第2話

 蒸気都市ネベル=ヴァルド。

 魔鉱石と呼ばれる魔力の結晶石を利用して作り出した蒸気を動力とする、いわゆる蒸気文明のもとに発展してきた一大都市だ。いくつかの区画と階層に分かれた都市は未だその衰えを知らず、日夜進化を続けている。

 しかし、そんな全盛の都市にも進化の代償と言うべき存在があった。

 霧妖ミスト───魔鉱石の魔力に惹かれ現れる、蒸気の中より出でるモノだ。

 「────ッ!」

 ぶん、と輪郭のはっきりしない腕がしなり、一瞬前まで立っていた場所を拳で穿つ。その隙を見逃さず、銃口を向けてぶっ放す。口径の大きい特注の銃の威力はなかなかのもので、見事その腕を撃ち抜いた。霧でできているとはいえ、一度このような実体を持てば痛みを感じるようになる。少なくとも、最新の研究ではそういう結論が出ているらしい。

 ともあれ、怒り狂ってしまった様子の巨体の霧妖は、今度は拳を握って地面に叩きつけてきた。しかし、その寸前で横合いから銃弾が飛んできて、その動きを止める。次いで若い声が白い闇の向こうから聞こえた。

 「ちょっとベルン、真面目に仕事してくれない?金がかかってんだから」

 応えたのは、いくらか歳を積んだと思える渋い声だった。

 「あー……はいはい、わかりましたよステラお嬢さん」

 「気持ち悪いからその呼び方やめろ」

 ベルンことベルンシュタイン・シュミットは、とげとげしい言葉に肩をすくめた。それからゴーグル越しに霧妖の心臓部を冷静に見定め、装填する弾を替える。

 腰の袋から慣れた手つきで取り出したのは、透明な鉱石。銃弾の形に削られたそれは、巷の一般人では扱うことの許されない封印石弾と呼ばれる特別なもの。そして、目の前の霧妖に唯一倒すことができる武器だった。

 ベルンは躊躇いなく引き金を引いた。特に気負ったところのない動作だった。飛び出した銃弾は真っ直ぐに霧と蒸気の混じる空間を裂いて霧妖の心臓部に食い込んだ。すると、見る間にその透明な銃弾に霧妖が吸い込まれていく。そして、ほんの数秒もたたないうちにその場には銃弾だけが残った。

 涼やかな音を立てて封印石弾が落ちる。それを拾い上げれば、先ほどまで無色透明だったはずの鉱石は鮮やかな緑色に色づいていた。ベルンはそれを無造作にくたびれたロングコートのポケットにしまうと、銃もホルスターに収めた。そして苦い顔を浮かべてゴーグルを持ち上げながら、今しがたサポートをしてくれた相方を見た。

 「ったく……俺はもう三十路前よ?働き分はお前のほうが多くないとおかしくない?歳的に」

 相方も自分と同じようにゴーグルを額に持ち上げた。色が白く線も細いが、髪がごりごりに短いのでぱっと見は男に見えなくもない。が、それをうっかり言うと問答無用で銃をぶっ放すので危ない。ついでに言えば、とんでもない毒舌家だ。

 ベルンの相方、ステラ・アーチボルドとはそういう娘だった。

 「何言ってんの?私はあんたみたいに戦闘向きじゃないの知ってるでしょ?」

 ステラはそう言って鼻で笑う。この気の強い娘と知り合ってからそれなりになるが、彼女は自分に対しては時折こうした僻んだ笑みを浮かべることがあった。顔はかわいいほうだが、中身がとことんかわいくない奴だ。

 ベルンはやれやれと首を振ると、こつこつと靴音を立てて歩きだした。当然のようにステラもその横に並ぶ。嫌そうな顔をするベルンにステラはツンと澄まして聞かないふり。それもまた、いつもの光景。

 彼らは、霧妖を狩る者。俗に霧祓師ネベル・イェーガーと呼ばれる者たち。この蒸気都市の平穏を霧妖から守ることを使命とする者たちである。




 霧妖はそのほとんどが夜に現れる。だから、そのことをよく知っているネベル=ヴァルドの住人なら、この時間帯にはまず出歩かない。仮にほっつき歩いている人影を見かけたとしたら、それは大概この魔都に来て間もない田舎者か同業者か自殺志願者か……いずれにしてもよほどの酔狂だ。

 明滅する霧灯フォグランプの光が霧の向こうにぼんやりと浮かび上がるのをゴーグル越しに見ながら、ベルンとステラは遅すぎる帰路の途中にあった。時折すれ違う同業者とは、手持ちの小さなランプを揺らして挨拶を交わす。相手の顔も満足に見えない視界では、直接会話するよりもこちらのほうが確実だし、手間も少ないからだ。

 「それにしても、夜だとほんとゴーグルがないと話にならないよね。こうも真っ白だとおちおち歩いてもいられない」

 何度目かの挨拶を交わしたあと、ステラは肩をすくめてそう言った。

 「たしかになぁ……ま、俺は慣れてるからぶっちゃけこいつは必要ないんだけどな」

 「うっわ、うざ。足踏み外して側溝に落ちればいいのに」

 「ほんとかわいくねぇな、お前────」

 ため息交じりに返したそのときだ。ベルンの鼻先を微かな鉄交じりのにおいが掠めた。よく目を凝らしてみると、白い闇の向こう側に何かが横たわっている。

 「……何?」

 ふと言葉を止めた相方を不審に思ったのか、ステラが声をかけてくる。緊張したベルンの雰囲気を感じ取ったのだろう、その手は油断なく腰に下げた銃に伸びていた。こういうときの反応は悪くない。

 「……血のにおいだ」

 ベルンは簡潔に答えると霧の中を慎重に踏み出した。遅れずについてくる足音を聞きながら、彼は一歩ずつその影に近づいていく。

 そして、それが人だということに気づくのにそう時間はかからなかった。駆け寄ってみれば、まだ若い青年だった。頭と左肩から血を流している。このあたりでは見ない顔だった。

 「おい、あんた!生きてるか?」

 怪我をしていない右肩を叩いてみても返事はない。息はしているから、気を失っているだけのようだ。ひとまずここに置いて置くわけにもいかないので、ベルンは邪魔な荷物をステラに預けた。

 「……何者?」

 ステラが警戒の色の濃い声で青年の顔を覗き込む。ベルンはさぁな、と流すとその身体を担ぎ上げた。あまり運動をしていないことが窺える、ひょろっとした身体だった。

 「そいつを考えんのはあとだ。どのみちこいつが目を覚ませば聞ける」

 「目を覚ませばね」

 「縁起でもないこた言うなよ。……行くぞ。この時間でもイリーナの診療所は開いてんだろ」

 「逆に聞くけど、義姉ねえさんの診療所が閉じてるとこ見たことある?」

 ステラの問いには笑うしかなかった。ふは、と吹きだした声は、誰もいない通りにやけに大きく響いた。

 「ねぇな」

 ベルンはそう応えると、馴染みの診療所へ向かうべく歩きだした。

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