森村の血統
――数分前。
森村巧は教会の一室から出ようともがいていた。
真央を目にしてから慌てて扉に飛びついたが、鍵が開かなくなっていたのだ。ドアノブを破壊しようにも椅子が先に壊れた。蹴りつけると銀行の金庫を思わせる強固さで、足も痛めた。
そんなら窓をぶち破るしかねぇ、なんて思って即座に壊れた椅子を窓に投げる。響く爆音。揺れる教会。もちろん、窓の外からの音である。尻餅をつかされた。
急いで窓に張りついた巧は、呆として呟く。
「なにこれ……なに、あれ……」
前庭にあった石畳の道は無くなりクレーターができていて、その少し先から一本の
「って、龍鳴さん!? え、なにやってんの!?」
壊れた塀の奥で、範子が、寝転ぶ真央の足を掴んだまま立ち上がった。かと思うと次の瞬間、大地からそびえる魔女の靴を目撃した。
二人の真下から伸びあがった靴が消え失せたとき、巧の思考は止まりかけていた。
工房のシャッターをぶち破った攻撃なぞ、てんで可愛いものだったのだ。新宿の、月まで吹っ飛んだダンスクラブすら、子供だましに過ぎなかったのだ。外で繰り広げられる魔女同士の戦闘は、たった二人で始まった戦争だった。
しかし巧は開き直った。いまさら驚いてやることもないと思う。
「り、リアリティたけぇな」
理性を立て直すため口に出す。
窓の外が緑白色に光った。大音量を聞きつつ落雷だと認識する。地上すれすれで放射状に火花が散った。塀の外に落ちたらしい。慌てて空を見る。雲の黒影は見当たらない。まさに青天の霹靂だ。落ちてきたが。んなわけあるか。
巧が懸命に理性を再起動していると、遅れて落ちてきた人影が、中空で見えないブロックでも蹴りつけたかのようにジャンプした。周辺に散らばった残り火が、その姿を照らし出す。
跪礼をしている。範子に違いない。
真央が教会に現れてから一分か二分ほど。無限にも感じられる時間だった。
「止めねぇとっ……!」
巧は自分に向けて言った。あれでは、どちらかが死ぬ。範子が負けたのが靴のせいでは悲しくなるし、範子が殺して勝っても客選びを間違えた自分を恥じるだろう。一応、護符とやらを渡しはしたが、スータリが信用できないと言っていた。
しかし、今ならまだ、走れば間に合うかもしれない。たどり着きさえすれば、自分自身が盾になるやも。迷う暇はなかった。
巧は再び窓に椅子を叩きつけた。椅子がバラバラになった。窓には罅も入らない。
「ああもうクソ!」
ベッドから黴臭いシーツを剥ぎ取り羽織る。全力で走って肩から窓にぶつかる。
ぼぐり、と嫌な音がした。窓はツヤツヤ光ってる。もう時間がない。なぜか二人にそんな印象を受ける。
もう一度窓ガラスにぶつかったとき、爆音は鳴った。
想像を絶する光景だった。巨大な戦鎚が現れて、地上の木々をなぎ倒し、塀を砕き、範子を打った。風圧で窓ガラスが震動する。
範子の躰はかろうじて残っていた石畳を破壊しながら滑り、窓の下で止まった。
塀の向こうから現れた真央は、人型の何かに変じていた。
教会に近づいてくるその
あれが魔女かよ、と巧は思った。
真央の隣に誰かいる。遠くて分かりにくいが、あの筋骨隆々とした体躯には見覚えがある。ユーズーだ。そしてその足元にあるのは――、
「爺ちゃんの作った靴だ!」
まるで闇から滑り出てくるように現れたユーズーは、男物の女性靴を履いていた。虚ろとしている真央に、蹴りつけられた範子に、笑い転げるユーズー。そして特殊な靴を合わせると、敵はあいつだとすぐに分かった。
そのとき、背後で扉の錠前が開いた。
