第3話 都心の神兵(2)
街の大半は壊滅的なダメージを受け、その機能を維持できているところは数多く無い。
電力もなく、水道さえも生きている場所は限られており、人々は住める場所を奪い合うようにして生きていた。
しかし、震災から数ヶ月が経った今では住める場所を奪い合うほどに人は残されていない。
ある程度のコミュニティを築き、「奴ら」に対抗できる手段を持った「悪魔憑き」を確保できている所だけが生存を許されている。それが大災害後の世界在り方であり、当たり前だった。
そして目の前のこいつはその力を持っていない。犬が化け物になった犬もどきに噛み殺されそうになる大間抜けで、あのまま放っておいたら即座に犬の餌になっていた。だから俺はこうして人助けを買って出てやったと言うのに……、
「……変態」
「だから違うって……」
「なに企んでるの」
先ほどから一向に警戒心を解くそぶりを見せず、ひたすらに「どっか行って」と繰り返すばかりだ。
「仕方ないだろ、金曜ロードショーとか一回身始めると最後まで見ちまうタチだったんだよ」
「意味わかんない」
「分かるだろ!」
「分からない、私、映画殆ど見ないから」
「ああそう……」
俺の例えが伝わらなかった事よりも、今現在置かれている状況の方が俺にとっては深刻だった。
「見事に疑われておるのーっ?」
「当たり前だろ!」
とりあえず医科大学の見えるところまでだ、そう割り切って付いていってやることにしたが早くも後悔し始めてる。背負っている少女を肩代わりしようといっても「必要ない」、せめて持っている荷物だけでも「関係ない」の一点張り。いや、こんな世界になってから初対面の相手には警戒心を持つのが当然で、それが正しい。俺自身そうして来たし、ここで「手伝うよ」「ありがとう、お願いします」なんて会話をする奴はバカそものもだ。その日の夜には身ぐるみ剥がれて犬の餌(パート2)、だからこいつがここまで拒絶する気持ちも分かるし、仕方ないとは思う。しかしここまで突っぱねられると俺も意地になってきていた。
「大体! 危険おかしてまでお前助ける意味ないだろう。荷物が目的だってんならあの犬どもに喰われるの眺めてたわ!」
「そう言う趣味があるなんて、ほんとケダモノね」
「ぁ?」
「大体貴方の目がイヤラシイ。ひん曲がって信用できない目をしてる」
「初対面相手にそこまで言えるお前の方がひん曲がってねーか……」
「正当防衛です」
「あー……そー……?」
マジでこいつ助けるメリット、どこにあるよ……? それを見つけるよりも食糧見つける方が随分簡単そうに思えるんだけどなー……?
ケラケラと嗤うみーこが心底うっとうしい。なんで俺がここまでバカにされなきゃいけねーんだ。
「……双葉……陽景だっけか……? 俺は
人の話遮んな!! つか、
「ていうか、私偽名だし」
「偽名かよ!!」
偽名にしてももっとマシな名前つけろよ!! センスねーなおまえ!!
「……なに」
「別に……」
流石にそんなツッコミ入れる空気でもなかったので大人しく溜め息を一つ「はーっ……」、……なにしてんだろうなぁ……俺は……。
「嫌なら付いてこなきゃ良いのに……」
「だからそう言う訳にもいかねーだろ。どっから来たのか知んねーけど、マジでここら辺はあぶねーから。『奴ら』よりも人間の方が面倒だったりもするし」
「やっぱ治安悪いんだ。歌舞伎町」
「そういうわけでもねーよ。ただ、『彼奴ら』が都庁付近を拠点にしてて他の地域より殺気立ってるとかそんな感じ」
「……どこもおんなじじゃないの?」
「だと思うなら勝手にしろよ 」
「してるし」
「…………」
嫌味で言った言葉をさらりと打ち返され全く反論できなかった。みーこは実に楽しそうに笑ってる。クッソ。
「どっちにせよ、奴らに出くわしたらどうすんだよ。一瞬でやられるぞ」
「……そん時考えるわよ」
「おいおい……」
だから犬どもに追われてたんじゃねーのかよ……?
