第6話 白銀の天使(2)
「なっ……はッ……?!」
気付かれるにしても早すぎる。だがあれは監視網に引っかかったとか、見渡していたら俺たちを見つけたって感じじゃない——、アレは、あいつは——、
「初めから俺たちを視ていた……?!! ッァ……!!」
なんとか感とか無理やりに足を動かそうとした矢先そいつは俺たちの行方を遮るように地面を砕き割った。
細長く、青白い光を放つ槍。巨大な、月の光を浴びて美しく光る翼——。
異様な存在感を放つ「天使が」、俺たちの前に出現していた——。
「逃げろ、双葉……」
「ぇっ……?」
まだ階段を登りきっておらず、事情を把握できていない双葉に呼びかける。
「今すぐ逃げろ!!」
怒鳴り、その一閃を躱すようにして双葉もろとも階段に身を投げた。
受け身もクソもなく、ただ転がり落ち、追撃に全神経を尖らせる。そしてそれはすぐにやってきた。光がそのまま質量を持ったかのような鋭い突き。天使が階段を無視して滑空し、矛を突き抜いていた。
「ちッ……くしょっ……?!」
右脇腹をえぐるようなそれを間一髪でかわした俺は、傷口で悲鳴をあげつつも搦め捕り、左腕を突き出す。その表情の読めない顔に向かって——、
「潰れろッ……!!」
利き腕じゃなくても悪魔の腕と化した左手なら簡単に握り潰せると思った。事実、本気で握れば神兵の鎧ぐらいは砕けるのだ。
「ぐっそッ……」
しかし幾ら力を込めたところで天使の頭は潰れない。甲冑の下からこぼれたサラサラの髪の感触だけが指に絡まり、その下の瞳は
なんてことはないとでも言いたげに俺から視線を逸らし、
「危ない双葉!!」
槍から片手を話して細長い杭のようなものを投擲した。
灯李を抱え起こそうとしていた双葉は慌てて炎でそれを迎撃するが、実態を持たない其れでは防ぎ切ることはできず、僅かに軌道を逸らすに止まった。
「っ……!!!!」
声にならない悲鳴をぐっと押しころし、耐える双葉。涙目になりつつも二の腕に刺さったその杭を引き抜くと大きく溜め息をついた。
——戦い慣れてるわけじゃないんだ。そのことが今の一瞬だけでも十分に分かる。恐らく、魔獣相手の一方的なものであれば何度か経験しているのだろう。しかし「自らが傷を追うような相手との経験」は恐らく無い。いや、なくて当然なのだが。……陽景は戦力にならない。
そのことが分かっただけでも十分だ。これ以上、こいつと関わらせちゃいけないッ——。
「でェええええいっ!!」
頭が砕けないなら少しでも動きを封じるしかないッ。
左腕と掴んだ槍を押し込んで地面に天使を押し倒す。めいいっぱい、全力で押し付けたハズだった。
しかし天使はそんな俺の力すらも平気で争うかのように——、というか、またもや余裕な顔で「空中に」その体を固定する。
物理の原理を超えている。重力の影響を受けていないのかそれともその羽の力か存在の違いなのか、まるで「それが当然」のように斜めに押し込まれたまま天使は姿勢を正し、
「どァ!?」
槍で俺を薙ぎ捨てた。
「ッ——、ぁっ……」
背中から壁に激突し、肺の中の空気が全部押し出される。あまりの衝撃に目の前が点滅し、失いそうになる意識を歯を食いしばって繫ぎ止める。
一瞬でもとンだらヤられるッ——、「っ……」。
前のめりに倒れそうな体を止めることなくそのまま「壁を蹴り飛ばして」前に突っ込む。
逃げたところですぐに追いつかれる。奴の目には俺たちが見えてたッ——、ならここでコイツを仕留めるしかないんだッ……!
