魔人
轟々たる地響きが、魔女の家を揺らしていた。機械のように正確なリズムを取って、止むことなく壁を叩き続けている。
裏の音をとるように、廊下に靴音が
ユーズーは耳を塞ぎ、顔をしかめていた。
傍らには虚ろな目をした真央が立ち、黙々と破城鎚を喚ぶ陣を刻み続けている。姿はすでに人から離れてきていた。躰を動かせば瞳が緋色の光跡を残す。三つ編みはまるで獣の尾のようにうねり、その先端に赤銅色をした
真央のつま先が床の上を滑る。幾重にも同じ象形を刻まれた床には、深い溝が掘られていた。また、まったく同じ場所に踵が突き刺さった。すでに石床は罅割れ、繰り返す度に破片が舞う。
真央の蹴り足に同調し、虚空を突き破るかのように破城鎚が現れた。受け入れた光を極彩色に変えて返す、鋭く研がれた、黒
衝突の爆音に、硝子の割れるような音が混ざる。破城鎚が砕けていく。けれど突進は止まらない。足と一体化しつつある拍車のついた靴に、無数の傷が刻まれていく。
壁が、金切り声にも似た断末魔の叫びをあげた。とうとう守護する魔法陣が砕けたのだ。穿たれた女の胴ほどの穴から、青白い光が伸びてきていた。
ユーズーは両手を高々と掲げた。
「いよっし! チャッカちゃん! もう一発よぉ! ドデカいのいきなさぁい!」
新たに下された命により、真央の足が新たにごく単純な図形を描く。戦鎚だ。
真央は機械的に右足を後ろに引き、まったく無遠慮に蹴りだした。喚ばれた戦鎚はまた姿を変えている。装飾の禍々しさは増し、もはや金属の輝きは無く、まるで生き物のように蠢いてすらいた。
真央の纏う燃え上がる氷が、火勢を増した。蹴り足と共に戦鎚が振られる。打たれた壁が崩落していく。饐えた血の臭いを残して戦槌が消え、やがて崩れた壁が細かな粒子となって煌めきだす。
「チャッカちゃん、先行ぉぉぉぉ。スータリは殺すなよぉ!?」
嬉々としてユーズーが令が飛ばした。
真央の動きには、すでに抵抗の意志はみられない。命令への対応には柔軟性が生まれている。逐語的な命令は必要とせず、単純な命令から最適解を選び取るようになっていた。真央は――狩人の『チャッカ』は、ユーズーの傀儡となっていた。
真央の足が壁を超えると同時。牛追い鞭が立てる破裂音のような音がした。
「ユーズー! クソ! なんで力が使えねぇんだ!?」
スータリの焦る声がし、再び破裂音が聞こえた。
一度、二度と続くが、何も起きない。
ユーズーは唇の片端をあげ、真央の背に言った。
「チャッカぁ? その裏切者の魔女をぉ、ちょびぃっと、蹴っちゃってぇ?」
真央が立てる打音と破裂音がぶつかる。虚空が割り開かれて、獣の足が伸びてきた。室内からユーズーに向かって放たれた、スータリの蹴りだ。
真央とスータリの術が正面からぶつかった。ハウリングにも似た不快な音が響いた。一瞬遅れて、何か重いものが落ちた音があった。
「チャッカちゃん。ぜぇぇぇぇんしぃぃぃん」
無表情のまま前進する真央に続いて、ユーズーは扉の大広間に足を踏み入れた。
青白い光に照らしだされた巨大なドーム空間の中心で、スータリが白銀の書見台にもたれかかっている。傍らにはA1サイズの魔術書が落ちていた。
「あっぶないわねぇ。チャッカ? 扉の魔術書が壊れたらどうすんのよぉ」
ユーズーは瞳をギラギラと輝かせ、額から血を流すスータリを睨みつけた。
「なぁぁぁ! クソガキィィィィ!」
「……いっそぶっ壊れてくれりゃよかったんだけどな!」
スータリが吼えた。しかし、怪しまれないように範子がつけた傷も開き、盗み出したプーレーヌも戦闘に用いるには向かない。
ゆえに、ユーズーは悠々と片手を差しだした。
「さぁ、ドブネズミちゃん? 私の靴を返しもらえるかしらん?」
「誰が返すかよ! そもそもこれはお前が履いてていい靴じゃねぇんだ!」
「てめぇが履いてていい靴でもねぇんだよぉクソガキ!」
怒鳴りつけ、サイハイブーツで床を抉る。
「この靴でもぉぉ――こンくらいなら出来るのヨ!」
エストックの切っ先のように鋭いヒールが、蹴りとなって顕現する。術者の実力か、あるいは靴か、それほど強力な一撃ではない。しかし、スータリもプーレーヌの反り返ったつま先が邪魔で、盾を作れなかった。
ユーズーの蹴りがスータリの肩口を捉え、鮮血が舞った。
