第12話【対峙】
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十月二十四日(火)
冬入りの午前五時は明るさで言えば深夜と同義である朝だけど暗い矛盾の刻。当然、暗闇に包まれたままの星の杜第一中学校、子供たちを待つ箱は静寂を保っていた。あと一時間もすれば鍵開け担当の教員が現れる。今自分、宿直なんてない。全てを警備会社が一括で管理をしてくれているのだ。廊下の天井に点々と設置され、普段は薄い緑色を保っているそれが安心の印であった。しかし、今日はその明かりが灯されていない。
静寂を破ったのはガサガサというノイズのような雑音だった。何かを押して引いて地面をする音。わずかに残っている粒の荒い砂が石造りの土間と段ボールの間でこすれるような音。姿を見せたシルエットは間違いなく子供である。闇に紛れるままに小窓から校舎内に這い出すと小脇に抱えた小さな包みを確認して階段を登る。
二階の廊下の警備装置が切られているのを踊り場からそっと確認すると早足で歩き出す。そして、廊下端に位置する四組から遡ること二クラス。目的はもちろん二年二組だ。
そっと引き戸を開けると影はお目当の机を目ざとく見つける。もう、五回目である。ここまでの手つきは慣れたものだった。
早速机の前に立つと乳白色の薄い防水の素材で作られた包みを抱えた腕の上でそっと広げる。そこに顔を出したのは赤々とした生肉である。それを躊躇することなく勉強机の上に無造作に落とす。ベチっという湿っぽいものが落下着地する音が静かに教室中に響く。
そして、影はその両手を生肉に伸ばすといつもの形を作り始める。ただ、この円錐形に特に意味はなかった。儀式めいた不穏さがプラスされるのではないかという初日に即興で思いついたものだった。さすがにホルモンに関してはそれに習うことはできなかったが。
慣れた手つきで生肉を形作り、いささか鋭い盛り方をしたローストビーフ丼のような生肉の山が完成した。影の肩の力が抜ける。その時だった。
「やっぱり先輩が犯人でしたか」
暗闇から響くまだ声変わりもし切っていない柔らかな少年の声。
「私を試したのね、あなた」
声の出所もわからないまま、朝川陽子は答える。声の相手はわかっていた。
次の瞬間教室の電気がつく。教室の前の入り口、スイッチの部分には探偵夏目隼斗が立っていた。そして、後ろの入り口からは茂森篤夫が入ってきてさりげなく彼女の退路を断つ。篤夫の後ろには丸山少年がいた。
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ。こちらとしても一か八かの賭けだったんですから。俺たちは先輩に昨日、今日は教頭先生の出張がなくなるという嘘の情報を渡しました。そして、先輩はそれが罠だとわかってあえて今日、裏をかいたつもりでここに現れた。俺たちはそこまで計算のうちに入れた賭けをさせてもらってそれに勝った。それだけの話です」
「裏の裏をかかれたってことね。疑り深い私の性格が裏目に出たわけか。はぁ、これだから自分が嫌になるのよ。それで、どうするの? 私を警察に突き出す?」
陽子は清々しまでに開き直って、弁解の一つもしない。
「いいや、陽子さん。僕らは君を警察に突き出したりしない。僕らが丸山くんからもらった依頼はこの件の調査であって、真相が解明できればその先は彼に決めてもらうまでなんだ」
「ふぅん、じゃあ私の処遇は丸に委ねられたってわけね。ちなみに、参考までに聞きたいんだけど私はどうして疑われたのかしら」
「はじめに怪しいと思ったのは第二の事件について丸山先輩から聞いた時です。朝川先輩が第一発見者になったあの時ですね。先輩は五組だから教室はこのフロアじゃなくて一階にあるはずです。それがどうしてあんな朝早くに二階のこの教室にある生肉を発見できたのかがそもそも不思議でした。確かあの時は忘れ物がどうとか証言していましたよね。でも、さすがに不自然というものです。あれ、一回目の事件を教頭先生にほとんど内々のうちに処理されてしまってあまり騒ぎにならなかったことの対策として自分が第一発見者になったんですよね。そして、それ以降は教頭先生が出張で不在の日を犯行のタイミングとして選んだ」
