怒れる狩人

 桜木真央が森村巧に目撃される少し前。

 魔女の家に帰還した真央は、その足でユーズーの元に向かった。


「チャッカ! なに考えてるわけ!? 新宿でクラブ半壊!? そのうえあのボウヤまで攫われた!? アンタらしくもない! どう言い訳するつもり!?」

「申し訳ありません。ユーズーさま」


 扉を開けると同時に飛来した叱責。返す言葉は見つからなかった。

 ユーズーは目を血走らせ、真央を怒鳴りつけた。


「なにか弁明くらいしろって言ってんのよ! そんなことも分からないの!?」

「あえて言えば。森村巧の作った靴は――」

「んなこと、とっくの昔に分かってたことでしょうが!」

 

 ユーズーは執務机の天板を叩き割らんばかりに拳を落とした。


「チャッカ! いまのアンタは御祖母さまの名に泥を塗りつけてんの! 狩人の血が聞いて呆れるわ! なにが魔女を狩る鉄槌よ! 役立たず!」


 真央は指先が白くなるほど強く両手を握りしめていた。

 好きで狩人になったんじゃない! 

 そう叫びたかった。そもそも真央は魔女にすらなりたくてなったわけではない。それなのに、なればなったで、必ず祖母と比較される。勝てるわけがないではないか。


 どんな無理難題であっても片手間でこなし、戒律を破った魔女を一人で狩り尽くすかのようだったという。受け継いだ魔女の靴は数多の魔女の血を吸い、そのまた母も伝説に生きる。最強にして絶対無敵の狩人だ。しかし、言ってやりたい。

 受け継いだ靴が、すでに真央から遠すぎるのだ。


 起源靴の継承というシステム自体に欠陥がある。代を重ねれば重ねるほど、靴との相性は悪くなっていく。祖母自身も曾祖母には敵わないと言い、真央が受け継いで放った術は、祖母のそれと比べるのもおこがましい。


 対して、はぐれ魔女は強さを増した。

 中でも今回の、巧の作った靴は別格だ。

 祖母が戦ってきた魔女より強いとは言わない。しかし、敵は強くなり、こちらは弱くなっている。これは魔女の家という管理システムの欠陥である――が、


「今一度、名誉を取り戻す機会をいただけますか?」


 弱音を口にするわけにはいかない。範子に手が届くチャンスだ。

 怒鳴るだけ怒鳴り散らしたユーズーが、嘲笑するかのように片笑みを浮かべた。


「名誉? 名誉ですって? 汚名を返上したいの間違いでショ? これでアナタはね、ドラ子に、三回、負けたのよ」

「たった三回だけです。その十倍以上、ボクは彼女に勝ってます」

「勝ってんのはどうでもいい喧嘩でしょうが! あの子が裏切った時も! 靴職人を見つけた時も! そして今回も! 大事な時には、いつだって負けてんのヨ!」


 俯いた真央は、歯を強く噛みしめた。床を見つめる目が羞恥と怒りと悲しみと、なにもかもが混ざって潤む。だが、怒りは腹の底へ押し込める。ぶつける相手が違うからだ。


「ドラ子――失礼、龍鳴範子は、森村くんが魔女の家で作られた靴を履いているとは知りません。ユーズーさまなら、居場所までのを見つけられるはずです」


 真央の平静を装う声に、ユーズーは苛立たしげに返した。


「それで!? 場所が追えるからからなんだってわけ!? あの子が履いてるのはボウヤが作った靴なのよ!? そこんところ分かってんの!?」

「もちろん分かっています。ですがボクが履いているのも起源靴。状況は五分です。しかし彼女自身は疲弊しているはず。それに、彼女の靴には封印棺がありません」


 靴を用いて魔術を使えば、靴自体も疲弊していく。本来なら封印棺に収めて靴の修復をするのだが、巧は専用の封印棺は制作していなかった。

 つまり修練を重ねる範子ゆえに、あの靴は相応のダメージを負っているはずだ。


「いま一度だけ雪辱の機会をください。必ずや龍鳴範子の首を殺ってきます」

「本当でしょうね? ……まぁ、アンタより外に適任はいないし、仕方ないけど」


 ユーズーが背もたれに体重を預け、宣言した。


「負けたら、追放も覚悟してちょうだい」

「分かっています。それでは、後ほど」


 真央は一礼して部屋を出た。祖母から継承した靴には、鋭い傷が残っている。魔術の使用に影響するほどの傷とは思えないが、工房で診てもらった方がいいだろう。もし次も真央が負ければ、魔女の家に範子を止められる魔女はいなくなるのだ。

