第2話 都心の神兵(1)

「おー……、流石にもう……、……なんもねーな……」


 コンビニのバックヤードを覗き込んでみたが使えそうなものは残されていなかった。

 店内の方も使いどころのなさそうな文房具や自己啓発系の書籍以外、まともに残されていない。


 俺たちの住む世界がこんな風になってからというもの、最初の数日のうちはまだモラルとか規範って呼べるものも残されてた。

 混乱の続く中、自衛隊が救助活動に当たり、市民は避難所生活。電気も生きてたし、水道だってなんとか動いてた。


 だから天変地異には慣れっこだと日本人の誰もが笑い、地震も津波も、これまでのように乗り越えていけばいいんだと思った。だけど、情報が駆け巡り、どうやら被災したのは「自分の街だけではなく」「世界中が同じ有様だと」囁かれるようになってからは次第に空気は重くなり、とどめをさすように現れた「奴ら」のせいで俺たちは「あれは」終わりだってのではなく、「始まりだった」のだと知った。


「……ぉ。こっちの店はなんかありそうじゃん」


 よくある全国チェーンしてそうなドラッグストアのシャッターは無理やりこじ開けられており、潜ると暗がりながら中に入り込めた。


 歯磨き粉、歯ブラシ、歯間ブラシ……ってここら辺は違うか。


 洗剤類も今はいいとして、とにかく食糧だった。


 電気が止まってしまってからというもの生ものは殆ど腐ってる。保存食をどれだけ掻き集められるか、それが当面生き延びる為に必須であり、何よりも「ぁー……腹減ったぁー……」ここ数日、まともに食事らしい食事をしていない俺にとっては急務だった。


「……やっぱ畑ぐらいこしらえるべきか……? けど蒔いた種、芽出てこなかったしな……」


 自給自足を考えなかったわけじゃない。それなりに挑戦はしてみたのだけど上手くいかなかったのだ。

 土が悪いのか俺のやり方が悪いのか。誰かに教わればいいのかもしれないが、「それはめんどくさいな……」即座に却下。

 まだこうやって漁れば「ぉ」食い物はあちこちに残ってる。

 味気ないのは諦めて栄養補助食品と銘打たれたスティックタイプのそれらに手を伸ばした。


 世界がこんな風になる前はあまり縁がない食品だったけど、こうなってみればなるほどこれ程までに保存に適し、即座に食べられるのだからなんと都合の良——、


「ぃ……」


 話があるのだとしたらこの世界の神様はきっととてつもなく気の回る良いやつなのだろう。

 残念ながら「この世界の神様」は、きっと意地が悪く、根性が捻じ曲がっている。それをここ数週間で俺を思い知らされていた。


「……荒らされてないって時点で予想はついてたけどさぁー……」


 ジリジリと後退しつつ視線はその闇の中で蠢く影から外しはしない。

 棚と棚の隙間は狭く、また、床には商品が散乱しているので足場も悪い。コトを構えるには少々不利な状況だが自分の根城に荒らされた側からすれば関係ないらしい。明確な敵意を剥き出し、喉を鳴らして威嚇し、そいつは今にも跳び掛って来そうな勢いだった。


「わーってるって……別にお前にゃ用はねーよ……。ただ、その食いもんをちょっとばかし分けてくれないかって俺はァっ——人の話は最後まで聞こうぜ!!?」


 そんな風に叫びながらも跳びかかって来た元・犬、現犬もどきをつま先で蹴り上げる。もっぱらここ最近の死亡原因にあげられるのは野生動物による捕食だ(俺調査による結果)。人のいなくなった街に溢れかえった「異形の姿になってしまった動物たち」は事もあろうに人を襲うようになっていた。そりゃそうだ、俺たちでも食い物に困ってんだからこいつの腹が空かないわけがない。自分より弱い他の「動物」を見つければ襲うのは当然の摂理だろう。いや、自然の摂理か……?


