第13話 十束剣(4)
「守衣!!」
双葉の叫びで我に返り視線を上げるが既に天使は目の前で、俺に向かって槍を突き出そうとしていた。過去に、天使が倒されたことがあるならその存在は1体だけじゃない。他にもいて当然なのだ。ただ、そいつがまさか、いまこのタイミングで現れるなんて、そんなのは言い訳に過ぎないわけで。
「っとに……なんだってんだよ……」
自分の不運を、くそったれの神様を恨んだ。
「っせないッ……!」
「っ……?」
俺たち二人を貫こうとした矛先を防いだのは死に体のハクの生み出した炎の壁だった。
「もう、玲衣を傷付かせたりなんて!!」
「お前……」
背中の出血は実態を持つ炎で押さえてあった。身体中のあちこちに炎を灯しながらハクは天使を睨み上げ、手のひらを突き出す。少しも臆することなく、ただ、人類を抹殺しようとするその存在を——。
一方の天使はこの状況を把握しきっているわけでもないらしく、燃えカスとなってしまった自分の仲間と、俺たちを交互に見てはつまらなそうな顔で槍を構えた。仲間を殺された事への憤りはなく、ただ「目の前に人間がいるから」という原理でそれを振り上げているらしい。その瞳には一切の感情は浮かんでおらず、燃えるような瞳のハクとは全くと言っていいほど対象的だった。
「ンだよ……何でそんなになってまで守ろうとすんだよッ……」
そんな姿を見ていると苛立ちが込み上げて来た。双葉にしてもこいつにしてもそうだ、何で自分を犠牲にしてまで他人を守ろうとする。どうして、自分の命を危険に晒してまで立ち向かう——……? それは俺にとって不可解で、理解し難くて、とても、とても頭に来た。
そうだ、最初から双葉にしたって赤羽にしたって気に食わなかった。こんな世界になる前から人は他人のことを思いやるふりをしながら自分のことを最優先に考えていた。他者の為と口で嘯きながら、自分たちの利益にならないことは避けて通る。それは間違いじゃない。当然の事だ。そして、世界がこんな風になってしまってから「それは」さらに色濃く伺えるようになった。
他人のことなど気にしていたら自分がやられる。そういう単純な話のはずなのに、どうして此奴らは自分を犠牲にしようとする——、どうして自分の身を守ろうとしない——。
「いつだって玲衣はそういう困った顔して、私のこと叱ってくれたよね」
炎の揺らめかせながら腕の中でハクが呟く。決して視線は天使からそらさず、空いた手で俺の胸元をぎゅっと握り締めてくる。決して離さないと、守ると言わんばかりに。
「そういうトコに、結構、救われてたんだ?」
微笑み、見上げたハクと目があった直後、音を立てて炎の壁は崩れ、それらは宙を舞った。
振り下ろされる槍を目の前に、視界がブレるのを感じた。
横に吹っ飛ばされ、抱きしめたハクを庇うようにして転がりながらその正体に目を丸くする。
「赤羽……」
「……俺の目の前では死なせへんで、守衣ィ……?」
「お前の方が死にそーじゃねーか……」
横から体当たりして俺たちを吹き飛ばしたらしい。赤羽自身受け身も取ることはできず、俺たちと一緒に地面に転がっている。
おかげで天使の槍からは逃れ、距離を取ることができたが状況は何も変わっていなかった。
「…………?」
天使が、あの少女の存在に——、灯李の存在に気がついたのが分かった。
動きが止まり、信じられないとでも言いたげな表情で馬にまたがったまま近づいていく。
「来ないでっ!!」
それを遮るのは双葉だ。周囲に炎を浮かばせ、必死に道を塞ぐがその両手は震えていた。
「双葉!!」
そうだ、最初から天使の目的はあの少女で、俺たちじゃない。もしもあの天使が俺たちを目的にしていたならレジスタンスの拠点は壊滅していたんだ。それなのに彼女一人を奪って天使は去って行った。人間などには興味がないと、その姿勢を崩すことはなく——、いや、最初から俺たちは眼中になかったのかも知れない。自分たちの力では微塵も対抗できず、悪魔の力を借りることでしか生き長らえることができていない人類など——……。天使も、神兵も、最初からこいつらは「地上にいる悪魔の肉体」を探しているのだとしたら……?
