第12話 十束剣(3)

「       !!!!!」


 声とも音とも判別できないような耳障りな天使の叫びと今度こそ明確に浮かんだ「憤怒の表情」を愉快に思い、捥ぎ取った羽は窓から地上へ捨てる。弧を描く天使の血は、赤かった。そのことがこいつも「生き物だった」という真実を俺に告げる。……殺せる、このまま行けば殺せる——。


「ははッ、」


 左腕をその歪んだ天使の顔に叩きつけ、甲冑ごと殴り潰す、何度も、何度も何度も繰り返し、いつのまにか周囲が静まり返っていることに気がついた。

 形の変わった天使の頭を握り潰し、持ち上げ、まだ僅かに抵抗を試みるそれを空中に放り投げると翼の一線で真っ二つに叩き割る。落ちてきた片側は殴り飛ばして壁へ、もう片方も回し蹴りで以って窓を突き破って外へと蹴り出した。


「はぁー……」


 天井を見上げ、体の中の空気を吐き出す俺。

 喉の奥が尋常でないぐらい乾ききっていた。


「……玲衣きゅん……?」


 赤羽が恐る恐る話しかけるが、


「   」


 蹴り飛ばした。


「……っ……?!!」


 壁にぶち当たり、血反吐を吐く姿が目に映る。


 ——みーこ……?


 予想に反した行動に戸惑うが相変わらずみーこはなんの返事もしてくれない。


「守衣……?」


 双葉が心配そうにこちらを見つめ、十束剣の人はそれ以上前に出ないようにと腕で制する。

 俺自身、自制が効かない。体の感覚は繋がっているのに思うように動かない。


 何してんだよみーこッ……!! 必死に叫ぶが返事はなかった。


 湧き上がる高揚感ともっと引き千切りたいという欲求。

 目の前にいる三人の肉はとても柔そうで、涎さえも込み上げてくる。


「私が時間を稼ぐからその子を連れて逃げて」

「けどっ……!」


 ハクが双葉を庇いつつ、俺に警戒心を剥き出しにする。双葉が気にしているのは転がっている赤羽だった。奴も意識はあるらしく、痩せ我慢だろうが親指を立てて平気だとアピールしていた。


 ンだよこれっ……。


 天使に取って代わって脅威となった自分自身に愕然とする。歩みを止めようと必死に足掻くが全く言うことが効かなかった。


「その子を失うわけにはいかないの……お願い」

「……っ」


 このままここにいても足手纏いになることがようやくわかったのか双葉は少女を背負うと階段へと向かう。


 そんな後ろ姿に襲い掛かるのではないかと不安だったが、どうやら俺の標的は目の前の十束の人にあるらしい。バキバキと左手を握りしめ、次の獲物へと標的を移す。あるのはただ、破壊に対する喜びだけだ。


 この感覚を、俺は何処かで知っていた。


 懐かしいとも思えるこの感覚を俺はかつて経験し、……そして否定した。


 脳裏に浮かぶのは一緒に暮らしていた父親だ。血が繫がっていることさえも否定したい程に嫌悪したあの、……俺はそれを「殺したい」とも思った。そんなあいつに自分が重なった。溢れ出す嫌悪感と、その事実を否定したい一心で叫び、みーこを、俺の体を止めようとする。


