第2話
工業団地の一角にある小さな会社、古ぼけた看板には轟製薬会社と書いてある。製薬会社とは名乗っているが、近年では主に効果のあやふやな健康食品を取り扱っている、よくある地方の弱小企業だ。
「課長課長、若林課長!なんか凄いの見つけちゃいましたー!」
出社早々、狭い事務所に甲高い声を響かせてドタバタと駆け寄ってきたのは入社3年目の古賀。私が3年目の時はどうだったろうか、もうぼんやりして思い出せないが、いやまぁ元々彼女とはもって生まれたキャラが違う、比較しても詮無きことだ。
「おはよう古賀さん。今日も元気で何よりだ」
「おはようございます課長!とにかくこれを見てください!」
そう言って彼女が私の机に置いたのは、緑の液体の入った小瓶だった。
「これは?」
沈殿した緑の繊維状の物体。パッと見には雑に淹れた緑茶か何かにしか見えない。
「それがですねー、すごいんですよ!」
彼女はカバンからスマートフォンを取り出し操作し始めた。そして彼女が見せてくれたのは幾つかの犬の写真だった。その犬はかなりの老犬で、寝たきり生活が要因であろうか、腰部に褥瘡が出来ていた。だが次の写真ではその傷はふさがっていた、しかも瘢痕形成もほとんど見られない。何だろう、別個体の同部位?それとも、この液体を塗ったら治ったなどという話だろうか?
今のところ傷薬にこれと言った決め手はない。特に広範囲の皮膚の欠損を伴う二次治癒には長期的なケアが必要だ。さらに人と違い清潔に保つことが難しく、コストも抑えざるを得ない動物相手では尚更悩ましいことだろう。
そんなことを考えていたら彼女はこんな寝言を言った。
「この傷にこれを塗ったら5分もたたないうちに治っちゃったんですよ!」
何とか本家まで話を持って行けた。昔やんちゃしてた頃の名残とブツ、いや薬草とやらの胡散臭さで、あの手この手で手柄を横取りしようとする奴らの手を払いつつの全速力だ。
「お久しぶりですね、早乙女さん」
「よしてくれ。今のお前さんは押しも押されぬ若頭補佐だ、俺みたいな下っ端にさん付けなんて貫目がさがる」
「ふふっ、相変わらずですね、けれど自分の極道としての基礎は早乙女さんから頂いたもんですかなね、こればっかりは幾ら月が経とうと変わらない」
「はっ、言ってろ。お前は俺の下に収まるような器じゃなかった、とっとと引き抜かれて正解だったってことだ」
「ごねる自分の背中を押してくれたのは貴方だったじゃないですか」
「昔のことだ、それよりも今日は新しいシノギについて話に来た。お前さんも暇じゃないだろ?とっとと始めようぜ」
「そうですね、まぁ今晩は時間を空けてます。続きは後で一杯やりながらとしましょう」
本家の応接室、俺と机を挟んで座る郷田は笑みを滲ませながらそう言った。こいつを拾ったのは俺だが、俺の下にいたのは1年ちょいだ。まぁその頃の俺は場末の闇金社長じゃなくてもう少し上等な席に座っていた……いやそうじゃないな。本家の周辺でちょろちょろ使いっ走をやってるやんちゃ盛りのころだった。
繁華街の路地裏でこいつを見つけた時には、ゴミ捨て場に転がっている札束を見つけた気分だった。面も恰好もボロボロだったが、まとっている雰囲気が違っていた。気絶していたこいつを馴染みの闇医者に持ってたが目を覚ますのに2日かかった。目を覚ましても数日は口もきけないほど消耗してて、正直拾い損をしたかもしれないと後悔し始めた。
だが、使ってみると奴はやっぱり本物だった、口数は少なく愛想はないが、その代わりに頭も切れるが拳も切れる、器用貧乏じゃなく器用万能だった。半年もすれば俺が教えることなんか何にもなくなった。俺が指示する前に段取りを完璧に整えており、突発的なトラブルの時はどうやってか奴が先回りし、猟犬みたいに獲物を俺の手の届く範囲に追い込んでくれる。ここまで来ると嫉妬なんか浮かびやしない、持っているものが違いすぎる。
見てる人は見てるもんだ、いやどんな盆暗だって奴の光は目につくだろう。そうこうしているうちに、上からの引き抜きの話があった。ところが驚いたことに奴はその話を本気で蹴りやがった、高値で売るための交渉術でなく、仁義や恩義とやらによる拒否だった。河川敷で草野球してる時に、たまたまメジャーのスカウトが通りがかって即決で数年契約のスタメン起用が約束されたようなもんだ。こいつにはいつも驚かされていたが、そん時が間違いなく最大だった。
