狩人『チャッカ』と、桜木真央

 封印棺から出した靴を抱えて、真央は言った。 


「――いつまでもこの恰好ってのもね。ボクは部屋で着替えてから戻るよ。サパタリアは森村くんとスータリが喧嘩しないように見ておいてくれるかい?」

「……その言い方もやめて。なんかこう……うん。頼まれたからさ」


 サパタリアはこめかみを手で押さえ、自分に言い聞かせるように言った。

 真央は、ぶつぶつ呟くサパタリアの横髪を指先で梳いた。少し傷んでいるようだ。


「サパタリア? 大丈夫?」

「――ぁぁぁあっ! 大丈夫だから! 大丈夫だからさっさと部屋行きなって!」


 サパタリアが手を振り払って叫んだ。相変わらず可愛い人だと思う。

 少し歳の離れたサパタリアは、真央にとって姉代わりであり、貴重な友人でもあった。これ以上からかって拗ねられても困るし、真央自身の限界も近い。


 保管庫を出た真央は、すぐ左手側のドアの前で、を開く魔法陣を描いた。円環に桜の花弁が一枚。いずれも簡略化した図形だ。術を使わずに開ければ木型の保管庫に出るドアを、自室行につなぎ変えたのである。踵を三度ぶつけ合わせて術式を発動し、ドアの隙間から黒い霧が漏れるのを確認してから、押し開ける。


 そして部屋に入ると同時に――、

 へなへなと、しゃがみ込んでしまった。抱えた膝の間に額を押しつけ、深く息をつく。持ってきた靴は脇に押しやり、目を強く瞑る。背中にへばりついていた痛みが、盛大に主張しはじめていた。


 お前は負けたのだ、と。


 真央は逃走時に背中に切創を負わされていた。他の魔女の力を借りて、傷こそすでに塞がっている。しかし、躰の芯に刻み込まれた幻痛は癒えない。

 範子に負けたのは、二度目だった。一度目は三年前、彼女が追放された日だ。


 魔女の家にいる限り――他の魔女の目がある限り、狩人は敗者であってはならない。かつて祖母がそうだったように、『チャッカ』は負けてはいけないのだ。

 ましてや、裏切り者のドラ子になんて。


「あいつ……蹴り殺す。絶対に蹴り殺してやる」


 真央は頭を抱え込んだまま、そう呟いた。真央にとっての魔法の言葉だ。かつての親友と対峙し、戦う。必要とあらば殺す。その覚悟を保つために日々唱えている。

 魔女の家が誇る最強の狩人『チャッカ』は心折れてはならない。慈悲もみせない。


「ボクは『チャッカ』。みんなが憧れ、慕う、魔女に鉄槌を振り下ろす者」


 それは呪いだ。祖母より受け継ぎ、祖母はその母から継いだ、血の呪いである。

 立ち上がった真央は目尻に溜まった水滴を拭い、がくれた部屋を見渡した。

 自分でも呆れるほど物が少ない。修練を積むかシャワーを浴びて寝るくらいしかしないのだから、当然ではある。しかし本棚に詰まった魔術書や、呪術の研鑽のために刻んだ魔法陣の痕が視界に入ると、『チャッカ』に押しつぶされそうになる。


 できれば役割など忘れてクイーンサイズのベッドに寝転び、永遠に眠っていたい。夢の中なら、範子とも昔と同じ関係でいられる。励まし笑い合った、あの頃に戻れるのだ。


 真央は小さくため息をつき、サイドテーブルの写真立てを手に取った。

 幼い日の真央と範子が映っている古い写真だ。膨れっ面の真央は顔を背け、範子が気遣うように抱きよせている。いつ撮った写真なのか、もう思いだせない。


「先に裏切ったのは、そっちだよ。ドラ子」


 切り替える。写真立てを伏せ、クローゼットを開く。

 ユーズーに『巧の同情を誘うため、破れた服も引き裂かれた靴もそのままで』と指示されたが、効果はあったのだろうか。どのみち傷の手当てはしたのだし、彼は随分と額の傷を気にしてくれていた。それで十分だったのではないか。


 それだったら、シャワーも浴びる時間もあったのに。


 真央は苛立ち紛れに足を振り、壊れた靴を脱ぎ捨てた。

 脳裏に範子が喚んでみせた鷲がよぎる。真央の蹴りは無力でしかなかった。

 事態は一刻を争う。

 裏切者の魔女は、きっと今も、手に入れた靴を躰に馴染ませつつあるはずだ。


 範子は最初から異質な存在だった。靴や術との相性、それに起源と血統。生まれ持った才能がすべての魔女の世界に、彼女は孤児として現れた。起源となるの魔女を持たないからか、常軌を逸する修練を積んでいた。

 真央が自室で鍛錬するのも、彼女に影響を受けたからに他ならない。


「ドラ子っ……!」


 真央はクローゼットの片隅に置かれた熊のぬいぐるみを睨みつけた。子供のころ、眠れなくなった真央に範子が貸し与えた、のぬいぐるみである。追放される日まで返す機会を逸していて、裏切られてからも捨てられずにいる。


 全裸になった真央は短く息を吐きだし、真新しい下着を身に着けはじめた。足元のボロ布のようになったシャツに目を落としつつ、黒いスラックスに足を通す。服装には規定もこだわりもない。なんとなくで選ぶとモノトーンになり、少し悲しい。

 変化があるとしたら、いまのようにジーンズがスラックスになったり、ただのワイシャツがダブルカフスになるくらいである。


 姿見に映る真央は、少女らしい笑顔をしていた。気にしていないつもりでも、巧を意識しているらしい。でなければダブルカフスは選ばれなかったし、数少ないお洒落でもあるパーガサイトのカフリンクスも手に取らなかった。蝋燭の火にかざしたインディアンウィスキーのように透き通る赤茶色の石は、とっておきの品だ。

 

 子供の頃に憧れた魔法少女のように、真央自身も恋をしているのかもしれない。

 しかし浮かべていた少女らしい笑みも、すぐに苦みを含む。

 きっと、彼に『桜木』なんて、呼ばれたせいだ。

 慣れない呼称に、揺さぶられているだけだ。

 それに、恋をしたところで――。


 真央は重い息を吐き出し、ダークブラウンの魔女の靴に足を入れた。

 前後にある僅かな遊びをレザーベルトで締めあげる。何度か指を曲げ伸ばして感じる、久々の感覚。魔女狩りの鉄槌となる感覚だ。


 その感覚に浸っていると、どうしても頬が緩んでくる。ただしその笑みは、魔女特有の力への渇望が満たされたことによる、愉悦だ。

 追いすぎれば人から離れ、魔女ですらいられなくなる。


 禁制靴を狩り尽くし、戒律を破る魔女には鉄槌を与える。


 真央は、狩人の『チャッカ』は、踵を返して、物の少ない部屋を出た。

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