第6話 井田と雪菜

 私は言葉が出なかった。何を思って私の所に来たのだろうか。他にもタバコを吸っている人はいるではないか。それとも、もしかしたら、私が彼女達を見ていたことが、バレていたのかもしれない。決してやましい気持ちがあって見ていたわけではないが、不快な気持ちにさせてしまったのなら、誠意を見せるというのが筋と言うものだろう。私はただ黙ってマルボロを差し出すと、女性は私のマルボロの上に手を乗せた。


「タバコが欲しいなんて嘘、ただ会話の緒を探していただけ。ねえ、貴方私を見ていたでしょう。なんで?」


「………いえ、特に大した理由はありません。ただ、あんなに楽しそうに話し合っているのに、貴女1人だけつまらなそうにしていたので、気になっただけです」


「ふぅん…………そう」


 怪しむでもなく、ただ頷く女に、私は肝を握られているような感触を覚える。私としてはこれ以上に弁明の仕様がない。ただ大きな声が聞こえてきて、見てみれば一人つまらなさそうな顔をしているから気になっただけに過ぎない。味気のないタバコを吸いながら、女性の返答を待つと、急にプッと吹き出した。


「あはは、別にイチャモンつけようなんて考えていないわよ。ただ、私も気になったのよ。死んだ目で辺りを見回しながらタバコを吸う、あなたの事がね」


 ニヤニヤと笑う女性に、何だか肩透かしを食らった気分だ。しかしこの女性はなかなか奇特な人だ。死んだ目で辺りを見回しながらタバコを吸う男を見たとして、気になりはすれど、こうして話しかけに来る人なんてなかなかいないだろう。それこそ、あの他の男達と一緒に行動した方が、私とこうして会話をするよりも百倍有意義な時間を過ごすことが出来るというものではないか。少なくとも私ならそうする。


「それはどうも。しかし、喫煙者ではない貴女があまり此処にいるのも、健康に悪いですし、何より時間の無駄でしょう。お連れの方々に合流した方が宜しいのでは?」


「ああ、いいのよ。つまらないし」


 ああやはり、と言いそうになってしまったが、私は口を閉じた。危うく出しゃばった事をやらかす所だった。お互いの間に沈黙の時間が少し流れ、タバコがフィルターを焼いて、甘い匂いが漂ってきた頃に、私は灰皿にタバコを捨てて、この場を去ろうとした頃、女性に呼び止められた。


「ねえ、貴方ちょっと暇だったりする?」


 暇かどうかと問われれば、どちらとも言えない。特に時間に追われている訳では無いが、目的を達成するには時間が惜しい。まさになんとも言えない微妙な状態だ。ただ、この先こうして話しかけられることがあと何回あるだろうかと考えると、こうしてこの女性と話し合うのは、時間を割くべき案件なのではないか。何より、これで時間が無いと言ったら失礼に値するだろう。


「まあ、少しなら」


「ありがとう。さっき、貴方私がつまらなそうにしていたって言ってたじゃない。なんでそう思ったの?」


「何故って、誰が見てもつまらなそうにしていましたよ。周りの男達は、あんなに楽しそうに、それこそ、若さのままに生き生きとしていたのに、貴女1人は、ずっと真顔でアスファルトを眺めている訳ですからね。これがどうしたら和気藹々としているように見えましょうか、と言ったところですよ」


「ふふ、まあ、そうよね。なんかマンネリなのよ最近。私今年で大学四年だから、大学生最後の一年は、大学生らしい楽しいことをしようってことで、サークルのオスに呼びだされて、東京からはるばる長野まで来たの。戸隠で昼間はキャンプを楽しみながら、夜は星を見て、皆で今後の将来のこととか話し合って、親交を深めていくの、表向きとしてはね。でもね、そんなのは大学一年の時にもやったし、二年の時にも、三年の時にもやったわ。要するに恒例行事ね。しかもこの恒例行事の悪いところは、本来の目的はサークルの結束なんかじゃない。要するに新入生を狙ったヤリモクよ。おかげで私の人生観は大きく狂ってしまったわ」


「……見たところ、女性は貴女しか見当たらないように思えますが、新入生の方は?」


「私が逃がしたの。だって可哀想だもの。もう犠牲になるのは私一人で充分よ」


 なんとも、芯の強い女性だ。過去、救国の英雄達は、彼女のように自己犠牲を厭わずに、窮地に身を投じてきたのだろう。その派手な姿からは想像出来ない、女性としての強さを感じずにはいられない。私は最初、失礼な話ではあるが、その派手な姿から、周りの男と同族の類とばかり思っていた。しかし実際は、その姿はかりそめの姿に過ぎず、弱気を助けるために、自ら道化になることを選んだ、英雄の証だったのだ。