そして、その元犬どもよりも厄介な存在が大災害の後、突然変異した動物たちを導くようにして現れた「奴ら」だった。
割れた空から光が差し込むように、……見るものによっては「聖書の一説だと」思うほどに静かに、奴らは現れ、この世界を蹂躙した。
白銀の巨大な騎士——、それを人々は「神兵」と呼び、今も尚徘徊する奴らから身を隠し、暮らしている。
「……最近じゃ『天使』が現れたなんて噂もある。引き返すなら今だぞ」
目的地の旧東京医科大学は都庁のすぐ目の前だ。だがレジスタンスが陣取り、守りを固めているとはいえ、奴らの力を持ってすれば一瞬のうちに建物なんて崩壊しかねない。なんせ世界中の軍を相手に七日間戦い、それらを終結させてしまったのだ。
あいつらの前に戦術核兵器などなんの意味も持たなかった。
ただ「未知なる力」で圧倒され、手も足も出ないうちに「殺された」。
その結果、あれほど人で溢れていた街並みは野生動物の住処と化し、しばらく見ないうちに植物があちこちから新色し始めている。
人の社会というものがどれほど脆いものだったかを俺たちは痛感させられた。
そして、それにどれほど守られていたかを。
「君が『本当に』私たちのことを案じてくれてるのなら……、……私が諦められない気持ちも分かると思うんだけど」
「んぅ〜……?」
危険を承知の上で護衛に当たってくれてるって言うなら、自分が危険を冒してまで少女を助けたい気持ちも分かるでしょってか……?
「……それ、ずるくね……?」
「行くことに変わりないから」
ぷいっと前を向いて歩き続ける様は頑固に足が生えているようなもんだった。
ここまで不器用な奴見たことねーぞ……。
仕方なく少しだけ距離を開けて俺もついていく、思ったより足取りが重い。心底気乗りしてねーなー俺……。
「主はつくづく女難の相に悩ませられるのぅ?」
みーこはちょこちょこと辺りを走り回ってはケラケラ笑いかけてくる。
「大体俺の面倒はお前に取り憑かれてからだよ」
「合意の上だとおもっとったが?」
「言ってろ」
こいつと話したって埒が明かない。
悪魔ってやつは人を惑わすといわれていたけど、まさにその通りらしく、あーだこーだと常々煩い。
自分の身を守るために仕方なく契約したがそうでなければ誰が「悪魔憑き」なんかになるもんか。これもメリットがあるとはいえ、デメリットの方がデカすぎる。四六時中うるさいバカに付き纏われるし、それに頼ろうと変な奴らも寄ってくる。その癖「悪魔憑きは争いを呼ぶから」って煙たがられるし。なんで俺がこんな目に——、
「案外珍しいもんでもないと思うよ、……悪魔憑き」
「ん……?」
自分に話しかけられたのだと分からず思わず聞き返した。
相変わらず視線は合わせてくれないが、どうやら気を使ってくれているらしい。
「大抵のグループは一人か二人、用心棒雇ってるし、悪魔憑きが中心になって組織ができてるぐらいだもん。……生きる為なら仕方ないと思う。君のはちょっと……ビックリはしたけど」
「あー……まぁ……俺もあの姿は気に入ってないからへーきへーき。気遣ってくれてありがと」
「うん」
悪いと思っているのかいないのか。
恐らく悪い奴ではないんだろう。じゃなきゃ、怪我した他人をどうこうしようだなんて思わないだろうし。
「主も悪い奴ではないと言いたいのかな?」
「みーこは黙ってろ」
「『言っとけ』と言ったり『黙っておれ』と要求したり、面倒な奴だのぅ」
「空気読まねーからだろッ」
「悪魔が何故ゆえ空気を読まねばらなぬっ?」
「単純にうぜぇからだよ!」
「……ただ……仲良いのはちょっと変……」
「「あ?」」
思わずハモって舌打ちする。みーこと言えばワザとだったのかしてやったりという顔だ。心底鬱陶しい。
「だって悪魔でしょ? 契約でしか結ばれてないって割り切ってる人ばかりだと思ってた」
