第2話

 次にシリルが目を覚ましたのは夜だった。あれからしばらくベルンやイリーナと他愛のない話をしていたのだが───ほとんどは彼ら二人で話していた───いつの間にか眠ってしまったらしい。相変わらず肩は痛んだが、頭のほうは昼間ほどではなくなっていた。首元に手をやれば、今度はちゃんとネックレスはあった。

 こんなに落ち着いて眠れたのはいつぶりだろう。もう何日も、まともに眠っていなかったから妙な感覚だ。

 不意に喉が渇いていることに気がついた。傍らの椅子には、当然ながら何も置いていなかった。

 (……水を、もらおう)

 そうして慎重に起き上がったところで、不意にドアが軋んでゆっくりと開いた。思わず緊張して、誰が来るのかと身構える。

 そして、入ってきた人影は、想像よりも華奢で小さかった。

 「……あ、なんだ。起きてたんだ」

 やってきたのは、一見少年と見間違うほどボーイッシュな髪型の娘だった。夜目でもわかるほどに白い髪色が目を惹く。

 彼女は手にした水差しとコップを椅子の上に置くとひらりと手を振り、すぐに踵を返した。かしゃん、と何かが擦れて音を立てた。

 「テキトーに飲んで。それじゃ」

 「……こんな夜更けに、どこに?」

 どうしてか、そんな言葉が口をついた。すると、ドアに手をかけていた彼女が不機嫌そうにこちらを肩越しに一瞥する。

 「……なんで、赤の他人にそんなこと教えなきゃいけないわけ?」

 冷えた声を残して、彼女は部屋を出ていった。シリルはしばらく黙ってドアを見つめていたが、首を振ってため息をついた。

 「……たしかに」

 赤の他人。ごもっともだ。だが、面と向かって言われたのは久しぶりで、存外胸に刺さった。持ってきてくれた水をどうにかコップに注いで、ゆっくりと飲み干す。

 そして、ふと疑問に思う。

 そういえばベルンは自分を助けたと言っていたが、いつどこで自分を見つけたのだろうか、と。




 翌日。

 その疑問は思わぬ形で解決する。

 「……おはようございます」

 着替えていると、ふとドアがノックされた。どうぞ、と声をかけると、控えめにドアが開く。入ってきたのはまだ10歳前後くらいの少年だった。白に一筋の金を溶かし込んだような淡い金髪の彼は、どうやら朝ご飯を持ってきてくれたようだった。

 「朝ご飯です。……えっと、具合は大丈夫ですか?」

 控えめながらこちらを気遣ってくれる言葉に、シリルは小さく笑った。

 「……あぁ、ありがとう。昨日よりは楽だ。君は、ここのお手伝い……?」

 少年は頷きながらシリルの傍に朝食のお粥とリンゴの乗ったトレイを置いた。

 「うん、……じゃなくて、はい。お母さんのお手伝いしてます、マルクです。」

 「……そうか。偉いね。」

 シリルがトレイから椀を取りながらそう言うと、少年───マルクはえへへ、と嬉しそうに笑った。しかし、それもつかの間ふとその母親に似た優しげな表情が曇る。

 「……でも、僕よりステラ姉ちゃんのほうが偉いです。僕も身体が強かったら、姉ちゃんみたいに霧祓師ネベル・イェーガーになれるのに……」

 「霧祓師……?」

 シリルがマルクに問い返したときだった。

 「マルク、こんなとこにいたの」

 図ったようなタイミングで、むすっとした声が狭い部屋に響いた。いや、実際部屋の外にいたのだろう。その顔は声音に違わず不機嫌そうだったから。

 「義姉さんが呼んでる。早く行ったげて」

 「うん、わかった」

 ただ純朴な少年だけはそれにも笑顔で応えて、丁寧にシリルに頭を下げて部屋を出ていく。その後ろ姿を見送り、シリルは残った少女に目を向けた。日の当たる部屋では、より一層その髪は白く輝いて見えた。

 「……君は霧祓師だったのか」

 「あぁ……マルクってば余計なことを」

 少女は面倒くさそうに頭を掻いて、諦めたようにため息をついた。それから腕を組んで真っ直ぐにシリルを見つめる。

 「……そうだよ。私はステラ。ステラ・アーチボルド。あのベルンっておっさんと組んで霧祓師やってる。あんたは私たちが仕事帰りに見つけた。覚えてる?」

 「いや……あまり」

 「そ。まぁどうでもいいけど」

 彼女の瞳は力強かった。色々なものを背負う覚悟と勇気がある人の瞳だ。以前はその強い光を父の目に見ていたから、シリルはそれに妙な懐かしさを覚えた。

 「……何?」

 その視線を不躾に思ったのだろうか。明らかに不快そうな眼差しになった彼女───ステラに、シリルは首を横に振った。

 「いや、すまない。……僕と同い年くらいなのにすごいなと思ってね」

 思ったことを言っただけなのだが、何故かステラは拍子抜けしたような顔をした。今度はシリルが首を傾げる番だったが、生憎ステラはなんでもないと答えるだけで、それ以上は何も言わなかった。

 お互いに話し下手であることは既に明白であったので、ステラはシリルにくるりと背を向けて立ち去ろうとする。シリルはその背に向けて言葉を発した。

 「……僕はシリル。助けてくれてありがとう、ステラ。」

 ステラは振り返ることこそせずにドアノブに手をかけた。会話のテンポが独特でこちらの調子が狂うやつだと思った。

 「別に……運んだのはベルンだし、治療したのは義姉さんだ。私は何もしてない」

 そうして建て付けの悪そうな音を立ててドアを引いたステラだったが、ひとつ思い出して鋭い眼差しをシリルに向けた。

 「あぁそうだ……マルクに妙なこと吹き込んだらぶっ飛ばすから、よろしく」

 彼女は言うだけ言うと乱雑にドアを閉めて行ってしまった。あとには静けさが残る。外は市場でも近くにあるのか、人々の喧噪が遠くから聞こえてくる。

 「妙な……?」

 シリルは首を傾げつつ、すっかり冷めてしまった朝食を平らげたのだった。

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