魔女狩り

 濛々と立ち込めるコンクリートの白煙――のさらに奥から、悲鳴があがった。


「こいつらも罠なしか……三ケ木もそうだけど、起源靴の持ち腐れだね」


 魔術を扱うためには、必ず、力を召喚する詠唱と、自身を守るための魔法陣を設置しなければならない。ゆえに古来の魔女は、事前に魔法陣を敷くなどして、ふいの襲撃に備えたという。


 しかし、時が過ぎ、罠を張るはぐれ魔女は少なくなった。

 追放時に記憶を壊され、たとえ上手く逃げおおせても、手に入るのは模造靴でしかないからだ。現に三ケ木は手に入れた靴が起源靴だと分からず、罠を用意していなかった。

 そしてそれは、ここでも同じらしい。


「運が良かった……といっていいのかな?」


 なれば、求められるは純粋なる破壊。


 真央の黒い双眸が光を吸い込み、唇が力を求めて歪む。

 真央の強みは、人間性をかなぐり捨てた無遠慮な暴力にある。

 かつて扇動者アレイスター・クロウリーが『法の書』で示した『汝の意志することをなせ』という字句に、『他者に害をおよばさぬ限り』と但し書きをつけるのが今の魔女だ。


 しかし、狩人『チャッカ』は違う。

 チャッカこと真央は、魔女もまた人であるという根本を無視する。人道を外れ獣よりも強い攻撃性は、追放者にのみ向けられる。仲間意識を捨てるどころか、かつての親友・龍鳴範子の影を幻視し、暴力は際限なく加速する。

 そして不幸にも、首輪がわりのカヴンも、真央の両極的な性向に惹かれてしまっている。


「さぁみんな。はぐれ魔女どもを蹴り殺してやろうか」


 応。と魔女狩りのカヴンが吼えた。追放者の屠殺場に雪崩れ込んでいく。

 ブラックライトで浮かび上がる店内は打ち抜きの箱型で、張り出したテラスのように二階部分があった。上下を結ぶ動線は右手奥の螺旋階段のみだ。


 機材テストでもしていたのか、壁際のバーカウンターや最奥のDJブース上部から色鮮やかな光が伸び、白煙に乱反射している。

 侵入者に気付き逃げようする男女が一、二、三人。


「ヤナさんに伝えろ!」


 と男が一人、手に持つ酒瓶を割って構えた。他の六人からも戦意を感じる。顔面タトゥーの男――ヤナというはぐれ魔女は上階にいるらしい。

 瓶をもった男が駆け出してくるのと同時に、敵六人が一斉に床を蹴り、詠唱する。


 足友の禁制靴は革のスニーカーだ。たどたどしく刻まれた詠唱は基本の域を出るものではない。足元に靴より一回り大きな魔法陣が浮かぶ。あれでは自身を守るのも難しいだろうに。

 足音が上からも聞こえる。飛び降りてくる気かもしれない。

 薄く笑った真央は、帽子に手を添え風から守った。


「サパタリア。ここは任せるかな? ボクはこいつらのボスを追い込みたい」

「あいさ。気を付けて。アイツが作った靴だよ」


 真央は手を挙げて応え、階段にへと歩きだす。次々と詠唱が鳴りだした。つま先で陣を描き、踵を打って詠唱し、床を蹴りつけ発動させる。


「ひぃあがっ」

 

 と短い悲鳴。割れ瓶が宙を舞う。さぞ異常な光景だっただろう。身の丈を優に超える靴の踵がすっ飛んできたのだから。

 悲鳴が蹂躙の引き金となり、はぐれ魔女の一人が正面からサパタリアの術を食らった。真横に飛んだ躰はあらゆる物をなぎ倒してバーカウンターに突っ込む。のは運が良かったからではない。手加減は心優しい彼女の癖なのだ。