「そりゃそーだろ。俺だって悪魔は基本的に悪だと思うよ」
同意しつつ「ひどい奴らだなー!」騒ぐみーこは無視。意識の外へと押しやった。
「でも助けられてんのは確かだし、裏があるだけまだ信用できる。……だろ?」
「……変なの」
「お互い様だ」
俺からすれば危険な場所に自ら踏み入れようとする精神の方が信じられない。
「…………」
見た所、背負っている方の女の子は妹ではなさそうだ。顔が似てない。だとしたらなんだ? 本当に他人なんだとしたら、なんの得があんだよ。
そんな風に考えてそれは俺も同じか、と呆れる。みーこにそそのかされたとは言え、結果的に危ない橋を渡ろうとしてる。
バカだなーほんと……、……救えねぇ。
道に横転する廃車の山を迂回しつつ、なんとか靖国通りまで出ると後はもう一本だった。山手線をくぐる新宿大ガードを抜けて道なりに真っすぐ。そうすれば目的地の旧東京医科大学病院だ。
「だけど、ちょっとあれは無理かもな……」
「……」
「いやいやっ待てって!」
やはり人の話を聴こうともせずに歩き始めた双葉の腕を掴む。
案外二の腕は柔らかかった。
「いや、そうじゃなくて」
「はい?」
邪な考えが浮かんだのを即座に払い落とし、足を止めさせた。なんとなく嫌な予感はしていたけど、その予感は的中した。
右手にそびえる「眠らない街」と称された歌舞伎町のビル街を見下ろすようにして宙を歩いているのは「神兵」だ。巨大な騎士の風貌で、薄気味悪い光を放ちながら人間を探している。
どうやら街の中にも何体か入っているらしく、時折その姿はビルの向こう側に見切れて見えていた。
レジスタンスが陣取り、交戦の構えだとすれば歌舞伎町の奴らも黙っている訳がない。神兵たちに一泡吹かせてやろうと工作し——、……失敗したのだろう。あちこちから土煙が上がり、どうやら一悶着あった後のようだ。
そんな様子を物陰から見ていた双葉は俺を押しのけ出て行こうとする。
「待て待て待て。無理だろ、常識的に考えて」
「常識は捨てて来たの」
「大概にしろよお前……」
随分な言い草にみーこは口笛だ。どういう神経してんだこの女は。かと言って無理やり引き止めても聞くとも思えないし——、
「なら、新宿駅側の高架下。ちょっと迂回する事になるけどいいよな?」
無理やり強行突破するよりかは幾分か可能性もあるだろう。
線路の上を歩いていては格好の的となる。
奴らは空からこちらを探しているから建物の影から影へと抜けて、元は歩行者用の自由通路になっていた場所を行けば何とかなるかもしれない。
それがダメなら大きく迂回して南口側から行くことになるが——、……それだと都庁の前を通ることになり自殺行為も甚だしい。
いや、すでに自殺行為には違いないんだけど……。
「はー……厄日だなぁ……」
「行くよ」
「お前が命令すんなよ……」
どこまでもマイペースな双葉にいやいやついていく俺。
どうしてこんなことになったのか本当後悔する。
相変わらずみーこは笑ってるし、ああもう……なんなんだよもぅ……。
「無事向こうにつけたらさ……」
「ん……?」
「……御礼は言うから……」
「……さいでっか……」
現物支給ではなく言語ン支給とは恐れ入った。
どうせならキスぐらいしてくれても良いんじゃないですかねぇ……。タイプじゃねーけど。
「バッカじゃない」
口に出てた。「そりゃ悪かったな」気にもとめず前に出る。何はともあれ主導権は握っておきたい。
そもそも最初から別に何か巻き上げようって気はなかったけど、割りに合わないにも程がある。
こうなったらレジスタンスの食糧、ちょっとパチってこようかな。人類皆手をとりあいましょうってんなら少しぐらい分けてくれそうだし。
……いや、ダメかな、流石に……。
