第2話 井田と休日

 休日とは実に、ありがたいようで嫌になるシステムだ。一週間で五日働き、二日休んで次週また働く。正月、ゴールデンウイーク、盆休みと例外を除けばこのサイクルで生活することになるわけであるが、このサイクルの嫌なところは、労働に対して休む日があまりにも少なすぎる点にある。しかも、この二日の休日の存在意義というのは、来週の仕事に備えての休息というではないか。仕事のために休む?たかだか飯代を稼ぐために嫌々仕事をしているに過ぎないというのに、その仕事の為に休日を過ごさないといけないのだ。世の中の社会人の方々は、何の疑問も抱かずに立派に勤め上げているが、私のような社会不適合者には、到底納得のいく理由にはなりえない。そんなことに一々疑問を呈するような器の狭い私が悪いのかもしれないが、私という人間が生まれてきたからには、この先も疑問を覚えずに生きていくことなど、到底できないだろう。


 そんな私は、休日を素直に楽しむことができず、いつもその心の引っかかりを解消するために、様々なことに取り組んだ。ちょっとした遠出は気分転換に最適だと言われれば、愛車を転がして温泉日帰り旅行を決行し、趣味に没頭すれば、仕事の事を忘れられると言われれば、ビットコインのチャート表示と関連情報の収集、そして指南書の朗読に明け暮れたこともある。しかし、どれも真の解放とは言えず、頭から仕事の事を完全に消し去ることなど出来なかった。これが大恋愛の異性なら、人生の素晴らしい輝きとして、今後の糧になるであろうが、現実は嫌な仕事から如何に逃げ切るかなので、輝きではなく只の怠惰だ。しかもこの怠惰こそ私にとって目下一大事だと言うのだからタチが悪い。


 様々な解決策を求め、そして一つの答えを出した。それは、仕事を意識するから仕事から逃れられない、という結論だ。仕事から逃れるという行為を一生懸命に考え続けるが故に、仕事が頭から離れないのだ。その事に気付くのに、2年近くかかってしまった。その時の絶望と無力感たるや、口では到底言い表せるものではない。その事を丁度休日が被って我が家に訪れていた石田に話してみると、石田はただ一言、笑うことも嘲ることも無く、ただ一言告げた。


「馬鹿か?」


 その一言は正に今の私を言い表すに相応しいだろう。このような結論に脱するまでに2年もの年月を費やしてしまったのだから、馬鹿以外の何者でもないだろう。自傷気味に笑い声をあけた私に、石田は眉を顰めた。


「お前、多分考えがズレているぞ。俺がなんで今馬鹿だと言ったと思う?」


「ハハハ、そりゃあ結論にたどり着くのに2年も費やしたからに決まっているさ」


「違う、結論に達しているにも関わらず、行動に起こしていないからだ」


 行動に起こしていない? それは一体どういう意味だろうが。この結論から一体どんな行動を起こせばいいと言うのだろう。むしろ、この結論に達してしまっているのに、起こせる行動など存在するというのだろうか。私が石田の真意に頭を悩ませていると、石田は呆れたように語り出した。


「お前は確かにどのような行動をしても、決して仕事から逃れることなど出来ないと結論を出した。ならば、もっと根本的な所で解決するしかないだろ」


「………ああ、なるほど」


 私が納得したように頷くと、石田は顔を歪めて頷いた。つまり、石田がいいたいのは、仕事をやめてしまえと言っているのだ。そういうことなら、確かに早い段階で結論など出ていることになる訳だが、何度も言うように、それが出来るほど、私には覚悟がない。その事は石田もよくわかっているはずだ。


「石田よ、それが出来たらこうして君にグチグチ零したりなんかしないさ」


「なら、もうこれ以上話すことなどない。結論は出ていて、それに対して行動することが出来ないのならば、何を話しても無駄だ」


 反論の余地もない石田の主張に、私は少し苛立ちを感じながらも、机の上に置いてあるタバコを手に取り、火をつけて勢いよく紫煙を吐き出した。一体私は何に苛立ちを感じているのだろうか。これ以上議論の余地がないと石田に言われたから苛立っているのか、それとも、ろくに職にも付いたことが無いくせに、いけしゃあしゃあと何もかも分かっているような口振りの石田の態度に苛立っているのだろうか。いや、おそらくそのどちらでもない。結論として出た仕事を辞めるという解決策を、実行することの出来ない、私自身に苛立っているに違いないだろう。解決策とは、実は明快であるが、当の本人には大体実現しづらい物事である事が大半なのだから。


「そもそも、仕事を辞めることの何を恐れているのか解らない。世の中命まではとらないだろう」


 石田が不思議そうに私に訪ね、私はまた紫煙を吐いた。むしろ仕事を辞めることの何が怖くないのかというところだ。確かに、仕事を辞めたところで命まで奪われることは、余程のことがない限りないだろう。しかし、社会的に見て、無職というものは蔑まれる対象であり、それだけで済めばまだいいが、職がなければ金は手に入らず、愛車だって維持することは出来ないだろう。家族からの視線だって決して良くはない。しかし、石田はそのような事は考慮に値しないと言う。


「身の程以上のものを持たないことが、人生において楽に生きる秘訣だ。大体社会的だの世間だの、そんなものがお前の力になった事が今まであったか? 何かあれば直接関係ないのに文句を言うだけ言って、最後に何もしないのが世間様だろ? そんなものに義理立てする必要なんかないだろ」