蹴り飛ばされた躰は書見台に頭から突っ込み、白銀を真っ赤に濡らす。
スータリは血反吐を吐き捨てた。
「どのみちもう終わりだろうが。あんたについてく魔女なんていねぇぞ?」
「本気でそう思ってんの? ヨソの家はアタシの家に干渉できない。靴さえ揃えれば兵隊なんていくらでも作れんのヨ。バカね」
「そこまでして、何を求めてるんだ、アンタはよ。仲間の魔女を裏切って、魔女の家も裏切って、こんな端っこの座標でお山の大将気取って、何になるってんだ!?」
「そんなとこで終わるわけないじゃない。本当にバカなのね、あんたは」
ユーズーは歯を剥き出して嘲笑う。
まるで何も分かっていないというように、あるいは心配してくれてありがとうと皮肉でも言うかのように、天を仰いで大声で笑った。
その隙を逃さず、スータリは動いた。
術で対抗できないのなら肉体で、という判断があったのだろう。踵を鳴らし詠唱する振りをして、裏切者に躍りかかった。が、
踏み込んだユーズーが、右拳をスータリの頬に放り込んでいた。
ゴヅン、と鈍い音を立て、スータリはもんどり打って倒れた。
「ぐっ――が……クソ。クソがっ」
「悪い判断じゃないけどねぇ。腕力勝負をするなら、もっと筋肉つけなさいな!」
と、ユーズーは自らの隆々たる上腕二頭筋に口づけた。
「さぁさぁ、私の靴を返してもらいしょうか? その靴は誰にも渡せないのよ」
言いつつスータリーの足に手をかけ、力任せに靴を脱がしていく。
「やめろ! 裏切者が! チャッカ! 聞いてくれ! こいつが裏切者なんだ!」
その縋るような叫びは、しかし真央の耳には届かなかった――否、届いてはいても、自らの意思で躰を動かすことはできない。
チャッカの中で、真央の意識は消えかけている。人でなく、魔女ですら無くなり始めた躰に、人であり続けようとする意識が耐えきれなくなってきているのだ。ほどなくして自由意思は消え、人格の残滓がへばりついた狂人となるだろう。
ユーズーは煩わしいとばかりに、スータリの膝を踏み抜いた。激痛によるスータリの絶叫に愉悦し、身を震わせ、プーレーヌを剥ぎ取っていく。
「手間かけさせるんだからぁ、まったくもぅ。あとでアンタの魔女裁判を開いてあげるわヨ。他のコたちの見せしめにしてあげないとねぇ」
スータリは痛苦に喘ぎながらも言った。
「そんなことしたって、もう誰もアンタについてかねぇぞ? どうする気だ?」
「いらないわよ、アンタらなんて。あのボウヤがいれば、いくらでもアンタらより使える魔女が手に入るんだから。そうしたら、次は正式に魔女の家のひとつに組み入れてもらえるわ。そっちは私の専門分野だし? アンタは知らないだろうけど、魔女同盟だって一枚岩じゃないんだから――楽勝ヨ、おバカさん」
スータリは、ユーズーの足元に血の混じった唾を吐きかけた。
「……そう簡単にいくかよ。まだ一個だけ、忘れてるモンがあんだろうがっ」
「――あの子のことかしらぁ?」
「てめぇに倒せるのかよ、あのバケモノみてぇに強ぇ魔女をよ」
「こっちには! この! チャッカがいるの! 今のチャッカは、あのクソババアと同じなんだよ! あの親なしのクソガキが勝てるわけねぇぇぇだろうが!」
ユーズーは息を荒らげ、唾をまき散らしながら叫んだ。
「だいッたいッッッ!! あいつに! チャッカは! 勝てないでしょうがぁ!」
「――どうだかな」
スータリは顎を上げ、ユーズーの背を示した。
「あのクソいけすかねぇ魔女は、三年間もアンタに復讐する気でいたんだぜ?」
ゴツン、と靴音がした。そして、つま先に打たれた鋲が石床を食む音も。
ゴツン……ギャリ、ギャリ……ゴツン。ギャリ、ギャリ。
――ゴツン。
壊れた壁の前で、魔女の足音が止まった。
真央の虚ろな瞳が緋色の尾を引き穴を見つめる。微かな意志を戦意が塗り潰す。
裏切者に鉄槌を。
三年間同じ魔女を追い続けたチャッカの躰が、闘争を望んでいた。
そしてまた、龍鳴範子は、三年を歩き続け、扉の大広間に姿を見せた。かつて真央の祖母が悪魔と化して、その隙に乗じて逃走した、その場所に。
「復讐なんて――私は、親友を助けに参っただけですわ?」
その冷徹な声は、勝利を確信しているユーズーすら怯ませた。
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