「ぎッ……」


 幸いにも蹴りはクリーンヒット、ガッチリ入った感触はあって、そいつの首を跳ね上げる。本来ならそれで逃げ帰ってくれそうなもんだが異常に興奮しているらしい其奴は「空中で体をひねって」、天井に「着地すると」そのまま跳ね返るようにして俺の首筋へ飛び込んできた。


「なッ……ぶ、ねッ……?!」


 それを首をひねってやり過ごすと、肩越しに顎を抱え込んで口を押し込み、そのまま棚へと全身で叩きつける。牙と牙の隙間から唾液が溢れ出し、目の前の怒りに燃えた瞳にバッチリご対面。


「うおゥっ!!」


 それでもなお俺の腕を振りほどき、元気に噛み付いてくる姿に仰け反りながらも「大人しくしなさいっ……てば!!」腰に閉まっておいたナイフを取り出し、思いっきり顎の下から突き上げた。

 喉元を下から上に、一瞬の間を置いて吹き出した血を腹に浴びつつも絶命していくその体を受け止める。


 よくよくみれ見れば可愛い顔をしている。

 けれど歯に詰まった肉片はヒト科ヒト目……ていうんだっけか? 兎にも角にも、餌食になった奴がいるんだろう。


「御愁傷様……っと……」


 こいつには悪いが遺体を放置すると棚の戦利品を漁らせてもらう。この様子だと数日分ぐらいの食糧は確保できそうだ。

 血まみれになったサバイバルナイフを棚にあった包帯でぬぐい、腰のあるべき場所へ。


 あの日——、俺たちのよく知る世界が終わったあの日。様々な異常気象が起きたのだが、その中でも「動物たちの凶暴化」は専門家であっても説明が付かないらしかった。単純にいえば「より野生に適した身体構造に作り変えられた」のだが、あまりにも歪で、そして明らかに「何者かの介入」を感じざる得ないその姿は「バケモノ」と呼ぶにふさわしく、「魔獣」だなんて巷(ちまた)じゃ呼ばれている。


「まー、人のこと言えないだろーけど」


 自分でツッコミを入れつつ物色を再開する。

 人類の殆どは大災害とその後の「弱肉強食の世界」で激減してしまった。

 いや、駆逐されてしまったというべきかもしれないが。


「……ん……?」


 微かに棚の商品が揺れたのを視界の端で捉え、手が止まった。


 耳をすませば何かが近づいて来ているのが聞こえる。やっぱり街に出るとろくな事がない。


 最悪のパターンを想像しながらも「足音」が聞こえる時点でそれはないだろうと外を伺う。


 廃墟の連なる瓦礫の山と呼ぶに相応わしい新宿の街並み、不法投棄され、焼け朽ちた廃車が転がる中を誰かが走っていた。

 決死の表情で、時折後ろを振り返りつつ一目散にこちらに向かって——……。


「おいおいおい——……、」


 思わず身を引く、走っているのは女の子だ。俺とそう年も違わない大災害前なら高校に通ってるぐらいの女の子。


 何かを背中に背負いつつ、躓いて転びそうになりながらも決してその足を止めない。というか、止められないのか……、止まったらやられるもんな。そのままそっと身体を隠し、悟られないようにする。彼女を追っているのは俺を襲った奴と同じ「犬もどき」だった。集団で狩りをする奴らは獲物を見つければひたすらに追ってくる。上下左右、先回りも駆使して追い詰め、そうして一瞬の油断を突くようにして喰らいつく。そうなれば後はもうなされるがまま、肉として食われるだけだ。


 ……見捨てるのか?


