森村巧を守るもの

「戻った……けど、何してるんだい?」


 真央は足を止めて、涙目のスータリに言った。巧とがっちり握手している。


「えぇと、とりあえず仲直りはしたみたいだね」


 スータリは弱々しく首を左右に振った。完全に怯えている。理由は彼の手を握る人間――森村巧だろうか。血走った目をギラギラと輝かせている。よくみればサパタリアも巧から間合いを取り、他の職人たちも関わり合いになりたくないとばかりに、やる必要もなさそうな作業と向き合っていた。


 きっかけは、一足先に工房に戻ってきた、サパタリアである。

 彼女が戻ってきたとき、巧とスータリはすでに謎のにらみ合いをしていた。人生と情熱の大半を靴づくりに注いできた巧と、半ば惰性で靴づくりをしているスータリ。二人が反目し合うのも当然である。

 しかし、そんな一触即発の空気は、彼女のごく単純な質問で吹き飛んだ。


「森村くんだっけか。どんな靴が好きなのさ」


 サパタリアがそう口にした瞬間、巧の魂に火が点いてしまったのである。なにしろ十一歳の夏に祖父が亡くなってから、独りで靴を作り続けてきたのだ。中学生活は自己紹介の段階でハイヒールづくりが趣味とのたまい、鋼鉄よりも硬いはずの知人フラグすら一瞬で粉砕してしまった。


 そんな巧に、場所と人が合致した、趣味を語りつくせる瞬間が訪れたのである。

 巧は靴の美しさを語りに語った。話はサンダルの誕生から始まり、細かいとこではヒールの形状だの穴飾りだの、滔々と自らの偏愛フェチをさらけ出し、ドヤ顔で言った。


「やっぱり究極はホールカット! 装飾なしで内羽根で、木型の出来と革の良し悪しがなによりも重要で、それをきっちりと釣り込んで成形する腕がなきゃいけない!」


 語れば語るほどに、巧の内側で燻っていた情念が爆発炎上する。

 周りの職人に止める術はなかった。

 巧の情熱が燃焼し終えたころには、靴工房の魔女は一人残らずドン引きしていた。

 

 そもそも工房で働く魔女たちは適性があるというだけで、それを本職としているわけではない。言ってみれば、工場生産における機械の代わりだったのだ。

 信頼して送りだしたはずのサパタリアが作り出した惨状に、真央は苦笑した。


「いまいち状況が飲み込めないけど、とりあえず喧嘩はしなかったみたいだね」


 すでに『チャッカ』のモードに入っているのか、真央の声には余裕がにじむ。

 巧は聞き慣れてきた声を耳にして、ようやく我に返った。のだが――。


「それ! ジョッパーブーツじゃん!」


 今度は真央の履く靴が、興奮の残り火を再燃させた。まるで補食対象を捉えたアシダカグモのように、迷いなく足に飛びつく。その接近速度は目にも止まらぬほど――とまではいかなかったが、有無を言わさぬ迫力だけはあった。


「ひっ」


 真央の口から、対魔女戦闘でも出したことのない悲鳴が漏れる。

 しかし巧はまるで気にせず、彼女の履く靴に手を伸ばした。

 黒みがかった焦げ茶色のジョッパーブーツは、やはり既存の皮革では作られていない。くすみを残したマットな仕上げはチタンのような滑らかさをもつ。体温を吸い込むような冷たさも、どこか他の魔女の靴より深く感じる。


