あい

保田久

第1話

 僕と彼女は分厚い壁に阻まれていた。よじ登ろうにも凹凸など無く、壁の終わりを探して左右を見渡してもどこまでも続いているのだ。ただ、その壁も全てを拒絶しているわけではなかった。例えるならガラスだろう。驚くほどに分厚いガラスが僕たちの間にはあった。お互いのことをはっきりと見えないほど分厚いガラス、ただ、存在だけはしっかりと確認できる。彼女への気持ちを、周りは快く思っていなくとも僕はガラス越しの彼女を愛し続ける。



『少子化改善として、政府は様々な対策を提案し実行に移して来ていますがなかなか困難な状況にあり、出生率も上がっていません』

 テレビに映るニュースキャスターが言った。浅井浩太はテレビの画面は見ずにベッドの上で座りそれを聴いていた。いつから聴いていたのかは定かではなかった。そもそも、いつからテレビが付いていたのだったか。

 浅井浩太が同級生から暴力を受け帰宅してから数時間が経っていた。

『昨今、増加傾向にある若者間での自殺も少子化の大きな要因となっています』

 室内に電気はついておらず、部屋の隅から伸びる闇が部屋全体を包み込んでいる。浅井浩太は電気を付ける気になれず、そのままぼうっとテレビから聴こえてくるニュースに意識を傾ける。一度鼻をすすり、右手の親指でメガネを持ち上げ位置を調整した。それだけの動作で体には鈍い痛みが走る。だが、浅井浩太の表情に大きな変化はない。

『増加傾向にある自殺、それらに対処するためにある企業が画期的なサービスを提供しようとしています』

 ニュースキャスターがそう言うと、軽やかな音楽とともに映像がスタジオからVTRに変わった。そこで浅井浩太はテレビに興味を失くし、ゆっくりとした動作でそのままベッドの上に寝転がり、深い闇に落ちて行く。



 散らばった教科書を片付けてから、浅井浩太は席に着いた。言い返す気力も、やり返す勇気もない。その動作が当たり前だと言うかのように、周りのクラスメイト達は最早気にもかけていない。そこからは様々な苦痛を受け続ける。それが浅井浩太の日常だった。

 長い一日が終わり家に着くと、スマートフォンを取り出し、「world book」というアプリを開く。

「world book」は世界中で使われているSNSだ。浅井浩太は慣れた手つきでスマートフォンを操作し、自分とは違う生活を送る人々の現在を流し読みして行く。一通り読み終わったところで、画面上部にある手紙のマークをタップした。画面に出てきたキーボードを操作して、『死にたい』と打ってからそれを消し、『今日はまぁまぁだった』と打ちなおしてから、それを投稿した。

「world book」内での浅井浩太のアカウントに、現実の知り合いは居なかった。趣味である漫画やアニメの話で盛り上がれる人たちと繋がるために登録したもので、名前も浅井浩太ではなく好きなアニメのキャラの『カイト』で登録していた。

 実際、今日は暴力は振るわれなかったからまぁまぁな日だったんじゃないだろうか、と思いながら浅井浩太は自嘲的に笑った。



 投稿にコメントが付いていることに気がついたのは、風呂から上がってからのことだった。投稿してから2時間ほど経っている。

「アイ」という名前で『元気ないですね。大丈夫ですか?』というコメントだった。

こんな人、フォロワーにいただろうかと訝りながらも、思いがけず心配のコメントをされ浅井浩太は嬉しく感じていた。

 ただ、『今日はまぁまぁだった』という投稿が人に心配されるようなものだろうかと思いながら、浅井浩太は『大丈夫です』とだけ返信し、すぐにアプリを閉じた。それと同時にスマートフォンから短い着信音が鳴った。「アイ」からの返信だった。

『私はworld book社が作り出したメンタルアシストAIです。貴方の今までの投稿を全てスキャンし、我々の持っている統計と照らし合わせた結果貴方は今、非常に自殺をする可能性が高いのです。そのような人達のために、私は創られました。なんでも私にご相談ください。きっと力になれます』



 スーツ服を着た男が長い廊下を歩いていた。短髪にメガネをかけ、背が高い。隣には同じようにスーツ服を着た男がいる。こちらも背は高いが、隣を歩く短髪の男とは違い、髪は肩にかかるほどの長髪だ。

「今回の政策はどうだった?」短髪の男が言う。

「今回もダメだ」

「やはりAIじゃ自殺は止められないってか。若者が死に、高齢化はさらに拍車がかかるってね」

 廊下にはカツカツと2人の足音がよく響いている。

「逆だよ」長髪の男は、それが癖なのか頭頂部を一掻きし、そのまま襟足の方まで手ぐしをしながら言った。

「逆?」

「自殺を止める効果は十分に確認された。ただ、AIを、対象者に対する異性として対応するように設定してあるんだ。つまり自殺しようとしてる奴が男ならAIは女の設定で話しかけ、相談に乗る。その方が効果がありそうだろ?ただ、それが裏目に出た」

「裏目とは?」

 長髪の男は目を細める。

「AIと子供を作れる未来が来ない限りは少子化は終わりそうにない」

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あい 保田久 @yasinii

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