第11話 十束剣(2)

 ……なんて、威勢のいいことを言った割に随分と手こずっておるのう?


「うっせッ……」


 人の頭の中で優雅にヒトを笑うみーこを一蹴し、手すりを使って体を引っ張り上げた。


 終わりの見えない道ほどキツいものはないと言うけど先の見えない階段はそれ以上にキツい。永遠と折り返しを続ける道のり、ペンライトの光は電池が切れたらしく登り始めて間もなく切れている。


「うぉーい……これあと何段あるんや〜……?」

「さーな……、アイツが中途半端な所にいてくれりゃ途中で終わりだろーけど……もし展望室で待ち構えてるとすりゃ地上45階だろうよ……」

「なんでそないなとこにおんねん……」

「天使だからじゃねーの……?」


 道中、守りの神兵や獣達に出くわさないのは幸運だった。もしかすると先行し、やられてしまったあの十束の人が片付けてくれたおかげかもしれないが周囲に警戒することなく、ただ黙々と階段を登り続けている。それが良いことなのかといえば難しく、「登るしかない」と言う行為はどうにも身体にも精神にも疲労が蓄積されていく。


「ンなもんいっそ悪魔の力つこーてドガーン!てやってもたらええんちゃうの」

「お前バカだろ……灯李取り戻しに来てんのにンなことしたら元も子もねーよ」


 空を自在に飛び回れる天使が相手だ。空中で捕捉されればこちらは手も足も出ないし、もし仮に「逃げられでもしたら」、今度こそ負えなくなってしまう。都庁に居座っているという状況がある意味では幸運で、そもそも論で言えば近場に降臨なさるなって話で、


「……灯李ちゃんてゆーんか……眠っとる間はどんな女の子も可愛いかったなぁ〜……」


 ヨダレを垂らして夢想する姿は人に見せちゃいけない気がした。アニメ好きなのは知ってたがさらにロリコンなのかコイツ。助け出した後、あの女の子をレジスタンスに預けるのがちょっと心配になってくる。というか辛い現実から逃げてないか……?


 ——助け出した後の心配とは随分と余裕じゃの?


「うっせーよ」


 此の期に及んでヒトゴトなみーこには心底ムカつく。少女が悪魔の肉体だとかどーとか、「人類の切り札になる」とあの場で言えば赤羽を始めレジスタンスでの扱いが変わることは歴然だった。助けるも見殺しにするも人間達の勝手と言いながら、明らかに俺達をけしかけていたし、結局のところそれは上手くいっている。


 あの子を天使に取られたままだとみーこにとっても困るのか……?


 善意で人助けをするほどみーこを始め、悪魔という奴らはお人好しでもない。しかし率先して契約者を窮地に追い込み、力を使わせることでその身体を乗っ取ろうとすることも多い。だがそれはある程度の安全が保障されている場合のみだ。契約者を消耗させたところで、その身体を壊してしまえば手に入れたところで元も子もない。今回の相手があの天使だとすると相当危ない橋を渡ることになる。それなのにみーこは俺たちの背をおした……?


「……まさかお前の体だって言うんじゃないだろうな」


 あり得るとしたらその可能性だ。

 悪魔が魂と肉体を切り離されている、ともなればあの灯李と言う少女が「みーこの肉体」である可能性もある。


 俺の問いかけに対しみーこはしばらく沈黙した後、「72分の1の確率じゃがな」と笑ってみせる。それほど勝算があるのではなく、当たればいいぐらいの発言に苦笑する。


 そう驚くでない。我らとて「体を奪ってみねば」それが自分の身体かなど分からんからな。肉体は幾度と転生を繰り返し、その都度様々な要因を呑み込んで変化しておる。じゃからこそ、こんなまどろこしい手を使ってお主らの体を奪おうとしておるのだろう。


「……けど、天使にはそれが見抜けるってか」


 だとすれば、あの天使はこれまでも「悪魔の肉体」を狙って地上に降りてきたのだろうか。

 天への反逆を摘み取るために。


「…………」


 みーこからの返事はなかった。

 余計な詮索は無用。これ以上は話宅ないということらしい。


「……はーっ……」


 わからん。結局考えたところでやることは変わらないのだからその考えは隅に置いておくことにする。

 階段を登り続けることで随分頭の中も冷静になってきたし、このぶんだと落ち着いて事に当たれそうだ。


 ほんのりと浮かび上がった壁に37階の文字に展望室が近いことを知る。無駄口はこの辺にしておいた方がよさそうだ。


「それにしてもあの子の姿見えんかったけど、やっぱ下で巻き込まれとったんかいな」

「さあな、諦めて引き返してくれてたら良いんだけど」


 言って、そうでないことはなんとなく分っていた。少女を一人背負い、こんなところまでやってきたのだ。そんな奴が諦めるとも思えない。


 それにやけに上が静かなのも気にかかっていた。下に転がっていた神兵どもを除いても、これだけ手薄なのは一体なんだ……?