何度かあいつらとは出くわしたことがあるけど馬というかソリというか、ノリが合わなくて一方的にこちらから縁を切らせてもらっていた。
特にここいら一帯を仕切っていた奴らは何処までも脳筋な奴ばかりで、どうにもその体育会系のノリが苦手だったのだ。
そもそも「助け合いましょう」の精神からして俺のモットーからは外れているんだけど。こんな生きるか死ぬかって状況で他人を気にしていられるなんてどうかしてると思う。マジで。
「っと……、駅前に出たか」
元JR新宿駅。乗客数では世界でも堂々の一位だったらしいけど、今となっちゃただのでっかい廃墟だ。中に住み着いてる奴もいるらしいけど上に乗っかってるショッピングモールにはヘリが墜落してて、倒壊の恐れから近く奴は多くない。
そもそもこの辺りはビルが途切れるから神兵共に見つかりやすい。
ギリギリまで近づいてはみたけど、これ以上自由通路側の道路に移動すれば歌舞伎町を巡回している奴らに見つかるし、そっと移動するならこのアルタ横が最適だった。
「思ったんだけどあの地下通って行くのはダメなの? 新宿ダンジョンって言われるぐらい広いんでしょ?」
「何処が崩れ落ちてるかわかんないし、明かりもないから犬たちに襲われたら手も足も出ないよ」
「それもそうか……」
実際、地下を通って行けるなら神兵の目は届かないし、張り巡らされた通路は都庁の下を抜けて医科大学のそばまで伸びてる。悪い案ではなかった。だけど、もしそれをするなら獣並みの嗅覚でもない限り危険すぎる。
「あくまで最終案ってことで……」
そっとビルに身を寄せつつロータリーに踏み出す。
元々は大きな木が二本植わっていたのだが神兵との戦闘によって片方は引き抜かれ、近場のビルに突き刺さっていた。
ひっくり返し、えぐられたアスファルト。
アルタに備え付けられていた大型液晶ビジョンは砕け散り、あたりに散乱している。
それらを踏んで転ばないように慎重に足を運びつつ、神兵共の動きにも気を配る。
ビルを挟んで反対側。
通りにして2本向こうには奴らがわんさかだ。
こんなところを襲われたら流石にタダじゃすまない。
「どうして……こんなところで暮らしてるの?」
「今聞くか……それ。……緊張ほぐそうとしてくれてんなら意味ないから」
「そういうつもりじゃないけど……」
全神経を耳に集め、少しでも違和感を感じたら即座に引き返せるように腰はかなり低い。
なのに後ろから付いてくる双葉は表情こそ険しいがそれほど緊張しているようには見えなかった。落ち着いてるのかバカなのか、もしかすると天然って奴なのかもしれない。だとしたら俺は大馬鹿ものだ。とんだ疫病神拾ったことになる。
「はー……」
結果的に、少しだけ肩の力は抜けた。
幸いにも向こう側は静かなもので神兵たちはこちらに全く気づいていないらしい。
「……別に新宿が好きで住んでるわけじゃない。良い寝ぐらがあったからそこに居ついてるだけだ」
「避難所、……ってわけでもないんだよね。ここら辺にあるとは聞いてないし」
「御苑にな——、……聞いたって無駄だろ」
「それもそうかも……」
「ならなんで聞いた」
いちいち意味のわからん奴だ。
そうこうしているうちにも残すところは交差点一箇所だった。
生憎先程神兵が鎮座していた場所からは一直線でこちらを見つけられる位置。タイミングを見誤れば即座に光の槍が飛んでくることになる。
元々は果物屋だったその店はシャッターが壊れ、身を隠すには心許ないがおかげで通りの向こう側が微かに伺えた。
歌舞伎町一丁目と書かれたゲートの向こうにひと気のなくなった繁華街が続いており、どうやら神兵は持ち場を変えたようだ。そっとビルの影から身を乗り出し、もう一度確認する。
いない――、平気だ。
先程まで巡回していた奴らの姿も見えなくなってる。仕事を終えた……? それとも違う場所を襲いに――……?
