扉の大広間にて

 真央がつないだ扉の先は、青白色の円形ホールだった。

 ドーム状の天井に窓はなく、燭台や照明もない。だというのに、切れ目のない石床は青光に照らされて、粘りつくような青白色を返していた。

 

 中央には六芒星の魔法陣が敷かれ、頂点を繋ぐ円環にはアラビア語にも似た文字列が配されている。頂点のひとつから銀色の書見台が生えており、茨の装飾が施された巨大な金表紙の本が安置されていた。


 左右に目を滑らせれば、大人三人が手をつないでも足らない太さの柱が外周に並び、その奥に、様々な形の扉が見える。扉同士の間隔は二十センチほどしかなく、外周長を考えれば五十以上は並んでいるらしい。


「遅いわヨ! 靴履き替えるのにどんだけ時間かけてんのヨ!」


 雷鳴のような怒声がホールに響き、柱の陰からユーズーが姿を見せた。


「それで!? どこにつなげばいいわけっ!?」

「えぇ、新宿じゃないかと、森村くんが……」

「新宿っ!? なんで新宿なのっ? 根拠はっ!?」


 ユーズーがヒステリックに叫んだ。その勢いに気圧された巧だが、真央に手を引かれ、正対する羽目させられてしまった。鍛えあげられた肉体は間近でみると威圧感が強く、抗い難い。

 しかし、巧も勇気を振り絞り、口を開いた。根拠はあるのだ。


「えと、龍鳴さんは住所も書いてくれなかったんスけど……二人目のお客さんには、注文のときに写真を見せられたんスよ……」

「写真っ!? なにそれ、なんでさっきその話をしないのっ!」

「さ、さっきはちょっと混乱してて、でも、いまははっきり思いだせるんスよ!」


 なんでこんなに脅かされなきゃならないんだと思いつつ、巧は説明した。

 一人目の客――三ケ木にTストラップパンプスを引き渡してからしばらくして、その女は現れた。かなり派手な服装をした女で、水商売かなにかの女だと思った。

 女はやはり大きな鞄を抱えており、三ケ木から工房のことを聞いたと言っていた。そして、一人の男の写真を見せられた。


「男っ!? 来たのは女じゃないのっ!?」

「えと、彼氏に靴を作ってほしいってことで……」

「それでなんで新宿なのヨ! まさか女が水商売風だからって――」

「その女の人が、新宿のクラブで働いているって言ってたんスよ! クラブの名前とかは教えてくれなかったッスけど……頼まれた靴もシンプルな型の靴だったんで、会社の人とかとも会うようなクラブなのかな、と思って、それなら……」

「たったそれだけ? それだけで、新宿?」


 ユーズーは眉間に深い皺を刻み、歯を軋ませた。


「いくらなんでも、根拠薄弱じゃない?」


 んなこと言われても、と巧が抗議しようとしたとき、真央が助け舟をだした。


「お忘れですか? 森村くんもまた魔女です。それとも、以前と同じように網を張ってドラ子を探してみますか? つい先日までまるで成果がなかったのに?」

「……一回あそこで取り逃がしてるのに、随分強気じゃない。チャッカ」

「だからこそ、です。今度追いかけるのは、ドラ子本人じゃありませんし、魔法の使用を感知できていないのなら、まだ合流されていない可能性も高いはずです。それなら、まずは二足目の回収を優先すべきです。違いますか?」


 真央とユーズーの強い視線が交錯する。巧は飛び散る火花を幻視した。

 舌打ち。先に折れたのは、ユーズだった。


「靴をつくった本人が言うからよ? 新宿までつなぐから、必ず見つけなさいよネ」

「それは森村くん次第で、保証できかねますよ」


 真央の言葉を聞いた瞬間、ギヌロ、とユーズーが巧を睨んだ。


「ど、努力しまス……」


 巧は縮こまりながら、そう言った。

 呆れたように鼻を鳴らしたユーズーは、プーレーヌの鎖を外さぬままに、踵を床に打ちつけた。途端――。


 書見台に置かれた巨大な本のページが、バタバタとひとりでにめくれた。開かれたページの文字が赤黒く発光する。足元の魔法陣が輝き、光の帯が伸び上がった。

 そして、まるでルーレットの中心部にいるかのように、ホールの外周が回り始めた。部屋が回転しているのなら振動や音があるはずだ。しかし響くのはユーズーの踏む奇怪なステップの靴音だけ。


 巧は糸を引くような扉の回転に目を奪われ、平衡感覚を幻惑された。残像には様々な色が混ざっており、すべての扉の色形が違うことを示す。視界の範囲に収まらないどこかで外周が入れ替わっているのだ。