 ウダウダ考えているうちに事務的な作りのフロアが終わり、開けた展望デッキへと出た。高い天井の円形の広間となっており、窓ガラスは割れ、土産が散乱している。


 歩くたびにパリパリとガラスが割れる音が響き、耳をすませて歩けば微かに誰かの息遣いが聞こえる。


 ——何処だ、何処にいる……?


 静まり返ったフロアの中には張り詰めた空気が支配している。一挙一動、何か変化が起きれば即座に動けるように耳を目のように研ぎ澄ませ、死角からのアクシデントにも対処できるように指先まで気は抜かない。


 天使の気配は感じられない。しかし呼吸音から誰かがいるのは確かだ。

 部外者がいるはずもなく、双葉でなければあの少女に違いない。薄暗い闇の中に目を凝らし、半分ほどフロアを抜けたところで、


「おったで!! あそこや!」


 赤羽が叫んだ。つられて目をやれば元はカフェテリアとして営業していた一角に少女が横たわっている。やはり天使の姿は見受けられなかった。


「——大丈夫……息はある……」


 駆け寄り確かめるとこれといった外傷は見当たらなかった。連れ去られた時と変わりない。息が荒いのは元々の発熱だろう。今も尚上がり続けているのか汗がひどい。


「マズイな……早く引き返さないと——、」「玲衣!」


 少女を背負い、引き上げようとしたところで再び赤羽が叫びその先に天使がいた。

 割れたガラスの向こう側、夜空に浮かぶ月を背にするようにしてそいつは静かにこちらを見つめ——、


「双葉!!」


 手につかんでいたその細い首から手を離した。


「ちッ、」


 赤羽が跳び出したのはそれと同時だった。一瞬で展望デッキを抜け、紅い閃光となって天使に襲いかかると引き抜いた剣で胴を薙ぎ払い、その反動で双葉を追って一直線に地上へと弾け飛ぶ。


 空中に残されたのはその手に持っていたつるぎと、白銀の天使だった。


「みーこ!!」


 叫び、包帯が千切れていくのを感じながら一気に臨戦体勢に入ると左腕で出来る限り守りに徹する。

 背中の少女を放り出すわけにもいかない。だがこのまま逃げたとして見逃してくれるとも思えない——、


「くっそ……分が悪すぎんだろ——、」


 自分の不運を呪いつつ、空中で赤羽の剣を絡め取った天使を睨む。今ので赤羽がくたばるとは思えない。双葉を助けたらきっと彼奴なら戻ってくるに違いない——。


 躱せる保証もなく、倒せる自信もないがそれでもやるしかなかった。

 肥大化した悪魔の腕を掲げつつ、俺は天使に咆哮する。


「来いや誘拐犯!!! テメェの羽根、引きちぎってやるよ!!」


 言葉が通じるのかどうかは別として、やはりこのまま俺を帰してくれるつもりはサラサラないらしく回答として赤羽の剣が鋭く飛んできた。


「うおっ!?」


 危なく床に腕を串刺しにされそうになり跳び退く、しかしその直後、一気に距離を詰めてきた天使に再び目を見開くことになった。


「ふッざけっ……!」


 後ろに倒れこみながら身体を捻り、強引に床を蹴って方向転換。背負った少女を落とさないように左腕を軸にして反転し、天使との距離をなんとか取ると追撃はなかった。


「ッフー……」


 先ほどまで俺がいた場所に突き立てられた白銀の槍。床を貫いたそれを何を思っているのかわからない顔で奴は引き抜き、再び俺に向かって構える。


「真面目すぎるのも困りもんだぞ、おい……」


 ただ黙々と、標的に向かって突き進む姿は機械仕掛けのロボットか何かか。

 そこらへんは有象無象の神兵どもと変わりない。恐怖も痛みも感じる元犬どもの方がよっぽど「相手をしている」感じはある。


「ふー……」


 神経を天使に集中させる。


 目を離さなければ躱せない速度じゃない。それはわかった。これと言って特殊な能力を持っているわけでもなく、ただ空を飛び、尋常に硬くて、動きがめちゃくちゃ早いだけ。それだけだ。でもわかっていてもそれが辛い。躱せないこともないが躱し続けるのは至難の技だ。反撃も通じないとなればどうしようもない。その上、子守しながらでは動きづらく、正直邪魔だ。


