第4話 三つの問題
「嘘をついてるとは思っていない」
ハチクマ先生は言った。
「ただ、少なくとも我々ならば、記憶喪失とは言っても全てを完全に忘れてしまうという事は滅多に無い。現にお前はこうして喋っている。つまり言葉は忘れていないという事だ。ならば、他にも何か覚えていてもおかしくないだろう。それを聞きたいんだ」
困ってしまった。確かに私は言葉を忘れてはいない。だがその理由など、私の方が聞きたいくらいなのだ。
「何かと言われても」
「どんな小さな事でも良い、何か無いか。覚えている事、感じている事、何でもいい」
「あ」
「どうした、何か思い出したか」
「いや、思い出したわけじゃないのだが、ただ」
「ただ?」
「違和感はある」
「違和感? 何に」
「この世界に、時代にと言った方が良いのかな、とにかく、いや本当に覚えてはいないのだが、私が暮らしていた世界は確かもっと、文明の進んだ世界だった、気がする。この世界で目を覚ました時、タイムスリップでもしたかの様な感じを受けた。この世界の風景は懐かしい、少し昔の世界のように思える……とりあえず、そのくらいだが」
もちろん、鳥が人として暮らしている、という事にも違和感はある。しかし、さすがに当の本人たちを前にしてそれは言いにくい。私だって空気くらいは読むのだ。
ハチクマ先生は、ふうむと溜息をつくと、軽く頭を振った。
「こりゃ驚いた」
圭一郎もうなずく。
「俺も驚きましたよ。タイムスリップとか言ってなかったじゃねえか、お前」
「いや、そこじゃない」
「え」
「何の確証もないのにタイムスリップしたかどうかなんて、わかるわけないだろ。単に気のせいかもしれない。いや、可能性としてはその方が高い」
「それじゃ何に驚いたんです」
「会話がきちんと会話になってる事にだ。オウム返しじゃないと言うか」
「そりゃオウムじゃないですし」
「馬鹿、そう言う事じゃない。あらかじめ用意された言葉を、訓練されたように喋っている訳じゃないって事だ。こいつは質問の内容に関わらず、その都度ちゃんと自分の頭で考えた言葉を紡ぎ出している。これは驚くべき高い知能を持っている証拠だ」
「オウムだって考えて喋ってると思いますけど」
「あいつらが頭良いことくらい知っとるわ馬鹿野郎。いいか、こいつは言葉の背景にある歴史的な事や文化的な事を把握した上で喋ってるんだよ、お前と違ってな」
「師匠は人は好いのに口が悪いですよね」
「ホント食っちまいたいわ、お前は!」
そう言いながらも、ハチクマ先生はなんだか楽しそうに私には見えた。
「それで、こいつをどうするつもりだ」
「ええ、それなんですけどね、師匠に預かってもらえないもんかと」
ハチクマ先生は小さなため息を一つついた。
「そんなこったろうと思ったよ。まあな、ここは人の出入りの激しい所だから、一々詮索するやつは少ないだろうし、俺も大抵は家にいるしな、安全っちゃ安全だ」
「そうそう、書生を一人抱えたと思って」
「しょせい?」
それは聞いたことの無い単語だった。私の元々居た世界では使われていなかった言葉なのかもしれない。圭一郎はちょっと自慢げに語った。
「何だよ、書生知らねえのか。ハチクマ先生は物書きなんだよ、で、その弟子が書生だ」
しかしハチクマ先生はため息を吐いた。
「書生は元々勉学に
「あれ、そうでしたっけ」
「お前はホント適当に言葉使ってやがるなこの野郎」
「つまり、住み込みで用事をすればいいのか」
私の言葉に、ハチクマ先生は優しい笑みを浮かべた。
「見ろ、こいつの理解の速さを。お前とは大違いだ」
「じゃOKってことですね」
「お前の理解力は怖ええよ、違う意味で」
「でもOKなんですよね」
しかしハチクマ先生は翼で圭一郎の口を制して言った。
「待て待て、こいつを預かるにゃ三つほど問題がある」
「三つもあるんですか」
「ある。まずは名前だ。いつまでもこいつって呼ぶわけにも行くまいよ。本人が覚えてないなら俺らで名前を付けなきゃならん」
「太郎とか次郎とか」
「だから適当な事言うんじゃねえよ、もちょっと考えろ」
「じゃあ師匠なら何て付けるんですか」
ふうむ。ハチクマ先生は翼を組んだ。
「そうだな……コロってのはどうだ」
「犬の名前じゃないですか」
「そうじゃねえよ馬鹿野郎、コロポックルのコロだ」
その瞬間、私は稲妻に打たれたようなショックを受けた。
「そのコロなんとかって何です」
「コロポックルは北方の民族の言葉でな、葉の下の人って意味だ。草の葉の下に隠れる程の、小さな人の姿をした妖精だって話だ」
「スズメとかセキレイとか」
「小さきゃ良いって物じゃねえよ、妖精って言われるようになったからには、それなりの経緯や理由が……おい、どうした」
ハチクマ先生と圭一郎が私の顔を覗き込んでいる。いったいどうしたのだろう、私の身体は震えていた。
「わからない、わからないけれど」
「けれど、何を思い出した」
ハチクマ先生の瞳孔が大きくなった気がした。
