第10話【同級生】




十月二十一日(土)


住宅街の一角に突如として姿をあらわす灰色の直方体は震災後に建て替えられたという星の杜一中の三階建の校舎だ。非常に近代的なガラス張りの開放的な設計な中にも耐震を目的とした十字の鉄筋が所狭しとと組み込まれている。ホームページで見たより当然だが大きく感じる。


「なんだか大学の建物みたいだなぁ」


近代的な建築の建物を前にすると篤夫はどうしてもこの感想が口をついてしまう。


「へぇ、おじさん、大学行ってたんだ」


「まぁ、一応ね。隼斗くんの教室はどの辺なの?」


「あのへん。三階の真ん中あたり」と言って隼斗は指を指す。


「そっかぁ、一年生は三階なんだね」


「うん、学年が上がるにつれて階は下にさがるんだ」


「ということは、事件があったのは二階なんだね」


そう、と言いながら隼斗は昇降口めがけてどんどん進んでいく。市民向けに解放されているとはいえ時刻は十時前。人影のない学校に部外者としている感覚に篤夫はなんだか気まずい思いだった。


「おはようございます」その時不意に背中に女性の声が飛んでくる。篤夫が振り向くとそこには恰幅の良い五〇代ぐらいの女性がエプロン姿で立っていた。


「あぁ、おはようございます」


「遅くなってしまってごめんなさいねぇ。今開けますからね」


土曜日の図書館開放に関しては市の図書館から司書の卯月葵うづき あおいが派遣されているということを篤夫は図書室への道すがら隼斗


教えてもらう。


「とはいっても、他の部活動が使うときは鍵開けはそちらにお任せしちゃうんですけどね。ほら、吹奏楽部の子たち、今日大会でしょ。だから、今日は私が当番なんです」


誰もいない上にスリッパの裏にまとわりついてくるようなリノリウムの床は病院の廊下を歩いているようだった。天井には動態検知で反応をする防犯設備が点々とついていた。


図書室は三階の西の端にある。必然して隼斗の教室の前を通ることになる。各教室の前にはそれぞれのクラスの生徒たちの作品が飾られていた。隼斗のクラスは書道の作品が掲示されていた。思い思いの一字の漢字を認したためたものだった。


「おじさん、俺の探さなくていいからね」


不意に横から声が飛んできて篤夫はギクッと体を硬ばらせる。


「いいじゃないの、隼斗くん。上手なんだから見てもらいなさいよ」


卯月が合いの手を入れて場がふっと和む。隼斗のもなんだか毒気を抜かれたようだった。篤夫はそのおかげもあって隼斗の作品をしっかり確認することができた。




テーマ「残したいもの」


夏目隼斗『縁』




画数の多いその一字は白銀比率の半紙の中に美しく収まっていた。中学一年生が書いたものというよりは人生の水も甘いも経験してきたような壮年の人物が書いたような印象を篤夫は受けていた。


「習字を習っていたりしたのかい? こんな綺麗な習字は久々に見たかもしれない」


「じいじがうまいんだ。だから、昔から真似て書いてたらなんか、似てきた。俺の字っていうより、じいじの字だよね、これは」


篤夫は相槌を打ちながら文字から感じた年季のような感覚に納得していた。しかし、模倣とはいえ隼斗の才能には感服するだけだった。


「おじさんもうい? 図書室、もうそこだから」


隼斗の声で篤夫は現実に引き戻され早足で目的地へと向かう。


学校施設では珍しい観音開きの扉を開けるとひらけた空間が広がる。中学校の図書室としては立派すぎるほどの設備だった。イマドキなのか、利用者向けの検索台にはタブレットが置かれ、貸し出しも返却も機械でできるようになっている。