 赤羽が早く戻ってきてくれることを願うがその気配は一向に感じられなかった。


「羽根をもぐのではなかったのか」


 ひょいっとみーこが俺と天使の前に降り立った。


「ばっ……なに出てきてんだよ!?」


 事もあろうに戦闘中に、しかも「人間の姿で」現れたみーこに思わず怒鳴る。

 危なくなると姿を消すのは「肉体を持っていない」とはいえ、表に出てきている時に攻撃されれば何かしら不都合があるからだ。


 なのにみーこは何食わぬ顔で天使に近づき、嗤ってみせる。


「これはなかなかの天使様ではないか、どれ? 名前と階級を告げてみせよ」

「     」

「ッ……?!」

「おっと」


 その音は、俺には声と認識するにはあまりにも不愉快で、聞き取ることができなかった。


「なるほど、此の期に及んでこの態度とは。……やはり天の民は一度滅ばねばならぬと見える」


 みーこ自身に戦闘能力はない。あの姿だって一時的に形作っているだけだと言っていた。なのに何故、どうして——……、


「……まさかお前……、」

「のぅ? 神に仕えし下僕の一端よ。貴様らに与えられしその使命、なんの疑惑も抱かぬというのであれば貴様らはこの地に溢れる者共より遥かに愚弟であると——、」

「避けろみーこ!!」


 叫ぶのが先か、槍が振るわれるのが先か、どちらにせよ次の瞬間にはみーこは吹き飛ばされていた。


 壁に激突し、意思を持たぬ人形のように崩れ落ちると床に倒れこむよりも早く天使はその小さな頭を握りしめ、持ち上げた。


 ダラダラと額から血が流れ出るのにも構わず、みーこは憮然として告げる。


「貴様らはいつでもそうじゃ……人の話に聞く耳など持たず、主の命こそが全てであるとでもッ……、」


 無言のうちにも力が込められていくのがありありと伝わってくる。振り上げられている槍はいつでもその小さな身体を貫ける。


「おい!! 何勝手なことしてんだよ!! 戻ってこい!!」


 実体化を解けば俺の中に戻ってこれる。少なくともそれで狙われることはなくなるハズなのに——、


「バカモノめ……、それでは主が逃げられんじゃろぅ……」


 逃げろと。


 自分をおいてこの場を去れと爛々と燃える瞳で俺を見つめる。

 猫のようでいてしかしその目は悪魔のそれだ。


 少女の体をしていながらも見下すように俺に命令し、自分は、


「ぁッ……」


 無駄口を叩くなとでも言いたげに再び壁へと叩きつけられる。

 まるで粗末に扱われる人形のようだ。


「っ——……!」


 普段からムカつくやつだとは思っていた。頭ん中でいらんことばっか囁くし、いざという時は黙って何も言わないし勝手なことばかりする。


 だからこそ俺はみーこを契約で繋がった悪魔として見てはいても、仲間だとは思っていなかったし「所詮は悪魔」だと必ず割り切るようにしていた——。けど、これじゃ——、


「お前を見捨てたら俺が悪魔みてーじゃねーか!!」


 言って赤羽の剣を掴み斬りかかった。


 この際、少女よりもみーこの方が大事だった。

 付合いでいえば当たり前だ。昨日今日知った相手よりも連れ添った相手の方が重要に決まってる。


 少女は部屋の隅に置き去りにし、天使に向かって振りかぶる。少女に関しては赤羽が戻って来れば真っ先に連れ去ってくれるだろう。今はとにかくみーこを天使の腕から救い出すのが先決だった。


「うォおおおおおおお!!!」


 この刃が通るとは思っていない。斬り裂けるとも。

 ただ、その腕を、天使の手が。少しでも緩めばいいと、少しでも隙を作れればいいと振り下ろす。


「そいつに手を出したのは俺のが先だァああああ!!!」


 思いに反し、ザンッという確かな手応え。


 赤羽の忘れ形見はそれなりに役に立つようで、左腕で一気に切り裂いた剣先は確天使の腕を切り落としたらしい。力抜けた指先からみーこを奪い返し、剣は捨てて一度少女の元まで下がる。