 明確な、現実として目の前の光景は流れ続け。止められずにいる。自分の体を、二人を、壊したいと思う心を。


「悪いなぁ……なんや変なことになってもーて……えーっと……ハクさん……やっけか……?」

「いえ……止められなかったのは私の責任です」


 ボロボロになりながらも赤羽は立ち上がり、転がっていた天使の槍を拾う。へらへらしながらも闘志は失われていないようだった。


「別に寝ていてもらっても構わないのですが——、……少しだけ、手伝って頂くことにしましょうか」

「うぇっ? ひぃゃッ……?!!」


 突然走り出したかと思ったら近づいてきた十束の人・ハクに襟首を捕まれ、情けない声をあげた赤羽は「わわわわわわ?!」思いっきり、俺に向かって投げられてきた。


「ォ?」


 紅き閃光とはまさにこのことかってぐらいいい速度で飛んできたそれを俺は片腕で受け止め——、「ありがとうございます」その影から飛び出してきたハクへの反応が遅れた。


「少し、我慢してね」


 それが俺への言葉だったのか、それとも赤羽への謝罪だったのかは分からないが直後俺たちは、


「ぬぁああああ?!」


 赤羽諸共炎に包まれた。


「こっ、こいつはッ……?! ってかヒィイィいい!?」


 驚く赤羽も無理はない。それは大きな炎の鳥のようであり、俺たち二人はハクという女性の胸元に抱き寄せられていた。


 息ができないほどの劫火に包まれ、苦しげに呻く俺の体。赤羽に至っては早々に気を失い泡を吹いていた。


「その体をッ……返しなさい……!!!」

「ッ……!!!」


 どんどん増していく火力から逃れようと暴れるが炎そのものが生き物のように俺たちを押さえつけ、まともに動けない。

 翼も根元から抱き込まれていてロクに動かせず、意識が飛びそうになった俺は——、


「ぐっ……?!」


 地面を蹴って、彼女諸共後ろに突き飛ばした。

 ガラスの割れた窓枠から三人まとめて放り出され、そのまま地上へと引きずり降ろされる。


「こっ……のッ……!!」


 その最中でも逃れようとする俺を必死にハクは押さえ込み、途中で赤羽は放り出された。


 もつれ合うように落下し、地上に引き詰められいたタイルを吹き飛ばす。衝撃で一瞬視界が飛び、それは彼女も同じだったようで炎の監獄から俺は転げ出た。立ち上がり、ふらつく足で追い討ちを掛けてきた炎の龍を躱し、黒き翼でその身を守る。


 ぜぇぜぇと肩で息をし、見回せば都庁前の広場だ。


 円形に切り開かれた議事堂前の都民広場、そこにハクと俺は向きあい、赤羽は隅の方でノビていた。


「……聞こえてるならそのまま聞いて……悪魔に耳を貸しちゃダメ、帰ってきなさい……」


 ハクは炎を身に纏いながら俺に語り掛け、隙があれば押し倒そうと伺ってくる。


「あなたはまだ悪魔に存在を喰われきってはいないハズ……なら、戻ってこれるかッ——らっ……!!」


 逆に隙をついて左腕で殴りかかられ、それを炎の翼でいなして回り込み、俺の右腕を絡め取ると背負って思いっきり投げ、組み伏せる。


「お願い……玲衣……」


 パチパチと燃える音が記憶の中で何かと重なった。

 辺り一面に燃え移り、炎に包まれているこの光景を俺は何処かで——、


「ぁああああッ……!!!」


 獣のように叫び暴れる俺に小さく溜息が落ちてくる。


「……駄目だっていうなら」


 ぐるり、と炎が俺の口を塞ぎ、息ができなくなる。


「私の手でッ……」


 不思議と、熱くはなかった。


 それが悪魔化によるものなのか、それとも彼女自身によるものなのかは分から無いが暴れ続ける体に反して俺はというと何だか懐かしいような、眠たいようなのんびりした心地でそれを受け入れつつあった。優しげな、温かな炎に感じた。


 落ちていく意識の中、浮かんでくるのは夕焼けに染まり紅く燃えた瓦礫の世界の中で天使が燃え続けている光景だった。


 ——たまに見る夢じゃんか……。


 都庁前の景色がうっすらと消えていく。代わりに塗り重ねられていく夢の続き。誰かを探している俺と、嘲笑うみーこの姿。


「守衣ィ!!!」

「————っ……?」


 叫び声と共に周囲の炎が急に消え失せ、「げほっげほっげほっ」俺は盛大にむせた。


 見上げれば都庁から出てきたのであろう双葉が少女を背負っタママこちらに向かって腕を伸ばしていた。どうやらハクの炎を「巻き上げて」自分のものにしているらしい。


「しっかりして!!」


 まるで俺が駄目駄目みたいなこと言いやがって、マジ意味わかんねぇ奴だな——……。


 第一、やることはちゃんとやってるのだ。ちゃんと双葉と灯李は守ったし、天使も倒した。慈善事業にしちゃ出血大サービスもいいとこだろう。なのに双葉ときたらまだ不満なのか目を釣り上げて肩で怒っている。黙ってればそれなりに可愛いだろうにアレじゃ大無しだ。


