第2話 昼休みの戦い

「鳥類が地球上に生まれたのは中生代のジュラ紀、小型の獣脚類から進化しました。やがて飛行能力を獲得した鳥類は、森林の内側等で生活圏を上空に広げて行きますが、大空にはまだ出ることができませんでした。当時の空は、翼竜が支配していたからです。しかし、中生代が終わり恐竜や翼竜が絶滅すると、空は鳥類が、地上は哺乳類が支配する時代がやってきます……」


 クラスメートが教科書を読んでいる。子供の頃から何度聞いたことだろうか。鳥類の起源、進化、そして地上の支配者となってからの歴史。唯一の「正解」以外の可能性を考えさせない教育。教育というより洗脳に近い。


「……鳥類は地上に再進出し、その知能の高さで哺乳類を圧倒するようになりました。そして鳥は道具を使う様になり、人へと進化しました。やがて人は哺乳類を家畜化して行きます。競争から共存への進歩です」


 だから何だというのだ。他の生物を支配し生産管理することが、狩猟よりも崇高な事だとでも言いたいのだろうか。僕にはそうは思えない。社会は高度化しているのかもしれない。だがやっている事の本質は同じだ。狩って食うか刈って食うか。人の生まれ持った業からは抜け出せていない。それどころか恐竜時代からまるで進歩できていないではないか。


 どうせ作りものだ、この世界は。


 何処の誰かは知らないが、そう、ありきたりな言葉を使うなら、「神」のような存在が、この世界を作り上げる段階で、ゼロから作るのではなく、もともと他にあった文明世界の入れ物の中に無理矢理鳥類を放り込んで、強引に「人」に仕立てて、手っ取り早く立ち上げただけなのではないのか。何故ならば。


 ガラリ。不意に教室の後ろの引き戸が開き、もーきんが入って来た。いつもの通り薄く潰れた鞄を口に咥えて、面倒臭そうな歩き方だ。


「こ、こら烏骨!遅刻じゃないか!」


 細長いクチバシのオオグンカンドリ先生が喉袋をパンパンに膨らませて怒っている。


「すんませーん、いろいろあったもんで」


 もーきんは照れたように嘴で背中を掻くと、いつもの様に椅子に斜めに腰かけた。こういう連中は何かと斜めに座りたがるが、何か共通する宗教か体質でもあるのだろうか。意味が無いのなら真っ直ぐに座った方が、周りから見ても暑苦しくない分メリットがあると思うのだが。全く意味がわからない。


 わからないと言えば、もーきんという仇名である。ウコッケイが何故猛禽なのか。みんながそう呼んでいるので僕もいちいち本名を思い出したりはしないが、真にふざけた仇名だと思う。羊が「ウルフ」と名乗るようなものだ。本人は格好いいつもりかもしれないが、客観的に見れば馬鹿丸出しである。


 オオグンカンドリ先生は怒りが収まらないのか、クチバシをカタカタ鳴らしている。悪い先生ではないのだが、この打ち鳴らす音が鬱陶しい。


「おい烏骨(カタカタカタ)昼休み(カタカタカタ)職員室に(カタカタ)来い」

「努力しまーす」


「では、授業を続ける、さっきの続きを(カタ)えー誰にするか、ヨウム、洋鵡ようむ夢一郎、お前が読め」


 先生は僕を翼で指した。いくら教師であろうと、お前呼ばわりは不愉快だ。だがそんな事を言い出しても仕方あるまい。学校と言うのは基本的に理不尽な場所なのだから。僕は感情を何一つ顔に出さず、立ち上がり、静かに教科書を読んだ。


「二足歩行と、物を掴める足の仕組みと、優れた視力を持ったおかげで、鳥は文明を誕生させ、人となったと考えられています。哺乳類にも二足歩行ができるものがいますが、不完全で部分的な二足歩行であり、前足でものを掴める種もいますが、完全な二足歩行ができない為に、道具を発達させることができませんでした。視覚に至っては、色彩の無い白黒で、嗅覚や聴覚とセットで使うしかない場合が大半と言ってよいでしょう。よって哺乳類から知的生物が発生することは無いと考えられています」


 そうだろうか、果たして本当にそうなのか?




 むかしむかしのお話。遥か遠い世界から海を渡り、徐福じょふくという人がやって来ました。不老不死の薬を探して辿り着いたのです。やがて徐福はこの国で一番高い山のふもとまでやって来ました。そこには六千年前から、謎めいた長寿の人々が暮らしていると言われていたのです。その人々とは。




