協力者
巧と範子は工房を目指し、陽炎立ち昇る住宅街を歩いていた。
先導しているのは巧である。範子の方は日傘を片手に優雅に――とはいかないようだった。夏の強い日差しに顔をしかめている。数日前に見た光景を思い出す。あの時も額に汗の玉を浮かべて、困ったような顔をしていた。
巧は苦笑しながら言った。
「だからそんな恰好だと暑いって言ったのに」
「お構いなく。これは私のポリシーですの」
「あのTシャツ姿も結構好きだよ? 俺は」
範子は無言のまま、不服そうに眉を歪めた。ジト目にもなっている。
「まさか、靴が壊れてしまうとは思いませんでしたわ」
範子は泣きそうな目を足元に向けた。
靴のダメージが大きすぎたのか、途中で扉を開けなくなったのだそうだ。壊れたのが最後の扉を開いてからだったのが不幸中の幸いだった。
とはいえ出たのは駅前で、歩いて十五分はかかる。そんなわけもあって、巧は範子のキャリーバッグを引きながら、汗をかきかき歩いているのである。
問題なのは範子で、靴が壊れたのは扱い方が悪かったからだと思っているらしい。
実際そうだというのは簡単である。けれど靴が壊れたのは、巧が魔女の靴を作るのだと知らなかったせいでもある。もし一から作るのなら、同じ轍は踏むまい。
そう決意を新たにし、巧は慰めるため口を開いた。
「職人の腕が良くなかった。って言わないでくれたのは助かるよ」
「ご謙遜を。森村さまには私の期待以上の仕事をして頂きましたわ」
「そう言ってもらえると嬉しいけどね。ただあんな使い方をする靴だとは思っていなかったから、次はもっといいモノを作ってみせる――」
言いつつ、自宅兼工房へと続く角を曲がった巧は、真顔になった。
壊れたはずのシャッターが何もなかったかのように修復されている。そのくせ、抉られた道路の方は、進入禁止の立て看板で囲まれていた。
「モンクスですわ」
範子が汗を拭きつつ言った。
「ユーズーや、私の協力者と同じ系列の魔女ですの。交渉や偽装工作、それに――」
範子の表情が曇る。
それを見逃さずに巧が言葉を引き取った。
「誘惑とか、そんなん? モンクスってことは、聖職者とかそういう?」
「仰る通りですわ。元は聖職者に紛れた魔女たちで、情報収集も担当していたとか」
「魔女と聖職者か……昔っからそういうもんなの? 悪魔信仰とかあるし」
「悪魔信仰とは必ずしも重なりませんわ。少なくとも私は悪魔を信仰していません」
言いつつ、範子はコルセットで強調された胸を自慢げに張った。
巧は、ゴシックパンクなのに? と心中で呟いた。
「まぁ、とりあえず中に入って、冷たいものでも飲もうか」
「……ぜひ、お願いしますわ」
返答には少し間があった。ほんの少しは我慢しようと試みたらしい。
苦笑しつつ工房の扉を開くと、すぐに「遅いお着きで」と男の声がした。
巧は躰を強張らせた。魔女が来た跡があったのに警戒していなかった。範子の靴を破壊したなら、次に訪れる場所など限られているではないか――。
「おいおい。ビビりすぎだよ。俺だ。スータリだ。とりあえず電気つけろよ」
「す、スータリ?」
だからなんだ。魔女の家から来た魔女に違いはない。
と、巧は思った。
パチン、と壁のトグルスイッチが押し上げられた。工房内に橙色の光が満ちる。
「森村さま。ご安心を。私の協力者ですわ」
「協力者!? スータリが!?」
叫ぶ巧の脇をするりと抜けて、範子はスータリに向けて顎を小さくあげた。
「傷の方はどう? それと、なぜ森村さまの工房に? 危険ではなくて?」
「ケガ? まだ死ぬほど痛ぇよ。ま、幻痛だろうけどな。魔女の家は、今、大騒ぎさ。なんせ『チャッカ』姐さんが悪魔になりかけで戻ってきたからな。俺はユーズ―側についたことにして、ここの見張りに来たんだよ」
当然のように二人の間で会話が進んでいく中、
「おい! 俺にも説明してくれよ!」
巧は挙手した。蚊帳の外に置かれているようで我慢ならない。
範子が小さく頷き、工房の扉を閉める。
動き始めた空調の音に眉を寄せつつ、スータリが口を開いた。
スータリは元々日本にある魔女の家で生まれたわけではなく、起源はアメリカにあるふたつの魔女の家のひとつにあるという。戦後、アジアにある魔女の家のひとつが日本座標に移設される際、内務捜査要員として送り込まれたのだそうだ。
しかしユーズーの反乱を察知・阻止できず、父たる魔女は死を偽装し本国の魔女の家に帰還。以後はスータリが潜入任務を引き継ぐこととなった――。
とはいえ、スータリは自分が潜入させられていることすら知らなかった。事情を知ったのは二年前で、範子が追放されてから一年後である。
すでに真央のカヴンに所属していたスータリは、範子の追跡中に孤立させられ、交渉を持ち掛けられたのだ。追跡していた範子と、自らの父親の二人から。
「龍鳴一人じゃ交渉には応じねぇ。けど、親父と一緒じゃな。断れねぇよ」