「うっせーなー……」


 流石にこれ以上好き勝手言われるのも癪なので一言言い返してやろうと思ったら本当に言えた。


「ぉ……」

「……玲衣……? 戻ってきたの……?」

「戻るも何も俺はずっと——……んぁ!?」


 急に抱きしめられ甘い香りと柔らかい感触に頭が混乱する。赤羽だったら恐怖でショック死してるかもしれない。


「よかったっ……本当に良かった……」

「いやいや……なんか知らんけどなんなの……」


 正直なところ全く身に覚えがない。面識あったら悪いけどこんな人マジで知らないし……。混乱する俺を双葉は双葉で混乱しているらしく、トコトコと近づいてくると側に膝を下ろして「あぅっ」軽く頬を叩かれた。


「……なにすンだヨ……」


 思わずイントネーションが無茶苦茶になる。


「きみだよね……? 元の君なんだよね……?」

「あァ……?」


 ようやく落ち着いてきて頭の中が整理されつつあった。


 俺はみーこに体を渡して、それで天使を——、腕はいつのまにか元の形に戻ってるし翼も消えてる。悪魔化は解かれてしまっているらしい。ハク(さん……?)に体を解放してもらい、自分の中に呼びかける。


「……みーこ……? おい、みーこッ……?」


 何度呼びかけても返事をしなかったみーこが気がかりだった。


「みーこッ!」


 しばらく呼び続け、すると微かにだが呻き声が聞こえた。思い切って左手を右手で叩いてみると「ぽんっ」と音を立てて空中に猫の姿のみーこが現れ、慌てて俺は受け止めた。


 傷だらけで、酷く憔悴しているらしく、息が荒い。


「みーちゃん……」


 近くにやってきた双葉も心配そうに覗き込み、体を撫でてやる。それでも反応せず、こんなことは初めてだった。


「どういうことか、説明してもらってもいいですか」


 自分が取り乱していたことを自覚したのか静観していたハクに尋ねる。彼女の反応を見るに俺の事を知っているような口ぶりだった。何処かであった事があるにしても、抱きしめられる関係だなんて思い当たる節がない。


 俺の問いかけにどう答えるべきか悩んでいるのかしばらく顔を逸らしていた。が、一つ、ゆっくりと息を吐いてから彼女は口を開く。


「私は嘗て貴方と共に天使を討った仲よ。……貴方はその時の代償に私に関する記憶を失ってはいるけど……」

「天使を……?」


 言われても全くピンとこない。あまりにも唐突すぎて双葉を目を合わせる。


「いや、私とは今日会ったばっかでしょ」

「そりゃそうなんだけど……」


 契約の代償、存在の侵食、それは悪魔憑きにとって避けられない契約の代償だ。


「確かに割と俺もみーこに頼ってばっかでそこそこ記憶喰われてるけど……そんな都合よくあんたに関する部分だけ消えるもんか……?」

「消えたのだから仕方ないじゃない……」


 先ほどまでの張り詰めたような態度とは一転し、今にも消え入りそうな細さを感じられる受け答えに思わずギクシャクしてしまう。みるみるうちに大きな瞳が潤んでゆき、双葉に思いっきり睨まれる。——いやいや、俺にどうしろと……!


 確かに、記憶が曖昧な部分は割と多い。中学校の頃にやってた部活の内容とか、大災害に遭ってからの数日間とか、色々抜けてる部分はある。でもそれはあの日、なにをしていたとか、もっと局所的にいえば10歳の時にもらった誕生日プレゼントが思い出せないとか、そういうレベルの問題で、ヒト一人の記憶がごっそり全部消えてしまうなんて余程の末期症状でない限り聞いた事がない。


 悪魔憑きは力を使うごとに契約した悪魔に記憶を消され、最終的に「存在を喰われる」。


 知り合いの顔を忘れ始めるのは「過去の記憶」を失い、繋ぐべき点と点がなくなった人物からで、俺はまだそこまで進行していないハズだった。


 話は繰り返すが部活のメンバーの顔は思い出せないが、クラスメイトの顔は何人か浮かぶ。思い出せない奴らはそもそも覚えていない奴ら……だと思う。もしかすると既に何人か「消えている」かもしれないが、そこまで深刻なレベルではないはずだった。


 しかし俺は、……忘れてるのか……?


