第5話

 シリルはどこから話したらいいかという素振りでしばらく視線を泳がせていたが、やがて意を決したように顔を上げてベルンとイリーナを見た。オレンジ色のランプの光で、彼の顔にははっきりとした陰影が刻まれた。

 「……お二人はトマス・ルキオンという人物をご存じですか?」

 ベルンとイリーナは、予想外の問いかけに互いに顔を見合わせた後頷いた。その名前ならば、もはや誰もが一度は聞いたことがあるであろうほどには有名だった。

 「それって有名な博士の名前だろ?たしか……今の蒸気機関の基礎をつくったって言われる」

 ベルンの言葉にシリルは小さく頷いた。

 「……トマス・ルキオン───現代魔法工学の権威と謳われた博士。僕の父です」

 「“謳われた”?今もご健在ではないの?」

 イリーナの鋭い指摘に、青年は一度目を閉じてから努めて静かな声で答えた。

 「……公的には、そうなっていますが。父は、四年ほど前に亡くなっているんです」

 ベルンとイリーナは、その言葉に息を呑んだ。シリルは二人の表情をちらりと見上げた後、両手を組んで話し始めた。

 世紀の発明と謳われた魔鉱石利用の研究を成功させた後、ルキオン博士は次の研究に着手していた。古い時代に生み出されたとされる、古代技術とその産物の再現である。不老不死や永久機関……俗に、錬金術と呼ばれる分野の研究は、世界的にも未開拓の分野だった。ルキオン博士はその再現を行い、自身が発明した魔鉱石の技術を越えた新しいものをつくり出そうとしていた。

 「僕は父の助手の皆さんに混ざってひたすら本を読みあさっていました。皆さんから勉強を習うのは面白かったし、何より皆さんが楽しそうに仕事をしているのが僕には輝いて見えたんです」

 そんなある日のことだ。もうすぐ研究がひとつの段階に達しようかというところで、ルキオン博士は姿を消した。ある朝いつものようにシリルが目を覚ますと、彼の書斎には誰もいなかった。父が心血注いだ研究は全て持ち去られ、軍警に連絡したシリルは助手たちと方々を捜し回った。しかし、結局は見つからないまま……ひとつの訃報が届いた。

 シリルはそこで一度深く息を吐くと、何も言わずに話を聞いてくれた二人を見上げた。

 「……4年前、フェン=レーゼ坑道の落盤事故があったことをご存じですか?」

 ベルンとイリーナは、その名前に同時に凍りついた。一人事情を知らないシリルが首を傾げると、やがてイリーナが目を伏せて口を開いた。

 「──……ええ、知ってる。あの人──私の夫で、マルクの父親で、ステラの兄だったあの人は、それで死んだの」

 今度はシリルが息を呑む番だった。それから、彼は言葉少なに彼女に頭を下げた。

 「……そうでしたか……すみません」

 イリーナは緩く首を横に振ると、いいわ、と小さく笑った。シリルはその笑顔から再び組んだ手元に視線を落として、先を続けた。

 「父は、何故かその落盤事故に巻き込まれて死亡していました。遺体は……残念ながら回収できないと言われて……」

 遺体のない棺が眠る墓の前に立ったときの虚しさと奇妙なまでの現実感のなさは、今でもよく憶えている。葬儀は、ネベル=ヴァルドにしてはひどく珍しい霧のない朝に、ごく近親者のみで執り行われた。

 その後は一度ネベル=ヴァルドを離れた。ルキオン博士が懇意にしていた知人が、当時は未成年だったシリルの身を案じて引き取ってくれたからだ。シリルは親切な彼の計らいで名門と名高い学校に入学を果たし、学問に没頭する一方で、ずっとルキオン博士の事件を調べ続けてきた。

 「でも……どうしてあんなところにいたのか、何があったのか、僕には何一つわかりませんでした。それで、学校を卒業したのを機に戻ってきたんです」

 それが一年ほど前のことだ。シリルは元助手の一人を頼って、彼の研究室に身を置くことにした。事件の調査をしようにもネベル=ヴァルドを離れるときに家は引き払ってしまったし、元助手は政府の研究所に引き抜かれていて情報を得るにはうってつけだと踏んだからだ。シリルは研究を手伝う傍ら、当時の新聞を探し出して片っ端からひっくり返す毎日を送った。当時の取材をしていた新聞記者を訪ねたこともあった。大概はもう三年近く過ぎた事件のことなど忘れたと追い払われたが、応じてくれる記者もたまにいた。