 もうじき起こるであろう惨状から目をそらすようにして膝を抱えると頭の中で声が響く。


 ——あんなに重い荷物を背負っていては格好の餌食だ。


 分かってる、そんなコト考えるまでもない。


 人の足は他の動物に比べて持久力こそあれど自然界の中で生き延びるには非力すぎる。投擲に関しては類を見ないほどに高いスペックを誇るが、多勢に無勢、あの数相手には手も足も出ず、——また、逃亡に置いては何の役にも立たない。

 だから、あと数秒後——、ここを通り過ぎる頃にはあの子は喰い殺される。それは経験であり必然だ。


 人対犬、ましてや「異形の姿」となった奴らとでは勝負になんてなるはずもなく、嬲り殺され、食われるのが関の山だ。そして、そう言う「不器用な奴」からどんどん死んでいく。その様子は嫌という程見てきたし、俺はそんなバカはしないと決めていた。絶対にそんな面倒ごとにかかりたくない。関わるだけ無駄だ、と、わかっているのに、


「くっそ」


 馬鹿なコトをしていると自覚はあるのに。


「うっせェんだよ! 頭んなかでよぉ!!」


 怒鳴りつつ、俺は奴らの前に飛び出す。先ほどと同じように腰のナイフを引き抜き、驚く少女を尻目に一番近くにいたそいつにナイフを突き立てるが骨に当たる感触に舌打ちする。


 いつだってこうだ——、頭では分かってても体が言うことを聞かない。見捨てるべきだって冷静に考えたって結局首を突っ込むことになるッ……!!


 犬と共に地面に転がり、仕返しとばかりに噛み付こうとするそいつを突き飛ばして距離を取る。突然の乱入者。何が起きたのかを理解する為に一度奴らの足は止まる。その隙を逃す事なく、ナイフを投げつけ——られれば絵にもなるんだろうが、流石に武器を失ってしまっては牙も爪も持たない俺の不利は確実で、


「あははー……?」


 万事休す。策も何も用意せずに飛び込むもんじゃあない。この囲まれた現状を打破するには賭けにでも出るしかなくて、できればそう言う「危ない事」は避けて通りたい俺は半笑いを浮かべ、緊張を解そうと試みるが——、生憎、そんな生ぬるい展開は野生で生きる奴らには関係ないらしい。次の瞬間、そいつらは標的を変え、俺に向かって一斉に飛びかかる。


「ぎっ……」


 鬼の様な形相に負けじと歯を食いしばり睨み返す。特に意味はないがこういう時に気持ちで負けたらダメだと本能的に知っていた。

 視界には写っていないが同時に後ろからも、首筋、右足左手首——、衝撃と共に訪れた激痛はもはや熱としてしか感じはしない。顎が砕けるんじゃないかってぐらい食いしばってそれに耐え、肉を噛みちぎられる感触に顔を歪める。


 ——ふざッ……けんなよぉッ……!


 涙も溢れそうだ。スゲぇ痛いーー……!!

 大体俺が食い物探す為にどんだけ苦労してると思ってんだ。それなのにお前らはっ……人の気も知らないでカブカブとッ……!!



「 みーこ!!! 」



 怒りが頂点に達したあたりで、その名を呼び、俺は犬どもを払い飛ばす。

 いや、半分は犬どもが自分たちから距離をとった。野生の勘って奴はやはり人よりも獣の方が優れているらしい。


「いーこだ……」


 左目から脈打つように広がっていく熱は契約の印だ。赤黒い痣のような紋章が肩へと、そして左腕へと伸び、傷口をも縫い合わせるようにして肥大化する。ドクン、ドクンと心臓の鼓動に合わせてそれまで以上の血液が身体中を駆け巡っているのを確かに感じ、奥歯を噛み締め、そして吐き出した。


