もーきん ずばばばばーん!

柚緒駆

第1話 コロポックル

 暗闇の中で目が覚めた。ここは何処だろう。意識を失う前の事が思い出せない。体の感覚はある。二本の腕、二本の脚、手足に五本ずつの指。欠落は無い。特に痛みも感じない。体は無事なようだ。しかし意識はまだ少し朦朧としている。


 一体ここは何なのだ。暗い、だが狭い空間なのはわかる。完全に真っ暗という訳ではない。低い天井、四方の壁の押し潰さんばかりの圧迫感。壁も床も石で出来ているようだ。固くて、冷たい。霊廟、という言葉が頭をよぎる。背筋を怖気おぞけが走った。頭は少しはっきりしてきたが、気のせいか息苦しくもなってきた。早くここから出た方が良い気がする。だが、出ても大丈夫だろうか。誰か人に見つかるかもしれない。


 ……人?


 ヒトとは何だろう。良く知っている物の様な気がする。だが思い出せない。いやそれよりも。


 ……私は何者なのだろう。


 私はヒトなのか。いや違う。私はあんなモノでは無い。あんなモノ? どんなモノだ。思い出せない。だが自分は断じてヒトではないと、内なる声がするのだ。では私は何だ、私は誰だ、名前も、歳も、何処から来て何処へ行くのか、何ひとつとして思い出せない。静寂が心を圧迫する。これは私に対する罰なのか。罰? 何故そう思える。わからない。だがそうでないのなら、一体私は何故こんな所に閉じ込められているのだ。


 突然、空気が変わったような気がした。今まで動いていた何かが止まったような。音が聞こえる。不意に何やら騒がしくなった。石の壁の外から何か、これは声だ、声が聞こえる。ヒトだろうか、と一瞬身を固くしたが、今は好奇心が恐怖を上回った。声が聞こえるという事は、どこかに隙間があるのだ。そうだ、照明らしき物は一切無いのに壁や天井はうっすら見えているのだから、何処からか光が入っているのだろう。


 私は狭い空間の中で体を折り曲げながら、天井に床に壁面に顔をくっつけて隙間を探した。無い、ここには無い、こっちにも無い、こっちには……あった。頭があった側の壁の隅に、指が入る程の隙間が空いている。そこに顔を押し込む様に外を覗くと、まず最初に赤い空が見えた。外は早朝か夕方らしい。そして視線を下げると、何とも面妖なものが目に入った。


 細い隙間越しなので、はっきりとは言えないが、おそらく背の高さは四十センチ程だろう。それは二本の脚で立ち、上をじっと見つめていた。


 白いニワトリ。


 より正しくは、白いウコッケイがそこに居た。そのウコッケイは、おそらく雄だと思われた。確証はない。ウコッケイの外見的特徴には全く詳しくないので、本当の所はわからない。だが、雄だとしか思えなかった。何故なら、黒い詰襟の学生服を着ていたからである。羽織っていたと言うべきか。とにかくズボンなどは穿かず、その体にあつらえたのであろう学生服の上着だけをボタン全開で着たウコッケイが、上空を見上げていたのである。


 ウコッケイの向こう側にも、何か別の個体が複数いるような気配はしている。しかし、小さな隙間からではよく見えない。どうやらウコッケイと会話をしているらしかったが、がやがやと聞こえるその他の声に消されて、その内容までは聞き取れなかった。


 そうこうしている内に、ウコッケイは移動したのか姿が見えなくなってしまった。どうするか。外にはまだ沢山の気配を感じる。やはり他の個体も学生服を着たウコッケイなのだろうか。だがそうであるにせよないにせよ、目立つ事はしたくなかった。外で何が起きているのかは知らないが、静かになるまで待った方が得策だろう。


 私は壁から一歩分ほど後ろに下がった。距離にして三センチメートル。たった三センチ、でも今の私にとっては、世界一つ分の厚みを持った三センチである。そして、私は再び闇の中に我が身を横たえた。身長十五センチ弱のこの身体を。