「これだから、私の仕事ってほとんどないんですよね」


室内を案内しながら卯月が笑う。いつの間にか彼女は山吹色のエプロンを身につけていた。


「それで、今日は何かお探しでしたか」


「あぁ、今日は――」と言いかけたところで隼斗がお約束のようにカットインする。


「今日は三〇年前ぐらいの卒業アルバムを探してるんです」


「んーそんなに前のものになると書庫に入ってるはずだなぁ。少し待っていてね」


そう言い残すと卯月は書庫と呼ばれているカウンターの奥の部屋に消えていった。


「隼斗くんはよく来るの、図書室」


「時々。教室にいるよりは居心地いいし、本いっぱいあるからね」


「そっか、そう言えば本好きなんだね。部屋にもたくさんあったし」


「好きっていうか、暇つぶしと頭の体操だよ。そういつも依頼があるわけじゃないし」


そんな話の中、篤夫は不意に隼斗に友達はいるのか気になってしまった。ただの興味というよりは親心だろうか。目の前の少年が急に強がっているだけのように見えてしまった。


「そうか、おじさんも本は好きなんだ。あれ、この話したっけ?」


「はい、お待たせしました」


卯月のタイミングは完璧だった、と篤夫は思いたかった。


頭の上に目立つほどの大きな埃を被った卯月が数冊の分厚いアルバムを抱えて戻ってきた。


「じゃあ、そっちの閲覧席でごゆっくりと」


篤夫は一気にその全てを腕に乗せられて腰を抜かしそうになる。アルバムとはかくも重たいものなのである。


「どれどれ、これが昭和五二年か。二人ともあんまり顔がか変わってないといいんだけど」


篤夫は自身のスマートフォンの中に保存しておいた丸山真弘の父と朝川陽子の母二人の写真を確認する。昨晩、壮助に頼んで用意してもらったものだった。


一組から順番に写真を確認していく。同じような髪型で写真に収まる少年少女。


「おじさん、これ。そうだよね」


声を先にあげたのは隼斗だった。隼斗はさらに一年前の昭和五一年のアルバムを確認していた。


「どれどれ」と篤夫が覗き込むと三年四組の個人写真の中に丸山少年に瓜二つの少年が収まっていた。名前は丸山隆弘。間違いなく丸山精肉店の二代目だった。


「あと、こっち」隼斗が指を指すと同じクラスの女子生徒の中に朝川雪子の名前を発見する。


「この人、朝川先輩に似てる気がするんだけどどうかな」


すかさず篤夫は先ほどの保存していた写真と見比べる。髪型は当時の肩までのストレートから緩いパーマに変わっているものの、口元のホクロも含め十中八九本人であろうと篤夫は確信する。


「間違いないね。やっぱり二人は同級生どころかクラスメートだったんだ」


疑惑は確信へ。いよいよ篤夫の中で不倫話が信憑性を帯びて来るのを感じていた。


「あれ、この人って・・・」


隼斗がまた声をあげたと思う違う女子生徒を指差す。前崎という名前の眼鏡の少女。当然のように篤夫に見覚えはなかった。


「ん、この人がどうかしたの? 隼斗くんの知り合いかい?」


「似てない?」と隼斗が指をさしたのは図書室の中で返却されたほんと元の棚に戻している途中の卯月その人だった。


「え、まさか。僕には見えないけどなぁ。結婚して名字が変わっていたにしてもの別人なきがするけどなぁ」


篤夫が感想を述べ切る前に隼斗はすでに席を立ち、アルバムを持って卯月の元へ駆け寄っていた。


「やだ、こんな昔の写真よく気がついたわねぇ。バレないと思って黙っていたのに」


数段若返ったかのような卯月の声が図書室に響いた。あつおも二人の元に歩み寄る。今はもちろん篤夫たち以外誰もいないからなのだろうが、思わず声をあげた卯月は本当に恥ずかしそうだった。


「目元がそのままじゃないですか。すぐ分かりましたよ」


「あらま。よく見てるわねぇ。そう、それは私よ」


「と言うことは、丸山さんと朝川さんのことは知ってますよね」


「もちろん。二人よく知ってるわ。丸山くんは三年の時の一年間だけだったけど、雪子とは一年生の頃からずっとクラスが一緒だったのよ」


篤夫と隼斗は思わず顔を見合わせる。


「ちなみに!」


ここで二人の声が重なる。「仲がよろしいこと」と卯月がくすっと笑う。


「いやぁ」


「違うって」


と次の句ですらタイミングがピッタリ重なってしまい二人は呆れ笑いのような複雑な表情を浮かべて閉口してしまう。


「それで、お二人は私に何が聞きたいのかしら」


「あ」二度あることは三度あるわけで、またしても被る名探偵と助手。口元を押さえる卯月を横目に、今度は助手が右手で隼斗を促す。


「当時のことを聞かせてもらいたいんです」と隼斗。


「わかったわ。とりあえず、これが重いからそっちの席に行ってもいいかしら」


卯月はそう言って手元に抱えられた本の山を顎で指す。


「あ、もちろんです」


篤夫がすかさず本を受け取って閲覧席の方に移動する。窓側に卯月が腰掛け、反対側に篤夫と隼斗が並んで座る。篤夫の正面に卯月がくる形ということもあり篤夫が切り出す。


「では改めて。卯月さんは二人とは同級生という子ですよね(「ええ」、と卯月)。回りくどい聞き聞き方が苦手なのでダイレクトにお尋ねしますね。まず、この二人は中学生当時どんな関係でしたかご存知ですか?」