「そうは言っても、現実そうは…………」


「俺を見ろ。世間様から見て俺という存在はゴミクズ以外の何者でもない。だからこそいいんだ。俺は何者でもないが故に、小説家という夢を追いかけることが出来る。何者でもないが故に、俺の人生を俺が決めることを許されるんだ。さあ、お前はどうだ? お前は自分でも不向きとわかっていながら、無理矢理社会人という名前を手に入れて満足か? 他に何か、やりたいことがあるんじゃないか?」


 やりたいこと、私はそう言われて頭を垂らした。小さい頃は確かにいろいろあった。サッカー選手やら宇宙飛行士やら、それは色々とあった。しかし今となっては、興味も無ければ、なることも出来ない。正に夢幻だ。故に、今の会社に入ったとも言えるのだ。その私に、夢があるのかと言われれば、なかなか思いつかない。会社を辞めたとして、叶えたい囁かな夢となれば…………ああ、そう言えばある。


「出雲大社を見に行きたい」


 ぽそっと口から出てきたその言葉に、私は何故か高揚感を覚えた。そうだ、会社を辞めれば自由になるのだ。そうなれば、まずは旅行がしたい。貯金が許す限り、私は旅に出て色々な場所を見て回りたいのだ。そして、その時の感情を多くの人に伝えていきたい。そう、まるで石田が目指していた、小説家の様に………。


「出雲大社が見たいのか?」


 石田は嬉しそうに訪ね、私は力強く頷いた。ああ、私には確かに夢があった。ほかの人からしたら、些細で取るに足らない夢かもしれない。しかし、私からしたら、これ以上ない至上の夢だ。それこそ、社会人の名前を捨て去るに値する、大きな夢だ。


「誠、本気で言っているのか?」


 突然横槍が入り、誰かと振り向くと、父、井田斉次が部屋の入口で、神妙な面持ちでこちらの話を聞いていた様だ。斉次の表情に、私は先ほどの高揚感が一度に解け、徐々に現実感と世の中の摂理に切り替わるのをじわじわと感じた。決して父は息子である私を頭から否定することはないだろう。しかし、だからと言ってこの私の主張を、はいそうですかとすんなり受け入れることもまた有り得ない。親の愛が勝るか、私の社会不適合者の主張が勝るか、仁義無き主張合戦の始まりだ。


「いつから聞いていたんだい?」


「会社を辞めたい旨のあたりからだ。誠、別に会社を辞めなくても出雲大社に行くことは出来る。そこまで早まら無くてもいいんじゃないか?」


「父さん、違うんだ。私は出雲大社に行きたいから会社を辞めるんじゃない。社会人の性分が合わないから、会社を辞めたいんだ」


「社会人の性分?」


 斉次は、嘲笑うでもなく咎めるでもなく、ただ息子である私の話に耳を傾けてくれた。この、社会人の性分などという不適合者丸出しな単語に真剣に聞き入ってくれるのは、恐らく私の父か石田くらいだろう。


「うん。日本社会が求めているような、従順で、勤勉で、労働意識の高い人間こそ至高という性分さ。私はそんな人間になれるような気がしない。私は怠け者だ、いつも会社を辞めて自堕落な生活をする事しか頭にない。会社の上司に忠誠心や憧れを抱いたことも無ければ、仕事を第一に考えたらことも無いんだ。だから私は一瞬でもいい。社会人として生きずに、人生を生きていく術を、見つけてみたいんだ」


「………それが、出雲大社を見に行くことに関係するのか?」


 当然ではあるが、私のダメ人間論法を聞いて、斉次は更に頭を悩ませている様だ。父、斉次の反応こそが、社会人という性分と真摯として向き合って生きてきた社会人としての、模範となるものであろう。しかしそれでも、私の話を理解しようと頭を悩ませてくれているのだから、我が父斉次はやはり、人として出来ているに違いない。


「誠、社会人としての適正に沿った人間など、恐らくこの世にはいない。父さんはお前くらいの時はまだ大学生だったが、この先迫り来る就活に同じ事を考えていたよ。でもどうだ、そんな適正が無くても父さんは56の今でも社会人として務めあげているんだ。そんなに気張らなくても、社会人などなんとでもなるもんだよ」


「父さん、違うんだ。もうそんな生易しい水準の話じゃないんだ。仕事が辛いとか、人生に悩んでいるとか、人間関係が嫌だとか、そういう事じゃないんだ。社会人が嫌なんだ。なんなら小学生に戻りたいレベルなんだ。二十歳を超えた大人の責任とか、至極どうでもいいんだ。私は、太宰を超えた人間失格者なんだよ。取り敢えずそういうことにしておきたいんだよ!」


 見よ、これが今年二十一歳になろうと言う一日本男児の情けない主張である。しかし、私は今日、今この瞬間に確かに変わることが出来た。石田のように、自我の主張を確かに表にだしたのだ。父よ、私のことを幻滅しただろう。手塩にかけた息子の堕落ぶりに、軽蔑の念を覚えただろう。なんとでも思え、どんどこい。私は何を言われたとしても受け入れる覚悟が今はある。


 暫くの沈黙の宛、斉次は呆れたようにため息を吐くと、いつものように、慈愛に満ちた眼差しで私を見つめ、優しい口調で口を開いた。


「…………誠、今年で幾つだ?」


「二十一だよ」


「誠は今年初めて二十一を迎えるわけだ。そして来年は二十二、そのまた来年は二十三だ。二十一は人生に二度来ることは有り得ない。にも関わらず、二十一歳らしく振る舞うなんて、そもそも馬鹿げたことなのかもしれないな……誠、好きにしなさい。誠が後悔しないと言うのなら、父さんは何も言わないよ」



















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