考えたところで分かるはずもなく今はただ前に進むことだけを考える。
通りを足早に抜け反対側のビルの影へ。そこまで行けば後は交差点を渡って高架下の自由通路に滑り込むだけだ。後ろを振り返り、目で双葉に合図する。まずは、俺が一人で向こう側へ渡る、と。
「…………?」
「……あのなぁ……」
伝わらなかったようなのでジェスチャーも交え「て言うか、まずは俺が向こう側に行くから、お前はその後で来い」口で説明した。
「ああ、うん」
……分かってんのかァ……? こいつ……。
きょとーんと自分の置かれている状況を理解しているのかいないのか、いまいち緊張感のかける頷きで返されこちらも盛大に顔を歪める。俺はさておき、こいつがヘマをしたら巻き添えを食うのは目に見えてる。神兵に見つかる厄介さはあの犬もどきの比じゃない。文字通り「神の兵士」なんだ、アレは。
実際は宇宙人とかなのかも知れないけど、とにかく「神の力」って奴を嫌ってほど俺たちは見せつけられてきた。
空を切り裂き大地を割るような一撃。比喩表現ではなく実際に空は割れるし道は砕かれる。
こうなってからはマジでゲームみたいな世界だ。悪魔まで現れるし。
「……悪魔がいるなら神もいる方が自然なのか……?」
それまで深く考えてこなかったがそう言うことなのか……?
それともみーこは自称・悪魔でしかないわけで、他の悪魔も含め「宇宙人」なのだとしたらこの地球に置ける宇宙人と宇宙人の戦争に地球人が巻き込まれウンヌン。
何はともあれ死なないことが先決だ。
耳をすませ、変わりないことに一歩足を踏み出すとそのまま一気に駆け抜ける。
滑り込み、ビルの影に身を隠すと耳をすませる——、……奴らの気配は感じられない。
念のために意識を更に遠くまで伸ばしてみるが異変は感じられなかった。
「おい、双葉。今のうちに――、」
無事渡れた事に気が緩んでいたのかも知れない。
それとも俺たちの意識が一瞬そこから外れるのを最初から狙っていたのかも知れない。
ただ、事実として俺はそれに対し反応が一瞬遅れ——、
「双葉!!」
みーこの力を発現させるよりも先に体が動いていた。
駆け出し、奴の一撃が俺たちを切り裂く前に戻ろうと思った。
突如、交差点のど真ん中に着地するようにして落ちてきた神兵。
白銀の重々しい甲冑を身に纏い、巨大な馬上用のランスを大きく振り上げたそいつは——、
「ッ……!!」
力任せに地面を叩き割った。
ただ、一直線に、槍の側面で吹き飛ばすように。
「がっぐっ、ぎっ……?!」
流石に堪え切れず風圧と瓦礫によって弾き飛ばされる。
何度か跳ね転がりながら路上に投げ出され、クラクラする頭で見上げるととんでもない化け物だった。
間近で見れば規格外の大きさなことがよく分かる。
ビルの4階にも届きそうな姿はそれが動き回ること自体想像できない。銅像やモニュメントなのだと言われた方がまたしっくりくる。
ゆっくりとしか動けないのではなく、動く必要がないのだとでも言いたげなほど緩やかな動きでそいつは俺を見下し、やれやれとランスを構え直す。
「おいおいおいっ——、ちょったんま……」
ろくに立ち上がれてもいない状態でとにかく横に避けられるように重心を移動させる。しかし、眼前の槍が突き出されるよりも前に——、
「————?」
真後ろにもう一体、神兵が舞い降りた。
「おいおいおいっ!!? 嘘だろおい!!?」
考えて見れば当然だ。
さっきまでこいつらは歌舞伎町方面に出張ってた。
ならばこちら側に人間がいると分かれば続々集まってくるに決まっていて――、「逃げろ双葉!!!」叫び、走り出した。
振り下ろされた剣がアスファルトを砕いたのは直後で、逃げた先を遮るようにして貫いてきたのは一人目のランスだ。
前に向かう勢いのまま仰け反って躱し、「ひゃぇッ……」情けない声をあげながらも転がるようにして股の間を抜けていく。
裏返った地面の向こう側に双葉と少女の姿を見つけて地面を蹴る。
ダメだ——、このままじゃ、またっ——……?
走馬灯のように駆け抜けた既視感(デジャブ)。
モノクロに削り取られた視界の中、ゆっくりと俺の体は動いていて、双葉が神兵を睨むのが見えた。
なんだ——……? ありゃ、俺か……?
