第3話
「じゃあ今日は藤田さん都庁いってるんですか」
「ああそうだ」
私があの傷薬を持ち込んで以来ドタバタしていた社内が少し落ち着いたので、何らかの結論が出たのだろうと恐る恐る聞いてみると、課長は幾分スッキリした様子でそう言った。
「君に伝えるのが遅れてすまなかったね。室長と主任は今日は保健所に出張だ、そこで市と県の担当者と会議予定する予定になっている」
「……いや、なんだか済みませんでした、余計な仕事増やしちゃって」
「ははは、まぁここの所忙しかったのは事実だけどね、けどこれは古賀さんのミスってわけじゃないよ。役所の方でも噂は流れてたみたいでね、ようやく現物が手に入ったってよろこんでたってよ」
「お役に立てた?なら光栄ですが……」
「まぁ、会議が終わってどんな風になるかは想像がつくけどね……。まぁ、どこよりも早く第一報を届けられたのはお手柄だよ。それが凶事ならなおさらね」
「……やっぱり、凶事なんですよね」
「あぁ、凶事と言うのは言い過ぎだった。だが、とても難しい案件と言うことは確かだ」
私は無言でうなずく。
「もしもあの薬の分析が成功し製品化できたとしたら、それこそ地球規模での医療の大革命だ。だがその為に超えるべきハードルは正に異次元レベルと来ている。宝の山を目の前にしながら、現代の常識の通じないトラップが山の如し……しんどいだろうねぇ」
ごめんなさいと藤田さんに心の中で謝る。こんど飲み会があったら精一杯お酌をしよう。
「あぁ、大事なことを1つ忘れてた」
「はい?なんですか?」
「あの薬を売っていた人、薬事法がらみで警察が捜査するかもしれないから、古賀さんにも話を聞きにくることになるかもって」
「ひょぇ!」
「おう、長旅お疲れさん」
「「「「お疲れ様です社長」」」」
住み慣れた東京から離れ離れて瀬戸内の訳の分かんねぇ小島までやってきた。目の前にあるのは飾りっ気のない四角い建物、まぁパッと見は普通の工場ってところだ。社長と本家の郷田とかいう若頭補佐に適当に工場内を案内してもらう。ここは以前、木材加工工場とかなんとかだったという話だ。だがそれは表向きの話、裏と言うかこの工場には地下がある。
本家ちょっかい出してきたどっかの組をつぶした時、ついでに接収したのはいいが、原材料の仕入れルートも潰れた事などから塩漬け状態になっていたそうだ。それを改修して上では工場再開、下は例のブツの加工場と言うわけだ。まぁ加工場とは言っても今のところはその前段階の実験場といった感じだ。あの愉快な世界で育ってたのが全うな世界でちゃんと育つのか色々試したりなんたりするらしい。
まぁ俺らのシノギは基本的に大して変わらない、電話をかけて親子のきずなを確かめる仕事や、スポーツ観戦をよりエキサイティングにする仕事。とは言え、この狭い島内で営業するわけにもいかないので。島外に営業電話をかけて集金は例の若頭補佐の所に任せると言うことになった。結局早乙女金融が若頭補佐の所に吸収合併されたようなもんだ。
さらに、若頭補佐の所から経理・事務・研究に人員が回されたので、ダブついた人間は交代で上の工場で周囲へのアリバイ作りに適当に機械を動かす仕事が追加された。特に俺は集金業務が主だったので木くず紛れになる時間が多くなった。もちろんあのバカは地下に缶詰、あんな訳分からねぇブツと1日中地下で過ごすなんざ正気を疑うが、あれが人間のバカの下限でこれ以下に下がりようがないと言うことなんだろう。
「えっ、指名手配ですか!?」
「えぁ、場合によってはそう言う方向に進みかもしれません。と言うわけで、ほとぼりが冷めるまでの間、蓬屋さんには地下で薬草の育成についての実験に専念していただきます」
郷田と言う男が言うには、元いた町で俺のことを探っている連中がいるらしい。早乙女金融にも聞き込みが入ったそうだ、まぁ後任の社長は俺が借金を完済しているとしか知らないので、その後の探りようなどない。