 これで終わるとは思えない。腕を切られたところで引き下がるような奴じゃないのは分かってる。

 次の出方を伺おうと睨みつけ、俺の考えはそれでも甘かったのだと思い知らされる。


「それでも平気って……一体どんな構造してやがんだよ……」


 確かに天使の腕は切り落とすことができた。一時的にそれらは切り離されていた。


 しかし見る見るうちに傷口は互いを求めるように繋ぎ止め、白銀の甲冑が二つに割れた以外なんの変化も見受けられない。


 倒す術なんてないのではと諦めが脳裏をよぎった。敵の動きは素早く、こちらの攻撃は効かない。捕まれば一撃で葬られ、向こうの射程距離はこちらよりも上。どう考えて見ても敵うわけがない。そもそも戦うつもりなんてなかったのにどうしてこんなことになってんだ……。俺は少女を連れ出し、こいつとの戦闘は赤羽に任せるつもりだったのにどうして——、


「彼奴を倒したいと思うか?」


 耳元で血だらけになったみーこが囁く。


「あの阿呆を葬り去りたいと、思うのかや?」


 虚ろな瞳で、今にも崩れ落ちそうな体で俺に微笑みかけ、甘く囁く姿はまさに悪魔のようであり、妖艶なサキュバスにも思える。


「お前、なに言って——、」

「願えば叶えてやろう、其方との契約、我は忘れぬ。ひと時もな」

「っ……?!」


 俺の言葉など聞く耳も持たず、甘い口づけをもってそれを塞がれた。

 何をされたのか一瞬理解できず思わず顔を離したところでみーこは微笑んで姿を消す。黒い霧が四散し、俺の中へと戻る。天使はゆっくりと近づいてきていて一人、暗闇の中に放り出されたような感覚に陥る。


 わからない、お前のことは何一つワカンねぇよ——、


「みーこッ……」


 ぎゅっと左拳を握る。


 ただわかることは、こいつは俺を守ろうとして彼奴にやられた。


 悪魔に助けられたんだ、俺は。どれだけウザいと思っていてもそれは事実で、こいつの力のおかげで今日まで潜り抜けられら修羅場は幾つもある。


「ほんっと……ムカつくけど……頼るしかないんだよなぁ……お前に、」


 悪魔の力を使うことはあまり好ましくない。

 代償を支払う云々以前に、誰かに頼らなければ生きていけないことが俺にとっては屈辱的だった。


 しかし生き延びるにはそうするしかないっていうなら俺は——、



「叫べ燃えろッ熱く、怒れッ!!! 我が名は紅き閃光、返り血の狂戦士ァアアアああ!!!?」



「ぁっ……?」


 前のめりに突っ込もうとした俺の代わりに勢い余って天使に突撃し、難なく弾かれて床に転がったのは赤羽だった。


「いたたた……」


 その隣には双葉も一緒だ。どうやら赤羽が抱えてここまで跳び上がってきたらしい。


「お前……」

「スマンスマン、この子説得するんに時間掛ってしもーて……結局連れて来てもーたわ!」


 一緒になって床に転がった双葉に目を丸くする俺に赤羽は笑いかける。盛大に勢いよく突っ込んで来たのは良いものの、狙いを外したらしい。


 床に転がった剣を拾い、紅き甲冑を身にまとった狂戦士バーサーカーは天使に微笑みかける。


「さーて、こっから先は俺らのターンやぞ、覚悟しとけ」


 不穏な空気を斬りはらうように笑みを浮かべ、双葉は少女の元へ駆け寄ると無事なことにホッと肩の力を抜いた。


「守っててくれたんだ……?」

「守らざる得なかったんだよ……」


 灯李の事は双葉にまかせ、俺も天使に向かって構える。相手にしたくはなくとも、この二人が逃げるだけの時間は稼がねばあるまい。赤羽のように飛び降りてどうにかなるのならそれでもいいが、残念ながら双葉の悪魔ではそれも難しそうだった。


 が、側に立ち上がる姿を見て「あ……?」思わず眉をひそめる。


「今度は……私も戦う」


 少女を置いて、双葉は天使を見据えている。


「いやいやいや、無理だろお前には」

「無理じゃないっ……」

「無理だって……!!」


 だって現に手も震えてるし、あの十束の人でも返り討ちにあったのに素人のお前じゃ、第一、さっき天使にやられて地上まで真っ逆さまだったんじゃねーのかよッ……!


