第5話【女主人】


喫茶「待夢」は商店街のメインストリートから一本裏に入った先にある。入り口にはどこか懐かしさを誘う鮮やかな藍色の背景に白色の鍵のマーク。赤煉瓦造りの壁面は時代を感じさせる。曇りガラスが張られた年代物のドアを篤夫が押すとカランカランとカウベルのような音色が店内に響き渡った。

純喫茶と呼ぶにふさわしい店内にはカウンター席が四席と四人掛けのボックス席が三組。客はカウンター席の一番奥に初老の男性が一人と奥のボック席で四〇代ぐらいの女性が趣味なのだろうか、何かしらの手芸工作をしながら時間を過ごしているようだった。カップの持ち方がやや独特なのが印象的だった。

「いらっしゃいませ」

レジとカウンターが一体となった内側から女性の声が聞こえたかと思うと、その姿がニョキッとあらわれた。白髪交じりの髪を簡単にひとつに結ってグレーのタートルネックにブラックのチノパン。タータンチェックのエプロンが似合う女性が迎えてくれた。

「空いている席にどうぞーーーって、あら、隼斗くんじゃないの」

「おばさん、こんにちは」

隼斗は先ほどまでの刺々しい様子を露ほども見せることなくにこやかに挨拶をした。篤夫がその様変わりに二人が顔見知りである事実に驚いている間にも隼斗は一番入口寄り、つまりレジ寄りのカウンター席に腰掛ける。

「おじさん、入り口で立ってたら邪魔になるよ」

その声に篤夫の意識は目の前の光景にもどってくる。あ、とか、うん、とか言って篤夫は少し高めのカウンター席に隼斗並んで腰掛ける。

「隼斗くん、こちらは今回の助手の方?」

カウンターの向こうから訳知り顔の店主が隼斗に尋ねる。

「そうなんです。篤夫おじさん。なんか、こう呼ぶと親戚みたいだね、ふふふ」

隼斗が急に人懐っこい可愛げのある少年に変貌したことに篤夫はまだついていくことができず、首肯によって同意を示す以外の気の利いたことは何一つできなかった。

「あら、そうなの。篤夫さんですね。よろしくお願いしますね。私はここの店主で小野敬子と言います」

敬子は篤夫にやや皺ある穏やかな二重を細めた。白髪だけとってしまえば五〇代に見えなくもないが、肌のハリは三〇代と言われても納得できる。なんとも年齢不詳な印象を篤夫は受けていた。篤夫は芳醇なコーヒーの香りの中、簡単に自己紹介を済ませると気を取り直して本題に入ろうとする。

「では、少しお話を伺いたいんです」

「そうでしょうね。このお店は不思議なんですよ篤夫さん。なぜか、事件の解決に必要な情報が知らず知らずのうちに集まって来るんです。喫茶店なんて他にもあるのに。ね、隼斗くん」

はい、ミルクティー。ハニーシュガーたっぷりめね。そう言って敬子は隼斗の前に少し大きめのカップを音も立てず置いた。

「やっぱり、おばさんが人を惹きつける力があるんだよ。ミルクティー美味しいし。待夢

は他とは違うよ」

「あらあら、おべっかが上手なこと。これ、新作のクッキー試食してみる?」

話は曲がり、くねり、篤夫は注文したコーヒーを微笑を浮かべつつ啜ることしかできずにいた。しかも、このコーヒーがまた美味いもんだから、悔しい。篤夫はとなりの少年がコロコロと表情を変えて敬子と話す様子が親子のように見えていた。むしろ、こちらの姿の方が隼斗の本当の姿なのではないかと思う程に。

コト、と敬子がカップをカウンターに置いた音で篤夫は自分の仕事を不意に思い出す。どれだけ経っていたのか、敬子も自身のマグカップで一杯飲み干すところだった。

「篤夫さんは夕食何がいいです?壮助さんお料理上手ですもんね」

「あのぉ、敬子さんお話を……」

「あらあら、ごめんなさい。私ったら、つい。それで、何をお話ししたらよろしいかしら」

敬子は少し恥ずかしそうに口元に手を持っていく。篤夫は隼斗が少し膨れていたように見えた。

「では、改めてですが、ここ暫く発生している一中での事件について何かご存知のことがあれば伺いたいんです。壮助さんからこちらは、情報が集まる場所だと伺っていたので」

「単刀直入ですね」と笑う敬子に、「よくできました」と言われたような気がして篤夫はなんだか恥ずかしいような気持ちになる。

「丸山さんのお子さんですよね。お父さんが来られた時なんて、目も当てられないほど落ち込まれていて。当然ですよね、自分の子供がそんな目にあえば。ただ、気味の悪い事件ですね。お母様方もお客様でたくさんいらっしゃいますし、生徒さんの方も、ね」隼斗に一瞬視線を向ける。

