第3話【夏目家のやり方】

 ★


「仕事の話は夕飯の時にじいちゃんから聞ける。それがウチのルールなんだ」

 依然ベッドに腰掛けたままの隼斗はドアを軽くあけただけで質名に入ってこようとしない篤夫に向けて言う。「あ、そうなんだ」と篤夫は拍子抜けをしている様子だった。

「そんなところに立ってないで、入ったら?廊下からの風が入ると寒いんだ、この家」

「え、入っていいのかい?じゃあ、失礼してっと」

 なんともワンテンポ遅れたような反応を見せる篤夫に隼斗は今までにない不安を感じざるを得なかった。

「まぁ、適当な所に座ってよ」

 そう言われて篤夫は部屋の中央にあるテーブル越しに隼斗と向き合う形で座った。そして訪れる沈黙。壁掛けの時計が放つ秒針の音だけが響く。暮れの陽が染めるほんのりとした赤紫の空が遠くに見えた。

「いまどきの中学生の部屋ってこんな感じなのか」

 そして沈黙を破ったのは篤夫だった。

「これ、隼斗君が集めてるの? すごい量だね」

 篤夫が指さしたのはベッドとは逆側の壁に取り付けられた棚にびっしりと並ぶミニカーのコレクションだった。色とりどり、国内外の車が勢ぞろいしている様子だ。

「今、二五〇台ぐらいはあるはず。小さい頃は俺が欲しくて集めてたんだけど、ここ最近はずっとお父さんが毎年クリスマスと誕生日に買ってくれるの」

 ちょっぴり得意げに話す隼斗を見て、篤夫はようやく彼の子供らしい面を垣間見た思いでどこかほっとした。

「優しいお父さんなんだね。見た所、今は一緒に住んでいないみたいだけど、単身赴任かなんかなのかい?」

「まぁそんなところかな」と言いながらベッドを下りた隼斗は今度は机の椅子に背もたれのほうを前にする形で座り直す。

「ところでおじさんはどうしてこの仕事しようと思ったの?探偵助手とか超怪しいじゃん」

「それを探偵をしている君がいうのかい。隼斗君は面白い子だね」

「っていうか、あんまり俺のこと子供扱いしないでね。一応、俺の助手なんだし」

 篤夫からすれば冗談のような軽妙なやり取りのつもりが機嫌を損ねてしまったようだった。

「あぁ、ごめん。そんなつもりはなかったんだ。大丈夫、僕は君の助手なんだから今みたいに気になることがあればすぐに言ってね。そのほうが僕もやりやすいからさ」

 その返答に隼斗は毒気を抜かれる。

「あ、うん。それで、おじさんはどうして―――」

 篤夫はその問いに対して自分のこの半年あった不運な肉まん屋の顛末について話し、もともと推理小説が好きだったところからぽっかり空いてしまったこの時間を有意義に使えそうな仕事を見つけて応募したことを語った。

「なるほどね。おじさんみたいに助手で来る人っていろんな人がいてさ。ま、推理小説とか考えることが好きならよかったよ」

 篤夫の過去に関して特に感想を言うでもない様子に篤夫自身は救われた。下手に同情をされたりすることにはもう疲れしまっていたのだ。人が窮地に陥れば、恐ろしいほどに今まで顔も出さなかったような人たちが訳知り顔で近寄ってくる。本当の親切心など目には見えないが、明らかにハゲタカの如く啄みに来る連中もたくさんいた。

 時計の針がかちりと音を鳴らして午後七時を示した。家じゅうに響き渡るボーン、ボーンという音。きっとリビングに合った大きな柱時計の音だろう。

「さて、これが我が家のご飯の合図ね」

 そう言って隼斗が椅子から降りて篤夫をリビングへと促す。

「そ、そうなんだ。でも、あの時計六時の時は確か鳴っていなかったよね」

「わ、おじさんよく気がついたね。あの時計壊れてるんだ。だから二時間に一回しかならないんだ。つまり奇数の時間だけってことね。だから、音だけを頼りにしないでちゃんと自分の時計確認したほうがいいよ」

 隼斗が篤夫に関心をしたのは本心からだった。意外とこの二時間に一度の音に気がつかない助手が多いのだ。もしかすると、篤夫は本当に洞察力や観察力に長けている助手なのかもしれない。隼斗は心のどこかでそれを期待しつつ、胃を刺激する壮助の手料理の芳しい匂いに釣られて篤夫をリビングへと先導するのだった。

