ドロップアウト1年生

成神泰三

第1話ドロップアウト1年生、井田誠

 会社に行きたくない。目が覚めて最初に思うことはいつもそれだ。例え休日に目が覚めたとしても、いつも会社の事を思い出してしまう。それだけ私にとって、会社という組織は肌に合わないのだ。

 しかし、それは別段私だけに限った話ではないだろう。誰しも出来れば会社になど行きたくないし、会社に貢献したくてたまらない、もしくは出世欲と意欲の塊のような人物がいたとしたら、それは私には眩しすぎて目を開くことすら叶わない存在だ。

 それにしたって、これだけ駄目な性格なのだ、如何に私が社会人に向いていないか分かっていただけるであろう。この話を我が悪友、石田に話すと必ず、顔を歪めて言うのだ。

「なら、辞めてしまえばよかろうもん」

 簡単に言ってくれる。しかし、そう簡単に辞められたら愚痴など零しはしない。私は石田のように、簡単に安定を捨てる覚悟などないのだ。

 石田は我が友にしてなかなか奇天烈な発想と行動力の持ち主だ。高校を卒業してすぐに就職した私とは打って変わって、石田は半年ほどニート生活を送っていた。私は今までニートとの知人がいなかったこともあり、興味本位で、石田にニートの生活とはどのようなものなのか何度も尋ねた。石田曰く、昼過ぎごろに目が覚めて、起きても何もすることもなく、働いてないので金もなく、毎日部屋に散らばった牛乳パックをピラミッドのように積み上げては壊す事を繰り返す日々を送っていたそうだ。最初その話を聞いた時は、腹を抱えて笑ったが、半年間で覚えていることがそれだけしかないと言われた時は、その膨大な時間の浪費を想像して寒気を覚えた。

 そんな過去を持つ石田だが、ニート生活に飽きたのか、今は私立の大学に行こうとアルバイトで学費を稼ぎながら努力している。大学を出た後どうするのかと聞いてみると、小説家になりたいそうなので、またフリーター生活に戻るそうだ。大学を出てまでやることなのかと家内から反対の声も上がっていたらしいが、本人は家内の反対などどこ吹く風で全く聞く耳を持たず、まさに自分の人生を歩んでいるといった様子だ。

 私は石田がうらやましい。ニート生活などただの恥でしかないはずなのに、それを隠すどころか大っぴらにさらけ出し、さらには自ら笑いものになってもいいと、小説家という夢の為に、安定した生活を切り捨てると豪語するのだ。私には到底できない、自我の主張だ。

 私には到底できない。だから今日も今日とて、作業服に身を包み、会社に足を運ぶしか、私には選択肢はないのだ。

 朝の寒気がまだ残っている頃に、家の庭に止めてある車のドアを開け、エンジンキーを差し込んでひねると、私の愛車は、まるで私の意志を反射したかのように、嫌々エンジンを震えさせた。そうか、お前も会社に行きたくないのかと私は笑って見せるが、誰に対して笑っているのかを考えると途端に白け、会社への旅路に付くのであった。

 家から会社までそう遠くはない。本当に早い時は五分ほどで会社に付くだろう。その短い距離をあえて車を使う理由としては、車でも使わないととても会社にたどり着く気力は沸いてきそうにないからだ。それだけ私は会社と、しいては社会人というレッテルにそりが合わないのだ。

 会社まで三つの交差点があり、最後の交差点に差し掛かると、信号が赤になったので、私はゆっくりとブレーキを踏んだ。この最後の交差点で私はいつも、会社とは逆方向に曲がった時の未来を妄想する。もし、ここで会社とは逆方向に曲がれば、一体どんな未来がっているのだろうか。会社を遅刻し、上司が私のスマホに連絡を入れることになったら、私はなんと返答するのだろうか。バカ正直に、会社が嫌になったから逃げましたと言うのか。それとも、家内が不慮の事故で倒れましたと、馬鹿馬鹿しい嘘を宣うのだろうか。どちらにせよ、まともな未来はありはしないだろう。いや、しかし、もしかしたら………。

