第6話【報告】

さて、今日の調査はどうだったかのう」

壮助は孫の学校での出来事を聞くかのように心底楽しみそうな表情を浮かべる。そして、テーブルの上にはイワシのアヒージョが香ばしいニンニクの匂いと共に未だグツグツと煮えるオリーブ油ごと盛られ、隣には三人で食べるには明らかに多そうな量で盛り付けられたサフラン色のパエリアからはムール貝など海鮮特有の旨味の香りを放っていた。この日の夕食は彩りだけででも美しいスペイン料理だ。

「壮助さんのおかげで色々とお話を伺ってこられました。八百屋の田島さんに、待夢の敬子さん。街の中でもうわさ話になっているみたいですね」

「そうかそうか。まぁ、決して広いとは言えない街じゃ、噂話もあっという間に広がろうな。ところで隼斗はどうじゃった」

「二年の先生にちょっと話聞いたよ」

「え、僕聞いてないよ、その話」篤夫は隼斗がさっきまでそんな話を一言もしなかったことに驚いてしまう。

「そりゃそうだよ、言ってないもん。ってか、先生の話がどうだったなんて聞かれてないし」

隼斗はイワシを咀嚼しながら涼しそうな顔をしている。

「これ、隼斗。篤夫くんはお前の助手なんだから情報共有はまめにしなさいと言っておろうが」

「だっておじさん、自分の聞き込みでいっぱいいっぱいみたいだったし」

「それでもだ」

へいへい、と渋々返事をしたと思うと今度はパエリア。食べられてたまるものかと言わんばかりに貝殻から外れないムール貝との格闘を始める。壮助のため息は深くそこにどんな感情が孕んでいるのであるか、篤夫には考えが及ばなかった。

「それで?」とうながされて、隼斗は「あぁ」と学校での報告を始める。

「二組の先生、あ、丸山先輩の担任の先生は捕まらなくてさ。三組の紺野先生に話を聞けたんだ。先生は二回目の肉盛り事件があった日、陸上部の朝練があって午前六時半には学校に着いて、出張で不在の教頭先生の代わりに学校の鍵開けをしたあとで校庭にある体育倉庫で準備を始めて部員を待っていたんだって。そしたら、第一発見者である二組の朝川さんが青ざめた顔をして体育倉庫まで報告に来たんだってさ。校庭と校門は校舎を挟んで正反対にあるから実際、紺野先生が学校を解錠して体育倉庫に行ってから朝川さんが『ソレ』を見つけるまでの間に誰が出入りしたかっていうのはわからないって」

「つまり」篤夫が声を出すとすかさず隼斗が「収穫はなしってこと」とふてくされた様子で吐き捨てた。

隼斗はその後あっという間に夕食を平らげるとそそくさと自室に戻って行った。

「なんだかんだ、中学生ですね彼も」

篤夫が洗い物をする壮助に言う。

「お恥ずかしながら。孫の非礼を許してもらいたい」

いいんです、と言った篤夫のそれは本心だった。悩んでいる依頼人の調査なのだから進展がないことには焦らなくてはいけないのだろうが、篤夫はここ数ヶ月の殺伐とした砂漠のような毎日に比べたら隼斗の態度など微笑ましいぐらいであったのと同時に、自分でない誰かのために汗を流している今の自分がなんだか好きな気がした。

「篤夫くんみたいな助手はなかなかおらんのですわ。なんだって、孫は探偵をしておるとはいえ中学一年生。みんながみんな、篤夫くんみたいには懐が広くありませんからな」

「どうですかね、今までの助手の方がどんな人たちか僕は知りませんが、隼斗くんは優しい子ですよ。それに気が付けないなんて、それこそ勿体無いことをしてますね」

カチャカチャと食器がぶつかり合う音が止まって、壮助が手を拭いながらダイニングテーブルへと戻ってくる。

篤夫は聞き込みの際にずっと気になっていたことを壮助に質問する。

「あの、どうして田島さんと敬子さんの所に僕が行くことを隼斗くんは知っていたんでしょうか?」

「あぁ、所謂情報屋さんなんですよ、あの二軒は。調査の一番最初はまずあの二人に聞くとこの街のことは大概分かってしまうんですわ」

「あぁ、だからお二人共壮助さんのお名前がすんなり出て来たんですね。それに、敬子さんはここには不思議と情報が集まるなんても言ってましたし」

「わしも長いこといろんな街で調べ事の仕事をして来たが、どこにも必ずと言っていいほど情報が集まる場所がある。これは断言できる。だから、そこで手に入る玉石混交の情報から答えを導き出すのが一番なのですわ。それは孫にもずっと言い聞かせてきましたからな」

その後、夜が更けていくまで壮助と篤夫は依頼にまつわる話、そうでない話を綯い交ぜにして時間を過ごした。



記録

第三の事件

日付 十月十三日(金)

発見時刻 午前七時五分(発見者がはっきりと記憶していた)

発見場所 市内星の杜第一中学校 二年二組学級内

第一発見者 緑川 翔太(一三)と栗山(一四) 冬馬(二名とも同中学校 二年四組生徒)

発見時の状況 食用とみられる生肉(豚肩ロース)が乙に高さ約一〇センチ、直径約二〇センチの円錐型に盛られていたところを廊下から教室内を覗き込んだところ発見した。前の二件と同様、腐敗はなかったが表面は乾燥していた。発見後二人は直ちに職員室にいた同中学校教諭の秋道早苗女史に報告。女史が速やかに処理、廃棄したものの、登校してきた数名の生徒が目撃をすることになった。なお、その後第二学年のみで行われた学年集会でも犯人らしき怪しい人物の目撃情報は出てこなかった。



時刻は二十三時を過ぎ、壮助が家事の全てを終え、少し遅い風呂に入ったので、篤夫は客間へとひっこむことにした。床板をなるたけ軋ませないように慎重に客間への歩みを進める。爪先から土踏まずを器用に床を這わせ、体重移動を存分にした上で踵を着陸させる。薄暗い廊下はどこか懐かしい木造住宅の匂いが漂っていた。なんとか突き当たりまで最小限の物音で移動した篤夫は隼斗の部屋を三回ノックするとしばらくして反応がある。

「鍵かかってないから入っていいよ」

「起こしちゃったかな、ごめんね」

篤夫と隼斗はドア越しに会話を続ける。

「ああ、おじさんか。大丈夫起きてたから。いいよ入って」

「なら良かった。いや、ここで大丈夫。寝る前にひとことだけ言っておきたくて。今日は色々ありがとう。一緒に動いてもらえて助かったよ。明日もまた商店街で話を聞いてみようと思うよ」

隼斗はしばらく何も答えずに、篤夫の言葉の意味を推し量っていたが、その言葉が額面以上でも以下でもないことを導き出す。無論、篤夫に他意はなかった。

「うん、よろしく」

隼斗は可能な限り平静を装って声を出す。「助手」である大人からこんなにも素直な感謝の言葉を伝えられたのは初めてだった。

「それじゃあ、おやすみ」

篤夫はドアの向こうの隼斗を想像しながら声をかけた。その晩ドアの向こうから声は帰ってこなかった。

夜はどこまでも静かだった。

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