第9話 暁の狂戦士(3)

「何が何だか……」


 頭がついていかなかった。


「大丈夫ですか……?!」


 どうすべきか混乱する中で双葉の声が響く。動けない俺をよそに後から双葉は引っくり返ったベットの下敷きになっていたらしい医者を抱え起こし、ようやくやって来た赤羽は困ったように頭を押さえた。拠点に侵入されたというのにもかかわらず新宿の夜は静かだ。他のフロアはなんの被害もなく、ただこの部屋をピンポイントに狙って来たらしい。


 大きく穴のあいた壁から外を見れば、大ガードの向こう側、歌舞伎町の騒ぎもおさまっているようで悪い夢でも見ているかのようだった。


「何が起きたんや……」


 唯一無傷でいて状況を把握していそうな俺に赤羽が尋ね、救援に駆けつけたレジスタンスのメンバーも手を動かしながらこちらも耳を傾ける。しかし俺自身何が何だか分からなかった。


 あの子を奪いに……? 何で……? 「天使が」というか、神兵ですら人間に興味はないと思い込んでいた。奴らはただ俺たちを駆除の対象としか見ていないものだと思ってたけど違うのか……?


「スマン……俺には何が何だか……、……ただ……」


 チラリと負傷者を抱え起こしている双葉に目をやる。彼奴も薄々は気づいていて、それでも目の前の困っている人を助けることを優先している。

 どこまでお人好しなんだよ……。呆れるほど馬鹿だとは思うが、だからこそ無下にはできない。


「……俺らが運び込んで来たあの子が狙われた。天使が襲って来たみたいで十束の人が追ってるけど」

「あの子が……?」


 赤羽も天使が人を誘拐したことに疑問を抱いたらしい。やはりそんなことはこれまでなかったのだ。


「なにか重要な情報握っとるとか——……なんか秘密でもあるんか?」


 聞かれても俺は答えることができず、双葉の方に目をやる。話は聞いていたのか俺たちの視線に首を横に振って答えた。


「悪いけど私も名前ぐらいしか……、ハイエルフたちに襲われてる所を助けて連れて来たの。……詳しいことは何も……」

「情報は無しか……、気にはなるけどとにかく十束の人が戻って来てからにしよか。流石に俺らだけであの天使とコトを構えるんは得策やない」

「っ……」


 双葉は思わず反論しようとしたようだが、俺の腕の傷を見て言いとどまった。あの天使の恐ろしさはこいつも良く分っているらしい。


 しかし、あの人が戻って来てから話し合うというのはもうすでに「女の子は諦める」と言っているようなものだった。だがそれも仕方がなかった。あの子は俺と双葉にとって特別なだけで、……いや、そもそも俺にとってもどうでもいい存在でしかない。当事者なのは双葉だけだ。彼奴以外の他の人間にとってあの子がどうなろうが関係なく、多少なり心苦しくはあるが、犠牲になったとしても「仕方がない」と切り捨てる事ができる。少なくともレジスタンスは「神の遣いを打ち破り、人の世を取り戻すこと」が目的であり、人命救出を掲げている訳でもなければ、人命を最優先にしているわけでもない。頼れば守ってくれはするが、外に出れば自己責任。それはこうなってしまった世界での掟であり、常識だった。


 ……なんか呆気無い終わりだったな。


 連れ去られていく光景を思い出して何となくそんなふうに思う。ここまで苦労して連れて来たのに、連れ去られるのは一瞬だった。つか、あんだけ突破力あるんならこんな施設一撃で壊せそうなものだ。やっぱあの子だけが特別なのか……?