 鳥和五十八年四月。暦の上では春なのだが、太陽はまるで真夏の様にジリジリと地面を焼く、暑い、いやどっちかと言えば熱い日の夕方だった。


 少女は中学校の校舎屋上の柵を乗り越え、その外側に立ち、下界に蠢く連中を冷たい目で見降ろしている。俺は別に自殺を否定したりしない。自分の命だ、自分の好きに使うがいいさ、と、一応は思っちゃいるのだが、実際に目の当たりにすると、はいどうぞ死んじまいなさい、とはなかなかに言い辛い。


 しかも困った事に、ここは俺の出身中学だ。いつも通りの高校からの帰り道、いつもの様に中学の前を通ったら、いきなり昔の担任に脚をつかまれ、アレを何とかしてくれと言われた。こちらとしては大して世話になったつもりもない元担任である。何でそんな頼み事をされなきゃならねえのか、と思ったのだが、無視して通るのも後味が悪い。という訳で、俺は渋々屋上に上った。


 少女は中学生ではなかった。制服が違う。多分隣町の高校の制服だ。何でわざわざこんな所で死のうとしてやがるのか。俺がちょっとイライラしながら一歩歩み寄ると、


「下がりなさい、来たら飛び下ります」


 と、言葉の端々にトゲトゲしさをまとわせてぶつけてきやがる。何だこいつ。自殺しかけてる分際で、何で偉そうなんだ。ああ面倒くせえ。何でこんなメスを俺が助けなきゃならんのやら。


 だが下ではかつての俺の担任やら、中学の生徒やら、通報で駆け付けた消防が警察が、そしていつの間に来たのやら、おそらくはマスコミの記者らしき奴らまでが、俺の言動を見守っている。今更お手上げって訳にも行きそうにない。


「名前を聞かせろよ」

「何故」


「この高さから落ちれば顔も体もぐちゃぐちゃで、どこの誰だかわからなくなる。学生証も血みどろだろうしな」


 いつかどこかで見た映画のワンシーンを思い出しながら、浮かんだ言葉を適当に並べてみた。しかし、女の反応は映画とはまるで違うものだった。


「他人に名前を訊くのなら、まず自分から名乗ったらどう」


 自殺志願者にしてはやけにマトモなことを言う奴だな、と思いながらも、俺は答えた。


「おれはもーきん。もちろん仇名だ。本名は烏骨うこつ圭一郎」


 そう、その名が表す通り、俺はウコッケイだ。鳥和四十一年生まれの十七歳の若鶏だった。


 少女は鼻で笑った。


「ウコッケイなのに猛禽だなんて、恥知らずも良い所ね。どちらかと言えば猛禽の餌になる方の癖に」

「なんとでも言え、俺はウコッケイだが、ハートはいつでも猛禽なのさ。そういうお前は何だ、ボリス・ブラウンか何かかい」


「失礼ね、私は小国しょうこく、小国とき代」


 やっと名前を言いやがったな、手間のかかる女だぜ。しかし驚いたな、小国と言えば超が付くほど名の通った、いわゆる名士の家柄ってヤツだ。


「へえ、凄えお嬢様じゃねえか」

「ふん、あんただって血統さえ良ければボンボンだったはずでしょ」


 確かに。ウコッケイには血統の良いのとそうじゃないのがいる。俺は勿論。


「さあてね、俺は所詮お安い雑種なんでね。そんなことより、何で死にたがってるのか、理由だけでも聞かせちゃくれねえかお嬢様」

「誰が死にたがるもんですか、私だって、できることなら死にたくなんかない」


「校舎の屋上から身を乗り出してる奴が言っても、説得力に欠けるねえ」

「死にたくなんかない、けど、私は死ななきゃいけないのよ」


 少女は、小国とき代は頑なだった。だが自分の口で死という言葉に触れたことで、心が揺らいでいるようにも見えた。


「じゃあもし、お前が死ななかったら、一体何がどうなるんだ」

「悲しむ人や苦しむ人が、これからも出て来る事になる」


「で、死ねば誰も悲しまないのか」


 とき代は口をつぐんだ。


「違うよな、お前が死んだって悲しむ奴は悲しむし、苦しむ奴は苦しむんだろ? ただ違いがあるとすれば、お前が生きていれば、苦しんでる奴の苦しんでる姿を見なきゃならねえ。死ねばそれを見なくて済む。要はそこの違い、つまりお前が面倒くさいかどうかだけの違いじゃねえの」