巧は弾かれたように扉に飛びつき、力任せに引き開けた。通路だ。灯りの類は一切ない。窓から差し込む月光を頼りに走る。状況が変わった今、行って何ができるわけでもないと、自身も理解していた。けれど走らずにもいられなかった。
なにかがおかしいという感覚だけではない。真央や範子を助けたいだけでもない。ユーズーの異常さのせいもある。
しかし、それ以上に、浮かんだ疑念を確認したい。
祖父はあの靴を作りたくなかったのではないか。
明かりは残り火と月くらいしかなく、遠目で見ただけでは確信が得られなかった。とてもじゃないが
巧の脳裏に、範子に言われた言葉が過る。
『お爺さまは、脅されて靴を作った』
まったく自分の知らない世界で起きていた問題の起源に、祖父がいる。それも望まぬ形で作った靴が関わっているなら――、
巧は教え込まれた信念に従い、躰を叩きつけて大扉を開いた。
燭台に灯された火が、うらぶれた礼拝堂を仄かに照らしていた。
巧は息を乱して外まで走ろうとして、轟音に立ち竦んだ。
危機を察した躰が、時間を水飴のように引き延ばしていく。
正面の二枚扉が枠ごと吹き飛び、壁が打ち壊された。その中心に黒い人影。
咄嗟に、巧は両手を広げた。
弾丸のように蹴り込まれた範子を受け止めるため、踵を鳴らす。なぜそうしようとしたのか分からない。
しかし足元はなぜか青く発光し、不思議と埃積もるタイルに靴が噛みついた。
衝突。どこかトラックの衝突事故に似ている。巻き込まれた経験なぞないが。
背中を打ちつけ弾んで転がり、説教台を腰でぶち抜く。無意識の内に範子の躰を抱え込でいた。
そして、巧は後頭部を大理石の台座で強打した。
「っっぉぉぉぉぉぉおおおおおあああああ!」
これが叫ばずにいられるだろうか。
巧は後ろ頭を押さえて悶絶した。燃えるような痛みは、血管の数十本くらいブチ切れたのかもと思わせる。頭蓋骨が陥没してますと言われても驚きはしないだろう。
だがしかし、それどころではなかった。
「龍鳴さん!!」
巧は涙目になりつつ、腕の中でうめく魔女の名を呼んだ。
返事がない。
名を呼び、今度は躰も揺さぶる。頭を打っているのは確実だし、肩口からバッサリ切られている傷も気になる。脳内警報は、さっさと逃げろと喚いてる。
だからなんだと、巧は最初の客の名を呼んだ。
「龍鳴さん!」
「聞こえていますわ」
範子は、自らを抱きしめる巧の腕に、手のひらを重ねた。
「ありがとう。受け止めてくれて」
声がいつもの調子じゃない。
巧は勇気を振り絞り、血がべっとりついた範子の頬を撫でた。
「大事なお客さまだからね。要望にはできるかぎり答えないと爺ちゃんに怒られる」
「お客としてではなくて、好きな人だからと答えてほしかったですわね」
範子は弱々しくも、微笑んだ。
巧は頬に熱を感じながら、からかっているだけだと、自分に言い聞かせた。
「冗談が言えるなら大丈夫だ。俺に何かできることある?」
「……私を信じて頂けまして?」
範子は不満そうにそう言うと、巧に抱きかかえられた体勢のまま、目を瞑った。続いて、ぼごん、ぱごん、と右足で床を叩いた。痛みに耐えるように顔をしかめて、右足首を寝かせて床に振り下ろす。乾いたタイルが三枚砕けて、発光した。
「森村さまのおかげで命拾いをしましたわ。後ほど、改めてお礼をさせて頂きます」
言って、範子は踵を打ち合わせた。破れた靴の立てる間抜けな音が、天井の崩落にかき消されていく。礼拝堂を叩き潰して、戦鎚の刻みの入った打面が姿を見せた。
巧は恐怖に耐えようと目を瞑る。
せめて範子だけでもと、細い躰を抱きしめた。
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