「……まじで……?」


 見覚えはない。思い当たる節もこれといって浮かんでこない。


 第一俺がこいつと一緒に天使を討った……?


 それが本当なら「俺が忘れていても」「他の奴らがそれを知っているハズ」だ。赤羽たちから勧誘を受けたりもしたが、そんな話を聞いたことはないしそんな扱いをされたこともなかった。


「こう言っちゃなんだけどさ……やっぱ誰かと間違ってね……? 少なくとも俺はそんな危ない橋渡ろうとしないし、あんな天使と戦うなんて2度とごめんだし……」

「だけど、貴方は戦った。今回もこうして……生き延びた」

「そりゃぁ——、……?」


 なんだったんだろう、アレは。


 みーこに体を明け渡したつもりだった。だけどその肝心のみーこはずっと俺の中で眠っていて、今もこうして意識を取り戻さない。


 だったら「あの俺」は、


「……ぁ?」


 背筋が凍るような寒気が走り、なんだかとてつもなく嫌な予感がした。

 視界の端でうごめく「それ」を見た瞬間、もしかすると俺たちはとんでもない勘違いをしていてこんなことしている場合じゃ——、


「あッ……赤羽!! 起きろ!!!」


 気がついてからは早かった。全身の疲労さえも忘れ、みーこを抱きかかえたまま立ち上がり目の前の光景に思わず後ずさった。


 ビクビクと、広場に落ちていた羽は痙攣し、何かに操られているかのように宙に浮かぶ。それに追随するかのように落ちていた羽一枚一枚がふわふわとそれにしたがっていた。


 視線をあげれば空高く、丸い月が浮かんでいた。


 その月を覆い尽くすような歪な、そこに「浮いている」というだけで四肢が繋がっていないバラバラの天使が俺たちを見下していた。


 紅く光る眼は俺たちを捉え——、


「おいおいおいっ……マジバケモンじゃねーかッ……!!」


 空に浮かんだ白銀の羽は、それら一枚一枚がやいばとなって降り注ぐ。

 俺たちの戦意を、心を切り裂かんと——。


 月の光を反射し、夜空を埋め尽くしたそれらを不覚にも綺麗だと思った。何度斬りつけても倒れず、甦ってくる天使は不気味でありながら、その立ち姿は何処か芸術的な美しさがあり、つまるところ、体が動いてくれなかった。