「はぁ~……」


 世界の半分は紅く染まり、抑えきれない昂揚感に身体を乗っ取られそうになる。


 落ち着け、落ち着くんだ。


 言い聞かせ、しかし衝動に負けて「     」吠える。


 結局人の言葉ではなく、ただの雄叫びとして。吠えた。


 ——あーァ……、またクソっ……。


 まだ僅かばかりに冷静だった部分で嫌悪する。しかし次の瞬間には欲求のままに「爪」を振るっていた。


 文字通り「大地を蹴り」、本来人間には与えられなかった「武器」で奴らの鼻先を刻むとそのまま右腕で引き抜いたナイフで首筋を掻っ切る。


 浴びるは命、叫びは喜び。


 異様に大きくなった左腕と使い慣れた右手のナイフを使い、ようやく腹を括ったかのように跳びかかり始めた犬どもに引導を渡してやる。


 自ら望んでその姿になったのか。


 それとも無理やり「そうさせられた」のか。


 その違いにもはや意味はない。


 ただその力を振るうコトのみに代償は付き纏い——、そしてその身を焼き焦がす。

 蹴り、刻み、躱し、斬りつける。

 鋭敏になった聴覚と第六感とも言える本能で奴らの動きは大体分かる。

 あとはそれを上回る速度で動いて合わせていくだけ——、


「っ……はー……あぁー……」


 瓦礫の山を血肉で彩り、向かってくるものがいなくなった所で空に向かって息を吐き出した。

 熱く、沸騰しそうなそれをゆっくりと抜いていく。少しずつ血液に落ち着きを持たせように、脱力して。


 ……この世は弱肉強食、喰うか喰われるかの世界になった。


 ならば、せめて、「喰われない存在」でなければ生き延びることはできない。

 そんな現実を俺は受け入れ、そしてこの力に頼り振るう事に苛立ちを覚える。俺は、


「——悪魔憑き……」

「ぁ……?」


 存在を忘れていたわけじゃないけど、思考を遮られる形で声を聞き、半分忘れかけていたその子を見下ろす形で見る事になる。

 よりにもよって「左側」で。


「ぁ……」


 その異形の姿に思わず身を引く彼女。それは仕方ないと思う。だって腕の大きさおかしいし、なんなら彼奴らの内臓爪の間に引っかかってぶら下がってるし、返り血で真っ赤だし……?


「……あ……すまん、やっぱグロいよな、これ」


 とはいえ、流石にこれでは話どころではないと肩から息を吐き出し、自分を落ち着かせる。そうするうちに少しずつ疼きは左目に収まっていった。恐らく痣の模様も消えているだろう。左腕も元のよく知る形に逆戻り。ぎゅっぎゅっと違和感がないことを確かめて、少し頭の中を整理し——、……うん、まぁ、後でいいか。投げやりに瓦礫から飛び降り、やはり自分とは恐らくそう年も違わないであろうその子の元へと歩み寄った。


 一体ぐらいそちらに向かっていくかと思ったけどそうでもなかったらしい。派手に暴れたおかげで俺に狙いは集中し、彼女は怪我なく無事終えたようだった。つまりは


「一件落着、よかったよかった——、……的な……?」

「…………」


 明らかに怯えているようなので少しでも場を和ませようとしたのだが、それは失敗した。

 まぁ走って逃げないだけマシかもしれない。俺が逆の立場だったら一目散で退散する所だ。


「ごめんなさい……、平気です。見るの、初めてじゃないんで……」


 と言いつつも目は逸らす。……デスヨネー。

 御礼の一つも有るかと思ったけど、そこはほら……仕方ない。元を正せば犬も俺も、あの「大災害」で生まれたバケモノには違いないんだから。


「ぁー……」


 気まずい。


 勝手に助けに入っておいて気を遣えってのもなんだし、そもそも訳ありの相手から何かを要求しようとは思えない。ので、


「……んじゃ俺はこれで……」


 いそいそと元来た道を帰ることにする。


 というか、ドラッグストアにリュックを置き忘れていたことに気がついてぐるりと方向転換。

 明らかに挙動不審な態度をじーっと見つめられてますます居心地は悪い。


 ……ああもう……さっさとどっか行ってくれよ……。

 というか、俺が行けばいいのか……?