「あーあ、そんなに最初から疑われたんじゃずっと泳がされていたのね、わたし」
「でも、まだその時点では疑いでしかありませんでした。その疑いがほとんど確信に変わったのは、部活の後話をさせてもらったあの時です。俺はあの時初めて先輩が普段は毎回部活が終わる夕方に職員室に部活の鍵を返しに行く役であることを知りました。それはつまり、誰にも怪しまれることなく教頭先生の翌日の予定を知ることができるということでした。職員室の教員用黒板には主な教員の予定が一覧にして書かれているのですぐに確認ができますよね。まぁ、あの侵入用の小窓では丸山先輩は通れないだろうから自作自演の線は排除されましたしね」
陽子は目を伏したまま何も答えない。その表情から篤夫はなんの感情も感じることができなかった。
「ただ、改めて先輩に聞きたいことが二つあります。一つ目は、動機です。どうしてこんな危険を冒してまで、丸山先輩に嫌がらせを? しかも、ウチに相談をした方がいいと進めたのも先輩、あなたでしたよね。その矛盾がどうしても解けなかったです。参考までに教えてもらえませんか?」
「そうだよ、陽子ちゃんが夏目くんの所に相談したらって言ってくれたんじゃん。なのに、どうして――」
ふっと息を吐くと陽子は隼斗を見た。
「何を聞くのかと思ったらそんなこと。動機? 単純よ、あのマヌケが嫌いだったから嫌がらせをしてやりたかっただけ。鈍臭くて、ノロマで何をしてもうだつが上がらない。見ていてイライラするのよ」
「陽子ちゃん……」
真弘の悲痛な声を最後に教室内に沈黙が降りる。そして、それを破ったのは篤夫だった。
「本当にそれでいいのかい、陽子さん。君はそんなに嫌なやつなのかい。本当は君は――」
「やめてよ!もう私が丸を嫌いでやったってことで、いいじゃない」
陽子はやけくそのように声を上げる。
「残念ながら先輩、そうはいかないんです。先輩の本当の動機はそこじゃない。先輩は丸山先輩のことを助けたかった。そうですよね?」
「は?何を言ってるの。全然話の意味がわからないんだけど。私は丸に嫌がらせをしていたのよ。それなのに丸を助けたい? お門違いも甚だしいわ」
隼斗はそれを無視するとまた話し出す。
「それではもう一つ。その、嫌がらとやらはどうして生肉を盛るなんていう常軌を逸した方法をとったんですか?」
「そんなことを聞いて何になるのかしら。あれは『憎しみ』の現れよ。丸を象徴するものを使って丸を苦しめたいと思ったから。その方が丸の衝撃は大きいでしょう。学校だってこんな気味の悪い事件は外には出したがらないし。当然警察にだって話はいかない。完璧だったはずなのよ。でも、もう台無しだわ」
「朝川先輩、嘘はもうそのくらいで大丈夫ですか?」
「は?あなた、私をおちょっくてるの?」陽子は敵意をむき出しにして隼斗を睨む。
「先輩の本当の目的は俺にお母さんと丸山先輩のお父さんの噂を調べさせたかったんじゃないですか? この事件について調査をすれば自ずと朝川先輩やそのご両親の話だって出てくる事は簡単に予想がつきます。例の不倫の噂で丸山先輩が気を病み、お母さんまで体調を崩したという話を見聞きしていた先輩は直接不倫に関する調査を依頼したかったものの、どうしても気持ちに憚りがあった。それは当然です、実のお母さんが渦中の人になっているのですかね。そして、自分のお母さんがそんなことをしているかもしれない現状に責任を感じた。そう、この先、丸山先輩との関係が壊れて一生恨まれることになってでも何とかしたいと思うほどに。だからこそ、学校も目を瞑り、警察にも話がいかないような方法の中で丸山先輩が最も苦しくなるような手法を選んだ。そこまでしないと、俺たち探偵の所には相談に行かないと踏んだ思った保険も込めて。どうですか、違いますか、先輩?」
またしても沈黙が落ちる。丸山少年が驚愕の表情を浮かべる。
「ふぅ、何でもお見通しなのね。あなたがこの街で名探偵と呼ばれる所以にようやく納得がいったわ。そこまでバレてしまているのであればこれ以上は悪あがきってもんよね。そうよ、夏目くんの言う通りよ。ウチのママと丸のところのおじさんが学生時代の同級生なのは知っていたからまさかはとは思ったの。でも、確かにウチのママは夜な夜な出かけてみたり、自分の部屋で何か長電話してみたり怪しかった。でも、当然直接聞けるわけなんてなかったわ。そのうち、噂は街中に広がって丸のお母さんが体調を崩したって話を聞いたのよ。それでこの計画を思いついたのよ」
