森村巧の負う責任
巧は子供の頃から靴職人の祖父を慕っていた。両親は家を空けがちで、なにかと理由をつけては祖父の靴工房に潜り込んだ。靴に興味をもったのも物静かな祖父に好かれたかったからなのかもしれない。ほどなくして巧は作る方にも手をだすようになり、その内に祖父は他界して、工房だけが遺されたのである。
その後、趣味で靴を作るようになってから十年ほど経ち、ふと思いたった。
自分の作った靴を売ってみたい。
ただの出来心だ。自分の履く靴だけでなく女性ものの靴も作っていたから、誰かに履いてもらえないだろうかと思い、出品してみただけだった。
「なかなか売れなかったんだけど、忘れたころに……三千円だったかな」
「三千円とはまた、大安売りしたもんねぇ。本革のオールハンドメイドでしょ?」
そう言って、ユーズーは応接テーブルに茶器を置き、巧の前にカップを出した。ほのかに香る花の香りに、少し落ち着きを取り戻す。
「サイズも小さいし、ヒールが十センチもあるオープントゥのブーティだから売れないんだろうと思ってた。すっかり忘れてたんだけど、突然、即決で買いたいってきたんだ。もちろん、すぐに送ったよ。たしか……『翼の生えた熊』とか名乗ってたと思う。コンビニ受け取りで、そんなの俺だって使うことあるし、気にもしなかった」
真央は『翼の生えた熊』で眉間に皺を刻み、勝手に自らのカップに紅茶を注いだ。
「ボクらが知りたいのは、それから先の、三人の客のことさ。森村くん」
「それからって……あとは客が靴を注文にしにきただけなんだよ。そりゃ、言われてみればみんな変な客だったけどさ。材料もデザインも持ち込みだし、どいつも大金を払おうとしてきたし」
「そのお金は受け取ったのかい?」
「受け取るわけないだろ!? 俺は素人で、本物の靴職人じゃないだから!」
「でも実力は本物だったのヨ。おかけでウチの子たちは――」
ユーズーの非難に、巧の顔が歪む。すかさず真央が横から口をはさんだ。
「ユーズーさま。森村くんも、知っていれば、注文受けなかったはずですよ」
フン、と鼻を鳴らしたユーズーは、呆れたと言わんばかりに両手をあげた。
真央は頷きで返答して、一枚の写真を机に置いた。
「靴で確認が取れてはいるけど、一応ね。訪ねてきたのは、この女かい?」
ほとんど金髪といっていい茶色のロングヘアーにキツい目つき。見覚えがあった。殴り合いでもしたかのような腫れや切り傷が痛々しい。手を下したのは真央や、その仲間なのだろうか。
ともあれ、
「――そう。この人が最初の客だよ。たしか、三ケ木とかって名乗ってたと思う」
「三ケ木、か。やっぱりバカだね。ドラ子と同じで本名を名乗ったわけだ」
「ドラ子……龍鳴さん? だいたい本名って。靴の注文で偽名なんて使わねぇよ」
「それが魔女の靴なら別さ。彼女らはなんというか……」
言葉を切った真央は、紅茶を口に運んだ。
「いてはいけない魔女さ。はぐれ魔女と呼んでるよ、ボクらはね」
「はぐれ魔女とか知らねぇけど、なんで靴なんかがそんな危険物扱いなんだ?」
「なんか、ですって!?」
ユーズーが放り出すかのようにティーカップを置いた。
「あの靴を作ったアンタがそんなことを言う!?」
「ユーズーさま。威圧しないでください。聞きたい話もしてくれなくなります」
「チャッカ! アナタねぇ、その子に肩入れしすぎ――」
怯える巧をかばうような真央の態度に、ユーズーは口を噤んだ。大きくため息をつき、顔を背ける。待っていたかのように、真央が後を引き取った。
「森村くんも見たように、ボクら魔女は、靴を使って魔法を唱えるんだ。昔は違ったんだけど、今は靴が魔法具なのさ。キミに靴を注文したのは、本物の魔女の靴を欲しがっていたわけだ。靴を受け継げなかったり、ウチから追放されたりしてね」