 間に合わない、そう判断したのではなく、間に合ったところでどうしようもないと諦めていた。


 みーこは気を失ってる。赤羽もまだ起き上がれていない——。ハクとかいう十束の人に至っては言ってる事が意味不明だし、双葉なんて足手纏いにしか、


「はぃ……?」


 その足手纏いにしかなっていなかった双葉が真っ先に俺たちの前に立ち上がり、「バティン!!」炎の盾を作った。


「なにしてんのお前……」


 実体を持たない炎では俺たちの姿を覆い隠し、飛んでくる羽の軌道を逸らすことぐらいしかできていない。

 何枚も羽が炎の盾を突き破り、俺たちに食らいつく。


「んぅっィたいッ……!!!」


 そして最もその餌食になったのは先頭に立った双葉だ。


「誰もっ……あんたに守ってくれなんて言ってないっ……!!」


 歯を食いしばりながら、必死に炎を絶やさぬように天使を睨みつけながら双葉は叫ぶ。


「私だってっ……戦えるっ……!!」


 呼応するように炎の勢いは増し、彼女の影を大きく映し出す。しかし、全身を食いちぎった羽の傷は相当深く、そうしている間にもその体は紅く染まっていた。


 ——まじ意味わかんねぇ……。


 ここにきてそこまで意地を張る意味も、諦めない意志も、俺には理解できなかった。


 敵わないなら今すぐ逃げ出せばいいものを、どうしてこいつは——、「……わからない……? なら……それでいい……。今の貴方は、それでも——、」


「あんた……」


 共に立ち上がろうとするハクを止めようとしたが頭を撫でられ、制された。


「守ってあげる、……今度は、私が」


 燃え上がった光景に、太陽の表面が重なった。


 双葉の生み出した炎にハクの炎が合わさり、巨大な不死鳥のように見える。

 炎に飲み込まれていても尚、それは暖かく、全くと言っていい程痛みを伴わない。

 そんな地上の二人を、月下の天使は侮蔑の笑みで見下ろし、彼女たちは動いた。白銀の尾を引いて襲い来る、天使に向かって。


 双葉によって火力の増した炎を操り、ハクは「実態を持った炎」で襲い来る羽を撃ち落とし、自らもその中へと飛び込む。炎を舞い上げながら天使に肉薄していく様はまるで踊りで、無駄のない動きでその距離を詰めていく。


「しゃァアアア! 完全復活やー!!」


 そこに雄叫びをあげながら割り込んで行ったのは赤羽で、完全復活と言いながらも満身創痍なのは誰の目にも明らかだ。体にまとっていた甲冑は殆どが砕け、ボロボロになりながらも腕に剣を括り付けて斬り込む。自らの血で紅く染まり、そして今も尚、血を流しながら戦う姿はまさに狂戦士バーサーカーの名に相応わしい。伊達に自分で名乗ってるわけでもねーってか……。


「野犬……ねぇ……」


 そんな死力を尽くして戦う姿に不思議と俺は熱くなれない。

 どうしてそんなに必死になれるのか、俺にはわからなかった。


「あの……私……」

「ぇ……?」


 思いもよらなかった方向から声をかけられ、思わず振り返ると少女が目を覚ましていた。ぼんやりとした瞳で俺を見つめ、目の前で繰り広げられる争いを見上げる。


「——きれい……、ぁっ……」

「おぅっ……?」


 立ち上がろうとし、ふらついて転びそうになる体を受け止めるとやはり軽い。このぐらいの年代の子供だとこれぐらいなのかわからないけど、強く握れば折れてしまいそうな程に腕は細く、その体も片手で持ち上げられてしまいそうだ。


「お姉ちゃん……私のために……?」


 受け止めた少女・灯李あかりに懇願するように見つめられ、意味がわからなくて眉をひそめる。……が双葉の叫び声で糸が繋がった。


 ああ、そうか——、この子は、双葉に助けられ、そして今も彼奴はこの子のために戦ってる——。


「……ほんとバカだよな……、怖がりのくせして」


 別れ、地下通路で再会した時の双葉の表情を思い出していた。


 双葉とは知らず、襲い掛かってきた俺に応戦し、縺れ合って倒れて見上げた顔は必死すぎて思わず笑いそうになるほどだった。普通に考えれば仕方ない。右も左もわからないような暗闇で、いきなり襲われればそういう顔になるのが当然だった。ただ、俺たちはこんな世界になってから「そうじゃない」のが当たり前になっていた。


 襲われれば反射的に相手の腕を絡め取るし、襲われた理由を知るよりも先に殺されない為の術を尽くす。


 それはこんな世界で生き延びるために必要な事で、他人の事情を考えるなんてのは以ての外、そんなことを気にしていては後手に回り、命取りになった。


 だから、双葉陽景は俺たちからすれば大バカもので、これまで生き延びてこれたのが奇跡みたいな存在で——、……俺みたいな奴らが面倒見てやってきたんだよろうなぁ……きっと。


「お兄ちゃん……?」

「大丈夫だ、任せとけ。その子、お願いしてもいいか?」

「ねこさん……?」

「うん」


 意識の戻らないみーこを預け、転がっていた天使の槍を手に取る。


 ——嗚呼、ほんと……、何やってんだろーなぁ……俺は……。


 目の前で繰り広げられている天使と悪魔憑きの争いに、槍一本、自前のを入れればナイフとで二本だが、超上的な力でバカみたいなやりとりしてる所に割り込もうとしてる。改めて見ると本当にふざけてる。ファンタジーじゃねーんだぞって笑えてくる。