答えは簡単だ、差し出せばいい。過去の文明がそうしてきたように、生贄を。神に捧げることで怒りを沈めればそれでその場は収まる。俺たちは、生き延びることができる。
「逃げろ!!」
体は自然と動き出していた。
その言葉が果たして「少女を置いて逃げろ」という意味なのか、「少女を連れて逃げろ」という意味なのかは自分でも分からなくて、ただ、右腕を双葉に伸ばした俺は——、
「————、」
翼を広げた天使が二人を抱えて飛び上がるのを、どうすることも出来なかった。
「双葉ァアア!!!」
聞こえるハズもない馬の蹄が鳴り響き、天使の羽ばたきに合わせて白銀の騎士は空へと消えていく。
地上に残された俺たちは、ただその小さくなっていく姿を見上げ、膝をついていた。やがて小さな影はビルの中へと消えていく。
俺たちを迎え撃った、あの天使のように。
——後もう一戦……? この状態で……? 赤羽も、ハクも、俺だってもう限界なのにここからもう一度……?
一体目を倒したのだってかなりギリギリだった。過去がどうであれ正直もう二度とやりたくないと言うのが本音だ。なのに双葉と灯李を助け出そうとするなら……、無理だ……。みーこだってあの子と一緒に——、
「そこまでショックを受けるとは意外じゃの?」
「みーこ……!」
突然後ろで声がしたかと思えば見慣れた黒猫がちょこんと座り込んでいた。いつのまにか少女の腕の中から抜け出し、難を逃れたらしい。傷口は痛々しく残っているが、それほど気にする素ぶりも見せず、丸い猫の目がこちらを見つめている。
「やはりあの女に惚れでもしたか」
「ちげーよ!」
「ではなんだ」
「……っ……、しらねぇ……知らねーっけどッ……なんかムカつくんだよ……!!」
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
彼奴とは昼間出会ったばかりだ、特にこれといった恩義も助ける意味もない。むしろ煙たがられて、着いてくるなとまで言われた仲で。本当に、助ける意味なんてこれっぽっちもない。ここまでしてること自体バカみたいで、こんなボロボロになってクソみたいな状況に追い込まれて……、俺らは最後に……見捨てられた。
「っ……」
最初から蚊帳の外だった。そんなこと分かってた。だけど無視された、無視されたからこそ助けられた。あの天使に、灯李という悪魔の体を持つ少女以外への関心がなかったからこうして生きていて、死んでなくて……のうのうと、……息をしている。彼奴ら二人は、天使に連れて行かれたってのに、俺たちは——。
「何とも滑稽じゃな」
「ンだと……?」
「自分に言い訳ばかりして曖昧な感情で関わってばかりおるから此処ぞという時に身の振りからに迷うのであろう? 我からすれば主はどちらに転ぶか、選択肢はずっと前からあったのに見ぬふりをして、流されるがままに滝から突き落とされたマヌケにしか思えんよ」
後ろ足で顔を洗いながら悪魔は告げる。
この場がどうなろうが自分には関係ない、みーこにとってそれはどちらでも良いのだろう。だけど、俺にとっても、……本当は、そうだったハズなのに。
「お主のそれはな、『欠陥』なんじゃよ。言ってしまえばおもちゃを取り上げられて喚いとる子供と変わらぬ。感情のままに選び、そうして後悔しておる。……最初から見捨てるべきだというのであれば見捨てればよかったのじゃ。命があっただけ良い勉強になったのー? これに懲りたら
「黙れ」
ん?」
ペラペラと、好き勝手喋りやがって、ンなこと俺だって分かってんだよッ……。
「そんな分かりやすく生きられたら苦労しねーよ!!」
ああそうだ、これだって八つ当たりだって分かってる。感情のままに振り回されて、自業自得だって俺だって知ってる。けど、だけど、だからって諦められるもんでもねーだろうッ……。
双葉を見捨てるのは正解だった。だからって見捨てることなんてできない。
少女を生贄にすれば助かった。だからってそうしたいとは思えない。
正しいことが正解じゃない。正解を選んだからって幸せになれるわけじゃないッ。
ただ俺たちはこうして、「間違ってる」と知っている道だとしても選んで、そうして、生きてきたッ……。
それがこの事態を招く結果になっているとしても、選んだ過去をなかった事には出来ないなら、選べない過去を悔やむくらいなら——、……俺は、
「間違ってる道でも選びたいッ……」
例えそれが破滅へと繋がる道だとしても。見ないふりをして過ごす日々よりかは絶対にマシだから。
「支離滅裂すぎて頭が痛くなるが——……それが主の答えであるというのならワシは止めんよ? 元より、止める気はないがな」
俺がどうしようがみーこには関係ない。それも知ってた。
けど、本当にそうなのか? だとすれば何故そんな傷だらけになりながらも俺を助けてくれた……? 少女を助け出すとき、姿を見せてまで天使の注意を引いてくれたんだ……?