「だから、お話は結構聞いてはいるんです。でも、どれも似たり寄ったり、そして根拠のない枝葉のついた話がほとんどのように感じますよ。だって、お母様たちのお話って基本はお子さんから聞いた話でしょ?だから、その時点でどれだけフィルターがかかっているか分からないですもの」

「では、その中で何か気になることや違和感を感じるようなことを聞いたりしませんでしたか?」

敬子は一瞬だけ考えるもまた話し出す。

「あらあら、すっかり探偵さんのよう。(探偵は自分だと主張した隼斗にごめんね、と挟む)そうですね、これは当然の話かもしれないんですけど、お子さんの学年によってお母様方

お話しされる内容に違いがあった様に思えますね」

「詳しくよろしいですか」篤夫が促す。

「ええ、まず一番事実に根ざした、あ、これはあくまでも私の感覚ですが、そんなお話をされるのはもちろん二年生のお家の方ですね。クラスによって若干の差はある様ですが、ほとんど同じ話をされます。丸山君がかわいそうだ、犯人が早く見つかってほしい、と。ただ、三年生のお家は少し違って犯人は学校外の人間でないかという噂が追加されるるんです。もちろん、出所はわかりませんけどね。受験に響いたら嫌だと言う声もよく聞きますから……秋はお母様もお子さんもピリピリしだす時期ですもんね」

「では、一年生は……?」

篤夫が聞くと答えたのは敬子はではなく、隼斗だった。

「蚊帳の外だよ」

「え」と思わず篤夫は聞き返してしまう。その声に敬子が補足をしてくれる

「そうですね、意外と知らない方が多いんですよ。学年をまたいで仲の良いお母さん同士がいらっしゃったりすると驚かれているのは大概、一年生のお母様なんです。不思議ですよね、

まるで一年生だけ箝口令が敷かれているよう」

「ついでに言っておくと、学校内でもそんな感じ。一年は知らないヤツの方が多いよ。なんでか分からないけど、情報が降りてこないんだ。二年生は今日、学年集会で目を瞑って手をあげる例の犯人探しをやったみたいだけど、結局意味なかったみたい。帰りに丸山先輩に聞いたんだ」

学年によって伝わり方の違う噂。箝口令。内部での犯人探し。浮かび上がってくるピースはまだ篤夫の中で何かしらの像を結ぶことはなかった。

「なるほど、ちなみにですけど、敬子さんはどうお考えですか、この『不思議』な状況を」

「どうって……あっ、三木さんお会計ね、はいはい」

カウンター席の奥で静かに座っていた男性がお会計を済ませて店を後にしていく。もしや自分たちの声がうるさかったのではないかと篤夫は心配になる。

「あぁ、大丈夫ですよ。三木さんはテレビの時間なんです」

敬子はすべてお見通しとばかりに篤夫に笑いかける。

「すみません、それで、私の意見でしたね。率直に申し上げれば、最初にも言った様に気味が悪いです。その、生肉っていうのもですし、どこか作為的なものを感じる話題の広がり方が気になります。悪意なのか善意なのかは分かりませんが、とても……そうですね、人工的なものを感じます」

こんな感じでよろしいかしら、と困った様な表情をする敬子に篤夫は礼を言う。

「ありがとうございます。とても、参考になりました。そうだ、最後に一つだけ。敬子さんはどうして置かれているのが生肉だと思いますか」

「難しいことお聞きになりますね。そうですねぇ、肉から連想できるもの言えば……生き物、肉、、、果肉、中身。ううん、なんだか違いますね。あとは、肉、肉親、あとは『憎い』に掛けてるとか、ですかね。ごめんなさい、なんだか支離滅裂ですね」

