第2話 『森』の調査

「今日の授業はここまで。この公式は特に重要だから、よく復習しておくように」


 年配の数学教師が、黒板をコツコツと叩きながら言った。教室の空気が一気に弛緩する。机に突っ伏すやつも、一人や二人ではない。まあ、今日最後の授業だしな。


 俺は黒板にちらりと目をやったあと、教科書を。今回どこまで進んだかを簡単に確認し、さっきまで読んでいた技術書と一緒に鞄に仕舞う。

 ずいぶん半端なところで終わってしまった。家で続きを読もう。


 この授業は難しいことで有名だ。その代わりテストの点さえ取っていれば、授業中何をしようが注意されない。隣の席の加藤なんて、出席してすらいない。


「木梨君、今日も部活行く?」


 帰り支度をしている俺に、声をかけてくる者が居た。そんな女子はごく限られるし、高校生らしからぬ大人びた声は、一度聞けばまず忘れられない。


 顔を上げると、オカルト研究部のメンバーの一人、宮崎が穏やかな笑顔でたたずんでいた。美しいその容姿に一瞬だけ見とれてしまったあと、俺は言った。


「今日は水曜日だから、部活は無いだろ?」


 活動は、月木の週二日だ。特別なことが無ければ……。


「ううん、あるよ。明日、祝日だから」

「……ああそうか」

「雄介はおっちょこちょいだねー」


 いつの間にか背後に居た神楽坂が、ひょっこりと顔を出す。俺は渋面になった。


「……神楽坂にそんなことを言われるとは……体調が悪い。帰らせてもらう」

「え、そうなの? 大丈夫?」


 心配した顔で覗き込まれた。いや、そんな真面目に取られると、さすがに心が痛く……って、わざとやってるんじゃないだろうな。いや、こいつに限ってまさか。


 宮崎は、くすりと笑って言った。


「仲いいね」

「そうでしょ!」


 薄い胸を張りながら神楽坂が言った。なぜ誇らしげなんだ。


 俺たち三人は、連れだって部室へと向かった。いつもの通り、神楽坂がずっとぺらぺら喋り続けている。


「お昼の掃除のときにねー、投げたゴミがゴミ箱に乗ったんだよ。珍しいよね! 今日はいいことありそう」

「……」


 いや投げるなよとか、いいこと関係ないだろとか、今日はもうだいぶ過ぎたぞとか、どれから突っ込むべきか俺は迷った。


「べつに、珍しくもないだろう」

「えー、ゴミ箱に乗ったんだよ。珍しいよ!」

「そのこと自体はな」


 神楽坂はきょとんとしていた。俺は言葉を続ける。


「お前が思う『珍しいこと』なんて、山のように可能性があるだろ。一つ一つは珍しくても、一日にどれか一つぐらいは起こる」

「二つなら珍しい?」

「まあ、そうだな」

「じゃあ今度から二つ探すね! そしたらいいことあるよね」


 嬉しそうに神楽坂は言った。いや、そもそも……まあいいか。


 部室に居たのは加藤だけだった。椅子に座り、机に足を乗せて漫画を読んでいる。

 髪を明るく染め、耳には複数のピアス。いかにも不良と言った風体ふうていだ。


「お行儀悪いよ、加藤君」


 宮崎が、珍しくきつい口調で言う。彼女がこんな言い方をするのは、こいつ相手ぐらいだ。ウマが合わないのだろうか。


「うるせーな」


 ただでさえ目つきが悪いと言われる加藤ににらまれても、彼女は全く動じなかった。しぶしぶ足を下ろし、普通に座り直していた。


「あれ? 信也は?」


 手をひさしのように額に当てながら、神楽坂は部室を見回した。いや、見回すほど広くないだろ。


「ついさっきまで居たぞ。大きい方でもしに行ってんじゃねえの」

「便秘なのかな?」


 加藤の下品な言葉に、神楽坂が普通に返していた。宮崎は何か言おうとして、途中でやめたようだった。


 不意に、部室の扉ががらりと開いた。


「おっ、全員揃ってるな!」


 我らが部長、山川は、脇に大量の紙束を抱えて入ってきた。次の活動内容でも決まったのか。


「来週からは、ここがターゲットだ!」


 テーブルの上に、高校周辺の地図が広げられる。山川が指さしているのは、三十分ほど離れた山のふもとにある森だった。俺は眉を寄せる。


「ここは……」

「とうとう、『森』を調べるんだね」


 宮崎が、若干不安そうな口調で言った。


 その森は、全国でも有数の心霊スポットだ。昔、大量の首吊り死体が見つかったことで、大きなニュースになった。宗教団体が関係しているとも言われたが、結局真相は分からずじまい。それ以来、毎年自殺者が出る。


 前に、一度だけ近くを通ったことがある。基本的にはオカルトなんて信じていないが、それでも何か嫌な気配を感じたことを覚えている。まあ、ただの先入観だろうと言われればそれまでだ。


「安心しろ、土日に神社に行って、お札を山ほどもらってくる予定だからな。おはらいもしてもらうぞ!」

「それなら大丈夫だね!」


 部長と副部長が、両手を繋いで盛り上がっていた。俺は思わず宮崎と顔を見合わせる。


「月曜は、みんなで作戦会議だ! 必ず出てくれよな!」

「げっ」


 変な声を上げる加藤に、全員の視線が集まる。宮崎が、真っ先に口を開いた。


「何か問題があるの?」

「いや、べつに」


 じっと見つめられ、加藤は目をそらしていた。何なんだ。


 念のため、俺は尋ねた。


「いつも通り、まずは調査からやるんだな?」

「ああ、そうだ。必要があれば現地に行くが、安全を確かめてからだ。どんな恐ろしい霊が居るか分からないからな」

「ならいい」


 霊うんぬんはともかく、森の中には別の危険があるかもしれない。場合によっては、適当に理由を付けて調査を中止させることも考えよう。


「じゃ、そう言うことで。今日は家で計画を練るから、適当にやっててくれ!」


 そそくさと帰る山川を見送って、俺はソファーに深く腰掛けた。


 『森』か。様々な噂がある場所だし、『超常現象を科学的に解明する』という目的には適したテーマだろう。


 週末にネットで調査してみるか。俺はそう思いながら、技術書を広げた。

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