説得に3日かかった。武士は二君に使えずってのは、いったいどの時代のおとぎ話なんだか。学のない俺でも戦国時代は裏切り・不忠・下剋上の全盛期だって事ぐらい知ってる。何とか説得が成功し挨拶に行ったが、幸いその親分も古い人で余計に郷田を気に入ってくれたのは結果オーライってやつだ。
社長が本家との交渉に入ってる間、ウチの事務所は大忙しだった。唯でさえ零細業者って奴なのに、使えない馬鹿の相手をしなけりゃならねぇ。しょぼい客を何人か切り離し通常業務を縮小し、空いた時間で例の洞窟の隠ぺい処理を行った。幸い事務所に建築の経験があるやつがいたので洞窟の入り口をガチガチの鉄格子で固めることは出来た。鍵もしょぼい南京錠じゃなく。最新のディンプルキーとかいう奴だ。それに役所が貼ったように見える進入禁止の看板を取り付けておしまいだ。言葉にすれば簡単だが、俺はいったい何十kgの道具を抱えて人目につかない夜中の山道を何往復したんだろう。考えると吐きそうになるのでもうやめた。どれもこれもあのバカが悪い。
あのバカと言えば最近は事務所で缶詰だ、一時期の熱狂が収まった後奴の話をよく聞けば、実績作りとやらで多量のブツをばらまいていることが問題となった。こうして元栓には鍵をかけたものの、ばらまいたブツの回収は不可能だ。奴が間抜け面をさらして町を出歩いていると、あのブツを買った奴と顔を合わせる可能性がある。それが唯の素人ならいいが、表や裏の深いところから根が張っている奴だったらどう話が転ぶか分からねぇ。と言うわけであのバカには猿でもできる事務仕事をやらしている。だが、奴はバカだ。多少は自分のやったことについて認識していると思いたいが。この状況がいつまでも続くとどんな行動に出るかわからねぇ。いっそのことコンクリートに缶詰してやった方がすっきりする。
まったく、俺の判断は失敗だったかもしれない。何時もだ、何時も俺の行動は周囲のクズに邪魔されてしまう。俺がこの値千金の企画を持ち込んでから2週間。一向に話が進んでる気配がない。何度聞いても交渉中の一言だ。こんな所でグズグズしてる暇なんて無いというのに。やはり盆暗社長に交渉を一任したのは間違いだった。『渡世の仕来りが分かってない』とか言われて、つい言いくるめられてしまったが、薬草の第一人者である俺自らが交渉に向かえば、話はもっとすんなりと進んでるに決まっている。しかし、奴らの口車に乗せられて薬草の自生地を教えてしまった、まったく正直者の自分が疎めしい。
だが慎重で計画的な俺は、奴らにはまだ切っていないカードがある。俺が薬草を見つけてから3週間、3週間もの時を稼いだのだ。ここの盆暗どもはその間俺がただ単に逃げ回っていただけと思っちゃいるようだが、それは大きな間違いだ。確かにあの草原はまるで理想郷の様に素晴らしい空間だったが、薬草を町で捌くには手間がかかりすぎる。
そこでこの俺は薬草の株分けを試みた。航空写真をチェックし、同じ山の逆側のルートで人目につかず、行き来がある程度しやすく、かつ水辺に近い場所を探り当てた。まぁ所詮は洞窟のこっち側なのであの黄金空間とは天と地の差があったが、そこに株分けした薬草は運よく根付いてくれた。薬草はパッと見ヨモギに見えるので、山菜取りに来た爺婆に発見される恐れがあるが、現地を見た限りでは人が踏み入った痕跡はなかったので大丈夫だろう。
ただ少し、気になるのは航空写真で薬草畑の候補を探していた時に、あの黄金空間をチェックしようとしたが何処を探しても見つからなかったことだ。まぁ写真の精度や撮ったタイミングもあるだろう。考えようによっては航空写真からでは探り当てることのできない安全な場所と言うことだ。安心材料が増えたということで良しとしよう。
「……古賀ちゃんこれどっから入手したの?」
主任研究員の藤田さんは、眉間にしわを刻ませながら慎重に聞いてきた。
「あの、私フリマ巡りが趣味で、一月前の中央公園のフリマで手に入れたんですけど……」
「そうか、ならいかにも素人仕事の雑な粉砕は納得いった、すり鉢を使って手作業でやったんだろうね、ごくろうさん。けど問題はそんな些細な事じゃない」
「あのー、なにか問題が……?」