目の前のみーこという存在は猫ではなく悪魔だ、人でもなく、あの天使と同じように「異形の存在」である「悪魔」なのだ。俺たちのように迷ったり悩んだりはしない。ただ、目的の為に、あの天使と同じく、なすべきことを——。
「——……?」
「何を考えておる」
「いや……」
だとしたら、やっぱりこいつは……。
ふと浮かんだ答えが正解だとでも言わんばかりにみーこの口は回った。
「主が見捨てるというのであればそれで構わさ。私は身体さえ手にはいれば良いのだからな。其方がここで死んでくれない限りは好きにすれば良いと思う。だが、その身体を私にくれるというのであればそれ相応に大事にして貰わねば粗大ゴミを貰ったとて使い勝手も悪かろう」
煽り、笑う姿はいつも通りだ。中立の立場で、自分には関係ないと囁く。しかしそうでないとしたら……?
みーこは、俺たちをここまで連れてきたのだとしたら、俺たちは、連れて来られたのだとしたら? あの少女を追って。此処まで。
「もういい」
「ほう?」
「あの子を天使に取られてたままだと不都合があるんだろ。じゃなきゃお前は俺を庇ったりしないし、赤羽たちをケシかけたりもしない」
ふん、と鼻で突っぱねつつ気にくわないと視線を逸らしたのが答えだった。
「素直じゃないのはどっちだよ」
「なんのことかは分からぬの」
「あの子を天使から守って欲しいならそう言ったらどうなんだ、みーこ?」
「悪魔に望みを求めるとはな? 身の程を知るが良い」
不機嫌でいて挑発的、それはいつも通りだ。だが、そんなみーこだから分かりやすくもある。
「それなりに長い付き合いだからな」
「ふん。……しかし、言わせてもらえば主様や。『それはこちらのセリフだ』な。結局のところ其方はどうするのだ? 我にどうして欲しい」
猫は飼い主に似るというが、この場合はどうなんだろうか。しばらくのあいだ見つめ合い、どちらからとともなく笑いが溢れた。
「ここで見捨てるには夢見が悪いんだ」
「主の寝言は耳障りじゃからな、それは困るなぁ?」
「力を貸せみーこ、あの天使を倒す」
「主は私に何をくれるというのじゃ?」
唄うように、舌の上で言葉を転がすようにそらんじる。それはまさに悪魔で、契約によって結ばれている関係だからこそ必要な事だった。
「俺は身体を。お前に全てをくれてやる」
展望室では失敗した。アレが何だったのかは俺にもわからない。あのときのみーこは気を失っていて、悪魔の力を引き出しすぎた俺は暴走し、天使を圧倒できるだけの力を行使できた。だから、今度は。今度こそはその悪魔の力を扱える「悪魔」に託す。この身体を貸し与え、天使と戦わせる。そうすれば、少なくとも一方的な展開にはならないはずだった。
俺の回答に満足したかのようにみーこは短く笑い、
「まぁ、私もあの天使どもの事は気に食わんからの?」
ひょいっと俺の肩に飛び乗った。ここが自分の定位置だとでも言わんばかりに。
「さーて、
見上げた先には天に向かってそびえる二つの塔がある。
今、俺たちが落ちてきた展望室がある第一庁舎、そしてそちらを戦いでぶっ壊したとなれば、あの天使が向かった先は——、
「向かい側の第二庁舎展望室……」
バベルの塔然り、東京タワーでの一件然り、天使が降りてくる場所は天に近い場所だと決まっているらしい。
それになんの意味があるのかは知らないが、奴らにとってそれは重要なことで、何をするにしても其処に拠点を構えようとする。
ならば向かう先は単純だった。再びあの塔のてっぺんへと登り、双葉を、少女を救出する。
あの天使を倒して。
「玲衣……お願い、やめて……」
そんな俺を止めようとしたのはハクだった。
立つこともままならない状態で俺の服の裾を引っ張り、懇願する。振り払おうと思えばなんてことはなく、それほどに弱々しく疲弊していた。
「それだけは……、……お願いっ……」
血まみれで、ズタボロになりながら瞳を潤ませながら言われて思うことが無いわけでもない。けれど、だからと言ってやめようとは思えなかった。
「後で話はちゃんと聞くから……」
「ぁっ……」
流石にこんなところに放置するのは悪いと、抱きかかえて隅の方で転がっていた赤羽のそばまで連れて行く。
それに気づいた赤羽が盛大に喚くがこの際それは聞こえないふり、だ。元々死にかけてる赤羽がどうなろうが知ったこっちゃない。
「つか、本当に女性恐怖症で死ぬなら死んで見やがれ」
「玲衣きゅんホンマ鬼やろ……」
ヒィヒィ肩で変な呼吸をしながら震える赤羽をよそにハクの涙を拭いてやる。よくよく見れば俺とそう年も変わらない。情けなく垂れ下がってしまった目尻などは可愛らしくも思えた。
「行ってくる」
それ以上、彼女の姿は見ていられなかった。