 次々と文句は浮かぶがジッと天使を見つめ、退こうとしない姿に諦めた。


「はぁ……わーったよ……頼むから怪我だけはしないでくれ……?」


 これ以上、足手纏いは増やしたくないから。

 俺の言いたいことがうまく伝わってないのか双葉は一瞬きょとーんと目を丸くし、嬉しそうに笑う。


「わかったッ」


 完全に誤解させたらしい。


 ……わかってねーんだなぁ、これが……。


 赤羽と目配せ、息を合わせる。


 肩を並べて神兵を狩ったことは何度かある。赤羽の実力は本物だ。鍛え抜かれた戦闘技術に悪魔の力を加えれば神兵であれ容易に倒すことができた。問題は、それがあの「天使」にも通じるかどうかだ。


 話だと束で掛って互角、削られてジリ貧って話だったが——……、


「それを俺と二人でやってどうなるか……だな……」


 本人の意思はどうであれ、双葉の助力は期待できそうもない。否、期待して転ぶようであればしない方がいい。


「自信のほどは?」


 ジリジリと間合いを図る赤羽に声だけで投げかけてみる。


「姫を守る騎士は、勝利を掴むもんやって相場が決まっとるんやで……!!」


 ……残念ながら赤羽の甲冑は西洋の騎士というよりも日本の武士に近い。だとすれば戦国武将は大体討ち死にするイメージしかないんだよなぁ……。若干先行きに不安が積もり、先に動いたのは天使だった。


 羽ばたき、地面を蹴ることなく姿がブレるほどの速度で突っ込んでくる。


「バカのひとつ覚えか! そんなん見切ったわ!」


 一直線に突き出された矛先を剣先で捌き、そのまま相手の勢いに合わせ、上乗せする形で斬りつける。


「十分ッ!!」


 手応えはあったようで赤羽が叫ぶ。俺もその隙を逃すまいと左腕を叩きつけ天使の背後から、その首筋を殴り落とし、床に叩きつける。


「ッ……!」


 ハナから資格なんて存在しないとは思っていた。だが即座に反応して突き返された槍の底は躱した首筋をギリギリかすめ、風圧で肌が裂ける。


「んゥのぉッ!!」


 痛みを噛み締め、仕返しとばかりに宣言通り「羽根を」捥いでやる。


「つだァアアアあッ?!」


 左手でしっかりと握り締め、足を踏ん張って引きちぎってやろうとしたのだが、反対に俺の手のひらが切り裂けた。


「かってェええ!?」


 振り落とそうと体を回転させた薙ぎ払いを避け、宙に飛ぶ。羽の一枚すらちっとも取れやしない。下手すればこちらの手が使い物にならなくなりそうだ。


「遊んどらんで真面目にせーや!!」

「真面目だよ!!」


 眼前に迫る槍を躱し、踏み込んでは切り返している赤羽の動きに合わせて、俺も跳び掛かるが決定打にならない。というよりもどれだけダメージを与えてもすぐに回復しているらしい。


 甲冑自体はボロボロになってきているのに本体はピンピンしていて、先ほど赤羽が深く斬りつけた肩から胸元にかけての傷ももはや後すら残っていない。やはり腕を切り落とした時と同じで、物理的な攻撃は殆ど意味が無いように思われた。


「ンなの本当に倒せんのかよッ……?!」


 愚痴りつつ、動き続けるしかない。


 少しでも足を止めれば逆にこちらが仕留められてしまいそうなギリギリの所で渡り合っている。闇雲だと分かっていても身を引けばその一瞬を突かれるぐらいの余裕は天使に残されている。