「問題、うん、問題。そう、なにが問題だと言われると返答に困る……、いやまったく困らないか」
「えーっと、つまり?」
「うん、まぁその、ウチの研究室は見ての通りおんぼろだ、ハードもソフトもね。けど基本的な検査程度は出来る。基本的な検査と言うのは、文字通り基本、基礎となる土台だ。今まで天文学的な数を繰り返されてきた、大原則と言うべき完成された手法だ」
「……結論は?」
「……ほぼ全てエラーだ」
藤田さんはたっぷりと時間をかけため息まじりにそう言った。何度も繰り返したがphや光学顕微鏡レベルでの所見しか取れない。この葉っぱを構成する物質の大部分が未知の物質で、既存の検査では手が出ないとのことで、現在室長にレポートを提出して、大学か国に持っていくか検討していると言うことだ。
「これは独り言なんだけどね古賀ちゃん、君にこれを売りつけた奴は異星人とか異世界人とか、ともかく地球以外から遊びに来た商人じゃないのかな?」
疲れ果てた藤田さんにお礼を言い、私は研究室を後にした。効果だけに浮かれていたが、どうやら事は単なる一般市民の手におえるものじゃないらしい。
「……もしかして、NERVとかホグワーツ案件に手を出しちゃったのかしら私……」
最近課長が会議続きの理由に納得しつつ、MIB的な機関に拘束される自分を想像して身震いしつつ私は事務室に戻った。
なんとか話しはまとまった。意外というか何というか交渉が一番難航したのは郷田だった、まぁ奴も立場が上がって慎重になったんだろう。この世界じゃ珍しく義理堅い奴だからこのシノギに穴が開いた時の俺の立場を心配してくれたのかもしれない。その証拠にこのシノギを仕切るのは奴がやることになった。
これからの流れとしては、まず適当な廃工場を買い取ってそこで量産体制をとる。場所は国内の離島。便は悪いが外部流出を恐れてのことだ、いっそ海外で大規模にやるアイデアも出たが、まずは手堅く実績を作ってからと言うことに落ち着いた。俺はそこの現場責任者の席を得た。早乙女製薬の社長と言うわけだ。郷田はその上の会長職に就き本家や外部との折衝を務めてくれる。後は経理や事務員やらも郷田の下から出してくれることになった。これで財布と電話を郷田が握ることになったがまぁ妥当なとこだろう。
正直闇金の時は大部分をおれがやってたので、負担が減って万々歳だ。それに郷田なら話が通しやすいので、訳の分からない奴にあれこれ手出しされるよりだいぶ気が楽だ。後はウチの馬鹿どもをまとめてこっちにスライドさせて人事は終了。島流しは嫌だとか言う奴が出るかも知らねぇがそんときゃそん時、海に突き落として撒き餌として使ってやろう。
社長に連れられ社員旅行という名の現地視察。馬鹿は元気にはしゃいでるが、どうにも俺は悪い予感がしてならねぇ。まぁここまで話が進んじゃ今更どうとか言えない。そう、言うならばもっと早く、あの日だ、この馬鹿と初めて洞窟に行ったあの日。あの日に無理を言って、社長にも同行してもらってたら、違った流れになったのかもしれない。まぁ俺も実際にあそこに行かなきゃ本当のヤバさは分からなかった。いや、今でも本当のヤバさってのが実のところが何なのか分かっちゃいねぇが、俺の勘が言っている、あそこは、ヤバイ。そしてあんな所から採ってきたやつがヤバくない訳はない。
「どうしたんですか速水さん、浮かない顔して!」
馬鹿が呑気に話しかけてくる。いや、この馬鹿の言う通りだと、こいつは身柄かわしている間の大部分をあそこで過ごしていたそうだ。それでもこの馬鹿がピンピンしているところを見ると『直ちに健康状態に影響はない』って感じなのだろうか?それとも馬鹿は風邪をひかないの別バージョンなのか?
ようやく道が開けた!希望の船出だ!まったく愚図に仕事を任せると時間がかかる!だが許そう!ここからだ俺の人生はここから始まるんだ!
速水は浮かない顔をしている、まったく何にビビっているのかさっぱり分からない。図体はデカイのに気の小さい奴だ。今まで闇金の取り立て屋なんて組織をバックにお山の大将を気取っていたやつには、この山は大きすぎて目まいがしてるんだろう、まったく情けない奴だ。だけど俺は器がデカい、俺が偉くなった暁には精々小間使いとして使ってやろう。
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