『チャッカ』のカヴン

 追跡を引き継がせてからしばらく。

 真央の元に戻ってきた斥候によれば、はぐれ魔女は、二丁目の西側、最近できたばかりのダンスクラブに入ったという。

 すぐに向かった真央と巧は開店待ちを装い、店の対面の壁にもたれかかっていた。


「開店準備中にしては随分と出入りが激しいね」


 真央はサングラス越しに、ネオン看板下の大げさな扉を睨んだ。聞きたいのはもちろん、新たにクラブに入って行った青年の、靴についてである。

 巧は額に浮いた汗を手の甲で拭った。


「ああ、うん。さっきのもキャストじゃないか」


 言わんとしているのは、先ほど入った青年も禁制靴を履いていた、ということだ。これで五人目。いずれも真央が記憶している追放者の顔とは一致しない。つまり管理外で生まれた魔女ということになる。


 思ったよりも大きな狩りになるかもしれない。

 真央は踵を微かに鳴らして、魔女の家に応援を求めた。入っていった五人以外にもいるに違いない。日の陰りからして時刻はそろそろ十九時を回る。すでに奴らのボスは中にいるのかだろうか。それとも――。

 巧が慌てたように目を伏せ、呟いた。


「黒ストだ。二時の方向のホストっぽい奴。写真と顔は同じだけど――」

「だけど?」


 真央は問いつつ視線を滑らせた。件の人物を目撃した瞬間に、直感した。

 はぐれ魔女だ。

 アシンメトリーモヒカンの男が肩で風を切っていた。顔の左半分にタトゥーを彫りこんでいる。日が落ちかけてもなお暑いのに、厚手の真っ赤なジャケット。さすがに長袖を選択する元気はないのか、インナーはタンクトップである。


「どこか違う?」

「俺の見せられた写真じゃ、入れ墨なんて入ってなかった」

「……化粧で隠していたのかな。だとしたら、呪術の類かもしれないね。」


 巧は返答せず、顔を隠しながら真央の方へ躰を向けた。ほとんど同時に、はぐれ魔女と真央の視線が交錯する。およそ十五メートルの距離を超えて、視姦されている。

 真央はパナマハットのつばをつまんで、お決まりの愛想笑いを顔に張りつけた。


 待ってろ。すぐに蹴り殺してやる。


 口の中だけで呟き、会釈する。

 はぐれ魔女はぬらりと舌を出し、振った。舌先についた銀色のピアスが、ぬらぬらと光っている。顎をしゃくって、店の中へと消えていった。

 真央はハットを上げて、前髪を押し込んだ。


「……随分と品のない男に見えたけど、あの靴は似合っていると言えるのかい?」

「……どうかな。靴が履く人を選ぶわけじゃないから。俺としてはマジメに頼んできたあの女の人から注文を受けたわけだし……まぁ、紳士靴とは言うけどさ」

「なるほど」


 真央は壁から躰を離し、焼けたアスファルトを踏みにじった。


「ところで知ってるかい? モヒカンっていうのは、インディアンの部族の名前なんだよ。彼らの言葉では狼って意味らしい」

「インディアンね……なら、モカシンにすれば良かったのに」

「モカシン? なんだい、それ?」

「……桜木さん、自分の使う道具の勉強はしないわけ?」

「……ボクに合う靴が少ないから、しなくても済んでいたんだよ」


 鋭い指摘に、真央は思わず減らず口で返してしまった。決まりの悪さを隠そうと、続けて「それで?」と苦笑する。

 巧が細く、長く息を吐き出した。呆れられたのかもしれない。


「インディアンが発明した靴だよ。シンプルだから俺は好きだな。いまじゃモカシン縫いなんて言い方もあるし、昔は革一枚で作ったんだとか。特にそっちが好きかも」

「そういやアンタ、一枚革の靴が好きだって言ってたよね」

「うぉっ!?」


 突然現れたサパタリアに、巧が頓狂な声をあげた。よほど驚いたのか咽ている。

 真央は丸まった巧の背中を撫でつつ、サパタリアに声をかけた。


「早かったね。他は?」

「すぐ来るよ……って、何? その帽子とサングラス」


 サパタリアは重心を左足に預けて、首を傾げた。立てたつま先が夕日を返し、赤黒い光を返している。靴工房で履いていたエンジニアブーツではない。キューバンヒールの、黒いサイドゴアブーツである。もちろん、模造靴だ。

