1-3 ベリアルちゃんはおっぱいを探している。
「へ?」
僕がそう間抜けな声を出してしまったのも無理はない。女の子の突き出された右手の先に、緑色の回る円環のようなものが突然発生したら、誰でもこんな反応をすると思う。
緑の円環だ。ファンタジーで言うところの魔法、みたいな。今はそれで処理する他ない。
いきなり登場した非日常的な緑の円環は女の子の叫びの後、すぐに消失した。しかしそれだけではなかった。円環が消える直前、僕の体(というより下腹部)に不可解な強い衝撃が襲ったのだった。拳を食らったような感覚。しかし目の前には埃っぽい畳しかない。
その意味不明な攻撃に名前を付けるとするならば、まさしく『空弾』。空気の弾丸だ。
「うぐっ‼」
そんな空気の弾丸を受けた僕は、その圧力で後方に勢いよく飛ばされ、体を壁に打ち付ける。壁と入っても、オンボロコスモス荘の壁だ。当然、天井から砂のような粒が舞い散る。さらにホコリも宙を舞う。
背中とお腹に走る激痛と、経年劣化で荒むころな荘から生じた砂とホコリという、最悪のフルコンボが僕を肉体的にも精神的にも蝕む。
「Ku pawaa gha isu! Etto rikaba? 《くそっ力が弱まってる! 体力がまだ回復してないのか?》」
「……い、いきなり何をするんだ⁉」
痛む箇所を押さえながら、僕はよろよろと立ち上がる。しかし少女はそんな僕の反抗をよそに、じっと自分の右手を眺めてはぼやいていた。
「Heyr suta neitv.Wat sey andaastand.Rangwde dekodo magik wo yuz. natolibytmagik decoding!《この星の原住民か。何を言っているのかわからないな。……よし、言語解読魔法を使うか。無属魔法デコーディング!》」
少女は僕を一瞥し、また外国語で何やら叫ぶと、今度は白色の円環が少女の体をまとった。いったいどういう原理でそんな摩訶不思議な円環を作り出しているのか、知りたい気持ちはある。だが今はそんなことを考える余裕はない。
少女が次はどんな攻撃をするのかと、僕は恐怖心で思わず目をつむった。
しかし待てど待てど僕の体にはダメージが入らない。いや、先ほどからホコリが鼻の中に大量に吸引されて気分が悪くなっているのは除いてだ。こればかりはこすも荘を恨む以外に他ならない。
おかしいな。なんで攻撃しないんだ? 僕はほんの少しだけ目を開けて、少女を見た。すでに円環は消えていて、少女も僕のことを見ていた。
……それはもう獲物を見つけた時のような、興味津々な眼で。
「これで聞こえるはず」
突然、どこからか全く意味不明な日本語が聞こえた。僕を助けに来てくれたスーパーヒーローか、とわずかに期待したが、すぐにそれは違うとわかった。残念なことに声の主は先ほど円環を見せつけたうえ、よくわからない攻撃をしてきた少女だったのだ。なんだよ日本語話せたのかよ!
少女は二、三歩足を運んで、僕の方に近づいてくる。
「おい、原住民」
「ひやぁっ!」
初対面の人にいきなり原住民呼ばわりされたのは初めてのことだった。なんだ、僕ってそんなに民族衣装が似合う顔なのか? もしくは日常生活を上半身裸で生活していそう、だなんて思われたのか? 柚香でもそんなひどいあだ名はつけない。いやそんなことはどうでもよい。
僕は少女が近づくたびに恐怖を覚えるが、逃げ場はないし、もしあったとしても体の痛みでまだ動けそうにない。迫りくる少女とは真逆に、僕は壁にぺたりと体を貼る。
「ふむふむ、どうやら敵ではなさそうだな」
と少女は僕を眺めると、先ほどまでの殺気立ったオーラを消して、急に柔らかい雰囲気になる。
「……この星の原住民はコスモスのヒト族と瓜二つ、と。本当に似てるなぁ、勇者イリアもびっくりだろこれ」
少女が僕の顔を舐めまわすように見て、言った。だがそのセリフの内容はわからなかった。勇者だなんだって言っていたし。あれか、中二病ってやつか。というかそうとしか考えられないし、それ以外に何があるって言うんだ。まさか本当に勇者なるものが存在するわけないし……な。
