第4話【初仕事】
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記録
第二の事件
日付 十月五日(木)
発見時刻 午前七時ごろ
発見場所 市内星の杜第一中学校二年二組学級内(以降、甲とする) 丸山真弘(一三)の机上
第一発見者 朝川陽子(一三)(同中学校 二年三組生徒)(以降、乙とする)
発見時の状況 食用とみられる臓物(豚小腸)が甲に直径約二〇センチの円で盛られていた。
もともと水分を多分に含んでいる性質だったため、湿り気が残るほどの乾燥具合で、置かれた後どれほど時間が経過したかは判断が難しい状況であった。教室内には生臭い匂いが相当充満していたという(そのため、登校した生徒たちは事件があったことを簡単に推察できた)。発見後直ちに乙は同中学校教諭である紺野充こんのみつる氏に報告し、紺野氏が処理した。廃棄のルートは前回の事件の際に教職員に対して福井教頭から指示があった通り給食室用の生ゴミ置き場に廃棄したと紺野氏自身が証言。なお、犯人らしき怪しい人物の目撃情報はない。
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十月十八日(水)
篤夫にあてがわれた初仕事は商店街での聞き込み作業だった。学校の内側で起きた事件の調査をどうして外側でしなければいけないのかと篤夫が壮助に尋ねると、彼は「学校の中だけのピースだけでは事件の輪郭がぼやける。それに、そこだけでは答えにたどり着けなかったから依頼人は依頼に来たのだろう」とサラリと答えた。そう、聞き込み先として妥当であろう場所のメモを手渡すとともに。
夏目家(事務所)から商店街までは車では五分ほど。徒歩にしても一五分程で到着できる。篤夫は見知らぬ地を歩くことが好きだった。普段はイヤホンで音楽を聴きながら移動することも少なくない彼だが、初めての地ではそれを外す。彼は街行く人々の「声」を聴く。その土地特有の言い回し、イントネーション、ニュアンス。方言の浸透している年代層に至るまで。とはいえ篤夫はそれを知り得たことで何かに生かすわけでもなく、ただ楽しむ。言い換えれば趣味とも言えるものだ。
住宅街とも言えない程のまばらな家々と目立つ空き地。町工場風の錆臭い工場の隣を抜けて地図に示された商店街に向かう。暦は冬に移ろう中、空き地の植物は未だ青々と茂っていた。
この街が有する商店街は「街」と呼称して良いか悩んでしまう程の規模である。知らない者が見ればただの通りでしかないだろう。遠慮がちに置かれた「穂長商店街」の看板ですら寂れてしまっていて遠慮を通り越して隠れているようだと篤夫は感じた。
時刻は午前一五時を回ったとことだった。行き交う人々こそまばらではあるが、一軒一軒見ていけば確かにこの地に息づき営みを重ねて来たことがわかる。目当ての「田島青果店」は老舗番傘屋の隣であるとメモにはあった。
バス停のベンチに腰掛ける老女に声を掛け場所を尋ねるとかなりの東北訛りを伴ったしわがれ声でこのすぐ先にあることを教えてもらえた。
閉店なのか、定休日なのかシャッターの降りた店を何件か過ぎたところで件の青果店が見えてくる。篤夫は昨晩、壮助から伝授されたばかりの聞き込み術を脳内で反芻しながら、軒先から店主であろう田島何某を探そうとしたその時だった。
「あ、おじさんじゃん。どう、何か新しい情報は手に入った?」
番傘屋の古ぼけたガラス戸からひょこっと顔を出したのは濃紺のブレザーに短めの黄色いネクタイという制服姿の隼斗だった。どこか西洋風を思わせる制服はこの田舎町にはなんとも不釣り合いではあったが、篤夫には不思議と隼斗には似合っているように見えた。
「い、いや、これからお話を伺おうと思っていて。でも、隼斗くんがどうしてここに?学校は?」
隼斗はやれやれといった様子で肩をあげる。
「おじさん知らないの、今日は先生たちの研究会で五時間授業でおしまいなの」