 昼休み、俺が弁当を食っていると、廊下からギャーギャー騒がしい声が近付いてきた。ハシブト・ハシボソのカラスコンビがやって来たのだ。


「あー、もーきんだ」


 ハシブト権太が翼で指して言った。


「あー、弁当食ってる」


 ハシボソとおるが駆け寄ってきた。


「うっせーなお前らは毎日。弁当くらい静かに食わせてくれ」


「あー、怒ってる」

「あー、ホントだ」


 黒い学生服からはみ出した黒い顔に黒い翼、黒い尾羽に黒い脚、真っ黒い見た目は勿論の事、うざい程に賑やかな行動言動までそっくりで、どう見ても双子としか思えないのだが、赤の他人というから驚きだ。しかも二人そろって成績では学年トップクラスだと言うのだから始末に悪い。クチバシの太さとか頭の形とか、声だとか癖だとか、色々違うって言われてもわかんねえよ、そんなもん。


「あれ、今日はむーちゃん居ないね」

「むーちゃん居ないね、もーきんは知らない?」


「何をだよ」


「むーちゃんがどこ行ったか」

「むーちゃんの行方」


「だから、そもそもむーちゃんて誰だよ。俺の知り合いにそんな奴は居ねえ」


「やだなー、洋鵡の夢一郎くんだよ」

「そうだよ夢一郎のむーちゃんだよ」


 なるほど、確かにあのグレーの頭と真っ赤な尾羽が見当たらない。あいつむーちゃんとか呼ばれてるのかよ。初めて知った。イメージと全然違うじゃねえか。


「ああ、あのガリ勉かよ。俺が知るかそんな事」


「違うよ、むーちゃんはガリ勉じゃないよ」

「そうだよ、どっちかって言うと、もーきんと同類だよ」


「はあ?俺とあいつが同類?どこが」


「変人なとこ」

「うん、変人だよねえ二人とも」


 お前らにだけは言われたくない、そう言おうとした俺の視界の隅に、何かが動いた。窓の外、校門の向こう、ゆらりと長細い影が。一見すると鶴を思わせる、スマートなシルエット。薄墨で描かれたようなその羽根の色。陽炎の中に立つその姿には見覚えがある。隣町の高校のアオサギだ。




 担任のオカメインコ先生は冠羽をペタリと寝かせ、オレンジ色のほっぺを膨らませながら渋い顔を作っている。


「洋鵡お前なあ、何を考えてるんだ」


 そう言って、深く溜息をつく。別に何も特別な事は考えてはいない、僕はそう言いたかったが、理解してくれそうにもないのでやめた。昼休みの職員室は人気も少なく静かだ。


「昼食を摂りたいので、教室に戻っても良いですか」

「だったら先生の質問に答えろ、何で大学に行きたくないんだ」


 逆に僕の方が質問したかった。何故あなたはそんなに僕を大学に行かせたがるのか。そんな無理をしてまで、自分の評価を上げたいのか、それとも他の誰かに何か思いもよらぬメリットでもあるというのか。


 確かに、僕の成績なら入れる大学は少なくないだろう。しかしそれがどうしたと言うのだ。成績などと言うが、僕は教科書に書いてあった事をテスト用紙に書いているに過ぎない。それがたまたま人より得意なだけだ。確かにテストで良い成績を取る為に、あるいは目標の大学に入学するために、睡眠時間を削って勉強している者が居る事も知っている。しかし、それは僕に何の関係も無い。


 僕は学校が嫌いなのだ。できる事なら高校も入りたくは無かった。中学校も嫌だった。小学校の一年生に入学した時から毎日が苦痛だったのだ。しかし現実的には、何か優先してやるべき事があるわけでもなく、周囲からは高校くらいは行って当然という無言のプレッシャーを与えられ、親の悲しむ顔を見たくなさに、やむなく苦痛に耐えながら、何の意味も見出せない高校生活を続けているのである。この上、何を好き好んで新たに四年間も学校に行かねばならないのか。もう御免だ。


 ある者は、やりたい事を見つける為に大学に行けと言う。だが、それは本当に大学でしか見つからないものなのか。そう言うお前は試してみたのか。またある者は、勉強できるだけでも幸せな事、世の中には勉強したくてもできない子供達が沢山いる、だから行けるなら大学に行けという。だがそう言うお前は毎日朝起きてから夜眠るまで、会った事もない貧しい子供達に申し訳ないと思いながら生きているのか。それがお前の言う幸せなのか。


 ふざけるな。他人の人生だと思って好き勝手な事を言いやがって。ろくな根拠も無い適当な事を親切ぶって押しつけやがって。


 僕は拒絶する。誰が何と言おうとも。何故ならもう進むべき道を見つけたのだから。探すべき物を知ったのだから。僕が望むのは、真実のみなのだ。


「ああっ、烏骨の奴!」


 突然、職員室中に響く声を上げたのは、オオグンカンドリ先生だった。何があったというのだろう、その見つめる先を、オカメインコ先生が目で追う。つられて僕もつい追ってしまった。窓の外、校門の向こう側に、もーきんの、烏骨圭一郎の背中が見えた。