右手でナイフも引き抜き、突き出された槍はそれで弾く、唯一、甲冑に守られていない顔面を、突き抜くようにして左腕を差込み——、
「ッ……だっ……」
あまりの硬さにこちらが顔を歪める。
殴った方が痛いなんてふざけんなッ——、追撃を防ぐ意味合いで顎を蹴り上げ、ダメージは通っていないのだろうが横薙ぎに振るわれた槍は躱すことができた。
地面に落ち、そのまま左手で体を押し上げ両足で蹴り上げる形で天使の胴体を押し込む。
「っ……とにッ……なんなんだよこいつはッ……!!」
多少の衝撃に後ろに下がらせることはできたが、やはり羽を広げてその場に留まってしまう。
全く勝負になっていなかった。
何をどうしたところでダメージを与えられると思えなかった。
双葉はどうしてるッ——? 灯李は——!
天使から目を離すことができなくて二人の様子を伺えない。何よりも、その天使の羽が邪魔で視界を奪われてしまっていた。
いや……良いのか、これで……とにかくあの二人さえここから抜け出してくれれば——、「みーこ!」「はいなー」みーこの返事に呼応して左目がドクンと疼き、その脈動に合わせるようにして「血液が」「左目から」押し出されていくような感覚に陥る。実際はそんなことはなく、ただ痣の模様が脈打っているだけだ。ドクン、ドクンとリズムに呼吸を合わせていく。
「前使った時は暫く左腕死んでたかんなー……しょーじき、やりたくないんだけど……」
ここで倒れるぐらいなら左腕が死んだ方がマシだ。
こういう時、利き腕じゃなくてよかったと心底思う。簡単に割り切れるもんでもないけど日常生活に支障が出ないぶん、左腕を好きに振るうのに躊躇はない。最近じゃ両効きにだって目覚めそうだ。
マスターしたらしたで、愛着も湧いちゃうかもな……?
ぎぃッ、と左手を軽く開き、力を込める。それに押し出されるようにして黒い霧のような煙が節々から上がっていた。
「避けんなよ……? つか、余裕って顔してんなァー……お前はよォッ!!!」
ぬるっぅうぁああっと全力で疾走、もはや突き出される槍は躱すというよりも
「外れた」。
全脚力を注ぎ込んだ踏み込みは一瞬で間合いを詰め、「ふッ——、」その勢いを乗せて左腕を突っ込ませる。
「ヴァナルッ・ガンド!!!」
言ってしまえばタダの突進と握力に任せた握り潰しだ。残念ながら俺の左腕には双葉のように炎を操ったり、他の奴らみたいな「特殊な能力」は備わっていない。
ただ掴み、破壊するだけ。力任せの物理攻撃一色だ。
だけど、その威力には何度も助けられた。
「らぁアアアアアアあ!!!」
肥大化した左腕はもはやバケモノの腕と呼ぶに相応わしい。人間の物とは思えないほどに仰々しく、変形してしまっている。そして行き場の失った力は霧となり、あたりに噴きこぼれる——。
「ブレイクッ!!!」
天使の首を握り潰し、それと同時に周囲の霧も「俺の指一本一本のように」天使の体を締め付け潰す。
バキバキと白銀の鎧が悲鳴をあげるのを確かに聞いた。
「ぬんッ!!!!」
振り抜き、地面に叩きつけると天使の羽は宙を舞い、ふわふわと落ちてくるそれは美しく、しかし黒い霧に触れると徐々に汚れて行った。
ズキズキと、左腕が痛んだ。
握りしめた拳は、開こうとしても痙攣して反応してくれなかった。
「づ……だ……、」
涙でそうだッ……クソいてェっ……! 全身に広がっていく痛みに奥歯で耐え凌ぎつつ、双葉達を視線で探す。
土埃の中、天使の羽の向こう側に二人はいた。
灯李を抱え、信じられないと言った顔でこちらを見ている。
「双葉……、」
声は出なかった。異常に喉が渇いて足元もおぼつかない。
天使を乗り越え、近づこうとすると、見る見るうちに双葉の表情が変わっていく。
「っ……」
そしてそれは俺もだ。
振り向かなくてもわかった。
異常なほどのプレッシャーとパラパラと落ちてくるコンクリートが全てを物語っていた。
——おいおい……、これでも倒れねーのかよ……?