記憶がないにしろ触れた感覚を知っている気がしたから。ざわめく気持ちを抑えきれなくなりそうだったから、踵を返し、再び都庁の中へと向かう。
「悪りぃ」
自然に溢れた言葉を止めず、ただ前へ。体中がズキズキ痛み、またあの階段を登ると思うとげんなりするがそれでも前へ。天使のいる場所へと近づいていく。
誰もいない玄関ホールを抜け、止まっているエレベーターを無視して階段へ。ふらふらと縺れそうになる足をなんとか突っ張って壁に手をつき、上へと。ゆっくり、ゆっくりと確実に。疲れからか眠気が襲ってくるのを必死に堪え、こんな時に限ってみーこは黙り込んだまま何も言わない。話し相手になってくれればそれだけで気が紛れるっていうのに静かに俺の愚行を見守っているらしい。
ぼんやりと浮かんでくるのは双葉に出会ってからの事で、どうしてそんなにタイプでもない女の為にここまでしなきゃならねーのかと独りで文句を言って、足は止まらなくて。……壁の数字が少しずつ大きくなっていく度に眠気が体を支配していく。
このまま眠ってしまえば楽になれる。
こんな辛い思いをして、しかもこれからコトを構えなきゃいけないなんてフザケてる……。
そう、わかっているのに、俺は登った。ただひたすらに、その先に多分待っているそいつの姿が何故か浮かんで消えなかったから——。
「みーこ……」
案内に、展望室の文字を見つけ、小さく息を吐いた。
左目が、熱く疼く。そしてその熱は左腕へと、全身に伸びていくのがハッキリと分かる——。
——本当に良いのだな?
何処からともなく現れた黒の霧が俺を包み込み、みーこが訊ねてくる。
お前が私に身体を明け渡すのは初めてのことではない。そしてあの女が言っとることも本当だ。貴様は彼奴とともに天使と戦い——、そして、あの者のことを忘れてこれまで生きてきた。奪った私が言うのもなんだが、お前は思っとる以上に「様々な事を」失くしてきておる。今回の一件で、また失うことになるかもしれぬ。……それでも、良いのだな?
「…………」
本気で心配しているような声色にうまく言葉が出てこない。時折、うちの悪魔は本当に悪魔なのかと疑う時がある。悪魔の囁きというが、こいつ本気で俺のことを心配していて、声をかけてくれているんじゃないかと。そう思わせることが目的なのかもしれないけど、もしかすると本当はそうなんじゃないかと思う事がたまにある。
だから俺は一つだけルールを決めていた。悪魔憑きとなってから守り続けているコイツとの規定、境界線。必ず破ってはいけないと定めた俺のルール。
「やってくれ。……悪魔のいうことに、耳を貸すつもりはねーんだ」
みーこの短い嗤いの後、意識が完全に途切れるのと同時に夢の断片を見た気がした。
薄暗い部屋の中、男に襲われる少女の姿と、その男を殴り殺す自分の姿。少女と共に割れた空を見上げ、壊れゆく世界の中で二人手を繋いで生き延びた月日の記憶。
それらはもう、俺の中には残っていない。恐らくこれも彼奴の話を聞いて俺の脳が勝手に作り上げた幻想なんだと思う。
けれど確かに俺はそこにいて——、失った時の中で、俺は生きていた。
共に生き抜き、戦い、天使と向かい合った炎の中の景色。彼女が抱え起こし、俺はその意味を理解していなかった。
泣き、喚き、放浪して独りになった俺は、ただあの植物園で日々を凄すようになり——……、所詮これは妄想だ。だけど、あの人が下で待ってるなら。既にそれを失ってしまった後なのだとしても、これから何を失うことになったとしても。
俺はまだ——、……死ねない。
「ッ……」
視界が戻ってくると同時に俺は天使を蹴り上げていた。俺がじゃない、みーこが、だ。
この感覚を俺は知っていて、意識の中で瞼を閉じる。
展望室で体の自由が効かず、好き勝手に暴れまわった時の感覚によく似ていた。自分の体が自分の意思では動かず、感覚だけはハッキリしているのに手足は一人でに動く。天使の槍を掴み取り、抑え、睨み、それを奪い取ると跨る馬の足をへし折る。
黒き翼を片側に備え、巨大な左腕で白銀の騎士を圧倒する。
「良いのゥ!! やはりこれは良いッ!! カラダに馴染む!!」
いつになく嬉しそうに叫ぶみーこにテンション高すぎだろ、と笑い。なんとなく俺の中でみーこがどんな気持ちで外を見ているのかが分かった気がした。そこに世界があって、自分もここにいるのに決して手は届かなくて。ただ眺め、笑うことぐらいしかやるコトがなくて。
——そりゃぁ、テンションも上がるか……。
常日頃、外を出歩いているとはいえそれにも限りがあると言っていた。契約している身では好き勝手に彷徨うこともできず、俺のそばにいるしかないと。
退屈していたんだろうか、こいつは。だから人間と契約して「本当の自分の体を」探しているのか……?