「我々は、貴方の才能を高く評価しています。この薬草の生育条件が解明され大量生産が可能となれば、その影響は裏社会だけではとても抑えられないでしょう。貴方が人類の救世者として後世に名を残すことも夢ではないでしょう」
なるほど、さすが若頭補佐と言うだけはある。まぁヤクザの階級についてよく分からないが、この男の人を見る目は確かなようだ。ようやく俺を正当に評価してくれる人物に出会えた事実に、今までの人生を振り返り心が震える。
その後も、郷田さんと少し打ち合わせをする。要はこの薬草が生えていた黄金空間を地下実験室で再現すると言うことだ。それならば望むことだ、俺が生まれ変わった場所、今では俺の故郷と言えるあの聖なる世界をこの地に再臨させる。その為の物資は可能な限り融通してくれるという。俺は郷田さんと熱く握手を交わした。
都庁に第一報が報告され、新発見された植物(Plantae X:PX)の実在が確認すると、静かに、だが大きな混乱が起こった。既存の植物とは全く異なる植物、だがその効果は類を見ないもの。ことの大きさを鑑み、違法薬物が使用された、という名目で市場に出回ったPXの回収が行われた。売人の男については指名手配が行われている。更に、都の研究室だけでは解決が難しいとし、PXの研究について官民一体の特殊プロジェクトチームが編成された。
都庁某会議室、そこには疲れ切った顔をした人達が集まっていた。プロジェクトチームの実務者協議として招集された担当員たちだ、中には第一報を持ち込んだ製薬会社の藤田も含まれている。個人間の情報交換は行われているため、それほど話すことはない。一言でいうと、『成果なし』。この会議の成分は愚痴が半分、プロジェクト進行の言い訳が半分で構成されている。
分からないと言うのもれっきとした検査結果だが、夏休みの自由研究ではないのでそういうわけにもいかない。上が求めているのは『PXの安全性』これにハッキリとした証明がなされたら、医学分野で日本が圧倒的上位に立つことができる。副産物として得られるものも莫大なものだ。だが、成分分析は遅々として進まない。
唯一成果を上げているのは毒性試験だ『どんな傷だろうと塗ったら治る』、発がん性等の兆候は見られないので『直ちに健康状態に影響はないとみられる』これで済むならそうしたいところだが、大半が未知の物質で構成されたものに、そんな適当な結論を出して上が納得するはずがない。
耳が早く腕も長い諸外国もちょっかいを出してきているとのうわさも聞く。おそらく市場に出回ったPXのいくつかは回収されていると考えた方がいいだろう。そうなると身元不明のPXの売人はすでに海外からスカウトされた後かもしれない。まぁそっち方面は警察や外務省の管轄なので関係はない。だがもし確保できたなら一発殴らせてもらった後、たっぷりと話を聞きたいところだ。
会議は踊る、されど進まず。収集された彼らは国内でもトップレベルの技術者達だ、少なくない予算も降りており最新機器も優先的な使用許可が下りている。だが、分からない。研究が進めば進むほど、言い換えれば分からないことが増えれば増えるほど、PXはジャングルの奥地で発見された新種の植物などでなく、別の世界から持ち込まれた植物のような気がしてくる。
会議の中で誰かが言った。
「漫画の中で主人公が負ったけがを治すのは簡単だ、作者が白で修正すればいい、一瞬で終わりだ。つまり、こいつは3次元世界に住む俺たちよりも高次元の世界の植物、いわゆる神様の世界の植物ってやつじゃないのか?」
半ば冗談、半ば本気で放たれたその発言に対する反論はなく、暫しの静寂のうち会議は再開された。
地下室はかなり立派な構造になっている、良くは知らんがP2だが3だかのレベルを想定して改築が行われたらしい。2重扉に完全空調、中の空気や水はそのまま外部に漏れないように浄化されてから排出しているらしい。唯のヤクの製造工場などとは比べ物にならないご立派な設備だ、この分なら自爆装置がついてても驚きゃしない。まぁやってることは並んでるプランターに水と肥料をやって温度・湿度を調節してることだけなんだが。