そう言えば冷蔵庫の横のホワイトボードにそんなことが書かれていたような気もしないでもないが、篤夫にとっては些末事でしかなく完全にそこまで観察できていなかった。
「そうだったんだ、でもどうして傘屋さんなんかに?」
「おじさんは質問ばかりだね。ほら、その力を発揮してはやく聞き込みしてきなよ。助手として働いてもらわないと」
こうもはっきりと主従関係を言葉にされてしまうと、篤夫も清々しいというものだった。意を決して青果店に足を踏み入れる。
軒をくぐる一面に広がる野菜と果物の応酬! 人参、玉ねぎ、じゃがいも、キャベツにりんご、みかん、栗にぶどうにサツマイモと白菜。隅の方にはなんだかわからないキノコがやまのようにうられている。甘いような苦いようなそして、どこか土臭いような匂いで満ちていた。
「すみません」
篤夫は自分の声が思った以上に小さいことに驚いた。しばらく経っても反応はなく、きっと聞こえなかったのだろうとお腹に力を込めて「すみ」まで言った声は「らっしゃい!」の景気の良い声に掻き消された。
店主と思しきねじり鉢巻の彼陳列台の間から急に姿を現した。どうやらうず高く積まれた段ボールの間にいたせいで軒先からは姿が見えなかったのだろう。
「今日はええ白菜が入ってるよ。何か探してんのかい?」
「いえ、あの、少しお話を伺いたくて。お時間よろしいですか?」
篤夫がそう言った途端、店主は急に顔色を変える。
「あぁ、あんたセールスマンか。悪りぃね、うちはそういうのは全部母ちゃんがやってるから、俺じゃ話にならねぇんだ。今母ちゃん、婦人会の集まりに行っちまってるから、今日んところは帰ってくれ」
「い、いえ、違うんです。先日、星の杜一中で起きたある事件について伺いたくて」
思わぬ展開にたじろぐも篤夫は言葉を継ぐ。その言葉で店主は自身の勘違いに気がついたようだった。
「あぁ、あの話か。でも、なんでまた。それより、あんちゃん誰だい。見ず知らずの人に話す義理もねぇんだが」
篤夫は店主の口ぶりになんだかこの東北の地にいながら、江戸前の職人と話しているような不思議な気分を感じていた。
「申し遅れてしまい、すみません。僕、夏目さんのところで助手をやらせてもらっている茂森篤夫といいます」
これは壮助から伝授された文言で、壮助曰くこの街での聞き込みの際の伝家の宝刀である。夏目の名を出せば大概は話してくれる、と。
そして、その言葉の通り店主の表情はまた一変する。そして勇み足のごとく篤夫に近寄ると肩をバシバシと叩きながら話す。
「なんでぇ、壮助さんとこの助手さんか。失礼なヨソモンが来たのかと思っちまったよ。それを先に言ってもらわねぇと困っちまうってもんだ。俺は、ここの八百屋の店主の田島な。
よろしくよ、あんちゃん。んで、何の話が聞きてェんだい」
さっき篤夫が事件について切り出したことを田島氏はすでに忘れていた。というよりも、はじめの篤夫の話などほとんど耳に入っていなかった。
「ええと、先ほど言いましたように、先日一中で起きたある事件にについてなんですけど、何かご存知ないですか」
あぁ、そうだったな。と田島はごま塩のように白黒混ざった顎髭をかく。
「気持ち悪い事件だよな。この間、森本さんとこの奥さんから聞いた話だと、丸山さんちの倅の机の上に生肉が置かれていたってはなしだろ。なんだってそんな嫌がらせをなぁ。しかも、一回だけじゃねぇって。真弘くんだって気のいい子なのに。でもまぁ、壮助さんのところで調べてもらえんなら、安心だな」
やはり小さな街である。篤夫の持っている情報とほぼ同等の情報が田島氏から告げられる。ただ、助手としてはここからが粘りどころ。
「その他に何か気になることを聞いたりしませんでしたか?」