巧は最初の客、三ケ木を思い返した。見た目はともかく言動からは、それほど危険な人物とは思えなかった。まして渡した靴で魔法を使うところを見たわけでもない。
けれど、使わなかったのではなく、追放されて使えなかったということなのか。
「いまさらだけど、追放とか、魔女の家とか、ここはどういう所なわけ?」
「そうだな……言ってみれば、魔女という遺伝病の、管理施設ってところかな」
「遺伝病!?」
巧の叫びに、真央は顔をしかめて躰を引いた。
「たとえ話だよ。ほとんどの魔女はなりたくてなるわけじゃないんんだ。ただ血脈というか、血統というか……起源のせいでなるんだ。……魔女の家は全世界に十三個あってね? それぞれの担当区域で魔女と魔女の靴を管理しているんだ」
「魔女と、魔女の靴の管理?」
「そう。中世の魔女狩り流行以降、魔女は身元を特定しにくい道具を求めてきてね。それが誰でも持っていて、けれど魔女にしか扱えない、魔女の靴だったんだ」
俄かには信じがたい話に眩暈がしてくるようで、巧はティーカップをソーサーに戻した。手が震え、幽かな音が鳴った。
「で、俺は、魔女の靴とやらを作った?」
「そうよぉ。それも、極上の奴をネ」
ユーズーは不満そうに、耳のピアスを撫でた。
「結構な問題になってるのよネ。ウチから放逐するような
「つまり、現代の魔女狩りは魔女がしているわけだ」
苛立ち紛れに、巧はそう吐き捨てた。言い過ぎたと気づいたときにはもう遅い。
真央が苦々しく頷き返す。
「そういうことだね。でも魔女自体を狩るんじゃないよ。狩るのは魔女の靴さ。靴さえなければ、いくら魔女といえども危険な力はほとんど使えないからね」
「……それで、はぐれ魔女とかいうのが、俺に魔女の靴を作らせたのか……」
「そう。彼らの次の行動は、だいたい予想がついてる。ここを襲うことさ」
「それは、なんで?」
「もっとたくさんの魔女の靴が欲しいからよぉ。ボウヤ」
ユーズーは首をぐりぐりと巡らせて、躰を前に乗りだした。
「正直に言うわね。ヤバイのよ。ウチのエース、チャッカが逃げてきたわけ。ボウヤの作った靴に負けて。きっとはぐれ魔女たちは調子づく。ずぅぅぅっとチャッカに負け続けてきたのに、ボウヤの靴で出し抜けたからネ。そうよネ? チャッカ?」
ユーズーが膝に片肘をつき、顎をしゃくる。
真央は首を左右に振って、前髪を掻きあげた。
「悔しいけど、ユーズーさまの言う通り。でも、弁解させてもらうと、ボクは魔女としての実力で負けたわけじゃないよ? ただキミの靴に負けただけさ」
あまりに現実離れした話に、なぜか可笑しくなってくる。
巧は苦笑しつつ問い返した。
「それで結局、俺は、何をすればいいワケ?」
「手伝ってほしい、とボクは思ってる」
「アタシはボウヤの目玉があればいいと思っているわ」
「目玉!?」
思わず叫んだ。魔女だなんだの聞いたからか、冗談に思えなかった。
真央は冷徹に言ってのける。
「ボクらは魔女で、靴を見分ける目が欲しい。キミは自分が作った靴をあっさり見極めただろ? ボクらには、それができないんだよ。魔女としての起源が違うからね」
「起源って言われても……俺は、俺が作った靴だったから分かっただけだって!」
真央は立てた指を振りつつ、自嘲するかのように片笑みを浮かべた。
「それが起源だよ。本人の意志とは無関係なんだよ。魔女の力っていうのはね。ともかくキミの作った禁制靴は危険で、見極めるためにキミが必要だ。こればかりは申し訳ないと思うけど、協力してもらえないなら、キミの眼球を借りるしかない」
眼球という単語に、巧は乾いた笑いしかでてこなかった。
引き受けた仕事があずかり知らないところで意味を持ち、自分の目に襲い掛かってきている。躰を乗っ取るのか、目を抉りだす気なのかは分からない。
けれど魔女なら、どちらでもやりかねない気もする。
