第6話

 世界で一番大切にしているものは何か。

 そう問われたら、ステラは一も二もなく家族と答える。彼女にはそれ以上のものはなかったし、それ以外に大切なものもなかった。

 だから、家族に危機が迫るようなことは何としてでも排除する。イリーナにはたくさん守ってもらった。マルクは死んだ兄と義姉の宝物だ。今度は自分が守る番だと思ってこれまで頑張ってきた。

『……短い間ですが、お世話になりました』

 けれども、つい数日前にそう言って家を出ていったシリルの顔が忘れられない。あのやや青年は、あれだけひどいことを言った自分にも世話をしてくれた礼を述べて慌ただしく去っていった。謝る暇なんてなくて、そのことがここ数日ほどずっと魚の小骨が刺さったみたいにステラの心に引っかかってはちらつくのだった。

 ステラはそこで細く息を吐き出すと、真っ白な霧に包まれて見えぬ天を振り仰いだ。霧向こうに、点々と見える霧灯の明かりがぼんやりと浮かび上がっている。まるでここが現実の世界ではないような幻想的な雰囲気だが、生憎と霧妖が跋扈するおかげでこの街にその風情を楽しめるだけの治安の良さはない。のんびり見ていたら霧妖に襲われて終わる。

『……ステラ』

 ふと、シリルが去った夜にイリーナから言われたことを思い出した。

『あなたがどんなに私たちのことを大事に思ってくれているかはよくわかっているわ。だからこそ、その思いが誰かを傷つけるナイフになってほしくないの』

 大事なところを間違えないで、とイリーナは言った。ステラは何も言えなくて、ただ黙るしかなかった。

 彼のおおよその事情は、そのときイリーナに聞かされた。彼がいったんベルンのところに身を置くことになったことも、いずれネベル=ヴァルドを発つつもりでいることも。会おうと思えばいつでも会えたが、彼女の足は重く動かないままだった。

 ステラは面倒なことを持ち込んできそうなシリルを追い払って家族の平穏は保ったが、代わりに今この街で誰一人味方のいない青年を傷つけた。あまつさえ銃を向けようとまでした自分を、シリルはきっと腹の底では許してはいまい。頭の冷えた今は、浅慮だった自分が恥ずかしくて合わせる顔もなかったのだ。

 いっそシリルが手配書の通りに極悪人だったならば追い出したことに対して罪悪感の欠片も浮かばなかったのに、とステラは何度目かのため息をついた。

「おーおー、お前がため息なんて珍しいじゃねぇの?」

 銃弾の装填をしていたベルンがそう揶揄してくるものだから、ステラはお返しにブーツのつま先で彼の脚を蹴った。ベルンは鈍い悲鳴を上げたあと、しばらくの間悶絶して何も話さなくなる。このブーツの足先は、ここからはるか北方に住んでいる雪原牛のなめし革を何重にも重ねている。なかなかの強度のはずなのでそれはそれは痛いはずだ。

「………お前っ、俺の脚折るつもり!?」

「折れたら災難だねって言うだけだけど」

「ひどい!」

 ベルンは唇をとがらせて、調整の終わった大口径の銃を腰のホルスターにしまった。それから不意に真面目な顔になって、今一度相方の少女を見た。

「そうそう。お前にこれやるよ」

 ステラは突き出すようにして渡された小さな布袋を受け取ると、中を見て目を丸くした。中身は封印石弾だった。封印石は魔鉱石の屑鉄のようなものだが、一度溶解して鋳造する手間がある分通常の魔鉱石よりも高価だ。それをこの守銭奴なベルンがやるよ、なんて気前のいいことを言ったことは今まで一度もなかった。少なくとも、コンビを組んでからは一度も。

 どういう風の吹き回しだとステラが無言でベルンを見返す。すると、彼は肩をすくめて口をへの字に曲げた。

「あー、勘違いすんなよ。そいつは俺からじゃなくて、シリルからだ。世話んなったせめてもの礼にって、あいつなりに改良した封印石弾を渡してくれってさ」

 ちなみに俺も貰った、とやや自慢げに言ってきたベルンは無視するとして、ステラは改めて手元の布袋に視線を落とした。ややあって、彼女は腰のホルスターから銃を引き抜くと、入れておいた銃弾の代わりにその封印石弾を装填した。

「……どこをどう改良したのか、いまいちよくわからないんだけど」

「そりゃ、実戦で確かめろってことだろ」

 ステラの言葉に、ベルンはにやりと笑って言った。そして、彼の言葉に更に呼応するように、低いうなり声が前方から上がる。見れば、ちょうど霧妖が顕れたところだった。今宵の連中は見上げるほどの巨人だ。しかも三体もいる。

 ステラとベルンは互いに顔を見合わせると、同時に不敵に笑った。ちょうどいい被験体がやってきてくれたようだ。二人はそれぞれに銃を構えると、どちらからともなく走り出した。

「お前、これが終わったらシリルに顔出しとけ。礼くらいは言えよ」

 敵集団に飛び込む寸前、ベルンがそんなことを言ってきた。

「うっ……さいな、わかってるってば!!」

 勇気が出なくて尻込みしていたことも、ぐだぐだと考えていたことも、全部お見通しだったらしい。この三十路間近の相方はいつもそうだ。ステラはそれがなんだか悔しくて、霧妖の心臓めがけて引き金を引いた。



 改良された封印石弾は、その一発で巨体の霧妖を仕留めるほど強力になっていた。普通は仕留めるだけでもそこそこ普通の銃弾を撃って体力を削っておかないとあまり効き目がないのが封印石弾だったはずなのだが……これでは銃弾の出番が全くない。恐ろしいまでの改良ぶりである。

 ものの数分もしないうちに狩りが終わったあと、しばらくの間ベルンもステラも何も言えなかった。無言で緑色に染まった封印石弾を拾った二人は、思わずお互い手元にある布袋をまじまじと見てしまった。

「…………ねえ、あいつ何したの……?」

 思わず凄んでしまったステラに、ベルンも引きつった顔で答えた。

「いや、俺もよくわからんよ……昨日帰ったら試してみてって言われただけだもん……」

「だもん……じゃない。歳考えろ」

 ツッコミをいれて、ステラはため息をついた。感嘆なのか、それを通り越しての呆れなのか、自分でもよくわからない感情のこもったため息だった。

 たしかにあの青年の持つ研究者としての腕は半端ではないのだと、彼女もベルンも改めて思わされたのだった。

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