「アオサギ、昨夜ゆうべは悪かったな。こっちにも色々あってよ」

「よう、もーきん。昨夜はよくも逃げてくれたな」


 デカい。いや、長い。全長なら俺の二倍をゆうに超えているだろう。だが体重は一・五倍くらいだ。クチバシの長さなら……いや、考えている場合じゃなかった。アオサギ十三じゅうぞうはその第一撃を、ノーモーションで繰り出して来た。鋭く長いクチバシが地面をえぐる。そのスピードはこの俺様が、身をかわすので精一杯だった。


「いきなりかよ! 理由くらい言えよ!」


 アオサギは向き直ると、ガラス玉を嵌め込んだ様な目で俺を見つめた。


「理由はお前がよく知ってるだろう」

「いや、だから昨夜呼び出しをすっぽかしたのは悪かったよ。けどよ、こっちにだって都合があるんだからよ、一方的に呼び出されたからって」


「だまれ」


 俺は飛び上がった。ウコッケイだから飛行する事はできないが、ジャンプならお手の物だ。足の下をアオサギの嘴がかすめる。門扉の上に止まった俺の足元を、アオサギが更に襲う。俺は校門横に植えてあるポプラの枝に身体を乗せると一気に天辺まで駆け上がった。


「それで逃げたつもりか」


 見上げるアオサギ十三の眼に薄ら寒い物を感じながら、それでも俺の口は快調に回ってくれた。


「へっ、そういう事は一発でも当ててから言いやがれ」

「……いいだろう」


「いや、ちょっと待て! タンマタンマ! 喧嘩なら相手してやるからタンマだ」

「うるさい」


「だから理由くらい教えてくれてもいいだろう、俺はお前に感謝はされても恨まれる覚えはないぞ」

「感謝だと」


「いま思い出した、俺が昨日助けた女の制服はお前の学校のだった。俺とお前の接点なんてあれぐらいしかないはずだ」

「ならば聞いたはずだ」


「名前なら聞いたさ。でもそれだけだ、お前が何に腹立ててんのかわかんねえよ」

「ふざけるな。だまされると思っているのか」


「だますって何が」


 駄目だ、話がまるで通じない。こいつはイッちまってるのかも知れない。ちょっとは本気を出さないとヤバイぞ、俺がそう思ったときである。


 ずしん。打撃音が響いた。それが壁を蹴る音だとは振り返るまで気付かなかった。デカい。こっちは正真正銘デカかった。体長は一メートル超。その時点で体格的にアオサギとタメだ。しかも太い。体重は確実に六キロ超クラスに見える。だとしたらアオサギの四倍ほどにもなる。俺の五倍だ。校門横の壁を蹴っていたのは、ニワトリ界きっての格闘戦のプロフェッショナル、特大級の大シャモだった。


「ちょっとそこのもーきん君に話があるんだが」


 と、シャモはニワトリとは思えない低い声で呟いた。アオサギ十三は翼を広げて威嚇する。


「こっちが先約だ」

「そうか、そりゃ困ったな」


 そう言うとシャモは片足を上げ、かるーく地面を後ろに掻いた。ボン! 音を立てて砂埃が背後に吹き上がる。漂う土煙がその姿をうっすらと隠す。そこに垣間見えた足の破壊力は、俺ら不良ニワトリのレベルとは別次元の本物だった。


 アオサギはそれでも一瞬根性を見せようと身構えてはみたのだが、結局はじりじりと後退あとずさり、やがて俺とシャモをにらみ付けながら去って行った。


 アオサギが十分に離れたのを見て、俺はポプラから飛び下りた。


「助けてくれた礼は言うけど、警察に話す事は何も無いぜ」


 シャモは少し意外な顔をすると、気さくな笑顔を見せた。


「何で私が警官だと思った」

「何でもクソも無いだろ。あんたみたいなヤバそうな奴、俺が知る限りじゃヤクザか警官しかいねえよ」


「じゃあヤクザかもしれないな」

「あんたがヤクザなら、今頃ここにアオサギがぶっ倒れてる。わざと逃がしたろ。だから警官としか思えなかったんだが、違うのか」


「違うね、私は軍人だ」

「はあ? 何だそりゃ。警察に捕まる覚えもねえが、軍人ならなおの事、全く心当たりはねえぞ」


「だろうね。心当たりがあっちゃ困るんだ。そのまま何一つ思い当たる事もなく過ごしてくれると、こっちとしては助かるんだが」


 何を言ってるんだろう。訳がわからん。謎かけか? 禅問答みたいなもんか? 取りあえず思いついたことを言ってみよう。


「俺はバカだからよくわかんねえけど、余計な事に首を突っ込むなって事なのかな」

「正解だ。これから何か君の身の回りでイロイロと起きるかもしれないが、できれば首を突っ込まずに、しばらく大人しくしていてくれ」


「意味がわからんから約束はできねえな。まあ努力はしてみるよ」

「なるべくそうしてくれると有り難い」


 そう言うとシャモは背を向け、歩き始めた。が、すぐに足を止めて、


「君が馬鹿だとは思えないけどね」


 と付け加えた。

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