 そうして、シリルはある日ひとつの有力な情報を得た。それは、ルキオン博士の研究が今誰の手に渡っているかというものだった。

 「……父の研究は……────」

 シリルはそこでひとつ躊躇うと、振りしぼるように続けた。

 「父の研究は、今政府が所有しています。あの日、父の研究を持ち去ったのは政府だったんです」

 シリルはすぐに世話になっていた研究者の元へ行き、詰め寄った。貴方の研究は元々トマス・ルキオンのものだろうと。どうして政府が、父の研究を進めているのかと。いったい何が目的なのかと。

 彼は蒼白な顔をしながらも答えなかった。答えない代わりに、次の日何者かによって殺された。それが、答えだった。

 「僕はすぐに逃げました。そのとき、このネックレスを持ってきたんです」

 シリルは首から下げていたネックレスを引っ張りだした。あのフラスコ型の不思議なネックレスだ。ベルンはランプに照らされたそれを見つめながら言った。

 「……そいつは、いったい何だ?」

 青年は少しの間黙ったが、今回はだんまりはしなかった。どうやら、どう説明すれば伝わるかを考えていたらしい。

 「……簡単に言えば、高濃度の魔力を閉じ込めた封印石です。通常の魔鉱石の何倍にも濃縮されていますから暴発する危険性も高くて危ないんです」

 「お前が“危ない”って言ったのはそういうわけか」

 シリルは頷くと、ネックレスをまた服の下に戻した。それから、今度は服の上からそれをやんわりと握りこんだ。

 「これがないと政府は研究を続けられない。だから、政府研究者の殺害という罪を僕に着せて捜し回っているというわけです」

 そして、青年は決意を固めた表情でベルンとイリーナを見据えた。次に何を言うかは、さすがに二人とも予想がついた。

 「……僕はこれ以上、ここにはいられません。僕を助けてくれた親切な方々を危険にさらすわけにはいきません」

 「だから出て行くって?」

 ベルンはため息交じりに頭を掻くと腕を組んでシリルを見返した。そこには日頃浮かべていた笑顔は微塵もなかった。

 「……そうは言うが、お前行くアテなんてあるのか?言い方は悪いが、指名手配犯は鉄道にも船にも乗れないぞ」

 「それは……そうですが。それでも、ここにはいられません。絶対に」

 シリルの口調と表情に、ベルンは何故かステラの相手をしている気分になってきた。肝心な部分の話を聞かないところはよく似ている。そして、こういう頑固者には最後に折れてしまうのがベルンの癖になっていた。

 しばらくの睨み合いの末、ベルンは深々とため息をついた。

 「……はぁ……そうだなぁ、気は進まないんだが、知り合いにその手の裏道の手引きをしてるやつがいる。口、きいてやるよ」

 「ベルン……!」

 イリーナが抗議の声を上げる。ベルンは片手でそれを制すると、シリルに向き直った。

 「ただし、それまでは俺のとこに来い。お前はここにいるのが心配なんだろ?だったら俺のとこにいろ。裏道の用意ができるまでくらいなら、軍警連中の目は誤魔化せる」

 「ですが……」

 「あぁ、別に心配されなくても、少なくとも俺はお前より腕が立つ。お前はこれからの自分の身の振り方を考えることに集中しろ」

 それでいいだろ?とイリーナを見やると、彼女はやや不満そうな表情でベルンを睨んでいたが、やがてため息をついた。彼女は気を取り直したようにシリルの隣に腰かけると、その手を両手で包み込んだ。

 「ねえ、シリル。これだけは約束して」

 イリーナの瞳は、今まで見た誰より強い光を宿していた。逸らすことなんてできなくて、シリルはただその瞳を凝視していた。そんな青年に、彼女は言った。

 「何があっても死んじゃだめよ。それで、全て終わったらまたここにいらっしゃい」

 そして、彼女はふわりと笑った。

 「私の治療をうけたんだから、あなたはもう家族も同然なのよ。家族の心配をしない人なんていないでしょう?だから……約束よ」

 シリルはその言葉に目を見開いた。心から、この人は優しくて強い人だと思った。彼は深く息を吸うと、泣きそうな表情を無理やり動かして笑った。少し失敗したのは気にしないことにした。

 「……ありがとうございます」

 そして、シリルはベルンに連れられてその夜のうちに診療所を後にした。

 

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