「っとに……!! やりづれぇ!!」


 再生が追いつかないほどに殺し尽くすか、それこそ体をバラバラにして隔離するか——。


 天使というよりも不死身の化け物を相手にしているようでしかなく、体の疲れに合わせて焦燥感を駆り立てられる。

 万全の状態で互角——、……というよりも渡り合える危ないライン、時間が経てば「うォッ!!?」体を逸らして突然薙ぎ払われた翼をなんとかやり過ごす。


「ギリギリにもほどがあんだろっ……!」


 もはや時間の問題だった。


 こうなればやはり少女を担いで、今すぐ逃げるしか——、


「避けて!」

「はっ!?」


 突然双葉が叫び、何かと思えば炎の塊がこちらに向かって飛んできていた。


「をッ——、」

「——あぢィっ?!」


 首を逸らして俺は躱したものの、天使とぶつかり合っていた赤羽はもろにその熱を食らう。


「ぬぅぁんのぉ!!」


 炎をすらも弾き飛ばしそうな熱の入れようで天使を押し返す赤羽。

 残念ながら後ろ髪が少し燃えているが気に留めている余裕はないのだろう。そんな様子を見つめ、双葉は呆気にとられる。


「やっちゃった……?」

「やっちゃったじゃねーよ!! 隠れてろ!!」


 悲鳴をあげつつ天使を離さなかった点は流石としかいいようがないが、なんの援護にもなっていない。若干嫌がる素ぶりは見せたものの、天使には全くと言っていいほど効いていなかった。あたりに引火した炎など気にもとめず赤羽の刃をグイグイと押し返す。


「獄炎を纏し灼熱の騎士とかでもカッコええかなぁッ……?」

「バカ言ってないで早く消せ!!」


 割って入りながら叫ぶ。消化している暇はないが燃え移った火を消さなければこちらが火だるまだ。


「らっせぇい!!」


 怒鳴りながら槍を押し込め、唯一意識を揺さぶれる可能性のある顎を蹴り上げるがギョロリとした目玉は俺を捉えて離さない。


 ——マジでこいつ不死身かよっ……。


 こうなりゃ羽がもげないなら首を捥いでやるしかない。

 ダメージはなくとも攻撃は通るのだ。なら、四肢を引きちぎってバラバラにしてやれば少しは大人し「くぅっ!?」


「余計なこと考えとったら死ぬで!?」

「いやいや、ジリ貧なのは変わりないだろう!?」


 危うく俺が首をもがれそうになり、流石に汗をかいた。


「っ……」


 改めて激しい応酬に繰り返す。

 赤羽たちが束になって掛っても倒しきれず、削られる一方だったという意味を身を以て実感していた。


 決して隙がないわけじゃない。ただ、尋常じゃないほどに「硬く」、傷を負わせられたとしても「すぐに治る」。ただそれだけのことが歴然とした差を生み、生き物として明らかに次元が違うことを突きつけてくる。


 いや、そんなことは初めから分っていて、それでも俺たちは喰らいつこうとしてるんだ、け、どッ……!


「こうなりゃ一か八かっ……」


 左腕の疼きはそれほど酷くない。何処まで引き出せるか分からないがやらなきゃやられる——。


「一旦任せるッ……」

「おぅっ!? 必殺技やな!?」

「ンなもんねーよ!!」


 ねーけど、やるしかない……!


 攻勢に移らず、守りに徹すれば赤羽はしばらくは持ちこたえてくれるだろう。その僅かな時間のうちに一旦距離を取り、双葉のそばまで下がる。


「どうかしたのっ……?」


 傷を負ったのかと思った双葉が心配してくるが否定する時間も勿体無い。左腕を抑え、天使に狙いを定めて悪魔の力を限界まで引きずり出す。全身から黒い霧が溢れ始め、俺を包み込み始めるとそれらはふわふわと体に纏わりつくようにして漂い始める。


 まるで悪魔が、そこに存在しているように。


 ——みーこ、おい、聞こえてるかみーこっ……!


 さっきのアレがどれだけみーこ自身にダメージとなってるのか俺には分からなかった。中に引っ込んでから一度も口出ししてこない所を見ると割とまずい状況なのかもしれない。


 けど、こうなったらもうみーこに頼る他ないっ……。


「起きろみーこ、契約の途中だけどお前に俺の体を貸してやる……だから今すぐあいつを——、」

「やめなさい」


 双葉じゃない、第三者の声に自然と視線を引っ張られた。振り向けば十束のあの人が壁に手をついて立っている。無理をして階段を登ってきたのか汗を滲ませ、それでも目の光だけは失わずにこちらを見据えていた。