「そうだなぁ、まぁ、めったにある話じゃねぇから奥さん方は怖がってたぐらいじゃねぇか。結局犯人は見つかってねぇんだしな。あぁ、そう言えばうちの倅が犯人は学校の外の人間なんじゃねぇかって言ってな。まぁ、あれだ刑事ドラマの見過ぎだろうからたいした根拠もねぇ話だろうから、あんちゃんは気にしねぇでいいよ。にしても、真弘くんも重ね重ねかわいそうだなァ」
と、田島氏は同情を示す。
「丸山くんは前にも何かの被害にあっていたんですか?」
篤夫が尋ねると田島氏は急に声のトーンを落として篤夫に顔を近づける。
「あんちゃん、これは俺が言ったって言わねェでくれよ。実は丸山さんち近いうち離婚するんじゃねぇかって奥様方の間でもっぱら噂なんだわ」
「え」思わぬ方向に話が進んだことに篤夫は驚きつつ、さらに詳しく話を聞く。
「よくは分らねぇんだけど、なんだか夫婦仲が良くねぇみたいだな。芸能人でも流行ってるもんな、そういうの。でも、俺はそれを聞いただけだから本当かどうかわかんねぇけどな。でも、この間、奥さんが買い物に来てくれた時はなんだか帽子を深く被っちまってコソコソしちまってな。さすがに聞けなかったけどな」
思った以上に雄弁な店主に篤夫はありがたいような複雑な思いを抱えていた。事件に直接関係があるかどうかは別として、丸山少年にまつわる情報が一つ手に入った。しかし、これ以上に何か収穫がなさそうな上、まったく不必要な白菜を売られそうになり篤夫は退散を余儀なくされた。もちろん、「何か思い出したら連絡をください」の決まり文句を残して。
「おじさん、おつかれさま。どうだった?」
見計らったような隼斗が店内の誰がしに「ごちそうさま」と言いながらでてくる。
「収穫はなし、かな」
篤夫は先ほどの話をほとんど無意識に隼斗に隠してしまった。一応、同じ中学校に通う子供同。一旦壮助に相談したのちに話そうと判断したのだった。
「残念。でも、聞いた話は後から思い出したりすると意外とヒントになったりするからちゃんと覚えてないとダメだからね」
「それ、おじいさんの受け売りかい? 昨日同じようなアドバイスをもらったよ」
篤夫がそう言うと、隼斗は急に踵を返して歩きだす。
「違うし、これは探偵業の基本だから教えてやっただけだから。わかってるならちゃんとやってよね。俺の調査に影響するんだから」
急に言葉が刺々しくなる隼斗を篤夫は何だか年の離れた兄弟を見ているような気分になっていた。そんな学校指定のカバンを背負う小さな背中に篤夫は声をかける。
「わかった、しっかりやるよ。次の聞き込みがこの先の喫茶店なんだけど、隼斗くんも一緒に来るかい?」
隼斗はわざとらしく大きなため息をついた後、背を向けたまま答える。
「うちの中学校は帰り道の買い食いとか禁止なの知らないの? 大の大人が校則違反を誘うなんてまずくない?」
当然、篤夫にしてみれば初耳である。そのうえ、今しがた「ごちそうさま」と確かに言ってでて来た彼がそれを言うのである。
「そうだったんだ。知らなかったよ」
「中学生なら買い食い禁止。そんなの常識でしょ」
「無理に誘うつもりはないよ。じゃぁ、僕はこっちだから」
これ以上刺々しい隼斗にどんな言葉を掛けても月夜に提灯であることは篤夫の目にも明らかであった。しかし、その反応は篤夫の想像とは少し違った。
「でも」と言って篤夫を振り返る隼斗はカバンの紐を両手で握っていた。
「でも、おじさんがどうしてもって言うならついて行ってもいいよ」
篤夫は思わず表情を緩ませてしまいそうになるのをぐっと堪える。
「それじゃあ、お願いしようかな。僕も一人で聞き込みだとやっぱり心細くてね」
「ったく、大の大人が心細いとか、ありえない」
と言って隼斗は篤夫の少し前をを歩きだす。喫茶店は何軒かあるにも関わらず行き先もしっかりわかっている様子だった。
一一月の日暮れは早い。傾きを始めた太陽は足元に長めの影を落とし、辺りは橙色の光彩に包まれつつあった。篤夫は少し早足になって小さな影を追いかけることにした。
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