「余計な詮索は無用じゃぞ!」
考えを見抜かれたのか厳しく諭され、しかしながら俺の体を使って繰り広げられる攻防はあまりにも圧倒的で、一方的で、天使を遥かに凌駕するその力の前には俺は特にすることもなく、「だって暇なんだよ、みーこ」文句を言うぐらいしか出来なかった。
それはまさしく「悪魔」であり、みーこという俺の契約した悪魔の本当の力だ。
それを行使できるのはやはり人間ではなく「悪魔」なのだと思い知らされた。
「守衣!!」
双葉が叫ぶのが見える。少女を抱きかかえるようにしてこちらを見上げ、「退いておれ!!」みーこによって押しとどめられる。
天使と悪魔の戦いは人間の割って入れるようなものではない。互いの死角を突くようにして打ち込まれる一撃を、事前に察していたかのように躱し、受け止め、それを逆手にとって反撃とする。俺の意識がかろうじて反応できる程度の速度で繰り広げられる。
俺も、この戦いにおいて役目はもう何も残されていなかった。
ただ身体を貸し与え、みーこの戦いを見守るだけ。この戦いが終わるのを、待つだけになっていた。
だが、どうしても、もし、ここで俺にできることがあるというのなら。
「そこで黙って見てろ!! お前は俺が守ってやる!!」
みーこに代わって怒鳴った。
それに対し、驚いたようにみーこが反論するが構わない。今はみーこに貸し与えている俺の体だが、それでも契約上は「まだ」俺の所有物には代わりないのだから。
「こんなクソッタレの世界でも、テメェを守ってくれる存在がいるってこたァ教えてやるよ!! 例えそれが悪魔だろうがなァッ!!」
空が割れ、力だけが支配する混沌とした世界を生き抜くために人々は悪魔の力にさえも手を出した。その代償に様々なものを失うことになったとしても、ただ生き抜くために。他者に命を奪われない為に、その存在を捧げ、力を振るった。
それを軽蔑し、侮蔑しながらも都合よく利用し、生き抜くものもいる。
力に溺れ、飲み込まれて破滅の一途を辿る者も。
そのどの者たちも俺は否定する気にはなれないし、殺されない為であれば、どんなことに手を染めても仕方がないとは思う。しかし、もし仮に。仮に、下で待っているハクが、かつて俺の大切な誰かだったのだとしたら——……、この力は、それを守る為に手に入れたものなんじゃないか、となんとなく思う。口に出せば恥ずかしく、顔から火が出そうになるセリフだが。現実味のない、この状況だからこそそんな風に思う事ができた。
もう過去に失ったものを取り戻すすべはない。これから起こるコトを避けるすべも。全ては必然の如く流れ、それに流されながらも俺たちは後悔するぐらいならマシな方へと抗って行く。
だから俺は、
「ゥおおおおおお!!!」
俺の身体でみーこが叫び、その天使の首を噛みちぎる。まるで獣のように、ただ、本能のままに、標的の命を狩りとる。なんの躊躇もなく、そこを起点に破壊の限りを尽くしていく。白銀の光が宙を舞う中、漆黒の霧が辺りを包み込んでいた。空に浮かぶ月は、もう見えなくなっていた。
地に堕ちる天使を踏みつけ、雄叫びをあげるみーこ。その中で、俺は再び想う。
後悔するぐらいなら、自分から失った方がまだマシだ、と。
薄れていく意識の中でそんな事を考えていた事を、目覚めた後も俺は確かに覚えていた。
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