 でもこれが今の現実で、受け入れるしかないんなら……、「俺はとっくに、諦めてるんだよッ!!」言って槍を突き出して天使の注意を惹き付ける。


「守衣!!」

「どうにかしろ赤羽!!」

「どうにかてそんな無茶なっ……!」


 言いつつ、そのどうにかを考える奴だってのはわかってる。その一瞬を作るために俺は槍を受け止めていた天使の腕を軸に懐へと入り込み、「刺されよォっ?!」腰のナイフを引き抜くとその首元へと差し込み「ぃッ……!」横薙ぎに通り過ぎた羽の大軍を避け、「んゥうううにゃろぉぅ!!!」ナイフの柄を蹴り上げた。


 確かに手応えはあった。


 ぐぃっと押し込める感覚も。


 しかし既に体がバラバラな天使が首にナイフを刺されたからと言って戸惑うわけもなく、「ぎぃッ……?!」「玲衣!!」「守衣くん!!」そのまま足首を掴まれて思いっきり投げ捨てられた。


 まともに受け身も取れずに転がり、悪魔化もしていないのでマジにダメージを食らう。


 いてぇっ……死にそうォッ……。


 涙目になりながらも何とか体勢を立て直し、天使を睨み上げる。


「効かねーんだよ!! バーカ!!!」


 精一杯のこけおどし、虚勢の限りを尽くして吠え、天使が露骨に俺を睨んだのを合図に慌てて逃げる。


 無様に、足がもつれながらも降り注ぐ天使の羽を躱し、「赤羽ェえええ!!!」「お待たせェえええ!!!」赤い光が空から降り注いだ。


 防御を捨てた攻撃一点特化の赤羽最大の一撃——、


「大地を穿て紅き流星!! ヘルズ・ゴォオオド・ブロォおおおおお!!!」


 相変わらずダサい名前を叫びながらも眩い光を放つ拳を遥か上空から突き落とす赤羽。


「ォおおおおおお!!!」


 天使に向かって特攻する姿はまさに流星のようだった。


「ッ……!!」


 紅き光と白銀の瞬きの衝突。一瞬視界が白く弾け、風圧が俺たちを襲う。


 吹き飛ばされそうになりながらも天使と赤羽の様子を伺い——、その拳が天使の体を押しつぶすのを確かに見た。


 今度こそ粉々に砕かれる天使の体。静寂の後、チリとなって舞うその中心に赤羽はゆっくりと立ち上がると勝者のファイティングポーズを決めようとし——、膝から崩れ落ちた。


「赤羽!!」


 抱え起すと意識はしっかりしていた。


「えへは……ちょい疲れたわ……、お嬢さまお二人には近づかんよーに言ってんか……? いま近づかれたらホンマ、死んでまう……」

「お……おう……?」


 何処まで本気か分からなかったけど、とりあえず双葉とハクには静止をかけて、赤羽を広場の脇の方へと引きずっていく。こんな姿のリーダーを見たらレジスタンスどう思うかなぁ……。……天使を倒したって言ったら大騒ぎになるか。きっと。


「これで俺も英雄の仲間入りやー……」

「言ってろ」


 ただ、一仕事終えたつもりでいる赤羽には申し訳ないがこのまま天使を放置しておいて平気だとは思えなかった。


「ハクさん、双葉——……、そこの天使の塵、燃やせるか?」


 体をバラバラにされても襲いかかってきた化け物だ。念には念を、最後の仕上げを人に任せるのは気が引けるけど仕方ない。こればっかしはみーこがいても俺にはどうにもならないだろう。


「……どうしてそこまで覚えていながら……」

「ぇ?」

「いえ……こっちの話です。……わかりました、任せてください」


 戸惑う素ぶりを見せながらもハクは炎を広げ、天使の亡骸に向き直った。一人でも十分なようで双葉の助けは手のひらで遮る、神殺しの集団・十束剣の一員としてのプライドでもあるらしい。双葉はといえばそんな様子を見つめ、どうすべきか悩んだ後に複雑そうな顔で俺を睨んでくる。


