Begegnung und Flucht

─出会いと逃亡─

第1話

 最初に襲ってきたのは、鋭くて鈍い痛みだった。意識が今ひとつはっきりしないのは、頭が痛むせいだ。呻きながらもとりあえず額に手をやると、指先に包帯の感触があった。誰だか知らないが、随分と丁寧に処置してくれたのは巻き方でよくわかった。

 「ここは……」

 青年は身を起こそうとして、右肩に鋭く走った痛みに再びベッドに身を沈めた。遅まきながら撃たれたことを思い出す。そして何気なく首元へ手をやって……慌てて跳ね起きた。今度は身体中が軋んだが、そんなことは構っていられなかった。

 見慣れない部屋だった。椅子と、寝かされていたベッドひとつでぱんぱんになりそうなほど狭い。ドアは開けっ放しで、精一杯大きくとった窓からは燦々と陽が注いでいる。

 「ない……」

 恨めしいほどに良い天気とは裏腹に、青年の顔からはさぁっと血の気が引いていく。文字通り死にかけてまで守ってきたというのに、こんなところで奪われたのかと動揺する。

 「探しに……っ!」

 立ち上がろうとしたところで、バランスを崩した。とっさに手をつこうとした椅子も巻き込んで、けたたましい音を立てて一緒に倒れ込む。ざまあみろ、と言わんばかりに傷が痛んだ。青年は唇を噛んだ。惨めになった気分だが、こんなところでめげていられない。

 そして、顔をあげたところで息を呑んだ。

 「よお」

 部屋の入口で、一人の男が腕を組んでこちらを見下ろしていた。ただ者でないことは、まるで気配がなかったことから簡単に知れた。

 青年が目に見えて警戒したのを見てとり、男───ベルンは肩をすくめた。それから彼の前にやってくると手を差し伸べる。

 「俺はお前に危害を加えたりしねぇよ、安心しな。それよりほら、ベッドに戻れ。その傷じゃあまだまともに動けねぇよ」

 青年はしばし沈黙したままだったが、やがて小さく礼を言ってベルンの手をとった。どうにかベッドに戻った青年を横目に、ベルンは倒れた椅子を直してそれに腰掛ける。

 「俺はベルン。お前は?」

 「……シリル」

 「そうか。……で、シリル。お前の探しものはこれでいいか?」

 ベルンは懐からネックレスを引っ張りだした。フラスコ型の変わったネックレスで、その中には青とも緑とも言えそうな不思議な色合いの鉱石の欠片が数個入っていた。魔鉱石の類いだと思うが、生憎とベルンは学者ではないから見ただけでは何の種類か詳しくわからなかった。

 しかし、そのネックレスを見せた瞬間青年────シリルの反応には驚いた。

 「っ、それを返せ!!」

 物静かそうな青年は声を荒げて、ベルンの手からそれを奪い取った。少しの間呆気にとられていたベルンだったが、青年のネックレスを持つ手が震えているのを見て我に返った。筋が立つのが傍目に見てもわかるほど力を込めてもう離すまいとしているシリルに、ベルンは控えめに声をかけた。

 「……悪ぃな、手当のときに邪魔だって言われちまったから預かっておいたんだが……それは、お前の形見か何かか?」

 返答には、随分と間があった。

 「……これは、危険なものだ。一般人が手にしていいものじゃない」

 やがて予想外に不穏な返事がきて、ベルンは眉をひそめる。危険とは、随分と訳ありの品のようだ。それに“一般人”とは、まるで彼が特殊な畑の人間だと言っているようなものである。訳ありの品と持ち主、それに肩の銃創とは……知らず厄介な人物を助けてしまったようだ。

 ベルンがあれこれ推察しているその間にも、シリルはそのネックレスを服の下に身につけるとまた立ち上がる。よく見ると、窓際に着ていたものが置いてあった。テーブルもないのでここに置くしかなかったらしい。

 それに手を伸ばすと、ベルンは険しい顔になった。怪我をする場面が多い職業柄、傷の程度には詳しいつもりだ。シリルの傷では、遅かれ早かれまた傷が開くことは目に見えている。少なくとも、あと数日は大人しくしていないとだめだ。