 閉じられた扉を睨みつけ、真央は口の中で呟いた。

 戦闘じゃボクに勝てないくせして、偉そうに。


 そして。


 自室に戻った真央は、まるで禊でもするかのように、熱いシャワーを浴びていた。

 躰にぶつかる熱い湯は、渦巻く感情までは洗い流してくれなかった。深くため息をつき、真央は排水口に吸い込まれていく水を見送る。


 細い腰に残る水滴を拭いつつ、鏡に映る自分を見つめた。

 スータリを見舞いに行くべきだろうか。

 頭に浮かんだ考えを即座に却下する。会うなら手土産に範子を取ってからだ。


 髪の毛を乾かし編みながら、伏せられたままの写真立てに目を落とす。

 天才に恵まれた親友が唯一もっていなかったのは、明確な起源だけだった。

 血脈が分からない魔女は継承する靴もない。範子は年月とともに、自分の靴を望むようになってしまったのだろうか。


 服を着替え終えた真央はベッドに腰かけ、閉ざされたままの扉を眺めた。魔術で座標を固定しない限り、開いても壁が立ちふさがるだけの扉だ。

 三年前、範子が裏切った日の夜、扉は外から叩かれた。真央は扉を開けることはなかったのだが、叩いたのは範子に違いない。真央の扉へつなげられるのは、真央自身と範子しかいなかったのだから。


 当時の若い魔女たちは、秘密の風習をもっていた。好意を抱く魔女に、自室の扉を開くすべを教えるのだ。

 魔女にとっての自室は、血族にも教えない絶対秘密の空間である。したがって扉を教えることは、血よりも強い信頼を示すとされていた。

 それは幼い魔女たちにとって、最も大切な絆の証であった。


「あのとき開けてたら、なにか違ったのかな……」


 真央はもはや叩かれることもなくなった扉に呟いた。

 何度も重ねた空しい想像。扉を開けたとしても、範子が魔女の家を裏切るのは変わらなかっただろう。悔やんでも現実は変わらない。けれど口にせずにもいられない。


 あの夜、三度、二度、三度と続いたノックに、真央は迷ってしまった。

 ちょうど追放者が多く出た頃で、黙認されていた風習も禁則として明文化した頃だ。扉はすべて家長が把握し、抜き打ちで部屋を訪ねることもあった。無論、扉を開ければ懲罰となる。

