかくプライドの問題だ。
この人が……俺の姉……?
「しかも双子……」
「東京タワーの天使の一件以来、私は十束剣に身を寄せたんだけど……。貴方は忘れているようだったし、危険なことに巻き込みたくはなかったから……」
「そっか……」
言われてもあまり実感はない。双子の姉だと名乗られても「そうなのか」って受け止める事はできても納得はできなかった。記憶がない。そんな思い出も全く……俺の中には残されておらず、少なくとも今日まで一人っ子だとずっと思っていたし、それで良かったと思っていた。
あんな親、親だと思ったことがなかったから。
「なんか悪りぃ……」
「なんで」
「なんとなく……」
うちの親は人に誇れるような奴じゃなかった。大災害で死んでホッとしたぐらいだ。犯罪こそ起こしていないが、クズだと思ってたし、死んで当然だとも。……だからこの人が、同じ境遇で育てられたのだと思うと少し同情する。……あの環境は……地獄だった。
あの日、空が割れたあの日のことはあまり覚えていない。
それが契約によるものだということはなんとなく分かっていて、抜け落ちた記憶のカケラ。父親が「誰かを襲っていた」のはもしかするとーー、
「なにかしら」
「いや……」
だとすれば、あまり掘り返したくもない話だ。
未遂であったのか、それともアレが日常的に行われていたことなのか。
双子の姉という存在すらも忘れていたにとっては確かめるすべもなく、また、そんな古傷を掘り返してやろうという気も起きない。
「なんつーか……これからはよろしくな。……覚えてないけど」
「……ええ、……その整理はついているつもりだから……。……あなたが独りじゃないって事だけ、分かっててくれればそれで良い」
兄弟でするにはなんだか変な感じもするが、俺からすれば昨日あった他人だ。自然な流れで握手し、その手の感触をやはり何処かで知っているような気がした。覚えてはいないけど、体は案外そういうのを忘れないのかもしれない。
俺は父親を殴り殺している。恐らく。
想像するしかないのだが、あの現場を目撃した俺はこいつを助けるために父親を後ろから襲い、そして連れ出したんじゃないだろうか。
少なくとも、その握った手からは懐かしさすら込み上げてくるようだった。
「変わらないわね、その顔。何か言いたいくせに言えないでいる」
「んなこと言われたって……、なに話せばいいかわかんねーし……」
見慣れた自分の顔をそっくりだと言われてもそこまでマジマジ自分の顔を眺めたこともない。そもそも俺は自分の顔が嫌いだ。女みたいだと揶揄われることも多いし、そういう意味では双子の姉がいてもおかしくないのかもしれない(おかしくないのか……?)。
「それじゃあ、私は戻るから。……これ以上、無茶はしないで。もう、天使とは戦わないで。約束して」
「誰も無茶したくてしてるわけじゃねーし、天使とも戦いたくて戦ってるわけじゃねーよ」
「そういうと思った」
控えめに笑って見せ、長い髪をなびかせながら白玖は綺麗だと思った。双子の姉だというのなら、こんな姉がいても悪くはないと思う程度には。
「なんやうれしそーやな、玲衣きゅん」
「うっせ」
からかう赤羽同様に頭の中でみーこが盛大にはしゃいでくれるがそこらへんの意識はシャットダウンだ。うっとうしい。
「ともかく、これ以上心配させないで? できれば赤羽さんのところに身を寄せてくれると嬉しいのだけどーー、」
と白玖は視線を滑らせるが赤羽は肩をすくめるばかりだ。
「玲衣きゅんは群れるの嫌いやさい。もう何度もフラれてますわ」
「じゃあ、あまりご迷惑かけない程度に助けてもらってね」
赤羽の言葉をどう理解したのかクスリと笑って扉へと向かう。
いじらしく笑うバカが肘で俺に「なんか言わんでええんかい」と急かし、しかしながらこれといって言葉も浮かんでこなかった。
「ぁー……姉貴……あのさ……えっと……」
それでも何か言っておくべきだというのは俺でも分かって、不思議そうに扉の前で足を止めた白玖に向かってとりあえず
「そっちも元気でやれよ。あんま無理しないようにな」
声をかけておく。
あの場ではそうするしかなかったとはいえ、一人で天使に向かっていった件といい、なかなかに無茶をし過ぎだ。
唯一の肉親というのであればそんな無茶を繰り返しては欲しくなかった。
どうにもむず痒い感覚に落ち着かず、口を尖らせていると白玖は意地悪そうに微笑み、その身を踊らせて扉を潜った。
「あと、玲衣は私のこと絶対に『姉貴』だなんて呼ばなかったわ? 決まって『白玖』って呼び捨て。自分の方が6時間も後から生まれてきた癖に」
「そりゃ良かった。どーにもしっくりこなかったんだ」
扉が閉まる間際に見せた白玖の笑みは恐らくこの先忘れないだろうと思った。
それほど血の繋がった姉でありながら見とれてしまったのだ。俺としたことが、とか思わない。一応。
「にしても、あんだけ怖がってた癖に彼奴のことは平気なのか」
ふとなんてことない顔して病室に居座っている赤羽が気になった。都民広場では白玖を隣に置いて去った俺に対し鬼だのなんだの叫んでいた癖に。
「んー……自分も玲衣きゅんと白玖ちゃんが双子やってーのは帰ってきてから聞いたんやけどな? あの子を『女装しとる玲衣きゅんやー』って思うようにしたらなんか平気やってん。どや! 俺も成長したやろ!」
「成長って言えんのかそれ……つか、誰が女装だ」
「なんでぇー、きっと似合うで。いい例が現れたわけやしな」