割れた鏡に映るような自分の姿。少女を抱きかかえ、神兵からその子を庇うようにして身を固くする。
みーこが、実に嬉しそうに笑っているのが聞こえる。
――そうかい、そんなに俺が欲しいってかッ――、
悪魔との契約の代償は「自分自身」。
力を使うほどに「自分という存在」を悪魔に奪われ、最終的には乗っ取られる。
魂しか持たず、受肉を許されない悪魔という存在はそうやってこの世に干渉できる「肉体」を手に入れようとしているのだという。
だから、何度もそうやすやすと使える力でもない。一度に奪われる割合はそう大きくもない、しかし削られ続け、自分という器が小さくなって行けば、削られる量は変わらなくてもパーセンテージ的には肥大化していく。
そうやって、悪魔に喰い尽くされた奴らはそう少なくない。
悪魔は肉体を失った所で新たな人間と契約すればいい。
奴らに「死」という概念はない。
ただ人を乗り換え、己の欲がままに振る舞うだけ――、
「弱肉強食、ならっ、テメェなにに喰われるってんだッ……!?」
契約した左目が疼く、一言、みーこに分かるように叫べばコイツらに対抗できる力を持てる。
だったら――、やることは一つッ、
「みーこッ!!」
どうせ、理由があって生き延びてるわけじゃない。
死ぬ理由もなく、殺されるのが嫌でただのうのうと食いつないでるだけだ。
だったら、目の前で殺されそうになってる奴を見捨てる理由はないッ――。
腹をくくって左手まで契約の紋章が伸びていくのを感じつつ、かと言って神兵二体を同時に相手するのは流石にキツいと頭を回す。応援はすぐにやってくる。奴らの数は未だに把握できていない。
ならば一撃離脱。
隙を作って一旦逃げるしかない——、
「ッ……、」
右手にナイフを取ろうとしてこんな奴相手じゃ意味がないと引っ込めた。
左腕一本。
異形の姿となったそれで何処までやれるかはわかんないが——、「やるしかねぇッ!!」薙ぎ払うようにして足元をすくい、その巨躯の重心を無理やり崩させる。鉄の塊を殴ったかのような重々しい重量感。全くダメージが通ってる感覚はない。
しかしそれでも力づくの一撃は足を払う程度には通じた。
巨大な体は斜めに崩れ、ビルにめり込むようにして倒れる。
その際に双葉から悲鳴のような罵声が飛んできたが気にしない。命あってのなんとやらだ。
降ってくる瓦礫を弾きつつ、二人を抱えて跳ぶ、直後闇雲に叩きつけられた足が元いた場所を打った。
もう一体の動きを気にかけつつ、このまま「何処へ」逃げるか視線を滑らせる。
隠れ家に向かった所で感づかれれば全てを奪われる。それは避けたい。
なら一番「どうでもいい所」、かつ「逃げ切れそうな所」だッ。
「歌舞伎町に逃げ込むぞ!!」
流石に二人を抱えたまま走ることはできず、双葉と少女を下ろして神兵に向き直る。
少しでも時間を稼ぐしかなかった。走って逃げた所で少女を背負った双葉の足ではすぐに追いつかれる。生憎、靖国通りは片側3車線の広い道路だ。あんなひらけた場所に出た所を挟まれたら一瞬でお陀仏だろう。
「来いよ、木偶の坊——、」
それならまだここの通りの方が両脇をビルに囲まれているぶんだけこちらに分はある。
歌舞伎町がロクでもない奴らの根城になっているのにも関わらず、膠着状態が続いている理由はそれだった。
ビルが邪魔でまともに獲物を振り回せないのだ。
何箇所か力づくでなぎ倒したような跡はある。
しかし、大災害の時に見せたような「馬鹿げた力」を使う神兵はそう多いわけではないらしく、街自体は壊滅させられていない。
だから逃げ込めばなんとか巻き切れる自信はあった。
裏通りにはいればそれこそネズミが走り回るような細い道ばかりだ。
上から見下ろすだけではすぐに見失ってしまうだろう。
後はそこに「逃げ込めるだけの時間」を稼ぐ必要がある。煙にまくために必要なだけの時間を——、
「珍しくやる気じゃないか」
みーこが耳元で囁いた。
