魔女の靴の作り方

三者三様、ともう一人。

 範子の躰は瓦礫にぶつかりゴム毬のように跳ね、礼拝堂の扉の前まで転がった。

 全身の骨が砕けているのではないかと思う痛みがあった。特に腕がひどい。指先がしびれている。折れているからか、それとも失血のせいなのか、分からない。


 ふいの一撃で、範子の意識はどこか遠くに向いていた。流れ込んできた血に目を瞬き、暗闇の中に親友の姿を探す。

 三年の時をあけてやっと話せた友人は、虚ろな目をして、棒立ちになっていた。

 苛烈だが、それゆれに見惚れるような闘争心は、見る影もない。

 しかも横に立つ魔女は――。


「――ッ! ユーズー……!」


 愉悦に浸るその姿を見て、範子は自らを奮い立たせた。

 まだ終わっていない。終れるわけがない。本当の裏切者が、まだ立っている。

 指先に力を込める。痺れ、痛み、その先で、熱された大気を撫でる。まだ動く。

 範子は片膝をついて躰を起こした。歪んだ視界が定まっていく。


「ここで寝てたら……森村さまに会わせる顔が……無くなりますわね」


 立ち上がった龍鳴範子は、ボロボロになった靴で、石畳を蹴りつけた。

 怒りの滲む紫眼は、真央の隣に立つ魔女を、睨みつけていた。



 ユーズーは、ついに追いつめた魔女をねめつける。

 すぐにでも殺す。チャッカが。

 焦げ跡の残る大地に、サイハイブーツのつま先を滑らせる。


「まったくっ……相変わらずしつこいガキね! さぁ、チャッカ! あんたの足で、裏切者を蹴り殺してきなさい!」


 踏み鳴らされる詠唱は魅了術の延長にあり、封印棺を通して浸食した魔女の靴を支配下に置くことができる。家長を示すプーレーヌでは決してできない、魔女の自由意思を奪い、強制的に操る術だ。

 かつてリスクを冒して森村巧の祖父を脅して作らせた禁制靴でしかできない、限定的ながら、ユーズーが最強と自負する術でもある。


「どうしたのチャッカ! はやく! やりな! さい!!」


 ユーズーは怒りに任せて再び令を飛ばした。

 桜木の一族は、祖母ともども意志の力が異常に強い。ほぼ全ての魔女が労せずとも言われたとおりに動き出すはずが、まさか継承された靴ごと術に抵抗しているのではないかと思わせられる。


「んもぅ! 腹立つ! いいわ! あんたも磨り潰してあげるわよ!」


 言って、ユーズーは足元に円陣を敷き、詠唱を始めた。

 桜木真央の履く靴も、その意思も、その存在ごと磨り潰して構わない。龍鳴範子さえ屠れば、後はどうとでもなる。

 森村の作った禁制靴さえあれば、全てが足元にひれ伏すのだ。


 

 桜木真央は、その詠唱を『チャッカ』の内側で聞いていた。まるで泥沼の中で響いているような音だった。意識は残っていても、躰の自由は利かない。腕を動かした感覚だけがあり、あるべき場所に腕がない。足も同じだ。視界に入る事物も認識できる。燻るミントの香りも分かる。ただ意識だけが右往左往して、躰は一切動かない。

 詠唱が終わる。自らの踵が、意志を超えて、大地から離れていく。


「さぁ行きなさい! チャッカ!」


 その甲高い叫びを耳にした途端、真央は凍えるような寒さを感じた。足が勝手に大地を打った。魔法陣を敷かずに戦槌を呼び出そうとしている。

 止めなければ――。

 分かっていても、どれだけ意志を込めても、無駄だった。詠唱はすでに終えられている。全身の熱が意識ごと靴に吸い取られていく。


 真央の瞳が範子を捉えた。赤く濁る視界の中で、不可視の垣根が剥がれていく。

 

 力を求め続ける『チャッカ』の中で、真央は戦慄した。知識としては知っている。

 悪魔になりかけている!