 そう言い募ろうとしたが、彼よりシリルの口が開くほうが先だった。シリルはシャツに腕を通す時に顔をしかめながらも、しっかりとベルンを見据えていた。

 「……助けていただいてありがとうございます。でも、ここにいては無関係の貴方まで巻き込む。だから────」

 そのときだった。ふと鼻歌と足音が聞こえ、一人の女性が部屋に入ってきた。ふわふわの金髪が印象的な女性だった。

 「あら、目が覚めたのね。……って」

 大量の食べものをトレイに載せてやってきた彼女は、にこやかな笑顔をシリルに向け……状況を察すると血相を変えた。その気迫に、シリルは知らず数歩後退っていた。ベッドに逆戻りである。

 「何着替えてるの!?さっさと寝て治さなきゃだめじゃない!!傷が開くし……ていうか貴方ちゃんとご飯食べてないでしょ!?」

 言うや否や、彼女は手元のトレイから切り分けたリンゴをシリルの口に突っ込む。

 「……!?」

 驚いている彼をそっちのけで、女性は次から次へと食べものを突っ込んでいく。ベルンはその様をにやにやしながら見ていることもできたのだが、本格的にシリルの顔色が白くなったり赤くなったり青くなったり忙しくなってきたので止めに入った。

 「おい、イリーナ。患者が目ぇ白黒させてるからそこら辺で止めとけ。じゃないと死因が食い物の詰めすぎになっちまうぞ」

 「あらやだ、私ったら。……じゃないわ」

 ぽいぽい食べものを放り込んでいた彼女は手を止めたが、代わりに今度はベルンに向き直った。ベルンはその顔を見て、美人は怒っても様になるから世の中不公平だと場違いなことを思っていた。こんなこと知れたらきっと自分はステラに後ろから撃ち抜かれるだろうから、死んでも言えないが。

 「ベルンもベルンだわ!!なんで止めないの!?馬鹿なの!?」

 だが、放たれた言葉に一瞬で現実に引き戻される。ステラの口の悪さは、確実にこのおっとりした義姉にも影響しているように思えてならない。知り合ってそれなりになるが、昔はもっとお淑やかだったはずだ。

 「……どうして俺だけは馬鹿って言われるんですかね、イリーナさん」

 ベルンの言葉に、女性───イリーナはビシッとその額にデコピンを食らわせた。近所の悪ガキたちには“イリーナ先生のデコピンはきっと銃より痛いに違いない”と専ら噂のそれをニ発も。

 「怪我も治りきらないうちに動こうとするほうも馬鹿だけど、怪我してる患者を止めないのはもっと馬鹿だからよ」

 正論である。額を押さえて悶絶しているベルンをよそに、イリーナはようやく口いっぱいだった食べものを咀嚼し終えたらしいシリルに向き直った。それから、俯きがちで視線を合わせない彼に膝をついてにっこりと微笑みかける。

 「……ねえ、貴方。少なくともあと数日はここにいてくれない?そうじゃないと、私心配で仕方なくなっちゃう」

 「……でも」

 ぐっと服の上から先ほどネックレスを握りしめるシリルは言い募ろうと口を開いたが、そこにイリーナがリンゴを放り込むほうが早かった。

 「あー、もう!うちの診療所にいる間は、どんな事情があっても言い訳は許しません!どんな人でも身体が資本なんだから」

 「…………」

 釈然としない表情で、とりあえずしゃりしゃりとリンゴを食する青年にベルンはひとしきり笑って言った。

 「こうなったイリーナは地の果てまでついてくるから諦めろ。あと言い忘れていたが、俺はお前をここに担いできただけで処置したのは全部そっちだ」

 意外そうな表情を浮かべた青年に、イリーナはくすくすと笑ってみせた。

 「そういうこと。貴方、シリルくんっていうのね。素敵な名前。私はイリーナよ、ここで診療所をやってるわ。これでも医者なの」

 「まあ、いろいろ容赦ない医者だがね」

 「それは貴方の素行が良くないからよ」

 「お前の義妹いもうとよりはいいと思うんだが」

 「まあ、ステラのこと悪く言うなら怒るわよ、ベルン」

 シリルはしばらく押し黙り、二人のやりとりを眺めて考え込んでいたようだったが、やがて小さなため息と共に頷いた。どうやら、ベルンとイリーナのやりとりを聞いて、ここは逆らわないほうが良いと踏んだようだ。

 「……お世話になります」

 それだけ答えた彼は、少なくとも自分よりは賢明だな、とベルンはしみじみと思ったのだった。

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