 リビング兼ダイニングにある濃い木目調の色をしたテーブルにはすでに何品もの料理が並べてあった篤夫は思わず簡単の声を漏らす。

「うわぁ、これ全部おじいさんが作られたんですか?」

「もちろん。この家で料理はわしの仕事であり生きがいですからな」

 エプロン姿の壮助は朗らかな笑みを浮かべる。真っ白な器に盛られた麻婆豆腐に、串に三つずつ通された肉団子には甘じょっぱそうな味付けがされているうえに、白ゴマが振りかけられていて香ばしい香りが漂っていた。

「ほれほれ、冷めてしまう前におあがりなさいな」そう言いながら配膳してくれてた器にはふわっと浮いた卵の隙間から椎茸やキャベツが姿を見せる中華風のスープだ。

「美味しそうです。一気にお腹がすいてきたなぁ」

 篤夫はつい先日までの中華街での記憶を思い起こすような香りに郷愁感めいたものを感じていた。

「それじゃあ、遠慮なく――」

「ん、この肉団子うまっ」

 篤夫が気がつくと隼斗はいつの間にかテーブルについて肉団子を頬張り始めていた。どんなに大人びた一面があったとしてもやはり中学一年生。食べ盛りの成長期であることは

 間違いなかった。篤夫もその声につられて料理に手をつけていく。麻婆豆腐の絶妙な味付けたるや! 辛味こそ隼斗を気遣ってなのか控えめだが、中華独特の香辛料の風味をしっかりいかしながらそれでも豆腐の味を楽しめる。「店に並んでいてもおかしくない出来栄えであると」篤夫は舌鼓を打った。

「お店を出していた人に褒めてもらえるとは光栄ですな。老後は小料理店を始めるのも一興ですかな」

 壮助はそんな冗談を飛ばしながら自らも食卓へとつく。おじいさんと、その孫と、他人の三〇代無職男というなんとも歪にも見える食卓は思ったよりも居心地の良さがあって、篤夫はどこか安心している自分に気がついて可笑しくなった。

 さて―――と口火を切ったのは壮助だった。

「二人の自己紹介は済んだのかな」

「うん、一応ね。元肉まん屋のおじさんだってことはわかったよ」

「そうですね、一応名前と年は教えてもらいました。あと、そうだ、ミニカー凄いですね。部屋で見せてもらいました」

「愚息が今になっても買っては送ってくるのですわ。中学生にしては幼い趣味だとは思いませんか、篤夫くん」

 壮助は少し照れたような恥ずかしいような複雑な表情をとる。

「いいじゃんかよ。好きなんだもん」

 篤夫はつくづくこの少年が名探偵と呼ばれていること自体が不思議に思えて仕方なかった

 この肉団子を我先に頬張り喜んで、ミニカーを集めることを少しバカにされて頬路膨らませるようなあどけない少年が探偵だなんて。

「まぁ、趣味は人それぞれですからね。僕もこの年ですけど、未だにゲームがやめられないですし」

 そう言って篤夫は頭を掻いた。恐らく隼斗の肩を持っておく方がこの先役に立つのではないかと咄嗟に判断を下した結果だった。テーブルの上の料理はいつの間にかもう半分も残っていなかった。室内中に中華料理店のような異国的な匂いが漂っていた。

「まぁ、くだらない話もこの辺にして、そろそろお仕事の話をしましょうか。夕飯を囲みならがってのが、ウチのやり方なんでね」

 それは壮助が料理の減りを見計らったかのように切り出された。

「あ、それも隼斗くんから伺っています」

 篤夫にも解け始めていた緊張感が一気に戻ってくる。無意識のうちに居住まいを正してしまう

「おじさん、そんなに身構えなくていいって。でも、依頼の内容を聞いて倒れちゃわないでよ」

 隼斗はさっきまでの様子のままだ。しかし、篤夫からしてみれば「探偵」という仕事の助手ともなれば殺人か誘拐か盗みの予告かと鬼が出るか蛇が出るかの心境なのだ

 緊張をしないでいるわけにはいかなかった。

「隼斗、あまり大人をからかうもんじゃない」

 壮助がぴしゃりといい咎める。隼斗はそこまで堪えた風ではなかったが

 口を閉じた。壮助がいわゆる仕事状態に入っていることは篤夫の目にも明らかだったからだろう。

「そしたら、隼斗、依頼の概要を説明しておくれ」

 壮助の声色は先ほどまでの穏やかさを取り戻していた。隼斗は素直に応じる。

「うん、今回はちょっと変わった依頼で、種類でいえば一応、犯人探し、かな。依頼人は商店街にある丸山精肉店のひとり息子、丸山真弘。おじさんがさっき来た時、肉まんをあげた子ね」

