第4話 自由人井田誠

 あの後も、部長との全く発展のない不毛な議論が続き、そこに社長も参戦して、やっと解放された時には昼の12時を回っていた。社長や部長が、社会人としての有能なのはもう充分理解出来た。だからもう放っておいて欲しいと心の底で何度も思ったが、彼らがそれを理解するのに半日も掛かってしまった。こんなに価値観の差が開いていると、最早異星人と会話しているのではないかとさえ思う。とは言え、こうして無事に家に帰ることが出来たのだ。もうあの会社のことを考えるのはよそう。今日から私は、ドロップアウト1年生、井田誠となったのだから。


 玄関のドアノブを回すと、ガチャガチャと鍵がかかっているようなので、合鍵でドアを開けて中に入った。家の中はまるで人の気配が無く、主を失った寂しげな玄関が私を出迎えた。昼の12時となれば、両親ともにまだ働いている時間だ。誰かがいるわけが無い。そのまま自室に直行すると、背負っていたリュックをソファーに投げつけ、一つ溜息を吐いた。さて、この後何から始めるべきであろうか。取り敢えず、旅立つ準備をするべきなのだろうが、持っていく物なとせいぜい服とスマートフォンと充電器、そしてタバコくらいだ。それくらいならば、用意するのに大した時間はかからない。ならば、旅立つ前にこの実家で成すべき事をなすのが先決だろう。何せ、当分帰ることは無いのだから。


 まず優先すべきことは何か、それを導き出すには、スティーブン・ジョブズの提唱した、今日が人生最後の日だと思って行動するという方法を取ることにしよう。今日が人生最後の日となるのであれば、私は一体何をするだろうか。最初に頭に浮かんだのは友の顔だった。石田から始まり、最近顔を合わせていない高校時代の友人、果ては中学時代の友人も浮かんでくる。そうだ、まずは友人達に、暫しの別れを伝えに行こうではないか。早速私はスマートフォンを取り出し、LINEを開くと、友達欄にいる中高生時代の友人達に、片っ端から旅立つ旨の連絡を送った。流石にこの時間ともなれば、既読をつける者は誰もいない。平日の昼間ともなれば当然だろう。皆、仕事があったり、学業があったりと、それぞれのやるべき事があるのだから。


 待つこと数十分、会社用に使用していたリュックの中身をひっくり返し、代わりに着替えとなる衣類等の荷物を詰め込んでいると、スマートフォンが震えた。早速LINEを起動してみると、最初に返答したのは、予想通りと言うべきか、石田が一番乗りのようだ。返答としては、何時頃に出発するのかと言った内容で、本来の予定であれば、明後日にでも出発しようかと思っていたのだが、朝のイザコザのお陰で、明日には出発する事が出来そうだ。余り実家に長居すると、両親にも迷惑だろうし、ニートを家に置く義理も両親にはないだろう。


 明日の朝方頃に出発すると連絡すると、石田はただ一言、了解とだけ返事をした。これ以上こちらから返答することもないので、スマートフォンの画面を暗くし、机の上に置いた。次に反応するのが誰なのか、実に楽しみだ。


 しかし、これで当分実家には帰らないとなると、目に映る物が全て感慨深くてしょうがない。今まで当たり前のように出てきた飯にありつけることもなければ、この寝心地のいいソファーやベッドに横になれるかどうかすらわからない。何せ、今回の出雲大社までの旅路には、何時頃に帰るかなどと言う予定は、一切考慮されていないからだ。最終目的地は出雲大社だが、途中に寄れる所があれば寄りたいし、何処か気に入った土地があれば、しばらくそこで滞在する可能性だってあるのだ。一体どのような結末を迎えるのか、自分でも想像がつかない。


 そうなると、金銭面の問題も出てくる。旅費は、今まで貯めてきた貯金95万を使う予定ではあるが、この金額で旅をしたとして、どんなにもったとしても、快適な旅を続けようと思ったら1年かそこらが限界だ。そうなれば、何処かで日雇いか、アルバイトでもしなければならないだろう。社会人に向いていないから社会人にならずに生活する術を見つける旅路だと言うのに、働くとはこれ如何にと言ったところだ。


 ふいにインターホンが鳴り、宅配便でも来たのかと私は玄関に向かい、鍵を外してドアを開けた。ドアの向こうにいたのは、どういう訳だが、有坂が立っていたのだ。時刻は昼の12時半、いつもなら昼休憩のはずだ。貴重な昼休憩の時間にわざわざ退社した私の元を訪ねるということは、大方部長や社長に言われて来た使者と言ったところだろうか。しかし、外に止めてある車を見ると、会社の車ではなく、有坂の自前の車だ。いよいよ訳がわからなくなってきた。


「よう」


 有坂はぶっきらぼうに挨拶し、私もああ、とだけ返した。思えば、有坂が私の家に訪ねてくるのは初めてのことだ。私は有坂が嫌いな部類なので、私が招くことが無いのが一番の理由だが、有坂に住所を教えた覚えはなく、恐らく社長辺りが私の住所を漏らしたのだろう。今の時代、住所さえわかればスマートフォンが勝手に案内してくれるのだ。実に迷惑だ。