 考えているうちに、目の前の信号が青に変わり、私は反射的にハンドルを会社に向けてウインカーを照らし、アクセルを踏んだ。私にそんな大それた事が出来るわけがない。反射的に体が動いた時点で、結果は目に見えている。自己嫌悪に陥りながらも、私は会社の駐車場に到着し、車を停めた。


「…………以上で、朝礼を終わります」

 いつもの部長の合図とともに、私を含めた社員はバラバラに散らばった。 私は最近部長と共に仕事をすることが多く、朝礼を終えると部長と共に、作業に従事するのが日程だ。


 部長とは特段仲が言い訳でもなければ、お互い嫌いあっていると言うわけでもない。ただ、お互いの仕事に対する意識が全く違うのだ。私は、言わずもがな社会人不適合という性分に対して、部長は仕事に意欲的かつ、向上意識がある。家族の為、社会の為、またその責任からそのような意識が湧くのかもしれない。私には到底出来ない、ある種の才能なのかもしれない。私には真似することもできず、また、理解することも理解する気力も起きない。守るべきものがあれば、私にもわかる日が来るのだろうか。


「もっと手早く円滑に仕事をこなせ」


 また言われてしまった。今年になって入社3年目になった私だが、言われることは新入社員の時と全く同じだ。そんなに私の作業は進歩していないのだろうか。私の主観からすれば、少なくとも入社当時よりは格段に仕事をこなせるようになったと自負しているのだが、部長が私くらいの年齢の時は、更に効率のいい仕事をしていたのだろうか。部長の求めているレベルが解らない、いや、わかったとしてもそのレベルに達するのにかなりの時間を費やさないような気がしてならない。私はあとどれだけこの会社で働けるのだろう。ああ、また嫌になってしまった。


「すいません」


「すいませんじゃすみません。社会人なら、普通は人から教えられるんじゃなくて、自分で学んでいくもんだろが。俺ぐらいだぞ、こうやって教えるの。ここは学校じゃないんだからな、お前も三年目なんだからしっかりしてくれよ」


「はい、すいませんでした」


 一つため息を吐くと、部長は自分の仕事にぽてぽてと戻って行った。心にも無いことを言ったせいか、余計に怒られてしまった。だが、部長の言うことは最もだ。ここは学校じゃない、お金をもらって、その対価として労働する場だ。お金をもらう立場にも関わらず、更に教育も施せとなれば、企業側からしたらとんでもない話だろう。まさに正論だ。


 しかし、果たして私はそんな社会人の常識にいつ適用できるようになるのだろうか。部長の話を聞く限り、社会人の鉄則は私には荷が重い気がしてならない。その苦しみを負ってまで身につけたいという意欲がこれっぽっちもわかない。ならば、いっそのこと………。


 そうして見上げた窓の外に映る空は、皮肉なことに何処までも澄み渡った空だった。その場に誰もいなければ、笑い転げる程に。きっといつか、空を見て今日を思い出すだろう。


 仕事も昼休憩になり、会社の詰所に戻って昼食となった。私はこの昼休憩も好きになれない。飯の時間は楽しくあるべきなんだろうが、ここで飯を食べるとどんなうまい飯も味気ないものになってしまう。その理由の一つとして、私の唯一の同僚、有坂の存在がある。


 有坂はどんな人間かと言えば、短くまとめるにはなかなか難しい。それだけ私に様々な衝撃を与え、そして自身の人生の幸福さを感じさせた人物だからだ。それでもあえて有坂を短くまとめるとするならば、有坂の相手をするものは、総じて有坂手当を会社から受け取るべき、そんな感じだ。有坂は私と同い年であり、今年21歳になるにも関わらず、その言動行動は中学生、もしくはそれ以下である。有坂の口から出る話は大体、一昨日聞いたようなマンガの話か、とるに足らない自慢話ばかりだ。まるで人間性に興味を感じさせない風体と形に、膨らみすぎた自尊心、それが有坂の全てだ。そんな人間と如何なる理由があろうと、関わらないといけない理由が発生してしまったのなら、その手当を受け取るのはこれ当然。そう言い切ってもいいほど、有坂という男は、人として欠落部分が多い人間だ。