 しかし、妙だ。

 ベルトのバックルが外踝側にあり、一般的な型よりもやや低い位置にある。

 ジョッパーブーツは乗馬用の靴である。その名残として、踵側に拍車を乗せるためのくびれがある。従って、バックルが外側に突き出ていては、理にかなわない。


「これ、修理とか改造とかしてるの?」

「い、いや……そういう話は、聞いてない、けど……」


 真央は巧から目を逸らしつつ答えた。歯切れが悪い。


「いやこれ、古い靴なんだよね?」

「そ、そうだけど?」

「それにしちゃこれ……糸も張りがあるし、革にしわも寄ってないし……なんで?」


 言いつつ、巧は靴を持ち上げた。


「ちょっ森村くん。いまはそんな場合じゃないんだ」 


 転びかけた真央が、巧の肩に手をかける。


「靴の話なら後だ。いまは早く禁制靴を回収しないといけない。分かるよね?」


 駄々をこねる子供を諭すような口ぶりだが、音色は冷やかである。

 肩を握る手に力が入り始めたところで、さすがの巧も気付いた。


「は、はい。い、いきましょう……」

「うん。じゃあその手、離してくれるかい?」


 にっこり笑っている。しかし目は、手をどけないなら蹴りつける、と脅していた。

 巧は冷や汗をかきつつ両手をあげた。交戦・抵抗の意志はありませんのポーズだ。

 真央は頷きで答えて、サパタリアに言った。


「忘れるところだった。例のやつ、大丈夫?」

「準備はしてある。タイミングがね……」


 言いつつ、サパタリア手にぶら下げていた靴を巧の前に並べた。

 巧の履く靴とほぼ同じ、ペニーローファーである。 


「……靴? 靴なら履いてるけど……」

「それはただの靴だよね? そうじゃなくて魔女の靴をキミにも履いてもらうのさ」

「へ? な、なんで!? え? 俺もあの、魔女なわけ? 俺も戦うわけ!?」


 手伝うとは言ったが、戦うなんて話は聞いていない。

 そもそも、スータリに凄まれただけで思考停止するくらいだ。喧嘩はおろか、魔法を使っての戦闘など、想像もつかない。


「んなわけねーだろ靴フェチ野郎」


 スータリの罵倒が横から飛んだ。

 んなわけないこともないのか、真央の冷淡なジト目がすぐに訂正を加えさせた。


「いや、こう、なんだ。魔女かもしれねぇけど、そういう役割を期待してのことじゃねぇよ。保険ってやつだ。ですよね? チャッカ姐さん」

「だいたい合ってるよ。保険というより、保護だけどね。あと姐さんはやめること」


 その一言で、ガッツボーズを取りかけていたスータリは、手を静かに下ろした。

 巧は小さく挙手して聞いた。


「保護って、ええと、ごめんなさい。状況がよく分からないんですけど?」


 答えたのはサパタリアだ。足元のローファー指さして言う。


「保護は保護だよね。魔女はどこにでも出てくるからね。とりあえずその魔女の靴を履いていれば、命だけは失わずに済むよ。魔女の靴が代わりに壊れてくれるからね」

「か、代わりに、靴が……?」


 巧は呆けたようにいい、並べられた疑念の目を向けた。

 どこにでもあるペニーローファーにしか見えない。


ペニーローファーは、サドルストラップに切り込みのあるローファーだ。魔除けとして一セント硬貨ペニーを挟むため、そう呼ばれている。しかし、いま挟まれているものは違うらしい。直径二センチほどの赤金色をした金属板で、閉ざされた門と歪んだ五芒星が彫られていた。

 真央が少し呆れたように言った。


「それは護符タリスマンっていうんだ。閉ざされた世界の門が、不可視の垣根を飛び越えた力から、森村くんを守ってくれる」

「世界の門? 不可視の垣根? えぇと……」

「あー……あんまり気にしないでいいよ。ボクだけで森村くんを守り切れなかった時の保険さ。それに森村くんなら、ドラ子の一撃か二撃くらいなら耐えるよ。多分ね」

「一撃か、二撃……それも、多分……」


 巧は言葉を反芻しつつ、護符入りの靴に足を入れた。瞬間、思わず身震いする。まるで真冬の流水が血管を流れたような怖気に、全身の肌が粟立つ。

 追い打ちをかけるかのように、スータリが嫌味たらしく付け加えた。


「きっと大丈夫だろ。誰も試したことはねぇけどな」


 マジか。と巧は両肩を抱きしめた。背筋に走った緊張を押し殺す。

 魔法のシステムなぞ、一切知らない。しかし本職の魔女で、どうやら強いらしい真央がケガした一撃をもらって、本当に耐えられると保障できるものなのか。

 真央はスータリを睨みつけ、巧の縮こまってしまった背中を叩いた。


「大丈夫さ。ボクを信じて。最悪の場合を想定してのことだからさ。いいね?」

「ほんとに? ほんとに大丈夫なの?」

「ボクは戦いしか能がないけど、代わりに誰にも負けない。森村くんは絶対に守る」

「よ、よろしくお願いします……」


 そう答えておく。実のところ、巧は真央のアルカイックスマイルから、信頼感や安心感を得られないでいた。黒曜石のような瞳が、まるで笑っていないからだ。

 もしかしたら、それこそが魔女の家の住人たちにとって信頼感に通じるのかもしれないが――。


 巧は不安を振り払い、数歩その場で足踏みをした。革自体は思いのほか柔らかく歩きやすい。見た目はコードヴァンや合成皮革そのものだが、曲げに対する抵抗は少なかった。しかし、微妙にサイズが大きい。長時間歩けば靴ズレは確実だ。


「これ、中敷きとかあります? あるいはワンサイズ下とか」

「悪いけど不純物は入れらない。それに滅多に使わない代物だから、在庫は――」

「ないね。作ってたら管理数を越えちまうよ」


 サパタリアの回答に、巧は口を噤んだ。生産数が決まっているなら仕方ない。

 その一瞬できた空白をつき、真央は巧に手を差しだした。


「さぁ手を掴んでくれるかい? さっそく裏切り者たちを探しに行こう」 

「え、あ、うん」


 流されるままに手を掴んだ巧を、真央が引っ張っていく。

 巧は背中に刺さる職人たち――特にスータリの強烈な目力を感じつつ、扉の前で尋ねた。


「えと、それで、どこに行くんだ?」

「ドラ子がいそうなところかな。どこだと思う?」

「どこって……えぇと、新宿……とか、かな?」

「念のために聞いておくけど、根拠はある?」

「まぁ、一応……」

「それなら大丈夫。森村くんを信じるよ。ついてきて」

「って、え!? 俺が行き先を決めるってことなの!?」

「そういうことさ」


 言うなり真央は踵をコツコツとぶつけ合わせて、床に円環と複雑な文様を刻んだ。三度鳴る踵の音。扉の向こう側から、行きかう人の気配が消えた。


「大丈夫だよ。キミだって、魔女の靴をつくれる魔女なんだから」


 にこりと笑って真央が振り向く。

 その冷めた微笑に、巧は幽かな恐怖を抱き、頷いてしまった。

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