「何のようだ。あんまりここにいたら、貴重な昼休憩がなくなるぞ」


「お前さ、21歳にもなって恥ずかしくないの?」


 私の質問に答えることなく、いきなり自分の話を始めるのは有坂の十八番ではあるが、開口一番に何を言っているのだろうか。有坂は、出会い頭に「お前さ、21歳にもなって恥ずかしくないの?」と言い出して、まともな会話が始まるとでも思っているのだろうか。正直、一秒足りとも有坂の相手などしたくないのだが、今日で有坂とも当分会うことはない。ならば、有坂の気が済むまで話し合ってやろうではないか。


「あ〜恥ずかしいって、何が?」


「聞いたぜ? お前社長や部長の前で、私は社会人に向いていないので辞めますとか言ったらしいな。お前マジで世間知らずだな、そんな言い訳聞いたの、ゆとり世代が騒がれていた時以来だわ。もう部長と社長が会社でめちゃくちゃ怒ってたぜ。いやーなんだか聞いてて可哀想になっちまってさ〜。ちょっと俺もお前に説教でもしてやろうかな〜てな。ちょっとした老婆心だ」


 もはやむかっ腹が立たない程意味不明な有坂の動機に、なんと反応していいのやら解らない。そもそも、そんな事をわざわざ言いに貴重な昼休憩をつかってまで来たのだとしたら、有坂は生粋の大馬鹿なのだろうか。何にせよ、想像以上に下らない話が始まりそうだ。聞いてやると決心したが、とこまで聞き続けられるか不安になってきた。


「そいつは有難いな。だが、お前の昼休憩を無駄にしてまで説教されたら、恐縮すぎて飯も喉を通らないかもしれない。だから、話すなら端的かつ短く纏めてくれ。どんなに長くても10分位にしてくれよ?」


「働いていない奴が口答えすんな!」


 突然怒声をあげ鼻息を荒くする有坂に、私はつい溜息を吐いた。ちょっとでも物事が上手くいかないと直ぐに癇癪を起こす、有坂の数多い悪いところの一つだ。大したことのない現実の自分を直視しようとせず、自尊心が身丈以上に膨らむと、自身より社会的に弱い者、又は何かしら失敗をして意気消沈している者をわざわざ探し出して鬼の首を掴んだかなように声高に晒し上げ、それでも上手くいかないとこうした癇癪を起こすようになるのだろうと、ここ3年で考察してきたが、対策までは考えていなかった。


「お前は今日、意味のわからない理由で自分勝手に会社を辞めた弱者! 俺は逆に今日まで会社で働き、社会に貢献してきた強者! その強者である俺の話を聞くのは当然のことだろ!」


「おおそうか、それは初めて知ったな。一つ新しい知識を俺に教えてくれてありがとう。ただ、そのルールに俺は従うつもりは毛頭ないから、さっき言った通り言いたいことは10分で纏めてくれ。従えないなら帰ってくれ。そこまでお前に付き合う理由は俺にはない」


「はぁぁ!? お前俺の話を聞いていたのか! それとも馬鹿なのか!」


「馬鹿かどうかは私が決めることじゃないから、お前が勝手に決めてくれ。それよりも、さっさと10分に纏めろ。周りを見てみろ、お前が騒ぐから近所迷惑になるだろうが」


「だから口出しするな!」


 いつまでこいつと会話を続けられるか不安であったが、もうこれは会話などではない。会話でないのなら、これ以上こいつに付き合う必要も無いだろう。そうとなれば、さっさと御退場願うのがお互いの為だろう。


「もうこれ以上、俺はお前に付き合うつもりは無い。さっさとお前の大好きな会社に帰れ」


「黙れ!」


 有坂の反論を完全に無視して、私は玄関の扉を素早く閉めて鍵をかけた。鍵を閉めても、有坂はB級ホラー映画のように、騒ぎ立てながらバンバン扉を叩き続け、最早哀れみすら感じてくる。まるで聞き分けのない子供のように振る舞わってでも、私に話を聞いてほしいと言うのだ。しかし、私はその話を聞くつもりが全くない。これが哀れみを感じずにいられるだろうか。この有坂という男には、それだけ自身の話を聞いてくれる人がいなかったのだろうか。だが、私はもう有坂の話を聞くつもりはない。会社を辞めた私と有坂を繋ぐものは、もう何も無いのだから。


 有坂を無視して自室でスマートフォンを使い、ネット動画を見始めて10分、有坂の休憩時間の限界が訪れた。そろそろ会社に戻らねば、午後からの仕事に支障をきたす可能性がある。流石にその事は頭にあったようで、吐き捨てるように言葉として判別できない罵声を叫んだ後、勢いよく車のドアを開けて、逃げ去るように帰路についた。まるで台風のような男であったが、帰ってくれて何よりだ。なんやかんや、これから旅立つ私には相応しい実家最後の日なのかもしれない。


 ネット動画を見るのを止めて、1度LINEを起動してみると、チラホラと反応をする友人達がいた。反応は皆、いきなりどうしたと言った驚きの声ばかりだ。事前に知っていた石田を除けば、当然の反応なのだろう。友人達それぞれに、感謝の言葉と別れの言葉を送り、再びスマートフォンの電源を落とすと、ソファーに寝っ転がり、暫し昼寝と洒落込むことにした。ココ最近、色々と周りの環境が一変するとこばかりで疲れたのか、結構眠い。遠足前日の小学生のような心境と共に、両親が帰宅するまで、眠ることにしよう。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る