ブートレッグス

 お屋敷、あるいは宮殿というべきか。薄っすらと顔が写りそうなほど磨き上げられた大理石と思しき床や柱。壁には絵画とガラス細工のランプシェードが並ぶ。高い天井には三角帽子を頭にのせ手に杖を持つ黒衣の美女が描かれていて、呆ける巧を見下ろしていた。

 ポツポツと行き交う人々の年恰好はバラバラだが、なぜか誰もかれもが革靴を履いていた。


「あらためて。ようこそ魔女の家へ、森村巧くん」


 振りむいた真央は、演技がかった調子で、そう言った。

 歩きはじめてからすぐに、巧は違和感を覚えた。靴音が一切聞こえない。床材はどうみても石で、みな革底の靴を履いている。なのに、耳をどれだけ澄ませても靴音が聞こえてこないのだ。靴が擦れる音すら抜け落ちている。


「よく気づいたね」


 真央が振り返りもせずに言った。


「魔女の家では簡単に魔法が使えないように、扉の前以外では靴音がしないようになっているんだ。仕組みはボクの位階じゃ分からないから、教えられないけどね」

「位階? っていうか、みんな、魔女なのか?」


 真央は巧をちらと見て、ドアノブに手をかけた。


「そう、位階。まぁ階級だよね。それとキミの想像通り、みんな魔女さ。まぁ男もいるから違和感があるだろうけどね。単に日本語で魔女というだけだと思っていいよ」


 そう言って、今度は靴の踵をぶつけあわせてからドアノブを引く。

 開かれた扉の先は、人気のない、執務室と思しき部屋だった。最奥に紫檀の机が一脚置かれ、毛足の長い赤絨毯が敷かれている。

 

 ただ、違和感がひとつ。

 部屋が広すぎる。部屋に入る前、扉は薄い壁を挟んで二枚並んでいた。しかし室内側の壁面には一枚の扉と、月の上で眠る黒猫の絵しかない。


「遅いわよぅ、チャッカ!」


 突然、野太い声が部屋に響いた。

 無人だったはずの机に、がっしりとした中年男が脛丸出しで腰掛けていた。


「そのボウヤが巧ちゃん? いったいどれだけ待たせるのよぉ!」

「申し訳ありません。起きるのを待っていたら、遅くなりました」

「言い訳はいいわよぅ! んもぅ! イイコちゃんなんだから!」


 中年男は禍々しさを溢れさせて足を組み替えた。瞬間、巧の目はその靴に向かう。


「プーレーヌ!」


 巧は大声でその靴型の名を呼び、駆け寄った。


「な、なに!? なんなのこの子!?」

「えっ? いえ、その、例の靴職人の――」


 困惑気味の真央と中年男の言葉を無視し、巧は靴――プーレーヌを、愛でていた。

 プーレーヌとは、いわゆる魔女が履くつま先の尖った靴だ。ただ中年男のそれは異様につま先が長くなっている。およそ五十センチ。反り上がった細く長いつま先はそのままでは歩きにくいのか、脛に巻かれた革紐と銀の鎖でつながれていた。


「すっげぇ……おっちゃん、 これ、どこで買ったんだ?」

「あぁん!?」


 中年男の威嚇に、巧は凍りついた。髭面もさることながら、首の太さがすごい。それどころかケツ顎も、四角い頭を支える三角筋も、ゴリゴリにキレている。端的に言って、マッチョだ。魔女の靴を履いた、筋骨隆々のオカマである。


「なんなのよコノ変態少年!」


 中年男は金切り声をあげて、巧を弾き飛ばした。


「うぉあ!」


 安い玩具のように軽々と弾き飛ばされた巧を、真央が受け止める。


「ユーズーさま。気を付けてください。大事な情報源なんですよ?」

「分かってるわよ! まったく! 靴職人っていうのは、みんなこうなわけ!?」


 ユーズーと呼ばれた中年男は、不貞腐れたように頬を膨らませた。

 キモい。けれど靴は見たい。


「あの。靴、よく見せてもらってもいいですか」

「はぁ!? 靴って、アタシの!?」

「お、お願いします! なんでも――は無理ですけど、こんな本格的なのは初めて見たんです!」

「……しょうがないわねぇ。見せてあげてもいいわよ。でも、ヤサシクね?」


 尊大な口ぶりの割に、ユーズーはまんざらでもない様子であった。

 巧はユーズーの靴に手を伸ばした。やはり素性不明の革だ。ほとんど布靴のような質感である。マニアックなのは反り返ったつま先で、見えないというのに鳥の翼型のトゥキャップがついている。いわゆるウィングチップなのだが――。