 一方で、はぐれ魔女の六人が喚びだした力は、粗雑であった。

 もとより正規の訓練を受けた魔女ではなく、禁制靴も巧の言う通り出来が悪いのだ。生み出された光線は、見慣れた光に申し訳程度の火力を持たせた紛い物である。


 しかも、その間に真央の配下は、騎兵の盾を展開していた。

 数条の光の矢は鋼を擦り合わせたような不快な音を残し、盾にぶつかり四散する。

 魔女たちは叫ぶ間も与えず詠唱を完了している。途端、三度の爆音。鉄錆の臭いが充満し、怒声が途切れた。サパタリアが蹴り飛ばしたのだ。


 粗悪な禁制靴と本物の模造靴では、魔道具としての精度が違う。また真央の率いる魔女は才能の多寡こそあれ、共通してある戦闘用の魔術に熟達している。

 単純ゆえに最速、そして極めれば最強の攻撃術、魔女の蹴りだ。


 また一人のはぐれ魔女が、壁に打ち付けられた。

 どうやら盾を扱うのすら難しいくらいに粗悪な靴だったらしい。

 真央は蹂躙に血を昂らせながら、右ねじの螺旋階段を上った。


「来たぞ!」「殺せ!」


 などと三人のはぐれ魔女が叫んだ。すでに魔法陣を描きはじめている。禁制靴が立てる靴音が、ヒトの観測を遮るを切り拓いていく。抽象的な力を具現化しようとしているのだ。


 真央は床を蹴りつけた。起源靴は模造靴の上をいく。蹴りつけられた床が赤熱する。冷血は熱を奪い、より鮮明に、より冷酷に、闘争に酔っていく。

 真央の躰を駆け巡る極度に色濃い狩人の血が、その血統を声高に主張していた。

 はぐれ魔女の詠唱によって、青い光珠が、ぬるりと無から引きずり出された。槌矛メイスの頭飾りだ。光珠の奥で幽かな光が明滅している。


「死にたがりめ」


 真央はそう呟くと、踵から炎の尾を引き旋回した。喚び出すのは範子に使った丸い打面の鎚ではない。あんなものではヌルすぎる。片側には絶死の刻みが入り、もう片側には拍車を模した丸鋸がついた――、


 戦鎚ウォーハンマーである。


 いま真央が喚びだした戦鎚は、騎兵の扱うそれ。騎兵の槌ホースマンズハンマーだった。

 黒鉄の鎚は真央の蹴りと同調し、不可視の垣根を超えて引きずり出される。サパタリア達が生みだす靴の踵とは決定的に異なる、戦に特化した武器そのもの。


 はぐれ魔女の喚んだ槌が真央に迫る。

 ほぼ同時、振りだされた戦鎚が、槌矛ごと三人を捉える。

 魔女の巣を揺らす轟音は、その瞬間に響いた。


 手ごたえあり。真央は回し蹴りの要領で振り抜いた右足に、たしかな感触を得た。

 戦鎚は、はぐれ魔女三匹を押しつぶし、骨を砕いていた。

 喚びだされた戦鎚が不可視の垣根の向こうへ消える。後に残る白壁は、まるで鉄球が衝突したかのように陥没し、はぐれ魔女が折り重なって埋め込まれていた。


「生きていたら、また会おうか。」


 ずるり、と魔女が壁から滑り落ちた。


「我、血脈の魔女なり。我、血盟に従う魔女なり。我は魔女に鉄槌を与える者なり」


 真央はまじないを呟いた。瞳の奥に範子の姿がちらつき、憤怒に塗りつぶされていく。唇の両端が獣のように吊り上がる。

 真央は視界の端で駆け下りてくる魔女二人を捉えた。ホールを挟んだ対岸、約十五メートル先。認識と同時に真央の足は動いていた。

 二歩の詠唱を刻んで、横蹴り。


 ガラスを叩き割る音が、階下の喧騒すら打ち消した。

 戦鎚は真っ直ぐ対岸まで伸び、壁に突き刺さっていた。ぶら下げられた大型のミラーボールが火花をまき散らして落下する。打面の逆側に付けられた拍車が丸鋸と化し、両断したのだ。