 そこで幼い日の範子は、真央に提案してきた。


『私が真央の部屋に行くときは、扉を三回、二回、三回の順に鳴らす――ます、わ』


 慣れない言葉遣いでそう言って、はにかんでいた。

 真央は首を左右に振って、頭にこびりついて離れない笑顔を消した。


「ドラ子は裏切り者だ。ドラ子が先に、ボクを裏切ったんだ」


 闇よりも昏い瞳が、光を吸い込んでいく。

 履きなおしたジョッパーブーツの踵を鳴らし、扉の大広間へつなぐ。

 銀色の書見台の前では、すでにユーズーが待っていた。その苦み走った表情と堂々たる体躯は、家長の座に相応しい威圧感を放っていた。


「ンもぅ!! チャッカぁ! 遅いわよぅ! なにしてンのよぉ!」


 口さえ開かなければ、の注意書は必要だが。

 とはいえ、それよりも先に気になることがひとつある。


「ユーズーさま。ボクのカヴンは?」

「また五人やられたのよ? 人手が足りなくなっちゃう。出せるわけないでショ?」

「一人で行け、と?」


 真央は眉を跳ね上げた。

 渋面を作ったユーズーは、書見台に乗せられた本のページをめくった。


「あの子一人に、職人を含めて何人やられたと思ってんの? 連れて行ったって足手まといでしょ? アタシは魔女の家も守らなきゃいけないし、泣きたいくらいよ」

「しかし、それでボクが負けてしまったら?」

「そのときはそのとき。まぁ、ヨソの魔女の群れに助けてもらうしかないわね」

「そんなことになったら、魔女の家は……」

「まぁ解体でしょ。アタシもヨソで出直しか家なしになるし、困ったものよね」


 まるで他人事のような物言いだ。極東の島国に座標を取る魔女の家とはいえ、ユーズーは家長だ。貯め込んだ叡智は他の追随を許さない。それゆえの余裕だろうか。

 真央に睨まれたユーズーは、バツが悪そうに目を逸らした。


「まぁ一人の方が、アンタも都合がいいでショ?」

「と、いうと? ドラ子のことですか?」


 真央は嫌味を含めて尋ねた。

 ユーズーは片手を腰において、苛立たしげに答えた。


「そ。良かったじゃない。それも一対一の決闘、名誉挽回のチャンスよ? それとも騎兵隊と一緒になって私刑にでもかけたかった? みんなのチャッカちゃんは」


 試すような口ぶりだ。腹立たしいが、やはり口では勝てない。


「名誉なんていりませんよ。ドラ子の首が殺れれば、それでいいんです」


 そのためだけに、あの日からずっと範子の影を追ってきたのだ。

 ユーズーは眉間に深い皺をつくり、大きく反り上がっているプーレーヌのつま先に手を伸ばした。つま先を固定する脛のチェーンに指をかける。


「負けんじゃないわよ? アンタの代わりはともかく、家の再建は大変なんだから」


 言いつつ、つま先を固定するチェーンを外した。板バネが弾けたかのように、長さ約四十センチのつま先が元の形を取り戻す。

 ユーズーは巨大な魔法陣の中央で、探査の詠唱をはじめた。

 家長たる魔女は、管理下にある靴を追うことができる。それが例え空中であっても、海中であったとしても、扉さえあれば最短経路をつなぐ。


 詠唱を踏み終えたユーズーが飛びあがり、とどめとばかりに床を蹴りつけた。

 巨大な魔法陣が金色に輝く。書見台の下に敷かれた魔法陣と重なり、七色となる。

 部屋の外周に並ぶ扉が高速で回転し始めた。


 ひとりでにページがめくられていた魔法書が、倒れる石板のような音を立てて閉じられた。目にも止まらぬ速さで回転していた外壁は、やがて音もなく止まる。

  ユーズーは真剣な目をして、書見台の正面に位置する扉を指さした。


「さぁ繋げた――けど、範子の奴め。扉の探査を妨害してるワ」

「では森村くんの所在地からは――」

「少し距離があるわね。でも大丈夫よ。生きてはいるみたいだった」

「分かりました」


 真央はユーズーに向き直って言った


「行ってまいります」

「……まぁ、いいわ。いってらっしゃい、チャッカ」


 追い払うかのように手を振るユーズーに一礼して、真央は扉に向かって歩きだす。

 我、血脈の魔女なり。我、血盟に従う魔女なり。我、魔女に鉄槌を与える者なり。

 胸裏で呟き、扉を開く。


 廊下だ。人が一人通るのがやっとの幅しかなく、扉が等間隔で無限に並んでいる。扉の狭間で、曇りガラスのシェードがついたガス灯が、廊下を照らしていた。その光はあまりに弱々しく、背後の扉が閉まると、足元は闇に溶けこんだ。


 歩きだしてすぐ違和感があった。一歩踏み出すごとに左右の扉は前方に流れていく。まるで巨大な車輪に乗っているかのようだ。普段使用している扉とは異なり、人の世界にあるどこかの廊下ではない。

 突然、流れる風景が止まった。今度は扉が後ろに流れはじめる。一瞬にして進行方向が真逆に切り替わるような異常な知覚。翻弄されて、たたらを踏んだ。


 真央は思わず舌打ちし、脂汗の浮く顔をあげた。

 一か所だけガス灯が消えている。あそこが範子――正確には巧の履いている靴――に最も近い扉なのだろう。

 家長が扱う扉の術は、真央にはまさしく魔法の力に思えた。

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