 うだうだ考えたところで俺にも関係ないなーっと双葉には悪いが切り上げるタイミングを見計らうことにさせてもらう。状況が落ち着いたら今度こそおいたましよう。


 第一、なんで戻って来てんだ。あのまま帰りゃよかったのに——、


「ぉっ……?」

「悪いがちょいと出歩くぞい?」


 何を思ったのか、突然みーこが跳び出して来た。


「んだ……? なにか用か?」

「世話が焼けるとはこのことでな。まぁ良い、黙って見れおれ」

「ぁ……?」


 空いた壁の穴に跳び乗るとクンクンと鼻先をヒクつかせて何やら匂いを嗅ぐ。夜風に短い毛が揺れ、細く睨まれた瞳は姿の見えない天使を捉えているらしかった。


「…………」


 しかしながら月を光を受けて浮び上る後ろ姿はまるであの天使だ。そう思えばみーこも同じく「異質な存在」なのだと改めて感じた。


「何か知ってるのか」


 突然現れた悪魔に赤羽は問いかけ、全員の視線がそこに集まり、みーこは「余計な詮索も邪推もせぬと約束してもらおう」と前置きをする。


 悪魔にとって名前を知られることは相当のリスクらしいと言うのは割と広く知られていて、それを知られてしまえば名前で縛られ、使役される。最悪の場合、「下界」に戻されてしまうらしい。何処まで本当かはわからないし、みーこ自身、それについては「沈黙は金」と言って語ろうとしないので俺も追求はしていなかった。


「詮索をせぬと言うのであれば主らが『天使』と呼ぶ彼奴や『あの少女』について語ってやろう」

「……情報は何よりも武器になる。わかった」


 一同に目配せ、赤羽が取り仕切る中みーこは口を開いた。ゆっくりと、焦らすように。

 心なしか気温が少し下がったようにも感じられる。それが悪魔の成せる技なのか、それとも心理的なものなのかは分からなかった。


「天使については云わずもがな、あの『神兵ども』を束ねる『天使』で間違いない。その力は強大で神兵とは比べ物にならぬ——、そしてあの少女だが——、」


 勿体振るように、そして双葉を弄び楽しむが如くみーこは視線を送り、


「アレは悪魔の入れ物じゃな」


 その単語を吐き出した。


「悪魔の……入れ物……?」


 聞き慣れないフレーズに双葉が聞きかえす。


「悪魔の肉体といっても良いがな」


 猫の長い髭が光を反射して煌めいていた。


「ワシも最初見たときはいまいちピンとこなかった。しかし、あやつが狙い、実際に奪いに来たとなれば間違いはなかろう。……かつて、天より追放されし72の悪魔。その肉体のうちの一つで間違いはない」

「悪魔の肉体って……乗っ取られた悪魔憑きの体ってことかいな?」


 やや食い気味に赤羽が割って入ってくるが、


「違う」


 そこは鼻で嗤って一蹴された。


「悪魔は肉体を持たぬ、否、肉体を奪われた存在だ。我々が主らに取り憑き、体を得るのも『本来の肉体』を探しているからに過ぎぬ」

「本来の……? どう言うこと?」


 連れ去られた少女のことが心配なのか双葉の表情は硬い。じっれったく語るみーこに苛立ちを覚え始めているらしい。


「あの子が悪魔だって言うの?」

「待て待て。これだからヒトという輩は。我が愚弟のように少しは落ち着いて聞けんのか」


 俺の頭に飛び乗って、ポンポンと叩かれるが何か言い返せば話も進まないので黙って我慢する。


「魂は輪廻の理の中にある。それがヒトという存在だ。そしてそれは肉体にも言えること。だが、天に逆らえぬように肉体と魂を切り離された我々は『転生できぬ』。魂だけが地上に縛られ、『肉体のみが』輪廻の理の中に放り出されておる」

「なんや宗教的な話になって来たなぁ……?」

「火のないところに煙は立たぬと言うじゃろ?」


 天使だなんだと言いながら実際に神の存在を信じている人間はそう多くはない。

 悪魔という存在を認識していても、何処かでそれは自分たちの常識の範疇に収まっていた。そこで「輪廻」だのなんだのと言われてもピンとこないのは当然だろう。俺も悪魔のいうことだしと、話半分に聞き流す。こいつらは適当なことを平気でそらんじる。