「なんですか、この穴飾りメダリオン……レベルたけぇ……」


 つま先に施された穴飾りは、モチーフこそ分からないが、繊細かつ正確だった。

 巧が思わず発した呟きに、ユーズーが鼻をふぅんと鳴らす。


「見るべきところが分かっているじゃない。ボウヤも靴職人なら分かるでショ? 靴は見えないところにいかに力を注ぐか、そこにかかっているのヨ」

「分かります。てかこれもう……芸術ですね……これ、どんな意味があるんすか?」

「そう! よくぞ聞いてくれたわ! この麗しきメダリオンの意味は!」


 叫びつつ両手を広げる。ほとんど同時に真央が目元を押さえ、首を左右に振った。

 ユーズーは構わず右手の拳を固く握り、天井に向かって突きだした。


「牡牛よ! 牡牛の逞しく! 太く! かけがえのない角を示しているの!」

「ユーズーさま……何度でもいいますが、それ、セクハラですよ?」


 真央の諦念が見え隠れする声に、ユーズーは唾を飛ばして反論する。


「んもぅチャッカ! 男根のどこがセクハラ!? とても大切なものじゃない!」

「男根という表現がです!」


 真央は叫ぶように抗議していた。が、恥ずかしがるというより呆れている。

 一方で巧は、男根かぁ、と大いに納得しながら頷いた。

 靴を性器に例えるという考え方は万国共通にある。巧自身はそう捉えていないが、その手の思想を否定するつもりもない。靴を楽しむ方法に貴賤はないからだ。

 ただし、いまのユーズーのように、人に迷惑をかけている場合は論外だ。

 巧はそっと靴から手を離した。詳しく聞くのは嫌がる人がいないときが望ましい。


「ちょっと! なによ、その態度! もっとよく見ていいわよ! ほら! ほら!」


 言いつつ、ユーズーは足と靴を露わに踏みだした。靴の圧倒的存在感で気づいていなかった。ガチガチにパンプアップされた太ももを惜しげなく晒すショートパンツは、接近されなくても人類の潜在的恐怖を喚起する。

 巧は目を逸らして答えた。


「いえ、もう満足したんで」

「ちょっとぉ!」

「ユーズーさま! いい加減に話に入りたいのですが!」


 咆哮と言っていい声量。あまりの怒気に巧は首をすぼめた。

 ユーズーが不満げに腕組みする。


「チャッカが遅れたのが悪いのに――ボウヤ、靴職人だって言ったわよね?」

「ええと、俺は趣味で靴を作ってるだけで、職人って名乗るほどのものでは……」

「作ったのが事実なら、聞きたいことがあるのヨ」

 

 言いつつ、ユーズーは執務机の裏に回り、戸棚に鍵を差し込んだ。肩越しに巧を睨むその双眸が、獲物を狙う蛇のように光っていた。

 運ばれてきたのは長方形の箱で、同じ型の靴が一ダース収められていた。一見すると、色合いも形もほぼ同じ、Tストラップパンプスである。

 しかし、一足だけ、見覚えがあった。


 最初の客に依頼された靴だ。アンクルストラップの作成に難儀したので、よく憶えている。革の伸縮性を確かめようにも予備がなく、連絡先も分からなかったため、パーツを取った端材で色々と試したのが懐かしい。

 ユーズーは並べられた靴を手の平で指し示し、巧に尋ねた。


「さぁ、どれがアナタの作った靴かしらぁ?」

「どれって、これが俺の作った靴ですよね?」


 秒の間もなく、巧は中の一足を指さした。どれもヒールの高さは五センチから六センチで、サイドの開き方も良く似せているとは思う。しかし縫い目や、手ずから編んだストラップをみれば、制作者が分からないはずがない。

 ユーズーと真央は顔を見合わせ、巧に尋ねた。


「そう。よくわかったわねぇ。判断基準はどこかしら?」

「どこもなにも、自分の作った靴ですよ? そりゃ分かる――って、そういやこれ、なんでここにあるんです? これ、最初のお客さんが注文した靴ですよね?」

「そうだよ。ボクが回収した禁制靴ブートレッグスさ」


 真央が一歩進みでて、巧の選んだ靴を手に取った。


「本当にこれもキミの作った靴だったんだね。回収には随分と苦労させられたよ」

「回収? 禁制靴? どゆこと?」


 ユーズーが真央の手からパンプスを取りあげ、後ろの棚に戻した。


「禁制靴は、アタシたち魔女の管理下にない、魔女の靴ってことヨ」


 ユーズーの口調は軽いが、声色は重い。

 真央は言葉を選ぶように、舌先で唇を湿らせた。


「ただ、大抵の禁制靴は模造靴なんだけど、キミは起源靴を作ってしまった。おかげでボクらの仲間は十八人も重傷を負ったよ。模造靴も二十足以上はダメになったね」

「重傷!? 俺の作った靴で!?」

「落ち着いて――と言っても、ボクらも驚いてるんだ。キミの力にね」

「俺の力って、ンな、ケガ人って……」

「具体的には十二人が治療中。六人は要安静ってところね。ボウヤの靴のせいで」

「それが……俺の作った靴のせいだって……?」


 巧は目眩を感じた。本当に、自分の作った靴のせいで?

 真央はふらつく巧の躰を支え、応接用のソファに座らせた。


「さっきも見せたけど、ボクらが魔女だというのは、信じてくれるかい?」

「信じるも信じないもねぇよ!」


 叫んだ巧は、膝の間で頭を抱え込んだ。頭では理解できないが、感覚では分かる。

 範子を含めた三人の客が持ち込んできた素材は、得体の知れないものだった。

 見た目はともかく、質も特性も既存の革とは違った。夢だと思い込もうとしている光景が、脳裏をよぎる。

 できたばかりの靴を履き、嬉しそうに靴音を立てていた、彼女は――、


「いい靴だって言ってくれてたのに……」


 震える両手に視線を落とす。子供のころから皮切り包丁を握ってきたからか、手の皮は厚ぼったくなっていた。


「ドラ子の言った言葉は事実だよ。いい靴だから、ボクらも苦労させらてるのさ」


 そう言って、真央は慰めるかのように、巧の背を撫でた。


「それじゃ、まずはドラ子が注文にきた経緯を、ボクらに話してくれるかい?」

「……分かった。話すよ。けど、全然大した話じゃないんだ。頼まれただけで――」


 巧は俯いたまま、記憶を確かめながら、ぽつぽつと話しはじめた。

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