第7話井田と相棒
少し悶々とした心境のせいで、高速道路の景色を素直に楽しめない。それどころか、別の不安の種を拾いこんでしまったのかもしれない。助手席に座る雪菜は、今何を考えているのだろうか。
結局のところ、私は雪菜の頼みを断ることが出来なかった。雪菜にも未来はあるだろうに、その未来をより良いものにするには、私に着いてくるのは、明らかに間違いであるとわかっていながら、雪菜の押しに負けてしまったのだ。押しの弱さに弱い自分に、我ながら情けなくなってくる。
それに、旅路の生活にも影響が出てくる。雪菜が男なら話は違うが、名前の通り雪菜は女だ。プライベートもへったくれもないこの狭い車内で生活することは、お互いの精神衛生上から考えても、あまり長い間共にすることはよろしくない。となれば、計画の中から車中泊を取り除き、ビジネスホテルを組み込むことになるだろう。しかし、それだと私の旅路はいつごろまで続けられるのだろうか……。
「ありがとうね。無理な頼みなのに、私を連れて行ってくれて」
申し訳なさそうに頭を下げる雪菜に、私は「いえ」とだけ返した。輪姦を覚悟していた時に比べて、大分しおらしくなっている。まあ、当然だろう。輪姦されることが好きな女性が大量にいたら、今頃少子化などという問題は解決されているのだ。雪菜自身、カッコつけているだけだと言っていた訳だし、本当の雪菜と言うものは全くの別人だとしても何らおかしくない。寧ろ、自らを演じずに生きている人間など、現代社会には存在しないのだ。この私を含め、自らを周りの環境が望んだ人物像を演じなければ、生きていくことなど出来はしない。人が完璧な存在ではないが故の弊害である。
「そう言えば、あなたの名前を聞いていなかったわね。名前はなんていうの?」
「……井田誠です」
「誠くんね。改めてお礼を言うわ」
「いえ、いいんです。それよりも、貴女の方は大丈夫なんですか? 私は身一つなので、時間はいくらでもありますが、貴女には大学があるでしょう。ずっと私について来るには、失うものがあるのでは?」
「ええ、そうね。ずっと着いていくのも、誠君に迷惑だろうし、悩みどころね」
「すぐにとは言いませんが、あなたの未来の為にも、決めておいたほうがいいですよ。せっかく大学に通っているんですから。ところで、大学はどこに通われているのですか?」
「慶應よ」
しれっと言って見せる雪菜だが、私は慶應という響きだけで、身が縮こまってしまう。慶應といえば、早稲田や東京などと首をそろえる名門大学ではないか。私のような高卒とは、社会的なステータスがまるで違う。いわばエリートコースに乗っかった、社会に望まれし人種だ。そんな人が、社会不適合者たる私と同じ車に乗り、身にも薬にもならないかもしれない旅路を共にしようというのだから、世の中というのは私が想像している以上に、奇妙なめぐりあわせが連立してできているようだ。
「それはすごい、さぞ勉学に励まれたのでしょう。まさに国の宝ですよ」
「そんなことはないわ。勉強に生かせてないだけで、頭のいい人なんていくらでもいるし、私の周りなんて慶應の名前が欲しいだけの中身からっぽな人間だらけよ。特にあのサルどもは、小学生にも劣る品性のなさが目立つしね」
サルどもとは、恐らく一緒にいたあの男たちのことなのだろう。忌々しそうに唇を噛み、ただ正面を睨みつける雪菜から、その憎悪の深さがうかがえる。しかしなぜだか、私の感じている虚無感に通じるところがあるような気がする。
突如、どこからともなくスマートフォンのブザー音が、日光とそれに反射する埃が支配する車内に響き渡った。私のスマートフォンは静寂そのもの、となれば雪菜のスマートフォンに違いない。
案の定雪菜はポケットからスマートフォンを取り出し、メッセージを見て表情を険しくした。あまりいいメッセージではなかったことは言うまでもないだろうが、恐らくあの男たちからのメッセージではないだろうか。男たちからすれば、ちょっと便所に行っていた間に、もしくは、少し土産物を見ているすきに、忽然と今夜のお楽しみである雪菜が消えてしまったのだから、なにかしら行動を起こすのは容易に想像の付くことことだろう。
「本当に忌々しい……あいつらの脳みそは下半身についているのかしら。本当に最低、最悪よ」
「お連れさんからの連絡ですか?」
「ええ、コンドームの好みについて尋ねてきたわ。私の安否よりも、コンドームの好みの方が重要なのかしらね。どのコンドーム付けたって、あんな奴らにこれ以上ナニを突っ込まれるはお断りよ」
「ハハハ……」
笑うべきではないのだろうが、乾いた笑いを浮かべる以外に、取れる行動も言動も思いつかなかった。私はその男たちと深く知り合っているわけではないので、断言することは出来ないが、雪菜の指摘通り、本当に下半身に脳みそが付いているのかもしれない。なんだか高校時代を思い出す。