「私たちはな、我々を迫害し続ける天の奴らに一泡吹かせたいのだよ、人間諸君」


 しかしながらそれは本当のことなのではないかと思わせるほどの重圧に思わず全員が息を飲む。とても猫の口から語られている言葉だとは思えなかった。


「……話が逸れたな」


 ひょいっと床に降り立つと空気を和らげようと気を使ったのかあくびをし、みーこは不敵に笑って見せる。


「とにかく、『アレ』は天の奴らから狙われる存在で、貴様らにとっては『切り札にもなりうる存在』だと告げておこうかの?」

「切り札って……あの子がとてつもない力でも持っとるんゆーんか?」

「さて?」


 それ以上の詮索は余計だとでも言いたげに煙に巻いてみーこは消える。黒い霧が周囲に漂う中、重苦しい圧迫感が俺たちを包み込み、文字通り悪魔の囁きに飲み込まれていた。


「……私は行きます」

「待ちいや自分!!」


 沈黙を破ったのはレジスタンスのリーダーではなく双葉だった。自分の荷物を散乱した部屋の中から見つけると階段へと向かう。しかしそんな彼女を赤羽が止めた。


「一人でどうにかなる相手ちゃうやろ……、ここは策を練って、みんなで行くべきやって……!」


 やはり女が怖いのか屁っ放り腰なのは否めないが、言っていることはまともだった。しかし双葉は最初から聞く耳など持っていないようで足を止めようとはしない。


「せやから待てって!」


 赤羽も慌てて止めに入るが腕を掴もうとしたところで振り向かれ、完全に固まる。というか、二、三歩後ろに逃げた。


「悪魔がどうとか関係ないです……、……あの子はただの子供ですから」


 まるで自分に言い聞かせるように叩きつけ、双葉は階段を駆け下りて行った。十束の人も去ってしまった今、残されたのはレジスタンスの面々と俺だけだった。


「……どうするんですか、赤羽さん……?」


 あの山里とかいう男が指示を求める。他の連中も同じように赤羽を見ていた。

 詳しくこの建物を見回ったわけじゃないけど、レジスタンスのメンバー以外にも多くの人々が身を寄せていた。そして彼らの多くは怪我人で、それを差し置いて総力戦とは流石に無理がある。赤羽はしばらく考え込んだ後、


「よっしゃ! とりあえずあの子だけでも取れ戻してくるわ!」


 俺へ肩を組み強引に引き寄せた。


「……おぃ」

「俺一人やと体質のせいで説得もままならんし頼むわ。報酬は俺の笑顔でっ」


 有無を言わせぬほどにがっつり肩を掴れ、白い歯で求められる。

 いやいや、全く嬉しくねーし寧ろうざいんだが——、


「けど赤羽さん……」


 山里はこのフロアの惨状を一瞥し、言葉の外で含ませる。本当に大丈夫なのか、と。


「へーきへーき、『とつかのつるぎ』の人も追ってくれるとし、ほんまちょちょーいっと行って、ちょこちょこ〜って帰ってくるから。安心せーや? それに『野犬』も一緒やしな?」


 ちらっと俺を見る赤羽。


「おい待て、まさかとは思うけど『野犬』って——、」

「ええからええからっ、ほな行くでーっ! 後のことは頼んだでみんな〜!」


 ちょっと駅前まで飲みにいってくるわーっぐらいのテンションで俺を連れ出した赤羽はそのまま階段をおり、地下通路の入り口まで俺を引っ張って行く。外に出るとまた流れている空気が変わったような気がした。


 明かりの消えた都心には大災害前では考えられなかった程の星空が広がっている。そんな夜空を見上げながら半ば無理やり連れて行かれ、地下通路の手前で肩から指が剥がれた。急に体が軽くなり、隣を見れば赤羽は照れ臭そうに笑っている。


「こうでもせんと彼奴ら納得してくれへんかったからなぁー?」


 どうやら抜け出す口実に俺を使っただけらしい。まぁ、なんとなくそれはわかってたけど……、


「それより『野犬』ってなんだよ、俺そんな名前で呼ばれてんのか」

「若い奴らの間では有名やぞ? 御苑には野犬が住み着いとるって。なんや、かっこええやんか」

「あのなぁ……」


 野犬って言われるとアレだ、ハイウルフとか呼ばれてるあの「犬擬き」を連想するからやめてほしい。散々狩って来たし、そうカッコイイもんじゃないだろうそれ。第一、


「紅き閃光、返り血の狂戦士ブラッティ・バーサーカー様とはえらい違いだな」

「せやったら自分かて自分で名乗ったらええやんか。俺はそうして来たで?」

「マジか……」


 そんな恥ずかしい通り名が自然につくものなのかと世も末だなーなんて思ってたけど最初から此奴が元凶だったのか。そりゃ恥ずかしい名前が浸透するわけだ。自分で広めてりゃ世話もない。