「なんで何も言ってくれないんだよ!」
今まで誰も聞いたことがないくらいの大声を出したのは真弘だった。
「陽子ちゃんはそうやって一人で何でもやろうとするんだよ。いつもそうだ。僕はノロマでドベで何をしたってたいがいうまくいかない。でも、それでも、それは陽子ちゃん一人で何でも抱えれば良いっていう理由にはならないじゃないか。くそう。どうせ、お父さんが学生の頃好きだった陽子ちゃんのお母さんのことを諦められなかったんだ。そのせいでこんなことになっちゃうなんて」
「それは違うよ、真弘くん」
篤夫の言葉に真弘も陽子も言葉を失う。「どういうこと……」陽子が恐る恐る尋ねる。
「今回の事件の発端がそちらにあることがわかった段階でちゃんと調べたんだ。お父さんにも、お母さんにもお話を聞いてきたよ。もちろん、君たちが学校に行っている間にね。幸いどちらのお家も自営業で基本家にいてくれるから助かったよ。それで、結論からでいけば二人は不倫関係にはない」
その言葉を聞いて真弘が床にへたり込んだ。
「よかった……お母さんに教えてあげなきゃ」
「二人が昼夜問わず密会のように会っていたのは、真弘くんのご両親の結構記念日だよ。今月の二十七日。三日後だよね。(真弘は床に座ったま頷く)お父さんはお母さんへの贈り物の製作を陽子さんのお母さんに依頼していたんだ。陽子さん、お母さんの趣味って」
「アクセサリー作り」と陽子が呟く。
「司書の卯月さんが教えてくてたんだよ。お母さんは今、趣味に費やす時間出来てるって。そして、偶然、喫茶店「待夢」に行った時に奥のボックス席で熱心にデザイン画を描いていた女性がいてね。後になってあれが陽子さんのお母さんだったことに気がついたんだよ。それは君が事務所に来てコーヒーカップを持つ仕草が似ていることに気づいたからだったんだけどね」
「あそこ、ママが作業する時によく使う場所だわ」
陽子も肩の力が完全に抜けていた。
「だから、ちょっと反則だったんだけどここまで材料が揃ったのもあってもう二人に直接聞いたわけだよ。事実はこの通り、真弘くん、お母さんももうご存知だよ。安心して。それで、この別件の調査に関しては夏目探偵事務所からのサービスということで良いんだよね、隼斗くん」
「うん、今回は特別です」と隼斗が頷く。しかし、「あ、でも――」と丸山精肉店の牛肉一〇〇%のハンバーグをねだる事は忘れなかった。
「わかったよ、お安い御用だ」と三代目の店主は気前よく承諾してくれた。
「と、では当初の調査報告に戻りましょう。今回の犯人は朝川先輩だった、という結末ともうひとつの結末があります。偶然、忘れ物を例の小窓を使って取りに来た朝川先輩が机におかれた生肉をまた発見してしまい、犯人は今までと同じように煙のように消えてしまった。その後、事件はもう発生しなかった。おそらく外部犯だったという結末です。俺たちは肉が置かれるところではなく、机に乗った状態のところしか見ていないんです。だから、監視カメラもないし陽子先輩が肉を置いたという証拠は実はないんです」
「あなたたち、もしかして初めからそのつもりで――」
「いえ、俺たちは自分たちの方針で調査を進めた結果、二つの推理に行き着いただけです。後は依頼人である丸山先輩に決めてもらうだけです。それで調査は完了になります。さ、どうしますか先輩?」
真弘がふたつの結末を選んだ事で調査は完了となった。生肉を処理した後で、朝日がだいぶ昇ってきた道を陽子と真弘は一旦自宅に帰って行った。隼斗も同じ事だが後一時間もしないうちに彼らはまたこの学び舎に戻ることになる。何も起こらなかったはずの普通の一日がスタートする。家に着くまで隼斗は何も話さなかった。その小さい背中が何を思っているのか、篤夫は想像もつかなかった。篤夫は週末に壮助にされた話を思い出すとその華奢な肩にのしかかるものの大きさを思い胸がちくりと痛んだ。
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