「おお、井田も帰ってきたのか」


 何食わぬ顔で有坂は私の隣に座ると、はぁ〜あ〜と大きなため息を吐き、自身の疲労ぶりを見せつけるかのような態度である。どのように生きてきたらこのような人種が生まれるのか度々思うが、そんなことを考えた所でどうにもなるまい。私はいつものように、ああ、お疲れとだけいい、これ以上会話が発生しないように務めた。しかし有坂は、聞いてもいないのに何の脈絡もなく口を開いた。


「そういや、この前好きなマンガの総集編がコンビニで売ってたんだけどな?」


 始まった、有坂流のマンガ談だ。有坂との会話で1位2位を競う苦痛を伴う会話、それがマンガ談だ。普通、マンガの話となれば、あのキャラクターのここがいい、又は作者がマンガを書くまでに至った制作秘話など、話題を繋げやすい会話に発展するものだが、この有坂のマンガ談には大きな欠落がある。それは、マンガの内容をただ説明するだけなのだ。キャラクターの魅力、作者の魅力、作風の魅力、世の中にどのような影響を与えたのか、そのような部分を伝えることなく、ただ好きなマンガの内容を話すだけだ。一体その話の何処に興味を示すものがいるのだろうか。私が聞いたならまだしも、マンガの内容など、有坂が話さなくても興味があるのであれば自分で本屋に行って買うわけで、また有坂がそのマンガのファンで有れば、内容を話すのではなく、ちょっとしたあらすじと魅力を宣伝すべきではないだろうか。この会話力の無さに、最初はなんとか会話を広げようとしたが、いつまでも話に変化がないので諦めるようになった。それに有坂もマンガ談がしたいのではなく、ただ自身の話を聞いてほしいだけなのだ。故に、私は毎回、ああ、そうか、といった気の抜けた返答をするしかない。だが、それでも会話が終わらなそうになれば、必殺の呪文を唱えればいい。


「有坂、マンガの話はもういい。たまにはお前自身の話をしてみてくれ。お前の身の回りの、面白い話だ」


「………え?」


 こう言うと、有坂は途端に口を閉じ、困ったような表情を見せる。それもそうだろう、聞き手の時間を無意味にむしり取るような会話しかできない人間は、どうしようもないほど暇で取るに足らない人生しか経験してないのだ。それは私もそうかもしれないが、私自身は私の人生を取るに足らない人生などとは思わない。石田を始め、奇天烈かつ個性豊かな友人に恵まれ、家族も愛情を惜しみなく私に注ぎ、何不自由ない生活を送ることができた。故に、赤の他人に私の人生について語ってみろと言われれば、その人を抱腹絶倒させる自信がある。その自信が私に語彙力と会話術を与え、人よりも話上手になることが出来たのだ。ただ、社会人としての素質は得ることが出来なかった訳だが。


「…………まあ、それで話の続きなんだけど〜」


 なんと、必殺の呪文を聞いてなお、その話を続けるとはどういう神経をしているのだろう。ある意味才能と評価出来るだろうが、誰も望みはしない才能だ。私はさっさと弁当を食べ終わると、早々に机に突っ伏して不貞寝に勤しむことにした。


 それから午後の変わらぬ仕事も終わり、日が落ちて暗くなった道路を、実家の私の部屋まで周りに目もくれることなく自室に戻った。至福の時間の到来と言いたいところだが、寝る時間を考えればいいとこ6時間と言った所、あまりにも少なすぎる。さて、私はこの生活を40余年ほど続けなければいけない。しかし、本当にそうなのだろうか。もしかしたら、抜け道があるのではないだろうか。そう、社会が忌み嫌う、ドロップアウトとか……。





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