 できればもう少しこの辺りに残ってる食い物を漁りたかったが「守ってくれ」なんて言われたら面倒だった。

 次襲われるなら俺の知らないところでやってくれ。そして生死不明であってくれ。死体と出くわすとテンション下がるから。切実に。


「んじゃ……」


 改めて踵を返すと何かいいたそうな視線は感じたが話しかけられはしなかった。

 それでいい、何処の誰とも知らない相手に頼るぐらいなら——、


 良いのか?


 ビクッと、突然降って湧いた声に顔が引きつった。


 野獣に喰われるドコロか男どもにでも襲われて終わりだろ?


 その光景は容易に想像できた。


 もはや法もモラルも存在しない世紀末だ。特に新宿の歌舞伎町側にかけては治安がとてつもなく悪い。大災害以前までは巨大怪獣のモミュメントが立ったりして浄化されつつあったらしいけど、こうなってからは「そういう奴ら」が根城にし始めて俺でもよりつきたいとは思えない環境だ。

 そしてこの道はまっすぐ行けば歌舞伎町の横に繋がる。


 ——放っておくのか?


 嘲笑い、響く声。


 そうなることを知っていて、見捨てるのかと俺に決断を迫る——、


「ああっもう!! うっせェよ、みーこ! 頭ン中で直接喋るな!!」


 ごんっ! と自分の頭にいきなり平手打ちをした俺に女の子が驚くのが見えた。

 しばらく頭の中で寺の鐘が鳴り響くような感覚があって、ようやく「そいつは」空中に現れた。


「私は主の考えを代弁しとるだけじゃてっ」

「それが余計だッツってんだよ!!」


 ギャーギャーと騒ぐそいつは夜を思わせるような毛に包まれた黒猫で、首輪の代わりにヘンテコなリボンを首に巻いていた。


「なんとも人の心がわからぬご主人様じゃのぉ」

「テメェは人じゃないだろ……」


 これが俺の力の源。俺に取り憑き、かつて契約を交わした「みーこ」という悪魔だった。


「……ねこさん……」

「あっ?!」


 突然の乱入者に俺も威嚇する。「まるで犬だな」「うっせーよ!」相変わらず好き勝手するみーこに苛立ちつつ、何を言ったって言うこと聞かないんだから半ば諦めてる。


「こんにちは、お嬢さん?」

「かわいい……?」


 だろーな……。彼女の気持ちも分からなくもない。この際、若干疑問系になるのも致し方なかった。


 常に人を小馬鹿にするような高圧的な態度はどうにも「可愛い」という印象を覆しかねない程だ。黙っていれば普通の猫にも見えなくはないのけど、……残念ながら漂わせている雰囲気というかオーラがドス黒くて普通なら近寄りたくない。