「コロポックルという言葉は知っている気がする。とても良く知っている気がする」
「そうか、よし、よく思い出した」
ハチクマ先生はそう言うと、大きな翼で私の頭を包んだ。いつの間にか、私の眼からは涙が
「よしよし、じゃあお前の名前はしばらくコロだ」
「本当にその名前にするんですか」
圭一郎はちょっと不服そうだった。
「当面は、だ。コロポックルって言葉をきっかけに他の事も思い出せるかも知れんだろ、だからそれまではコロがいい」
「わかりました、それじゃあ名前はコロって事で。ではもう遅いので俺は失礼して」
「あと二つ問題があるだろうが」
「あ、覚えてましたか」
圭一郎は座り直した。
「コロの服を何とかしなきゃならん。この服じゃ目立ちすぎる」
ハチクマ先生に言われるまでは気付かなかった。なるほど、この世界でこの服は確かに目立つかもしれない。
「そうですか? この着物目立つかなあ」
「着物ってよりはどこかの民族衣装だな、これは」
私が昨日目覚めた時から着ているこの服は、この時代の人々の服装と比べるといかにも素朴で、簡単な作りだった。何枚も布を重ねているし、関節部などは太い糸で少々乱暴に縫われている。私が元々いた時代はこの世界より相当に文明が進んでいたような気がするのだが、服は別だったのだろうか。何だか腑に落ちない。
「とにかく目立たない服装が必要だ。急いで用意しなきゃな」
「うーん、俺の小さい時分のお古でいいですかね」
「まあ当面はそれでもいい。だが下着はそう言う訳に行かんぞ」
「いや、いくら俺でも下着のお古を使えとは言いませんよ」
「まあさすがにな」
「男同士でもそれは嫌でしょうから」
「まして女の子だしな」
「え」
「ん」
「女の子がどうかしましたか」
「いや、それが三つ目の問題なんだが」
「はあ」
「お前、まさかとは思うが」
「何です」
「コロが女の子だって事はわかってるよな」
「……ええええっ! こいつメスなんですか?」
「お前なあ」
ハチクマ先生はあんぐりと口を開けた。
「何も話さなかったと」
長い首を捻りながらダチョウが言った。
「君はそれを信じたのかね」
ひれになった翼をペチペチ合わせながらコウテイペンギンが続けた。
「いやしかし目的は達したのではないか」
大きなクチバシでうなずくと、オオワシは理解を示した。
軍本部の一室、さして広いとも言えない部屋である。だが壁は恐ろしく厚い。今はカーテンの向こうに見えない窓のガラスも、厚い防弾ガラスである。部屋の中央にはそれぞれに内線電話の繋がった三つのソファが置かれ、陸海空の三軍の長が座っている。三名の前には直立不動のシャモが居た。シャモ鉄五陸軍中尉である。彼はダチョウの部下であったが、それ故なのか、三名の中でもダチョウは最も不満げだった。
「確かに今回の行動は牽制が目的だ。だが話さない聞いてないと言われて、はいそうですかと戻って来るというのは子供の使いではないか」
対してコウテイペンギンはさほど不満げではない。ただ、最初からシャモのことを信用していないように見えた。
「君の言う通りだとすると、そのウコッケイはアレだな、ちょっと頭が足りないと見える。違うかね」
一方オオワシは何が嬉しいのか、少々口が軽かった。
「しかし頭の足りない直情的な若者は、良い新兵になるぞ」
三名の言葉が途切れたのを見計らって、シャモは口を開いた。
「自分は彼の頭が足りないとは感じませんでした。ただ彼には保身の為に何かを隠すという発想が最初から無いのだと思います」
「思いますとは何だ、カウンセラーか貴様は」
ダチョウが長い脚をドンと床に叩きつけると、ペンギンは顔をしかめた。
「そういう騒がしいのは我々が居ないときにやってくれないか」
「そもそもろくな指示も与えずに兵を送り出したのは君の責任だろう。部下に八つ当たりとはみっともない」
オオワシは明らかにダチョウをからかっている。しかしダチョウの方は、それに簡単に乗る程頭に来ている訳では無かったようだ。
「まあ確かに、目的は牽制と偵察だ。任務は一通りやり遂げたと認めよう。だが油断はするな。監視は続けろ」
「はっ」
「行って良し」
「失礼いたします」
シャモ中尉が敬礼をした後、回れ右で部屋を出て行くと、三名はあまり見たくも無さそうに顔を見合わせた。
コウテイペンギンはクチバシで軽く背中を掻くと、面倒くさそうに口を開いた。
「警察でも間に合う問題だと思うけどね」
オオワシは首を振った。
「命令は命令だ」
ダチョウはうなずいた。
「まあ相手方も軍と正面切ってぶつかる程、馬鹿ではなかろう。まずは出方を見てから次を判断しても遅くはあるまい」
「上がそれでいいと言うならね」
コウテイペンギンがソファから飛び下りた。続いてオオワシが、そしてダチョウが立ち上がった。そして三名共に一瞬、先刻シャモ中尉が出て行った扉を見つめた。その扉の向こうにあるのであろう、未だ知らぬ何かを探すかのように。
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