「それだけはダメ……」

「あんた……怪我は——、」

「そうじゃなくてッ……!」


 突然歩み寄ってきたかと思えば胸倉を掴まれ、とてつもない剣幕で睨まれる。


「身体を悪魔に明け渡すのがどれだけ危険な行為かわかっているの!?」

「別に明け渡すワケじゃない、一時的に貸してやるだけだ」

「悪魔が返してくれるワケないでしょう!」


 一方的に怒鳴られ意味がわからない。なんでこの人はこんな「守衣ィいいいいイイ!!! もう限界やでェええ!!?」「っ……話は後だ!」「ちょっと!!」


 赤羽の悲鳴部俺は腕を振りほどき天使に向き直る。


「他に手がねーならやれること片っ端からやるしかねーだろ!!」


 みーこからの返事はないが腹をくくる。強く握った左腕に黒い霧が集まり、やがてそれは肩から全身へと広がっていく——。


 みーこ……、起きろみーこ、頼む……。


 呼びかけても反応はなかった。このまま主導権を渡しても失敗に終わる可能性もある——、け「どぅっ……?」


 衝撃は後ろから襲いかかってきた。

 不意打ちで叩き込まれた蹴りは俺の首を見事に刈り取り、視界がぶれる。


「ぁっ……、」


 なんとか意識を食い繋ぎ、なんとか踏みとどまって睨みつける。犯人は十束のハクだ。話を途中で切り上げられたのが余程癪だったのかありありと怒りを滲ませつつ俺を見ていた。


「アレは、私の獲物だから」

「ぁ?」

「私がどうにかする」


 俺を押しのけ、前に出ようとする。その腕は震えていて、恐らく立っているだけでも辛いだろうにそれでも毅然と態度を崩さない。


「ッざけんな……」

「……?」


 寸前のところでなんとか堪え、右手でその手首を掴む。


「怪我人は引っ込んでろッ!!」


 ぐいっと彼女を後ろへ引っ張り下げ、左手の感覚を全身へと広がらせる。視界を黒い霧が埋め尽くしていき、僅かに残された視界から双葉と、隣で倒れる少女の姿が目に映った。どいつもこいつも、好き勝手しすぎなんだよ——。


 大人しくしてりゃこっちでなんとかしてやるって言ってんのに、自分から前に出てその癖弱くて自分から危険に突っ込んで——。


 体の中から込み上げてくる熱に思わず叫び、全身を暴れまわる鼓動に血管がはち切れそうだった。


 ブチブチブチと頭の中が焼き焦げていくような気色の悪い感覚、目を開けていることも閉じていることも同じに思えるほどの圧倒的な「闇」に飲み込まれ世界から音が消える。全ての感覚がシャットダウンし、上も下も分からなくなった直後、


「…………」


 静寂の中、俺は、俺の中にいた。


「……?」


 不思議な感覚だった、何も変わったところはない。見えている景色も、感覚も、同じままだ。


 しかし全身が麻痺しているような、体の血管が全て千切れてしまったような。宙ぶらりんで何処か現実味の欠けた曖昧な感覚で。


「ぁー……、ふはっ……あはははッ!」


 俺の意思とは関係なく、体は動いていく。


 まるで上映される映画を眺めているようなふわふわした感覚で、


「いっ?!」


 信じられないほどの速度で景色が流れた。突然接近した俺に赤羽は驚き、「ぜぃッ」「ぁッ……?!」その体を天使ごと俺の腕に薙ぎ払われる。


「…………————、」


 初めて天使が表情らしいものを浮かべていた。口は横一文字に閉じ、目も、徳に何かを語るわけでもない——。しかしただ、その静かに見つめる視線だけは——、


「おせェ」


 俺の動きに驚愕していた。


 空中で踏み込んだ俺の体は更に天使に追撃を掛け、下から上に殴り上げたかと思えば次の瞬間には反対側に跳んで膝で踏み潰す。


 目のまで目まぐるしく流れていく光景に俺自身頭が追いつかない。


 一方的に、あれほどまでに苦戦していた天使を嬲り続け、……ふと、割れていない窓ガラスに映った自分の姿を見た。


 左腕の形状はいつもと変わりない、左目から伸びるようにして刻まれた痣の模様も同じだ——。しかし唯一、決定的に違うのは「羽が生えていた」。右肩の、肩甲骨の付け根位から黒い羽が大きく伸び、時に縮み、場合によって天使の攻撃をそれは防ぐ。空中で足場を作り、嬲り、受け止め、切り裂く——。


「ヒャァァアアア!!!」


 歓喜の声をあげながら俺は天使の羽を、


「       」


 引き千切った。

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