「まぁ、そういうこっちゃさかい。お前はまっとるなり帰るなり好きにとたらええわ。どの道、あの天使とは決着つけなあかんしな」


 ぼきぼきと拳を鳴らしながら都庁を見上げる姿はまさに「レジスタンスのリーダー」といって差し使えはないのだろう。これから単独で無謀な戦いに挑むという点を除いては。


 組織を背負うものとして自身が先陣を切るのは如何なものかと思うのだが、そもそもこいつにとっては「責任者」という言葉すら重いのかもしれない。レジスタンスといっても赤羽を慕う人間が集まり、自然とできたものだと聞いている。それ故に、自分のおかれている状況には疎い——。山奥で隔離され、生まれ育ったというのであれば尚更だろう。そこまで俺が気を使う必要も義理もないのだが——、


「…………」


 仮にこいつが帰らぬ人となったとしたら、ここの人たちはどうなるんだろうとふと思ってしまった。

 基本的に悪魔憑きの周りに集団は形成される。それは暴力によってしか、その身を守ることが出来ないからだ。


 例えこいつがやられたとしても、このレジスタンスには他にも悪魔憑きがいて、きっとあの山里さんとかいう人が後釜についたりするんだろうが——……、……少しだけ考え、大きく肩を落として息を吐き出す。


「わーったよ……俺も行く……」

「ふぇっ!? 嘘やろ!?」

「冗談でもンなこと言わねーよ。第一、これでお前が死んだら俺が責められんだろ。ンなのごめんだ」


 出来れば行きたくないけど乗りかかった船だ、仕方ない。

 友好的な関係を築いているとは言い難いが恨みを買って生きる必要もないだろう。危なくなったらこいつを引きずってでも連れて帰ればいい。


「……ぁ?」


 なんの反応もないので怪訝に思って見上げれば赤羽はポカーンと口を開け、俺の視線に気がつくと「いやいやっ」と首を横に振った。

 なんだこいつは。


「いや……前から思っとったんやけどお前って変なやっちゃなぁー……」

「ンだよそれ」


 なんとなく、双葉に言われた言葉が重なった。


「人と関わりたくないゆーわりに、ピンチになると必ず首突っ込んでくるやろ? 助けてーゆーてへんのにわざわざ庇いに来たりして」

「…………」


 残念ながら心当たりがありすぎて否定できない。

 そんなつもりはないと言いたいがそれが墓穴になりそうで顔をしかめるにおさまる。


 自覚してるよ、言われなくても。

 今日1日で嫌という程それを思い知らされた。


「破滅願望でもあるんか……? 相談乗るで、これでもおにーさんやし」

「うっせ、行くぞ」


 心底むかつく顔で年上ヅラされて腹いせに脛を蹴飛ばしてから地下通路へと向かう。


「あっ、ちょっ……酷ないっ……?!」


 ぴょんぴょん跳ねながら赤羽は後からついてくるがそんな姿は余計に苛立つだけだった。


 余計なことに首を突っ込む。

 それは自分でもわかっている。けれども、どれだけ頭で整理しても、「面倒だと思っても」、そうせずにはいられないのだ。


 ——破滅願望か……。


 特に生きていたいという想いが強いわけでもない。こんな世界に未練はないが、かといって「もう死んでしまいたい」と思わないのは確かだ。

 それなのに頭でなく、体が動く。それは俺が「悪魔と契約してしまったから」なのか……?


「……みーこ」


 問いかけへの返事はなかった。


「まぁ……進むしかないわな……」


 あーだこーだと悩むぐらいなら踏み込んでしまった方が随分と楽で、今のご時世、悩んでいる時間が命取りということも多々ある。

 ただ黙ってペンライトで照らし、灯りの乏しい地下通路を歩き続けた。

 おそらくは俺たちが来ることを見越しているであろう天使の元へと。

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