「でも、俺が作った靴の一足はここにある。もう一足は龍鳴さんが持ってるだろ? 俺がどんな手伝いをできるっての? もう一足を探すのに必要ってこと?」
「いや。ドラ子を探すのにも必要なんだ」
真央がユーズーに目配せした。
ユーズーは爪をいじりながら言った。
「アタシたちに分かるのは、魔法を使ったときだけなのよ。でも、もし街中で配下の一人でも見つけだせれば、いずれ親玉……つまり、本人に行きつくでしょ? ボウヤの目を借りれば、それができるってわけネ」
「なんで俺? 俺はどこにでもいる、靴づくりが趣味の高校生っすよ?」
必死に食い下がる。これ以上、危険な話に巻き込まれたくなかった。
しかし退路を真央が塞ぐ。
「靴づくりが趣味の高校生なんて、どこにでもいるとは思えないけどね。はっきり言おう。キミの血統のせいさ。ウチにも模造靴を扱える魔女はいるけど、彼らはキミの作った靴を見分けられなかった。でも、キミは違うだろ? それが血統の差だよ」
真央は何かを思案するかのように首を回して、続けた。
「もし模造靴と起源靴を見極めるポイントがあるなら、教えてほしいね。それなら敢えてキミを巻き込まずに済む。もちろん、変な注文は断ってもらうことになるけど」
「見極めるポイントたって……」
巧はTストラップパンプスを思い返した。ストラップ、サイドの作り、縫い目……これといった特徴はない。自分の作った物は分かるが、なぜかは言語化できない。
「説明なんてできない。革の感じとか、縫い目とか、とにかく見りゃ分かるんだ」
真央は、そう答えると思っていた、と言わんばかりに小さく顎をあげた。
「教えられないなら、協力してくれないかな?」
「協力しろって言っても、どうすりゃいいワケ?」
「ものすごく単純だよ。ボクに同行して、キミの目から見て変な靴を教えてほしい」
「俺が嘘ついたりしたら?」
「ドラ子に騙されてしまうくらいのお人よしだからね。嘘をつくなんてできないさ、キミは。ボクらは、いや少なくともボクは、キミを信じる」
「俺のことを信じるって? 本気で言ってるわけ?」
真央は、額に貼られた絆創膏を撫でた。
「本気だよ。ボクはキミの作った靴を履いた奴と戦ったから、よくわかるんだ。あの靴を作った腕と目を信じるのさ。それ以上の説明がいるかい?」
巧は真央の顔を見上げた。前髪に隠れた傷の遠因は自分にある、らしい。
――いや、らしいでは済まされない。尾白鷲の嘴から庇ってくれたときの傷だ。
子供のころ、靴のヒールが折れたと、祖父にクレームが入ったことがあった。壊れ方からして、わざと折って難癖をつけてきたに違いなかった。
しかし祖父は、『売る相手を選んだのは自分だから、売ったのなら始末をつけるのも自分だ』と、言っていた。
巧の脳裏に、靴紐代わりのリボンを編み上げる範子の姿が過る。
靴を愛でるような、あの幸せそうな
いずれにせよ、売ったのが自分なら、責任を負うのも自分でなければならない。
「やるよ。手伝う。俺が作った靴のせいなら、俺にも責任があるし」
「ありがとう。そう言ってくれると思ってたよ」
真央は微笑みながら巧の手をとり、しっかりと握った。
ユーズーが、席を立った二人に釘をさす。
「チャッカ、いいこと? その子を連れまわすなら――」
「はい。分かっています。万が一失敗したら、追放も覚悟の上です」
「ならいいわ。しっかりおやんなさいね。それと、アレ、出していいわよ」
「ありがとうございます」
真央は巧の手を引き、扉に向かった。
「それじゃあ、まずは靴工房に案内しようか。ボクは靴を履き替えなきゃならない」
「工房。魔女の靴の、工房か」
祖父と自分以外の工房を見るのは初めての経験である。
巧は自らの置かれた状況を、今この時だけ忘れることにした。
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