こいつの判断基準はよくわからん。
みーこはいつのまにかいびきをかいて寝始めていた。こいつもこいつで相当疲れたらしい。もしかすると、俺の体を使っていた間に散々好き勝手したせいかもしれないが。
「終わったな……」
とりあえず、一区切りはついた。
あの天使がなんだったのかはさておき、これでしばらく新宿は静かだろう。
都庁を拠点にしていた神兵たちも一掃されてるだろうし、当面の間は好きに出歩けそうだった。ここから御苑に戻る間に危なくて探索できなかった西新宿から南側にかけて食糧を探しに行っても良いかもしれない。生憎、体の調子も良さそうだし。
「んーっ……、……さて、と」
自分の荷物はベットの脇にまとめて置いてあった。みーこをそっとベットに移し、患者着を脱ぎ捨てると着替える。ボロボロなのは変わらないが、それにしてもひどい有様だ。服も何処かで調達してこないといけないかもしれない。
「それで、あの子はどうすりゃええ」
「あの子?」
「灯李ちゃんや」
それまでの空気とは打って変わって真剣な声色に呆れる。
そんな話は俺には関係ない。
「傷口がふさがるまではうちで面倒見る。十束剣も悪魔の肉体については興味があるらしくて出来れば引き取りたいってゆーとる。……お前はどうしたい」
「なんで俺に聞くんだよ」
「お前が助け出したからやろが」
「…………」
関わったからには最後まで責任を持て。こいつの面倒な所だった。
悪魔の体については俺よりもみーこの方が求めているんだろうが、数日間、俺の体で好き勝手したうちにその調査も終えてるんだろう。こいつが何も言ってこないってことは俺にとってはなんの関係もない垢の他人だ。最初からそうだけどな。
「本人の意思を尊重してやってくれ。悪魔の肉体だろーが、あの子も一人の人間だ。俺らとは違う」
「……それもそーやな」
自ら進んで悪魔の力に手を伸ばした俺たちとは違って、みーこの話だと悪魔の体は「転生」しているものらしい。だとすればあの子にはなんの罪もなく、そしてそれをどうするかも彼女の自由だ。その存在を天使が感知できるのだとすれば狙われるだろうが——、……「人類の切り札たりうる」だなんて言われてレジスタンスも十束剣も放っておく訳がない。身の安全は保証されるだろう。
「もしお前についていきたいって言っとるとしたら?」
「……いってねーだろ、絶対」
タチの悪い冗談だった。無論それは赤羽もその通りだったらしく両手を開く。
「まぁ、安心してくれや。俺らが責任持って守ったる。悪いよーにはせん。……せっかく助け出したお姫様やしなっ?」
ヘラっとした表情を浮かべてはいるが、その瞳からは意思の強さが滲み出ており。俺がこいつを嫌っていない理由の一つだ。
十束剣との間で色々やり取りはあるだろうが、双子の姉らしい白玖も向こう側にいることだし、うまく取り持ってくれることだろう。本当に、俺のやるべきことはもう残されていなかった。
「んじゃ、世話になったな」
荷物を身につけ、みーこを肩に乗せると病室を後にする。
傷の調子も良さそうだし、そうそう入院などしていられない。
このご時世、生き抜く為にも身体を鈍らせる訳には行か無いし、それよりも自宅が恋しい。
去り際に聞こえた「やっぱり俺らの仲間にならへんか」っていう寝言は聞こえないふりをした。こんな厄介ごとに巻き込まれるのはもうごめんだ。白玖の要望には添えないが、レジスタンスになんて金輪際一分一秒身を寄せていたくもない。
地上に降り、なんの憂いもなく歩ける街中は心地よかった。
昔は人ごみで溢れ、歩きづらかった都心だが、こうして人がいなくなりただ街だけが残っていると案外広く、悪くない街並みだと思える。恐らくあちこちで生き延びている人々はこの機を逃すまいと物資の調達に走り回っていることだろう。またしばらくすれば神兵が姿を表す。その前に少しでもやれることはやろうと。
「たくましいよなぁ……ほんと……」
あの地獄のような日々を味わっておきながらも人は絶望したりしなかった。
神の怒りによってバベルの塔が打ち砕かれたとしても、天を目指す人々が歩みを止めることはなかったのも頷けるようだった。
ならば俺も先人に習って生き続けるしかないだろう。生憎今日はそんな天気だ。気分もすこぶる良い。
そんな風に風を肌で感じ、日差しを心地よく浴びながら都庁方面に向かって歩き、派手に崩れている第二庁舎に言葉をなくしている辺りで、
「ちょっと……!! 待ちなさいよ!?」
後ろから声をかけられた。
振り返り、最初は太陽の光が眩しくて何処から声がしたのか分からなかったがズカズカと近寄ってくる影でその人物を見つける。肩で息をし、相当慌てているのか額には汗が滲んでいる。頬に張り付く髪を鬱陶しそうに振り払いながらそいつは、
「目が覚めたって聞いてドキドキしてたら私のところに来ないとか……ほんとバカなの!? なんかあるでしょう、普通!」
半ばヤケクソなのか俺に向かって当たり散らす。
「第一、誰も助けてなんて言ってないのにあんな無茶までしてっ……一週間も目が覚めないなんてありえないでしょ!? みーこが体使ってるの見たときなんてあんたが消えちゃったんじゃないかってほんと心配してッ……、」
矢継ぎに怒鳴りつける様子に圧倒されながらも俺は戸惑いながらも、
「お前……誰……?」
そんな当たり前のことを聞いた。
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