確かに言われてみればここまで真剣にやり取りするのは久しぶりかもしれない。基本、魔獣とも神兵とも出くわさないようにやり過ごすのが俺のサバイバルライフだったしな。
「やる気はねーよ、元からな」
別に倒そうとしているわけでもない。
ただ、時間を稼ぎ逃げるだけだ。なんなら歌舞伎町にたむろってる奴らに押し付けたっていい。
戦うわけじゃない。やり過ごすだけでいいんだ。
そう考えると不思議と怖くはなかった。
「あーあ……早く帰って一服淹れたいなぁ……?」
太陽の日差しを遮るようにして振り上げられたランスを見上げ、最後の息をつく。
ここから先は、命に関わるやり取りだ。
「ッ、」
巨大な槍を避け、後ろに跳びあがると即座に二人目が斬り込んでくるのが分かった。
空気を切り裂き、斜めに切り下ろされる巨大な剣。それの刃先を僅かに弾いて横に躱し、返す刀で切り上げてくる所を掴んで上に跳びあがる。
眼下に広がる変わり果てた新宿の街並み。
右手に見えるビジネス街からは煙が上がり、神兵とやりあっている姿が僅かに見えた。
——追撃。
地を蹴り舞い上がった神兵は即座に俺の上がった空まで追いつき、腕突き伸ばして掴み取ろうとしてくる。
「さッ、せッ、る、か、よッ……!」
左腕を軸にその腕の上を転がり、足場にして眼前まで賭ける。
甲冑の中の紅い目が真っすぐ俺を捉えたような気がした。
「喰らえッ」
力任せのこめかみを貫く一発。「にゃーおっ!」とか頭の中でみーこが盛大に合わせてくるがツッコンでやる余裕はなく、「テメェもっ……!」即座に頭を蹴り飛ばして宙に浮いた巨大な剣を「うォおおおおおおお!!!」薙ぎ払った。
ゴンッ、という重々しい感触。
白銀の剣を受け止める白銀のランス——、
「へへへ」
別に倒す必要はない。
ただ、逃げることができればそれでいいんだ。
その「力点」を得た剣の柄を軸にして思いっきり体の勢いを逆転させる。
地上に向けて、大地から生えるビル群に向けて自分をはじき出し「ッ、デッ、だっ、どっ……?!」ビルの上に転がり落ちると、「ウオッィッ」そのまま飛び降りて路地を駆け抜けた。
振り返り、上空に浮かぶ神兵どもを見上げる。
傷一つついていない姿に腹も立つが、やりあった所で仕方ない。
走り、僅か先の路地を駆け抜ける足音を耳が拾うと一目散にその姿を追った。
リベンジマッチは必要無いかんな、マジで。
紅い目を間近に迫った時に感じた「異様な嫌悪感」が今になって背筋から体の芯まで響いてきていた。あの目は地上に生きるどの生き物達とも違う。変異を遂げた犬どもとも、悪魔憑きになった人間のそれとも違った。……あれは、まるで意志のカケラも感じられない。ロボットみたいな、不気味な存在だった。
「お前は何か知ってんのか、みーこ」
走りながら尋ねるが、都合の悪いことには相変わらずダンマリ。
「ったくもう……」
ただ生きるにしても面倒ごとが付きまとう。いや、自分から首を突っ込んでんだから世話ねーか……。
心底「こんな性格」なのを恨む。もっと割り切って暮らせたらどんだけ楽なのことか。目の前で人が襲われようが、助けを求められよーが、俺には関係ねーと切り捨てることができたなら。
「……つっても、見捨てるのが正解ってわかってんだけどなー……」
しかし最悪の光景が脳裏に浮かぶ度、どうしても体が動くのを止められないのだ。子供の頃はちゃんと自制の聞く良い子で、通信簿でも「自分の世界を持っていて大変よろしい(意訳:他人とあまり関わりたがらない)」と書かれる程だったんだ。それがどうして——、……。
考えた所でこれといって理由は浮かばず、「こんな性格なのを恨むしかねーか」と落ち着く。ただまぁ、こんな世界になってしまったのが一番の原因で、どーしてこんな事になってしまったのかと、追いかけてくる神兵を撒きながらあきれるばかりだった。
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