とはスータリの弁である。本音ではカヴンのリーダーでもある真央を公私ともに慕っていたのもあるのだろうが、結果として範子とスータリの目的は一致し、以後は協力者として魔女の家に潜入し続けてきた。
壊れた靴を作業台においた巧は、ツールボックスを見下ろし呟いた。
「それ、龍鳴さんはどこでスータリの親父さんと連絡つけたんだ?」
「ユーズーの失敗は、制御できなくなった真央のお婆さまを、不可視の垣根の向こうへ放逐したことですの。『世界』の変化は、他の魔女の家も監視していたのだとか」
スータリが範子の言葉を継ぐ。
「要するに、異変に気付いた魔女同盟から親父が派遣されて、まず範子の潜伏を手助けしたってわけさ。昔はともかく、今は日本の座標は手出しし難くなっててな」
「手出ししにくい? なんで?」
巧の疑問に、スータリは肩を竦めた。
「……簡単に言えば、日本って土地が世界に対して特殊だったからだよ。不可視の垣根の向こう側は、なんていうか……くしゃくしゃにした紙みたいな空間になってんだよ。それを垣根で囲って、今の人の住む世界に形成されてんだ」
「ええと……つまり、魔女たちが垣根を作ったとか……?」
スータリが唸り出すと同時に、範子が後を継いだ。
「より正確に言うと、整えた、ですわ。人が歩ける範囲にある日本の国土は小さくて、それに高低差も大きくて……。太古の人々が垣根を整えたことで、より多くの世界にたどり着ける特殊な土地になっていますの」
「昔の人が整えたって……そんな、無茶な」
範子はくすりと微笑み、両手を後ろに回した。
「私も後になって知ったことですから、最初はとても信じられませんでしたわ。でも、日本には門がとてもたくさんありますの。そう、例えば……陰陽、とか」
「陰陽って……」
そんなバカなと口を開きかけた巧は、そのまま噤んだ。
風水と言ったか、昔の日本の都市計画は、宗教的な意味を含んでいたという。新宿を歩いたとき、真央も魔女の流した欺瞞情報の話をしていた。
すべてが不可視の垣根に繋がるものではないとしても、名のつけられた門は無数にあるし、それこそ鳥居ですら神の通る門ではないか。
「……だから放置されたわけだ。門に関わる、魔女とは別の同じことをしてきた連中と揉めたくないから。『ウチとは関係ない』と。言いたいから」
範子が小さく頷く。
「見ている世界も価値観も違いますもの。とはいえ、私は元から魔女の家には属していなかったことになるわけで、彼らも非公式に接触しやすかったようでしてよ?」
「……なんにせよ、理解が早くて助かるよ。もっと反発するかと思ってたぜ?」
言って、スータリは安心したように小さく肩を竦めた。
巧は鼻で息を吐いた。正直に言えば、聞いた話のほとんどが理解の外だ。
けれど、巧自身と魔女の家のつながりだけは、証拠があった。
「……俺の爺ちゃんが、あの靴を作ったせいだからな」
巧は革包丁を手に取った。魔女の家の工房で見た革包丁と、まったく同じものだ。
「爺ちゃんが使ってた道具。多分だけど、これも不可視の垣根だっけ? あっちの生き物を材料にして作られてんだよ。いままで全く気付かなかったけど」
言いつつ作業に入ろうとして、手を止めた。一応確認をとっておかねば。
「
「もちろんですわ。それと、差し出がましいとは思いますけれど、アドバイスを」
範子は水滴のついたコップを口に運び、代用靴のパンプスで靴音を立てた。
「靴の力というか……ご自身の本能に従うのがよろしいかと」
「了解。実は俺、なんとなくやりかた分かってきてるんだ。期待してて」
「もちろんですわ。大いに期待させていただきます」
範子の柔らかい声とスータリのため息を聞き流し、巧は意識を集中させた。
余った革は多くない。その表面に、どう切り取るべきかのガイドラインを思い浮かべていく。正解はどれか。
巧にとって初の挑戦だった。
しかし、継ぎ接ぎしてまで履いていてくれているとなれば、職人としてこれほど嬉しいことはない。もはやエゴだが、この靴が好きだと目一杯主張してほしい。
そのためには……あえて目立たせる形で修理するのはどうだろう。
巧は範子の背を隠れ見た。物珍しそうに棚の木型を撫で、資料を見ながら木型を探したりしている。まるで子供の頃の巧自身を見ているようで気恥ずかしくなる。
「ありがとう。龍鳴さん」
範子の耳がぴくりと動いた。しかし、それ以上の言葉を重ねる意味はない。
巧は祖父の遺した革包丁を手に、意識を革と靴とに向けた。
結論から言えば、巧は自分が魔女であり、また魔道具たる魔女の靴を創る能力があるのだと、改めて認識させられた。
残っていた革片に目を向け指先で撫でる。たったそれだけで、どこをどう切り取り、どう縫い上げていけばいいのかが分かる。革を切り抜くガイドもいらない。それが祖父の遺してくれた道具のおかげかは分からない。
しかし、確実にいえることがひとつある。
巧の仕事姿が放つ熱量は、範子だけではなく、スータリまでも見入らせた。
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