私は農業高校の出身だ。特に農業をやりたいという希望があった訳では無いが、学力の問題でそこに入学したのだ。学校生活は、友人にもそれなりに恵まれ、これと言って不満という不満があった訳では無いが、友人を含めた一定人数の思考がいつも気になっていた。口を開けば、いつも何処かで聞いた事のあるような話ばかりで、言うなればオリジナリティの欠けた話題を、さもこれ見よがしに、有り難そうに話すその姿に、いつも吐き気に似た不快感を感じていた。いつも話の落ちが容易に想像できそうな、ワンパターンな会話に、いつも嫌気を感じながら聞いていたような気がする。極端に、私の性格がひねくれているのかもしれないが、彼らの会話は、話を面白くする為の工夫がなされているようには思えなかった。
これが男女関係ともなると、最早悲惨そのものだ。まるで彼氏彼女というワードを、一種のアクセサリーのように扱い、そこに愛という言葉が存在するとは、とても思えなかった。高校生というのは、一見自由人のように見えて、実際には社会からの制約や金銭面の関係上、多くの制限に囲まれ、要するに娯楽の枯渇した状態にある。ともなれば、男女関係というものが娯楽コンテンツとして扱われるのは、当然といえば当然だが、純粋だった当時の私からすれば、ロマンスの欠片もない情景に、ただただショックを受けた。
そして、どうやら大学生であろうと、まだまだその手の人種は存在するらしい。それこそが本来の人間の姿なのか、それとも視野が狭いのか、それは私にはわからない。しかし、人生を豊かにするには、脳みそは頭にあったほうがいいだろう。
それからは、お互い何も喋らずに、最寄りのPAで昼食と手洗いを済ませ、またひたすら走り出した。長野県南部の山々に飽き始めた頃にいつの間にか県境すら通り越し、やがて山など見えない平地が姿を現した。進めば進むほどビルの数と高さは比例して増えていき、交通量も多くなってきた。ナビを確認すると、近くに名古屋と表記された文字があり、納得である。首都高に比べればまだマシな交通量ではあるが、それでも長野県と比較すれば多すぎる。なにより心なしか、車の流れが異常に早く、長野の高速道路では体験し得なかった嫌な緊張感が背筋を走る。今まで慣れ親しんでいた山々も今となればどこへやら、代わりと言わんばかりに配置されるビル群は、山にはあった包容感などまるで無く、あるのは閉塞感だけだ。思わず生唾を飲み込んだ。
「大丈夫?」
不安そうな雪菜に、そんなにひどい顔なのかとバックミラーを覗いてみると、そこにはいつもの私の顔が映し出された。ただ、自分でも気づかないうちに、息せぎを切っていたようだ。体力的にはまだまだ行けそうだが、精神的には結構限界かもしれない。事故を起こす前に、休んだ方がいいだろう。
「ええ、ちょっと休ませて貰います。いやぁお恥ずかしい。田舎者なので都会の道は慣れなくていけませんね」
「ずっと運転しているんだもの、疲れて当然よ」
励ますように雪菜は背中を摩り、なんだか安堵のため息が出てくる。同じ姿勢だったのが悪かったのか、身体中が凝り固まってしまったようだ。PAについたら、少し体を動かさなければ。
とりあえず、尾張一宮PAの看板が見えたので、そこで一休みすることにした。駐車場の枠内に車を停め、シフトをパーキングに戻すと、私はため息とともにシートベルトを外して、タバコを吸いに喫煙所へ向かおうと外に足を延ばすと、足に力が入らず、うまく立つことができないのだ。今の私は小学生にも劣る情けない姿になっていよう。生まれたての小鹿とて、もう少し雄々しく立っているものだ。
「ねえ、本当に大丈夫?」
「ええ、少し休めばどうにでもなるでしょう。初めて高速に乗った日もこんな感じでしたし」
「それならいいけど……無理そうなら、私が代わりに運転するわ」
「ええ、その時は頼みます」
動力源が切れた機械のようになってしまった足を、引き摺るように動かして、なんとか喫煙所のベンチに腰を掛ける。こうしてただ座っているだけだというのに息せぎが止まらず、思わずため息が漏れてしまう。長時間の姿勢維持は、エコノミークラス症候群を引き起こすという話は何処かで聞いたことがあるが、もしかして今体験しているこれのことじゃないだろうか。ああ、それにしても辛い。
懐からタバコを取り出し、ゆっくりと煙を吸い込んで、数秒口の中で味わってから吐き出す。うまい、喫煙者にしかわからないこの感覚を敢えて表現するとしたら、疲れに疲れた後に食べるチョコレートの様なものだ。あの甘いチョコレートを食べた時の感覚の五割増程の快感が、今私に襲っているのだ。
落ち着いた所で、何時もの喫煙所からの人間観察に勤しむ。流石名古屋と言うべきか、長野のPAと比べて、施設の充実ぶりと広さは桁違いだ。それに比例して、PAを利用する人数も多く、この喫煙所だって、入れ替わりが激しい。これだけ人がいると、心做しか酸素濃度が低いような気がして苦しく、せめて緑があればと願うが、あるのは植木や街路樹程度で、長野のように山に囲まれているということはまずない。私のような田舎者は、山がないと、何処か不安になってしまう。雪が降ろうが雨が降ろうが、厳しい日光が振り注ごうが視界に確かに存在していたあの雄大な山が見えなくなってしまったら、一体何を心の拠り所にすれば良いのだろうか。あの高くそびえ立つビルではダメなのだ。あれに心を休めることなど、私には出来ないのだ。もしかしたら私は、ホームシックになっているのだろうか。
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