左手の感覚はやはり戻らない。もう一度、アレをやるのは無理だった。もし出来たとしても効かないのならなんの意味もない——。
「クッソっ……!! 走れ双葉!!」
感覚はないが動かすことはできる。
左腕を無理やり使って両側の壁を砕き、逃げる前に天井を叩き割る。
元々度重なる神兵とレジスタンスの戦闘でヒビは入っていた。そこをつついてやれば、「この通りだろッ……?!」一目散に階段を駆け上がると同時に地下通路は陥落する。「ふおっ……!?」風圧で背中を押され、地面に投げ出されるが左側のコントロールは効かず、無様に転がる結果となった。
「あでででで……」
額を生ぬるいものが伝ったと思ったら血だった。相当深く切ったらしくダラダラと左半分の視界を覆い隠して行く。
「……大丈夫……? 平気……?」
ようやく手を貸してくれるつもりになったらしい双葉を見上げつつ「あ、手は塞がってるのな……」自分で立ち上がると血をぬぐった。拭ったところで溢れ出るのは止められなくて結局流れっぱなしだ。
「時間稼ぎにしかならないだろうけど今のうち——、にっ……?」
地面が爆発したとしか思えないほどの激しい音に振り返り、固まった。
一瞬何が起きたのかわからなかった。地中から脱出してくるにしてももう少し時間がかかるもんだと思っていた。
なのに、奴は、
「バケモンかよ……マジで……」
悠然と空を飛んでいた。
ヒビの入った甲冑で、何食わぬ顔で、俺たちを見下ろす。
「……万事きゅーっすスカー……」
もはや左腕は持ち上げることすらできなかった。双葉は灯李を抱えていて、満足に火の玉を操ることすらできないようだった。
奴は空中に静止し、槍を構える。何事もなかったかのように。何のダメージも通っていないのだとでも言いたげに。槍を、構えた。
「はァ……」
諦めたわけじゃない。ただ、他に手が残されていなかったんだ。
何をどうしたところで彼奴をやり込められる方法が浮かばなかった。決定的な力の差だった。
策を講じた所で強大な単純な力の前では握り潰されてしまう。それほどまでに天使と俺たちの差は歴然だった。
せめて双葉達だけでも逃せられないかと目配せするが恐らく無理だ。
この様子だと俺が殺されてその流れで双葉も——、「っちくしょ……」悔しかった。許せなかった。
自分の力を過信していた訳じゃない。それほど俺は悪魔憑きの中でも強い方じゃないのは分っていた。……でも、この二人ぐらいなら何とか守れるんじゃないかって何処かで思っていたのは確かだった。
「ちっくしょォお!!!」
羽を一度羽ばたき、推進力に変えて飛び込んできた天使に向かってナイフでタイミングを合わせる。
槍の矛先を変えるぐらいしかできない。
捌いた所で返しの刃は止めることはできない——。
金属と金属がぶつかり、火花を散らす。
視界の端で羽ばたくのが見える——、
「ッ……!!!」
それでも、敵わないと理解していても、それでも——、
「最期の最期まで諦めてたまるかよォッ……!!!」
感覚のない左腕は槍の矛先を掴んでいた。
左手を、大きな何かが破り去るような、パンパンに膨らんだ風船を、破裂させないままに針を差し込んだような異様な感覚が襲い——、
「ヒーローは遅れて登場するもんやさかい」
紅の残像が、視界を覆い尽くした。
「紅羽っ……真矢……!」
名前を呼ばれ、嬉しそうに笑う顔を俺は見た。
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