「ふふふ、見ず知らずの人に言うことじゃないわよね。迷惑だったかしら?」


「いえ、貴女の勇姿に感服していたところですよ。並の人間に出来ることではない」


「勇姿………そんな勇ましくないわ。カッコつけているだけ、慣れているような振りをしているだけで、本当は凄く怖いの。手だって震えっぱなしよ」


 そう言って、女性は私に手を見せた。ふるふると小刻みに震え、顔に現れないのが不思議なくらいだ。しかし、彼女は今、その恐怖を噛み殺してまでも、あの男達に付いてきたのだ。その評価が変わることは無い。


「ああ……ダメね。また逃げたくなってきちゃったわ。もうこの話はおしまいにしましょう」


「ハハハ、私ならとっくに逃げていますよ。今でさえ逃げているんですから」



「………ふうん、貴方も訳ありなのね」


 興味あり気にこちらを見る女性に、私は口に手を当てた。別段言っても何も問題がないのだが、人に大っぴらに話すような内容でもない。だが、この女性は、今日あったばかりの私に、人には言い難い胸のうちをさらけ出してくれたのだ。こちらも同じだけ情報開示をするべきだろう。


「訳あり、というほど大したものではありません。ただ、先ほども申し上げたように、私は逃げているのです。私は今年で二十一歳になるのですが、貴女のように大学に進学せず、私はすぐに就職しました。それから三年間、私は社会人というものを嫌になるくらい学び、気づいたのです。私は社会人に向いていないということを。社会人として求められるものは、どれも私にはハードルが高く、そのハードルを越えてまで社会人になりたいという欲求も生まれませんでした。なので、私は社会人という常識から逃げることにしたのです。この世界は意外と寛大です。社会人を辞めようという阿呆な理想を語ったとしても殺されることはありません。世間は私のような者を蔑めはすれど、それ以上のことは何もできず、ただ私を睨んで去っていくだけです。なので、私は自分勝手に逃げることにしました。そして逃げる最中に、私のようなものでも生きていける術を探していく所存です」


「……私は社会に出たことはないけど、なんだかかっこ悪いわね。なんというか、ダサい」


「ええ、今の私は間違いなくかっこ悪いでしょう。しかし私は、そのかっこ悪さを甘んじて享受しようと考えているのです。その代わりに、こうして私は自由な時間を与えられるのですから。自由というものには答えがなく、必ずしも救われるわけではありません。しかしながら、自由というものがなければ、私が求める答えにたどり着くことはできません。なので私は、誰に何を言われようが、この旅を辞めるつもりはありません」


 女性は私の話を、少し訝し気に聞き、どこか納得していないようだ。当然と言えば当然だ。世の中の大半の人は、私とは違い、何の躊躇いもなく世間が求める社会人を目指すだけの勇気があるのだから。今、この女性と私の意見が共有できなかったとしても、それは仕方のないことなのだ。


「……ちょっとここで待ってて」


 突然女性はそう告げると、駐車場に向けて走り抜けていき、しばらくすると、どういう訳だかボストンバック片手に戻ってきた。少し息せぎを切りながら、私が声をかける前に、女性は口を開いた。


「私、今の貴方の話を聞いても、逃げることがそんなにいいことのようには思えない。皆やりたくないけど、社会の為、家族のために身を粉にして働いている中で、貴方はその人達を尻目に自由を謳歌しようとしている。到底許されることじゃないわ。でもね………私も、出来ることなら、今みたいにずっとカッコつけて生きていたくない、もう疲れていた所なの。逃げたかった所なの。ねえ、私もその旅に連れていってくれない?」


 いよいよ彼女は病気らしい。連れていく? 今出会ったばかりの私と共に? 正気の沙汰じゃない。私は男故、例え1週間風呂に入らなくても、連日車中泊の毎日でも、耐え抜く自信がある。しかし、彼女は女だ。1週間風呂に入らない女など想像できるか? 硬いシートに寝っ転がって、朝を迎えるのか? しかも、この私と共に。良俗秩序に反した、非現実的な話だ。


「………私の名前が、貴女にわかりますか?」


「何を言っているの? わかるわけないじゃない。今出会ったばかりなのに」


「そうですよね、わかるわけがない。今出会ったばかりですから。にも関わらず、貴女は私と共に旅に出ようとしている。私が実は全国指名手配されている犯罪者ならどうしますか? 私がネクロフィリアで、貴女を車で殺す計画を立てていたとしたら? そうでなくても、貴女のお連れさんのようにケダモノだとしたら? 私に着いてくるのは、あまりいい事じゃないですよ」


「浅井雪菜」


「は?」


「浅井雪菜、私の名前よ。貴方は今、私の名前を知ったわ。私が今大学四年生なのも、今夜には輪姦されることも。そして私も貴方のことを知ってるわ。社会人に向いていないから逃げ出していることも、私より一つ年下なことも、大学に通っていないこともね。私達は確かに今出会ったばかりよ。でも、これだけお互いのことを知っている、もうお互い赤の他人ということはないわ」


「いや、そういうことでは……」


「お願い、迷惑はかけないし、お金も自分で出すわ。私もずっときっかけを探していたところなの。このまま自分を演じ続けながら生きていくのは、もう耐えられないの。図々しいことを言っているのはわかるわ。でも、どうか……!」












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