「いえ、突拍子もないことを伺っているのはこちらですので。でも、なるほど。そういう考え方もできるか。参考になりました。ありがとうございます」

そう言った篤夫は自分が思った以上に論理的な思考を楽しんでいることに気がついた。元来の推理小説好きが高じているのだろうが、なんだか今の自分が少し好きな様な気がしていた。窓から外を眺めると、入店前に暮れはじめていた陽はもうほとんど沈み切り、街灯が灯っていた。

「それでは今日はそろそろ戻ろうと思います。壮助さんも待っているでしょうし」

「ええ、そうなさってください。お会計一緒でいいですか?」

「いっしょで――」と言い掛けたところで隼斗が自分の分の小銭をカウンターに出す。

「助手に払ってもらうのはなんか違うから。じゃ、おばさん、また来るね」

そう言い残してひょいとカウンター席から降りると隼斗は早々に店を後にする。あっけにとられたままの篤夫に敬子が声をかける。

「なんだか、篤夫さんが助手に選ばれたのがわかる様な気がします。あ、コーヒー代三二〇円です」

「どういうことですか」小銭を払いながら尋ねる。

「失礼だったらごめんなさいね。あなたと隼斗くんは主従関係がうまくいっているように見えたんです。ちゃんと主人に雇われているように、ね」

「あぁ、なるほど。まぁ、社会に出たら年上の上司なんてごまんといますからね」

「頭でわかっていても、そう振る舞えない人も意外と多いものですよ。はい、八〇円のお返しです。調査、頑張ってくださいね」

またどうぞ、という敬子の声に送り出されて篤夫は「待夢」を後にした。

敬子の包み込むような微笑と、入る時にも聞こえたカウベルのような音色がしばらく篤夫の脳裏には残っていた。



スタスタと行ってしまっていた隼斗にようやく追いつき、呼吸を整えながら足並みを揃えて夏目邸を目指す。商店街から離れた頃にはあたりは完全に暗闇に包まれていた。月も星も見えない肌寒い夜だった。

どこからともなく聞こえ出す虫の声。都会にはない情景だった。篤夫はその新鮮さに心を打たれつつ、隼斗に声をかけた。

「学校ではなにか新しい情報は手に入ったかい?」

「今日は特になかったよ。さっき話した二年生の学年集会の話くらい」

「そっか。隼斗くんはどう思う? 犯人とか目星はついていたりするの?」

「まだ、全然わかんない」と言い隼斗は小石を遠くに蹴り飛ばした。

「田島さんや敬子さんの話を聞いた限りだと、僕は犯人は学校の中にいると思う」

「どうして?」すかさず隼斗が聞き返す。

「嫌がらせをするにしても、大人がするには目立ちすぎる気がしてね。今回の手口は」

「それだけ?」相変わらずツンとした様子の隼斗はスタスタ歩き続ける。

「いや、あとは田島さんの話で、一つ気になって。ちなみに、田島さんの息子さんって三年生で間違いないかな?」

「そうだよ、夏までサッカー部の部長だった。そこまで聞いたの?」

「敬子さんの話で犯人を気にするのは三年生の保護者が多いって聞いたから、もしかしたらと思って」

ふうん、とさして隼斗は興味がない様子だった。

「ちなみに、学校に現実的に考えて四六時中侵入可能な入り口があるようには思えないんだけど、その辺はどうなの? 噂とかさ」

「俺が直接見聞きした範囲ではないかな。正しく言えば知らない、だけどね」

「そっか。いまは学校は特にその辺り厳重だもんね。おじさんが中学生の頃なんかさ」

―――」

「時代が違うんだって」

言いかけのところで隼斗にぴしゃりと言われてしまい、篤夫の口「そ、そうだよね」と止まる。が、篤夫はそれ以上に自分自身を自然に「おじさん」と呼んだ自分に驚いていた。昨日から隼斗に「おじさん、おじさん」と呼ばれどことなくそれを受け入れていたのだろう。


「ほら、もうつくよ。じいじが待ってる。七時過ぎちゃった」そうこうしているうちに夏目邸が見えてくる。通りに面した窓にかかる萌黄色のカーテンが内側の明かりにぼやっと浮かんで見えた。どことなく不思議な懐かしさを半日ぶりの母屋に感じて篤夫は隼斗にとともに玄関をくぐるのだった。

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