 外周の回転は、音が途切れると同時に止まった。


「さぁ行きなさい……って、何してるのっ!?」


 青い顔をした巧を、真央が支えていた。


「大丈夫かい? 悪いけどここに長居はできないから、休憩は次の扉まで我慢して」

「次の、じゃなくて、次の次でしょ!?」


 ユーズーの声がどこか遠い。足元が波打つ。

 巧はこみ上げてくる吐き気を堪えて、頷いた。完全に酔っていた。

 真央は苦笑しながら、巧の腕を絡めとる。


「ごめんね。ゆっくりでいい、とは言えないんだ」

「そうよ、さっさと行きなさい! 私も忙しいんだからっ」

「分かってますよ、ユーズーさま。協力者にそんなに強く当たらないでください」

「うるさい! 早く行きなさいな!」


 真央と巧は、追い立てられるようにして、書見台の真裏にあたる扉を開いた。

 蛍光灯に照らされた、長細い薄緑色の通路が続いている。両手を広げれば壁に触れられそうだ。天井近くにアルミで覆われた空調管が伸び、床は埃だらけだった。


 がぁん、と響いた金属質な音に驚き、巧は首を振った。

 くぐる前に木製だった扉は、金属のものに置き換わっていた。白地のプラスチックプレートには、ゴシック体で『従業員専用』と刻まれている。

 

 何が、どうなっているのか。

 ぐいと腕を引き上げられた瞬間、巧は引き続く胸のムカつきを忘れた。

 右上腕に、柔らかな質量を感じたのである。


 先ほどまでの酔いはどこへやら。巧の意識は白シャツ越しの生々しい感触に向いた。思わず目もいきそうで、慌てて目のやり場を探す。

 絡みつく真央の腕、その手首で、茶褐色の石が光っていた。


「宝石?」

「ん?」


 真央が手首を返して微笑む。


「森村くん、けっこう目聡いね」

「……なんか聞いちゃまずいことだった?」


 口調も声色も変わっていないが、一瞬、真央は苦み走った顔をみせたのだ。


「そういうとこも、目聡いね」


 言いつつ、巧の肩を引き上げ、次の扉の前で言った。


「大したことじゃないよ。昔、ドラ子を悔しがらせた一品さ。さぁ手を離さないで」


 巧は口をつぐんだ。離せるわけがない。痛いほど強く握られていたのだから。


   *


 真央と巧が扉の奥に消えた直後、ユーズーは床を思い切り蹴りつけた。


「なにやってんのよっ! あのバカはっ!!」


 叫んだところでどうにもならないのは、よく分かっていた。アシがつかず魔女候補の素養がある者となると、数が限られるから仕方がない。しかし――、


「三ケ木も! ヤナちゃんも! なんであんなバカなわけっ!?」


 まさかヤナちゃん――柳川が自分の女を使って靴を作らせるとは思ってもみなかった。ましてや三ケ木が魔女の家でも使っていた名前を使うとも。幸い三ケ木の記憶破壊は上手くいっていて、ユーズーの名前は出さなかったが……。


 長い月日をかけて進めてきた計画が、破綻し始めている。

 魔女同士で交わされる血の契約に従い、森村巧の祖父が死ぬのをずっと待ち続けてきた計画だ。やっと実行に移せると思いきや、あの女――三年前に殺し損ねた、


「りゅ、う、な、きぃぃぃぃぃぃぃ!」


 ユーズーのこめかみに青黒い血管が浮き立つ。握りしめた拳から血が滴る。

 どこで森村靴巧房のことを知った。どこで森村の血統を知った。まさか、例のフリマアプリがどうだとかいう、それだけじゃないはずだ。


 そんな運命じみた話、絶対に容認できない。


 ようやくつかんだ地位。ようやく手に入れた魔女の靴。今失うわけにはいかない。

 全世界に十三個ある魔女の家、そのひとつに、成り代わるために。

 ユーズーは書見台に置かれた巨大な本に手を伸ばし、力任せに閉めた。


 荒くなった息を整え、切り替える。

 最悪でも森村巧が生きていればいい。唯一の危険分子である龍鳴範子さえ始末してしまえば、最強の矛として使ってきた桜木真央も用済みになるのだ。


「まぁ、最小限の犠牲ですんだとしましょ」


 独りごちたユーズーは、執務室への扉を開いた。

 苦労して集めた手勢だが、自らの素性を明かすようなヘマをするなら、要らない。

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