「悪魔にとって名を名乗ることは自殺行為にも等しいからの? この場は『みーこ』と名乗る他ないのだが……、して、お主はなんという?」

「双葉陽景……」

「なるほど、ひかげか! 汝、我と契約せぬか? この輩と来たらまともに私の力も使いもせずに宝の持ち腐れと言うのはまさにこの事で、」

「へっ?」

「普通力を手に入れたものの末路といえば溺れ、暴れて好きに生きると言うものでありながらこの男と来たら——、」

「あーあーあーっ、ちょっと黙ってろ!」

「主が出て来いと言うから出て来てやったと言うのになんだその言い草は!」

「人ン中で散々騒ぐからだろーが!! 追い出すぞ大家は俺だ!!」


 出したら出したでうるさいのがこの悪魔の欠点だ。


「家賃は払っておろうて?! 上等じゃ! 出て行ってやろうお前のような欠陥物件!」

「あのぉ……」「「あァっ!!?」」「……行っても良いでしょうか……」


 気圧されながらも背中に背負っている少女を軽く示されてしまった。

 そりゃそーだ、こんな所でウダウダしてたらまた襲われかねない。

 俺もさっさと帰りたいのだけど、


「ふむっ」


 そんな心情を知ってか知らずがうちのバカは好き勝手にくるくる彼女の周囲を回り始めた。


「深い傷じゃな。ハイウルフどもにやられたか?」

「わかるんですか……?」


 くるっと見ただけで置かれている現状を言い当てるみーこ。悪い癖だ。


「悪い……」

「いえ……」

「大方治療目的で運んでおると見た。医者のあてはついておるのか?」

「ええ、一応……」


 相変わらず周囲を飛び回り観察を続ける様子が気になるのか落ち着かない様だ。


「こいっ」

「ぐぁ——、何をする!」

「少し黙ってろ!」


 流石に迷惑だと掴んで引き戻した。

 中にしまっておくとやかましいが外に出してもつくづく欝陶しい、なんつー疫病神拾ったんだろうなぁ、俺は……。


「旧東京医科大学か?」


 なんとなくあげた行先が辺りだったのか今度は俺に目を丸くする。


「最近噂は聞いてたから。……レジスタンスが陣取って、怪我人の受け入れもやってるって」

「そっ……そう! やっぱりそうなの!?」

「……?」


 初めて見せた感情らしい感情に今度は俺が驚かされる。

 彼女自身失態だったと思ったのかすぐに明るさは身を潜め、これまでのように俯向き気味で表情を硬くした。


「いえ……その……すみません」

「いや……まぁ……」


 いたたまれない空気感にみーこがこれ見よがしな溜め息。いい加減辛くなって来た。


「まぁ……行けばなんとかしてもらえるとは思うし……その……、……気をつけて」

「はい」


 言って立ち去る俺。


「おいっ!!」


 だがそれを許さない悪魔に頭をしばかれた。


「だから知らねェって!!」


 事実彼女自身も俺が関わるのをあんまり良く思っていないみたいだし、正直こんな風になってから人と関わる時は用心深いぐらいが丁度いい。助けてください、はいわかりましたの先には騙され痛い目をみるのが必然だ。


 だからこそこんな道端で出くわした相手に助けを求めるような奴はいないし、彼女自身そうはしてこない。

 それはこの地獄をそれなりに生き延びていられる理由でもある。


「……んじゃ」「ぶー」「ウルセェよ」


 俺だって気がひける。

 だけど他人の事まで気にしていたらいつか自分が身を滅ぼす。

 俺は、それが怖い。


 ……いや、それが憎いのか……?


 こんな風になってしまった世界でも、結局俺たちを縛り付けるその「当然の摂理」が。摂理と、……できれば向き合いたいとは思えなかった。

 立ち向かう気力があるなら生き延びる方に使うべきだ。


「ありがとうございました」


 ふと掛けられた御礼に驚き振り返るとすでに彼女は歩き出していて。

 その背中ではひと回りもふた回りも幼いような少女が苦しそうに肩で息をしている。


「放っておけば犬畜生の餌じゃな」


 耳元に悪魔の囁き。


「ンなこたわかってるって言ってんだろ……」


 人の死がこんな世界になってからは随分と軽くなった。社会が崩壊し、弱肉強食の理論が色濃く浮かび上がるようになってから、力を奪われた人類に対し、救済を受けた獣たちとの立場は逆転している。


 関わるべきじゃない。自分の命だけ守って生きていけばいい——。


 知っている、わかっている、だけど。それを無視できるぐらいなら最初から関わってない……か、


「ちっくしょ」


 小さく舌打ちして俺もその後を追う。

 そんな俺を随分と嬉しそうにみーこが嗤った。


 この先に待ち受ける面倒ごとを象徴するかの如く空は暗雲が立ち込め。重苦しい空気にますますテンションが下がる。


 ——あぁ……、こんな事なら本気で畑作りでもしてりゃよかったなぁ……?


 いつだって後悔は諦めと共にやってくる。

 ズルズルと胸糞悪い奴らに引かれたレールの上を進んでいる気分だった。

 もしかすると、本当にそうなのかもしれないけれど。

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