 堕ちる。堕ちていく。

 真央の三つ編みに、凍てついた炎が絡みつく。

 血のように紅い魔眼が、狩り殺す魔女の顔を拡大、捕捉した。

 範子は、顔を歪め、叫んでいた。


「真央! ユーズー! やめさせなさい! 私の後ろには森村巧もいましてよ!?」


 しかしその叫びは、ユーズーに愉悦を与えただけだった。


「さぁぁぁぁ、チャッカぁぁぁぁ! 一発! ぶっこみなさいなぁぁぁ!!」


 怒号と共に範子を指さし、令を飛ばす。ほとんど同時に、真央が跳ねとぶ。靴が炎の尾を引き、飛沫は氷の結晶と化して散っていく。紅瞳が闇に光跡を残す。

靴が伸びる炎の尾が連環を描き、不可視の垣根が割り開かれた。巨大な孔だ。そこにいる何者かの姿までもが露わになっている。

 その教会を呑みこむかのような孔から、轟々と燃え盛る戦槌が滑り出て――、


 

 範子はここで殺されてやるわけにはいかなかった。すでに躰も靴もボロボロで、罠に使えそうなものはロクに残っていない。他に使えるものといえば、すでに大量に流れて靴を汚している血と、もうひとつの奥の手くらいである。

 しかし、それは失われて一世紀は経過している。万全の状態でなければ範子自身も魔の者へと堕ちる。そうなれば、巻き込んでしまった森村巧も、無事ではすまない。


 なら、まずは血呪だ。

 範子は軋む躰に鞭を打ち、黄色いつま先を鮮血に浸した。ユーズーの取り仕切っていた頃の魔女の家では習わなかった方法だ。靴に血を纏わせた右足で、真央と同じように空中に陣を敷いていく。

 間を置かず範子は躰を捻り、濁る世界を蹴りつけた。


 蹴り足に同調し、教会を覆い隠すほどの巨大な尾白鷲が顕現した。怪鳥の召喚自体は、教会の前庭全体を使って構築しておいた術式と、ほぼ同じであった。無論、破壊された陣も再構築を要する。

 範子は血呪と覚悟によって、それら一切を省略したのである。


 そしてまた、直撃させれば悪魔すら屠るはずの術を、範子は防御に変換した。

 尾白鷲は戦槌の打撃を受け止めるため翼を閉じる。

 そして。

 真央が大気を切り裂きながら前方に転回する。勢いそのままに踵を落とす。

 その踵には、燃える拍車が憑りついていた。


 不可視の垣根を超えて振り下ろされたのは、突起スパイクが刻み込まれた打面ではなかった。拍車にも似た、暴力的な丸鋸だ。

 高速で回転する刃が、翼を閉じた怪鳥に迫る。

 範子は戦鎚の一撃は打撃ばかりを想定していた。斬撃がくると知っていれば、他に受けようもあったのに。


 怪鳥は断末魔の叫びごと易々と切り裂かれ、血呪が範子の躰に切創を刻む。

 怪鳥と戦鎚が消えると、範子は膝から崩れた。

 ――命だけは拾った。靴に仕込んだ護符が爆ぜ、致命傷は免れた。

 しかし、もう戦えない。運命としか思えぬ形で手に入れた靴も、無残なものだ。

 範子は膝立ちのまま、意志を押し込められているであろう真央に伝えた。


「――必ず、私が、助けるから」

「やってみなさいよ。バァァァァァァァカ!」


 答えたのはユーズー。すかさず踵を鳴らして令を出す。


「ぶっ殺しなさい! チャッカァ!」


 真央の右足が躰の周りに円環を形成する。そして、前蹴り。

 人からも魔女からも離れゆくチャッカの躰が、範子を礼拝堂に蹴りこんだ。

 古びた大扉を貫き、解れた赤絨毯を破り、朽ちた長椅子を壊した躰は、


「ぐゎばっっっ!」


 と叫んだ柔らかいものに、受け止められた。

 というか、それを下敷きにした。

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