 篤夫は先ほど満面の笑みを崩さず肉まんを音速で平らげた小太りの少年を思い浮かべた。

「子供が依頼人ってこともあるんですね」

 篤夫の率直な感想だった。

「うん、なんかうちのじいちゃんは駄菓子屋のじいちゃんみたいなところがあって、俺が話したこともないような同級生とか先輩とかと普通に話してたりするからね。子供の依頼は珍しくないんだ。でも、今回は依頼内容がちょっと――」

 隼斗はそこで少し言い淀む。

「あれじゃな、少し気味が悪い類のものでな」

「と、言いますと」

「机の上に生肉が山盛りで盛られていたんだ。言っておくと、何かの死体とかそういうことでなかったんだけどね。で、依頼としてはその犯人を探して欲しいってこと」

 篤夫はここに来てどうして自分が呼ばれたのかを少し理解したような気がした。肉屋の息子の机に盛られた生肉の山。しかし、肉まんとはいえ元々食肉を扱っていた自分だとはいえ、この事件に関して何から手をつけて何を助手としてすべきなのかは皆目見当もつかなかった。次々と湧いてくる疑問を少し冷めかかったスープで飲み干さんばかりにお椀を啜った。

「学校内で起きた事件じゃから、調査自体は隼斗が学校の中、篤夫くんが学校外というのが定石かと思うのじゃが如何かな」

「うん、俺もそれがいいと思ってた」

 トントン拍子で決まっていく調査方針に篤夫は文字通り置いてきぼりを食っていた。

 初心者大歓迎。優しい先輩スタッフが一から教えます。家族のような明るい職場です。篤夫は、こんな表記が大概偽りとまではいかないにしても、その通りの職場であるとも言い切ることができない絶妙な求人を引き当てた感触を確かに感じた。

「あ、あの!」

「どうしましたかな」

 壮助が心底不思議そうな顔で篤夫の双眼を覗き込む。

「え、あの、調査と言っても僕は何から始めたら」

「聞き込みだって、キキコミ!」

 隼斗はそんなこともわからないのと言わんばかりの呆れた表情をしている。客観的に見たら助手としては早速、見限られそうな状況である。

「冗談じゃよ、手順はしっかり教えるもんで、安心なされ」

 怖い。と、篤夫は心底感じた。くるくると表情、声色を自在に変えて話す壮助はさながら中国で一子相伝の技と言われる「変面」を連想させる。見る者を魅了するあざやかで色とりどりの面が次から次へと現れ、瞬く間にどこかへと消えていく。一子相伝の秘技。篤夫は隼斗にも「それ」が伝承させれているように思えて、一気に彼が大人びたように見えてしまう。

「ん、大丈夫、おじさん?」

 篤夫は隼斗の声で物思いから現実へと引き戻される。

「あ、あぁ、大丈夫。おじいさん、聞き込みのことよろしくお願いします」

「ならよかった、じゃあ俺、お風呂はいるわー」

 そう言い残し、隼斗はリビングからあっという間に姿を消した。彼の前の茶碗や皿はどれも完全に空になっていた。依頼の話をしながらもどんどん食べ進めていたのだ。そのこと自体にも篤夫は驚きを隠せずになってしまう。

「まぁ、初日なんてみなさんこんなものですぞ。気にせずやってくださいな。では、洗い物を手伝ってもらいながら聞き込みについて伝授するもんで、残ったのを食べちゃってくださいな」

 促されるままに篤夫は皿に残った料理を平らげる。凝固が僅かばかり始まった餡の絡んだ肉団子も、豆腐の中心部にほんのりと温かさが残る麻婆豆腐も少し冷めてしまったところでそのうまさは不動のものだった。篤夫にとっては悔しいくらいに。

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