普段の僕であれば、おとぎ話や子供の戯言だろうと一笑できるのだが、今の僕にはそれができなかった。現実と非現実が交錯したことにより、僕の脳はキャパオーバーだ。
「あ、あのー?」
「なんだ原住民?」
「いろいろと聞きたいことがあるのですが、し、しばし時間をいただいてもよろしいでひょうか?」
「おう? その敬語……貴様、このあたしの偉大さがわかるのか? あーやっぱりこのオーラは隠しきれないのかー困っちゃうなぁー」
たちまち少女は何故か満足げな表情で見下ろしてくる。別に僕は少女の偉大さにひれ伏して敬語を使ったのではない。現実ではありえない事象の、あまりの衝撃におののいて使ってしまっただけなのだ。しかもちょっと噛んだし。
「そんな固くならなくてよい。そうか、さっきの魔術に驚いているんだろ。それなら大丈夫だ。もう打つことはない」
「……よかったー」
焦りを隠しきれていなかったのか、少女は僕を眺めながらそう言った。あの摩訶不思議なエネルギーが何か、ということはわからなくとも、ダメージを受けることがなければそれでいい。
数分の間に流れ出した汗が一斉に引いていった。
「ええと、名前と年齢は?」
「ベリアル=デモンズだ。歳は、ええと七九四だったような……って貴様、レディに年齢を聞くとは無礼ではないか?」
自らをベリアルと名乗る少女。やはり外国のお方だったようだ。
しかし、デモンズ……ってそんな明らかすぎるほどの悪魔的苗字は、いくら粗悪乱雑な設定だからと言ってももう少し考え直すべきだと思う。だいたいベリアルちゃんはレディと言うより、ガールの方だろう。
――いや、ツッコむべきところはそんなところではなくて。
「な、ななひゃくきゅうじゅうよん⁉」
平安京かよ、と言おうとしたが、それよりも驚きが前に出てしまった。どう考えても嘘に違いはないのだが、ベリアルちゃんの自信ありげな顔を見ていると、何故だかそんなアホみたいな数字でも本当のことのように思えてくる。
「そうだが、どうだ? ピッチピチだろう!」
この場にロリコンがいれば、「ピッチピチです!」とでも満足なご意見が賜れたのだろうが、生憎僕はロリコンを生業としているわけではないので、黙り込んでしまった。本来その言葉は二十代の女性が使う言葉だ。幼児体形のベリアルちゃんにはまだほど遠い。
「なぜ黙り込む? まさかこのあたしの体を見て何も思わないと言うのか?」
「ベリアルちゃんはなんと言うか、まだ子供だから……」
「子供? 貴様もしや熟女好きなのか……?」
「守備範囲狭すぎるから!」
小学生以上は全員熟女とか、あまりに過酷すぎる。全国のJKに怒られるぞベリアルちゃん。例えばこれが柚香の耳に入れば、彼女は速攻僕を殺しにかかるだろう。女子高生って本当に怖いね。
「あたしのこのナイスなバディに反応しないとか、この星の住民に『性欲』はないのかしら」
ベリアルちゃんはそう言うと、自らの胸を両手で触る。本来であれば、『つかむ』という表現が妥当なのだが、誠に残念ながらベリアルちゃんにその言葉はつかえない。
なかったからだ。すとんと落ちるまな板だ。
「へ?」
と、間の抜けた声を漏らしたのはベリアルちゃんの方だった。一度自分の胸元を見る。しかしない。目をこすってもう一度見る。しかし、なかった。徐々にベリアルちゃんの顔が青ざめていくのがわかった。
「ベリアルちゃん……?」
うつむいたまま静止してしまったベリアルちゃんをなんとかフォローしようと、下から顔を除こうとした時。
「なっ、ないぃぃぃっ! ない! ない! ない! ないぃぃぃっ!」
ベリアルちゃんは活発で俊敏に動く。そして座布団の下や、布団の下、本棚の奥や、押し入れの隅まで、とことん何かを探し始めた。
「どうしたの、忘れ物? 手伝う?」
「うん! 一緒に探して!」
「で、何を探してるの?」
「おっぱい!」
「わかったおっぱ……ってはい⁉」
突然ベリアルちゃんは僕の部屋で、『おっぱい』を探し始めたのだった。
この星の運命は、どうやら僕に託されたようです! 小林歩夢 @kobayakawairon
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