魔女の逆襲

彼女のためだけの靴

 範子は巧の手技から目を離したくなく、眠りに落ちる寸前まで工房にいた。決戦に備えベッドを借りるべきなのだろうが、魔女の家から追手が来ないとも限らない。

 現に、スータリは未だに戻ってきていないのだ。


 夢の中で、『なぜあのブーティを買ってくれたのか』と、聞かれた気がした。

 靴が届いた日を思いだす。自然と頬が緩む。

 そして靴の入った箱を見て――、

 半睡半醒を漂っていた範子は「できた」という声で目覚めた。


「綺麗……」


 森村巧が出来たといったそれを見て、自然とそう呟いていた。

 作業台の上にあるのは、ほぼ黒一色のブーツである。ヒール高は六センチで、緩やかなくびれのスパニッシュヒールをもつ。つま先は丸みのある四角形になっていて、白く細いトゥキャップが五本、爪のように靴底まで伸びていた。

 範子が指先で触れると、巧がクスリと笑った。


「お目が高い。実は靴底にも仕掛けがあるんだ」

「仕掛け? なんですの?」


 まるで宝探しをする子供のような気分で、範子は靴を裏返した。白い革片の伸びる先、靴底には、不可視の垣根の向こうからもってきたであろう象牙色の骨が、鋲としてはめ込まれていた。


「これは……なんですの?」

「爪だよ。熊の爪。イメージだけどね」


 巧はそっと範子の手から靴を取り、説明し始めた。


「龍鳴さんの服装ってほら、ゴスロリっていうより、ゴスパンだなって思ってさ。化粧だって薄めだし。だったらってことで、靴もゴシック寄りに合わせようってね」


 範子は、甲革を斜めに編み上げるリボンを撫でた。


「ゴシック……パンク? ですの? リボンの編み上げレースアップはそのままなのに?」

「いいデザインだったからね。でもつける場所も数も変えたしさ」


 巧の言うように、鳩目の数は三つに減らされている。


「これはハファールって会社の靴を参考にして作ったんだ。つま先の形もね」

「面白い形ですわね。なんだか少し、可愛いような、でも力強いというか……」

「そりゃそうだよ。なんせドイツの山歩きの靴だから――」


 巧は苦笑しながら目元をもみほぐす。


「実をいうと、昨日の夜、龍鳴さんの寝顔を見てたら色々思いだしちゃってさ。軌道修正しながら頭の中で作り上げていったら、このデザインにたどり着いてんだよね」

「わ、私の、寝顔、ですの?」


 範子は裸も見られてしまったことを思いだした。抗議のつもりで睨んでみたが、巧はそれと気付かないのか、微笑んだだけだった。いつもの、少し大げさな反応を期待していたのに。


「寝顔っていうか、寝てる時のイメージかな。あれだけ痛い目に遭ってるのに、泣き言ひとつ言わないで、じっと丸まって寝てたから。それですぐにイメージできた」


 言いつつ、巧は白い五本の革片を指さした。


「忘れかけてたけど、すぐに思い出したよ。『翼の生えた熊』」

「……翼の生えた熊……それって……」

「そう。龍鳴さんの使ってた名前。そこがゴス要素に――ってのは冗談だけど、鷲も龍も上手くイメージできないんだよ。でも熊に翼をくっつけるなら、キャラクターっぽいからイメージできる。だからモチーフを巣穴で丸まって寝てる熊に変えたんだ」


 範子は失笑して、新しい靴のリボンを解き始めた。


「私、熊さんみたいに丸くありませんわよ?」

「分かってる。ただのイメージだよ。龍鳴さんは強くて、優しいから」

「それに、毛むくらじゃでもない」

「それも分かってる」

「まぁ、破廉恥なっ」

「えっ……ちが、違うって! そういうんじゃなくて!」


 そうそう。そういう反応をしてくださらないと、と範子は靴を手に取った。

 作りも見た目もしっかしりているのに、軽い。

 巧もようやく気づいたらしく、ため息とともに肩を落とした。


「からかわないでくれよ……気づいた?」

「なんですの?」

「軽いのは偶然だけどさ。耐久性と戦いやすさは、狙ってデザインしたんだ」

「? 戦いやすさ……ですの?」


 言いつつ、範子は靴を手にして椅子に腰かけた。


「そう。履いてもらえれば分かるけど、まずスパニッシュヒール。いわゆるピンヒールと違って太いから、力も入れやすいよ。それに思いっ切り踵を鳴らせるように、かなり硬い材を使ってる。鳩目も甲と足首、脛の三つに減らして裂けにくく。リボンには革紐の芯も入れたよ。で、最後の靴底に打っておいた鋲だね。なんで持ってこようと思ったのか分からなかったけど、持ってきてよかったよ」

「――足を通してみてもよろしくて?」


 巧の説明も耳に心地よい。しかし、足を入れてみたくてたまらなくない。


「うずうずしてるでしょ」


 言いつつ巧は、手で促した。


「どうぞ。それはもう、龍鳴さんの靴だよ」

「ありがとう。本当は、ずっと我慢していましたの」


 言って、範子はいそいそと靴に足を差し入れた。

 その靴はぴったりと足に吸いつき、擦れる感触はしなかった。リボンを締めあげ立ってみても、つま先を曲げてみても、靴と足の間に空白が生まれない。その靴は、出来た時からすでに馴染んでいるのだと言われても、不思議ではないくらいだった。


 それだけではない。その靴は、魔女の靴特有の、冷血が這い上がってくる気配を持っていない。代わりに、巧の手に包まれているかのような仄かな温もりを感じる。

 ――守られている。そう感じる。


「すごい……これが、これが私だけの靴……」

「仰る通り、だっけ? 本当の意味で誰かのためだけに作った靴だよ。他の人にはまず間違いなく履けない。正直、自分が作ったってのも信じられない。――でも、自分で言うのもなんだけど完璧な靴ができたと思う。今の俺の全部を突っ込んだし」


 範子は靴の感触を確かめようと歩いた。続いて屈伸をしてみたり、膝立ちをしてみたりもした。そのすべての動作で、足に痛みを感じることがない。酷使して疲れ切っているはずの足でも、問題もなく詠唱を刻めるだろう。


「この靴は森村さまの作った靴で、間違いありませんわ!」

「そりゃよか――とぅぁっ!?」


 範子は巧に抱き着いていた。疲れの残るであろう背中を撫でさすり、礼を言う。


「本当に、色々とありがとうございます。いまはお礼を言うことくらいしかできませんけれど、かけて頂いたご恩には、必ず報いてみせますわ」

「こっちこそ、ありがとう。初めて本気で作れた気がするよ。これは絶対に龍鳴さんのおかげだから。俺は靴を作るくらいしかできないし、待つしかないんだけどさ」

「お気になさらず。真央を助けて、お爺さまの靴を持って戻ります。それと――」


 範子は万感の思いを込めて、強く、強く巧を抱きしめた。

 出来る限り感情は閉じておくと決めていたのに、どうしたことか、そうしないではいられなかった。

 けれど今を除いては、まして正面からなど、絶対にできなかっただろう。

 世界が揺れて見えるほどの鼓動に驚きを憶えながら、範子は告げた。


「再開した折には、もっと、その――ちゃんと」

「えぇと、うん。って、うんじゃくて、俺も……」

「えぇ。巧さまも。巧さまは私の足元で一緒に戦ってくれていますわ」


 そう言い残し、範子はつま先を滑らせた。

 ちょっと待ってという声に後ろ髪をひかれつつ、扉を開く――。

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