「ええ、もちろん。二人は吹奏楽部の部長さんと副部長さんでした。それはもう急がしそうでしたね。あの頃の一中吹奏楽部は強かったんです。東北大会常連のいわゆる強豪でね。懐かしいわ。かくいう私も吹奏楽部員だったんですよ」


当時の記憶を懐かしむように卯月が目を細める。


「なるほど、ちなみに二人が、その、恋仲だったみたいな話ってありましたか?」


「あら、あなたも当時のクラスメートのような質問をするんですね」


「といいますと?」


「当時はクラスメートのほとんどが二人は付き合っていると思っていたんですよ。(でも実際は、と隼斗)。ええ、二人は付き合ってないです。ま、丸山くんは好きだったみたいですけどね。雪子は他校に彼氏がいたんですよ。ま、もう時効だからいいですよね。おそらく私とほんの一部の友人しか知らなかったんですよ」


「ちなみに、それって卒業後はどうだかご存知ですか?」


「ええ、もちろん、雪子とはずっと連絡を取り合う仲ですので。間違いなく丸山くんとくっつく事はなかったはずですよ、多分ね」


卯月はわざとらしく含みをもたせた言い方をした。


「それ、聞いてもいいんですよね」と隼斗。


「深い意味はないですよ。女というものは秘密を持つ生き物ですから、友人の私ですら知らないことがあってもおかしくないという意味です」


「じゃあ、最後にもう一つだけ。いまの二人は幸せそう見えますか。あくまで、卯月さんのご意見で構いませんので」


篤夫の最後の問いかけに卯月は悩む間も無く「とっても幸せそうに見えますよ。丸山くんはしっかり家業を継いで家族もいて、雪子の方だってまさか東京からお婿さんを取るとは思わなかったわ。でも、最近は陽子ちゃんも下の子も大きくなってきたからやりたいこともできているみたいだし」と答えた。「羨ましいぐらいね」とまで付け加えて。


時刻がお昼を少し回ったところで図書室には勉強をしにくる生徒の姿が目立ち始めた。


「じゃあ僕らはそろそろ行こうか」


篤夫が物思いに耽っていた隼斗に声をかける。


「あ、うん。そうそう、おじさんに見せたいものがあるんだ」


カウンターに座る卯月に挨拶をして二人は図書室を後にした。


「それで、僕に見せたいのって?」


「まぁいいからついて来てよ」


隼斗はそう言って図書室のある三階から一階まで降りていく。何気無く触れた手すりがとても冷えていて篤夫は無意識に手を引っ込めた。


「ここだよ」


階段を下りきったところで隼斗は階段の裏側に回る。掃除用具やら普段あまり使わなそうなものが置かれた物置代わりのようなスペースだった。そして、その埃のを被った備品類を隼斗が退かしていく。


「これって……」


そこに現れたのは人が一人が通ることができるほどの小窓だった。もともとは足ものと明かり取り用だったのかもしれない。鍵は――かかっていない。


「一年生には回ってこない話だったんだ。二年生以上の先輩たちの間で代々伝わっているって聞いんだ。不思議だよね、建て直されてまだ一〇年も経っていないのにもうこんな抜け道は学校の七不思議みたいになるんだね。でも、これで一つ謎が解けた。誰でもいつでも入ることができたわけだ。あとは――」


「誰なのか、だよね」と篤夫。


「そういうこと―――なんだけどさ、多分わかっちゃったと思う、俺」


「え」


篤夫は唐突な隼斗の言葉に驚きを隠せない。三階まで吹き抜けの階段に冷やっとした冷気が抜けていったような気がして徐々に冷静さが戻ってくる。


そして篤夫は「探偵のひらめき」が偶然の産物ではないということを後々知ることになるのだった。




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