 破壊の音色に紛れて、階下でどよめきがあがった。


「チャッカ! こっちのことも考えてよ!」


 サパタリアの怒号はしかし、すでに真央の耳に届かない。

 対岸まで走った真央は、穴を穿たれた壁の前で、刹那の間、制止する。昏倒する二人の魔女を蹴った。魔術ではない。純粋な速度と筋力と重量による暴力である。


 戦意を失っていた魔女の顔に、ジョッパーブーツのつま先が突き刺さる。鼻を折られた衝撃で躰が弾む。噴きだした血飛沫がシャツを汚した。

 すでに真央の左足がもう一人の腹に食い込んでいる。犠牲者はくぐもった悲鳴を残して吹き飛び、落下していった。


 真央は頬に散った血を親指の背で拭い、階段を駆けあがっていった。扉。跳躍し、思い切り床を踏みつける。 

 戦鎚が天井を破砕しながら現れ、扉を上から叩き潰した。

 真央は亀裂クラックの入った三階事務所へ、悠々足を踏み入れた。


 階下とは似ても似つかぬ、形式美の如くありふれた、ヤクザ者の部屋だった。悪趣味な剥製や置物が並び、開いた形跡のない帝王学が本棚に詰まっている。

 真央は、魔女どころか悪魔のような眼をして、帽子のつばを下げた。


「やあ。さっきはどうも――ヤナ、だっけ? 下の連中が呼んでたよ?」


 わざとらしいマホガニーの机の後ろで、ヤナと呼ばれていた男は、革鞄に何かを詰め込んでいた。日焼けした顔が心なしか青ざめていた。


 デスクの上には小さな切手シートにも似た紙束が乱雑に積まれている。ミシン目で区切られた紙片は切手より二回りほど小さい。一枚ごとに絵柄は微妙に違うが、五芒星が描かれている。秘薬を染み込ませてLSDとでも称し、密売していたのだろう。

 ヤナは警察か何かと勘違いして、持って逃げようとしていたのか。


 下衆め。戒律を知らない、はぐれ魔女め――、


「蹴り殺してやる」

「てめぇ! さっき下にいた――魔女狩りってやつか!」


 ヤナが上擦った声を上げ、デスクを打ち壊さんばかりに叩いた。


「魔女の家がなんだよ! 俺はムーチャーに魔女に格上げしてもらってんだ!」

「ムーチャー? 知らない名前だね。どこの誰か教えてくれたら、尻叩きくらいで許してあげてもいいよ。どうする?」


 ぶつり、とヤナが唇の端を噛み切った。 

 ヤナは片手をデスクについて飛び越える。その間にも、真央はつま先を床に滑らせ魔法陣を描き始めていた。描いた図形は、盾を示す。


 事務所の床に罠の痕跡があった。すでに描かれていたのは風の刃を喚ぶ言葉だ。

 罠を張ったのが粗悪な靴なら、先と同じように、わざわざ防御を先行させたりはしない。しかしヤナが履く靴は――たとえ履いている魔女ができそこないだとしても――巧が作った靴なのだ。


 真央は、敗北の屈辱をはっきり記憶している。

 あのとき、模造靴で作った盾は紙のように切り裂かれてしまった。靴は傷つき、迫る嘴から逃げ回るので精いっぱいだった。巧を抱えていたのも言い訳にはならない。

 ゆえに真央は、まず盾を喚んだ。そしてその選択は、正解だった。


「ぶっ殺してやるぁぁぁぁ!」


 踵は咆哮とともに打ち鳴らされた。横なぎに足が振られる。

 真央は刃の閃きを目視するやいなや、作った盾を放棄した。

 咄嗟に左足を突きだし屈む。

 金擦れの音が風を切る。刃がすべてを切断しながら、顕現した。


 男が不可視の垣根を超えて召喚したのは、緩やかな弧を描く風の刃であった。大太刀よりも巨大で、野太刀よりも肉厚で、刃は分子すら切り裂く鋭さを有していた。

 刃が壁を切断しながら走る。盾に食い込み、切り飛ばし、角度を上げた。


 真央の靴に鋭い切り傷が入った。

 冷血流れる躰が怖気に震える。直感に従い、盾で受けつつ回避した。そのどちらが欠けていても、真っ二つになった頭から血飛沫が上がっただろう。仮に真央の靴が致命傷を抑えたとしても、戦闘を続けることなどできなかっただろう。


 ――が、躱した。今度はこちらの番だ。


 真央は伸ばしていたつま先を倒し旋回した。風を切って床に刻む円陣は、最速の術。十二人の配下と同じ、魔女の蹴り。刃が消えていく。男の足が地に降りていく。真央の足元で、光を吸い込む円陣が完成した。

 ヤナの顔が歪んだ。いまさら攻撃が失敗に終わったと気付いたのだ。遅い。


「月を見てきな」


 真央は殺意を吐き捨て、蹴りつけた。

 喚び出されたそれは、振り上げられる戦槌だった。

 床と、天井と、空間を押しつぶし、ヤナを壁ごと月夜の街に打ち出した。

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