「ンな状況でお前とあれこれ言い合う気力はねーんだけど……」

「私だってないよ……」

「じゃなんだ」

「あんたの知り合いだったんでしょ、あの人」

「ぁ……?」

「契約の代償で忘れられてるって……なんか、可哀想だったから……」

「んだそりゃ……」


 いまいち気の無い返事をしつつもその件については俺も多少気にしていた。全く心当たりがないとはいえ、もし「本当に」俺がかつて一緒に行動を共にし、「天使を殺した仲」なのだとしたら相当なものだ。


 厄介なことに悪魔に消された記憶は戻ることはない。完全消去、存在自体が消えて無くなるのだ。だから俺としても「思い出してやる」なんてことはできないわけで、どうやったって彼女の想いに応えることは出来ない。


「あとさ……、あんたが『そんなんなの』って、あの人のこと、忘れちゃってるからって可能性ない……?」

「なんだそりゃ」

「だからさ、君がちょっとイビツなのって、あの人があんたにとって大切な人だったんじゃないかって……、」

「…………」


 天使を焼き払う姿は何処か神聖で、その動きは神への奉納に用いられる舞のようにも思えた。何を思っているのか長く細い睫毛は静かに閉じられ、そんな姿は美しくも思える。天使を殺しておいて神への奉納も何もないとは思うが。


「夢見すぎだろ」

「だって!」

「仮に、そうだとしても、俺にどうしようもない」


 起きてしまったことは戻らない。消えてしまったものは永遠にそのままだ。


 俺たちのよく知る世界が一瞬で終わってしまったように、悪魔と契約し、失い、変わってしまった事は今更どうしようもない。それを取り戻そうとすることは愚行であり、そういう奴から死んでいく。


 俺は、死にたくない。死にたいとは、思えない。だから——、


「はぁ……」


 ほんっと、我ながらめんどくさいとはよく思う。


 理屈でわかっていても納得できないというか、あーだこーだと言い訳を思い浮かべる割に巡り巡って結論ありきというか。はたから見れば優柔不断の、思考停止とでも思われるのだろうか。


 双葉の言いたいことは最もだ、俺にはその気持ちはわからないけど切り離された関係はよくもまぁ見てきた。


 お手本にするわけでも、倣うわけでもないが、なら、こういう時にかける言葉は大体決まっていて、謝るか、嘘を付くか、自分に正直であるか——。だとしたら俺は、面倒ごとは避ける主義で、そんな馬鹿らしい事に付き合いたいとも思わないわけで。


 気は進まないし、体もあちこち痛いがこのまま曖昧にしておくには荷が重すぎる。


 渋々と天使を火葬するハクに歩み寄り、言葉は頭の中でこんがらがって、結局出た答えは、


「……ありがとな」

「……っ……?」

「いや、何か助かった」


 我ながら月並みというべきか、赤羽といい勝負と言うべきか。

 その他に思い浮かぶこともなく、なんだ無性に照れ臭くて目を見ることができなかった。


「あんたがいなかったらやられてたよ。だから……ありがと」

「玲衣……」

「……ンだよ」

「ううんっ……? 相変わらず、素直じゃないなぁって」


 その時、浮かべた笑顔を俺は確かに何処かで見たことがあって、その彼女が「後ろから襲われる光景」にも確かに見覚えがあるような気がして——、


「なっ……、」

「————っ……?」


 見上げれば白銀の翼を広げ、青い馬にまたがった「天使が」俺たちを見下ろし、「逃げてッ……!!」「ォいっ……!!?」俺はハクに突き飛ばされ、そして彼女は俺を庇うようにしてその背に再び斬撃を受けた。深く、飛び散った血が夜空を埋める。


「づッ……!!」


 腰から転び、倒れ込んできた彼女を受け止めると、その体はやはり軽く、……俺は、知っていると、思えた。


 この感触を、確かに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る