前室の窓越しに見る限りは、野菜農家の長閑なひと時と言った感じだ。だが、中に入れば酷い匂いが立ち込めている。あのバカはあの洞窟の先の世界を再現しやがった。これがあのバカ唯一の才能なのか、あのバカでも再現できちまうのか、後者の場合大きな問題だ。
そんな中で蓬屋は狂気に取りつかれたように薬草の調子を見ている。まぁあんだけ訳分かんねぇブツだ、ラリッちまう成分が入ってても不思議じゃねぇな。昔は合法だったのが規制されて、ヤクザのシノギになってるなんて話腐るほどある。これが上手くいけばその逆のパターンになるわけだが。
「おう、調子はどうだ蓬屋」
耳障りなコール音を暫し聞き流し、やれやれとため息をつきつつ受話器を取った。
「ええ、ばっちりですよ速水さん」
ちらりと、前室の窓を見ると速水が眉をしかめて不快そうな顔をしている。やはりこいつは盆暗の臆病者だ、俺の態度に腹を立てつつも何をビビっているのかこの部屋に入ってこようともしない。まぁ奴のような無粋な輩にホイホイと入られてはこの聖域が穢れてしまう。奴ら凡人が聖域に入るには外の不純物を排除するために、完全防備で侵入するのがここのルールだ。
「育成条件は把握しました、いつでも量産体制にはいれます」
こいつに、専門的な話をしても馬の耳に念仏ってやつだ。俺の言うとおりに動いてさえくれれば万事OKだ。
「あぁ、社長から補佐にお前の言った条件は伝えてある。候補地の選定は終わって建築作業にかかってるからもう少しまってろ」
「そうですか、それはなによりです」
こいつにしては仕事が早い、いや郷田さんが人並み以上の働きをしてくれたんだろう。この薬草の生育には豊富な水と肥料、そして温暖な気候が必要だ。南米だか東南アジアだかのジャングルが一番手っ取り早いんだが、あいにく海外事情には疎いんでそこは郷田さんに任せるしかない。
「と言うわけです、若頭補佐。傷を治す副作用か、薬草の放つ香気のせいかは分かりませんが、長く付き合うと頭がイカレちまうようです」
「そのようですね、早乙女さん。監視カメラの映像を見させて頂きましたが、よろしくはない傾向のようですね」
郷田との定期連絡を終える。蓬屋には言ってないが地下の実験室の最大の目玉は蓬屋自身だ。奴を検体に長期連用の際の害を調べる、地下室は奴の城じゃなく奴の檻だ。たかが一人を薬漬けにするにはやけに御大層な施設だが、そこは郷田の性格もあるのだろう。始めはどうやって奴を地下に閉じ込めておくか悩んだもんだが、こちらの思惑をいい意味で裏切り、奴は自主的に地下室にこもりっぱなしだった。しかも時折自傷行為に走っちゃご自慢の薬草を塗りたくって悦に入っている。
薬草の調査については郷田の方でも行っている、と言うかそっちのがメインだ。学のない闇金にはまるような馬鹿に一任するようなら、そっちの方が大間抜けだ。薬草の育成については『大変危険』とのことだ、繁殖力がとてつもなく強いらしい。厳重に管理をしないと爆発的に増えちまうらしい、なんでもミントや笹なんか相手にならないほどの繁殖力なんだそうだ。もしかすると、そう言ったことも危惧してのあの地下室だったのかもしれない。そう言ったわけで厳重に基礎工事を行った工場を建設中とのことだ。
ウチでは加工品の販売は行うが苗や種を持ち出すのは絶対厳禁と言うわけだ。まぁ世の中に絶対はないから、いずれ漏れるのは仕方がない、その時までに後から来た連中が太刀打ちできない縄張りとデータをガッチリと抱えておく必要がある。
まぁ多少のトラブルと不安材料はあるが、世の中自分の思い通りに全てが進むほど楽じゃない。『その辺も可能な限り含めつつ最短でシノギを進めています』と言った郷田を信じよう。
その後、しばらくして世界を変える商品は裏社会からひっそりと販売された。
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