 真央は帽子を指さして言った。


「そっちも髪までまとめてきて、本気じゃないか。実践は久しぶりだけど大丈夫?」

「余計なお世話。昔は私よりずっと弱かったってのに……」

「いや、相手が相手だからね。ボスの相手はボクってことでいいかい?」

「他に誰がいるのさ? その方がいい。あと『チャッカ』姐さんの本気が見れるって息巻いているのを、どうするかだよね」


 たしかに。相手は巧の作った靴を履いている。スータリめ。お遊び気分でこられても足手まといにしかならないではないか。

 真央はため息まじりに、腕を組んだ。


 そうしている間にも辺りは暗くなり、街の空気が変わりだしていた。ただでさえ怪しげな街がより怪しげに、日中焼かれたアスファルトの熱放射が真央を高揚させる。

 コツ、コツ、と足音が響いた。音は数を増し、年恰好もバラバラな男女が集う。

 一種異様な気配に気づいた巧が、怯えたような声で言った。


「え、これ、みんな、魔女?」

「見りゃ分かんだろ? 魔女で、チャッカ姐さんの兵隊だ」


 言って、スータリも姿を見せた。十二人の魔女が、真央の前に馬蹄形に並んだ。


「……てか、職人じゃなかったんだ……?」


 と、巧が呟くように言った。

 真央が訂正するより早く、


「本職じゃねぇってだけだよ。戦えない奴は黙ってろ」


 と、スータリがドスの効いた声を発し、膝に手を置き頭を下げた。その姿は舎弟であると公言して憚らない。

 真央は呆れて肩を落とした。


「スータリは森村くんの警護をしてくれるかい?」

「しゃす! ああっしゃ……え? ええぇぇぇぇ!?」


 スータリは瞬時に涙目になり、周囲の魔女たちが失笑した。なんでっスか、という情けない声を無視して、真央は他に四人を指さした。


「君らでフォローしてやってくれるかい?」


 四人の頷きを見て、続ける。


「他は、サパタリアの指揮下に入ってもらえるかな? 質問は?」

「しゃス!」


 間髪いれずにスータリが手を目いっぱいあげていた。面倒くさい。

 真央はサングラスを取り、差しだした。


「これあげるから、少し静かにしててよ」

「なっ、姐さん! そんなのってないッスよぉ!」


 嘆くスータリの手に、強引に握らせる。間髪いれずに指示を出す。


「このあたりだと森村くんが危ないから、少し離れたところに。いいね?」

「ぬぐぐぐぐぅ……しゃす! ああしゃっす!!」


 スータリは不承不承ではありつつも、肯定らしき返事をした。迷惑な話だが、『チャッカ』の私物を譲り受けるというのは、彼にとって名誉なのだろう。純粋な好意だと思いたいのだが、それも歪んでいると頭が痛くなってくる。

 真央は巧に目を向け、小声で言った。


「スータリはこんな調子だけど、腕は悪くないんだ。安心していいよ」

「そりゃまぁ、いいけどさ……大丈夫なのか?」


 魔女たちが、つまらない冗談だとでもいうように、顔を見合わせる。

 サパタリアが踵を鳴らし、魔女たちを睥睨した。嘲るような空気が消えた。

 真央は巧に微笑みかけつつ、薄い胸板に握りこぶしを当てた。


「心配してくれてありがとう。でも大丈夫さ。ボクは『チャッカ』だからね」

「そ、そう……えぇと……気を付けて」

「うん。ありがとう」


 真央は魔女の兵士たちを見回し、言った。


「我らは魔女に鉄槌を与える者なり。我ら掟を破りし者を打ち砕く鎚なり」


 皆が低い声を合わせた。狩りの前の祈りだ。

 真央は笑顔を歪めた。躰の内側、芯に近いところで、戦意が燻っている。十二人の魔女を引き連れ、踵を鳴らして歩きだす。


 チャッカを含めた八人の狩人となる。連なる足音は軍靴のようでもあり、自らの得物を誇示して歩く、騎兵団のようでもあった。

 扉の前で足を止め、真央が静かに言った。


「サパタリア」


 黙したままサパタリアが前に出る。振りあげられた足がアスファルトを踏み抜く。

 爆発音じみた靴音が街路にこだまする。踵の刺さった路面が放射状に罅入り、砕け散る。直径二メートルほどの、黒い円陣が湧いていた。

 追放され、なお掟を破るはぐれ魔女への、宣戦布告である。


「いくよ?」


 サパタリアはそう言って、純粋なる喊声とともに、蹴りを繰り出した。単音の詠唱が魔女の靴と魔術を同調させる。

 虚空より現れた巨大な靴が、質量を無視し加速する。

 号砲にも似た破砕音が耳を劈く。

 それは、まるで建物自体を破壊しようかという一撃だった。

 

 踵の突進を受けた扉はバラバラに砕け散った。

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