 とき代は俺を火が出そうな目で睨み付けた。


「あんたなんかにわかるもんですか」

「わからないかどうか、それは詳しいことを聞いてみないと何とも言えねえな」


「言えるもんですか! 言えるくらいなら私は死んだりしない!」


 小国とき代の眼には涙が浮かんでいる。わかんねえな。ここまで頑なになるその理由とは何なのか。


「……家族の事とか」


 当てずっぽうで鎌をかけたその言葉に、とき代はぎくりと反応してみせた。


「へえ、つまりお前が死んだら、家族に聞いて見りゃいいわけだ」

「やめて!」


 ふいに力なくしゃがみこんだとき代に駆け寄ると、俺は柵を半分乗り越え、華奢なセーラー服の背中を爪の少し伸びた右足でがっしりつかみ、そのまま一気に大根でも引き抜くかのように、「うおりゃっ」と柵の内側にまで引っ張り込んだ。所詮はメスのニワトリ、重さなどたいした事は無い。まあ体がデカい分俺よりは重いが。


 警察と消防が駆け寄って来たのを見て、やはり怖かったのか、それとも死ねなかった後悔のためか、小国とき代は大声を上げて泣き始めた。肩を抱いて慰めてやろうかとも思ったが、俺のハートは猛禽、そんなヤワな優しさは、持ち合わせちゃいねえ。


「いやあ良かった良かった、さすがにニワトリ同士、心が通じたのだねえ」


 下に降りると、元担任のアオバズクが泣きながら声をかけてきた。このフクロウ野郎に呼び止められて、俺は自殺の引き留め役をやらされたわけだ。けどニワトリにはニワトリ同士、って考え方は差別になるんじゃねえの、とも思ったが口には出さない。そんな細かい事を気にしてたんじゃ、いつまで経っても単なるウコッケイでしかないからだ。


 アオバズクの一声があってスイッチが入ったのか、マスコミ連中が纏わりついてきたが、俺はするりと間をすり抜け、さっさとその場を後にした。俺はもーきん、女の涙は手柄にゃできねえんだぜ。




 少し眠っていたらしい。いつしか、外の騒ぎはすっかり収まっていた。隙間から覗いてみたが、空は既に暗く、何も見えなかった。夜になっているのだろう。好都合だ。今なら外に出ても誰にも見つからずに済むかもしれない。見つかったらどんな問題が起きるのかはさっぱり見当もつかないのだが、それでも見つからない事がベストであろう、おそらくは。


 狭い暗闇の空間は、外から入る光が無くなった為に真の闇と化し、おかげで体を動かすたびにあちこちを壁にぶつけ擦り付ける事になったが、それでも何とか体の向きを変え、先ほど頭側にあった壁面に、足を向ける事ができた。そこで私は横たわり、両腕を左右に伸ばして、両側の壁にしっかりと手の平を付けた。これで準備は完了、あとは隙間の空いていた壁面を、蹴るべし! 蹴るべし! 蹴るべし!


 壁は思ったほど頑強ではなく、ほんの二十数回ほど蹴ったところで少し向こう側に倒れ、上に隙間ができた。なんとか隙間を押し広げ、息も絶え絶えに外に抜け出ると、そこにはまるで私の背に合わせたような、小さな鳥居が一つあった。くぐって後ろを振り返ると、私の目覚めた場所はどうやら古い祠のようだ。鳥居が無ければ、ただの盛り土にしか見えないだろう。


 その時、背後に気配を感じた。しまった、うっかり気を抜いていた。振り返った私の目の前には、あの鳥が、学生服を着たウコッケイが立っていた。


「な、なんだあ、お前」


 ウコッケイは私の姿を見て絶句してしまった。

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