現代に生きる魔女

 瞼を開いた巧は、しばし呆然として、なんだ夢かと安堵した。

 えらく高い白い天井から豪奢なシャンデリアがぶら下がっている。躰の上には分厚く、それでいて軽い羽毛布団がかけられている。頭の下にある枕も無駄にデカい。


 巧は以前にも似たような夢をみたことがあった。あのときは一国の王で、ハーレムのベッドの上で、いずれ続きを見たいとも思っていた。が、今回の夢の前段は、少々剣呑にすぎるのではないか。

 とはいえ、これから訪れるであろうめくるめく官能の世界は、辛い前段あってこそだとも言えよう。ほら、そろそろハーレムの一員から声をかけられるはず。


「やぁ。災難だったね」


 凛とした女の声。やはり。

 巧は記憶を手繰り、前回の夢と同じ言葉を呟いた。


「うむ。くるしゅうない」

「なんだい? それは」

「ん? 君も俺のベッドに入りたまえよ?」


 そう言って、巧は首を振った。

 苦笑している女の顔には見覚えがある。たしか、チャッカという――。


「なかなか強気な口説き文句だね。悪い気はしないけど、今回は遠慮しておくよ」

「うぉあぁぁぁ!」


 叫んで逃げようとした巧は、ヘッドボードで後頭部を強打した。

 チャッカは、口元を隠してくつくつと笑った。


「大丈夫かい? ちょっと驚きすぎじゃないかな?」

「お、驚くだろ! どこここ! てかなに! なにあれ! どうなってんの!?」


 チャッカは前髪を掻き上げた。額に絆創膏が張られている。


「まぁ無事でよかった。キミはいい靴を作るね。見て。ボクのはボロボロだよ」


 そう言って、組みなおした足をぶらぶら揺らした。見れば、あちこち裂け、穴の開いた靴を履いている。デニムも擦り切れているし、シャツもボロになっていた。


 いや、だからなんだよ。

 

 巧は愛想笑いを浮かべつつ、躰を起こした。部屋に漂う清潔感は高校の保健室にも似ている。だが違う。保健室の床は大理石パネルではなかったし、薬品棚はアルミ製だったはずだ。


「えぇと……ここ、どこ?」

「魔女の家さ」


 腕組みをしたチャッカはさらりと言った。

 巧は顔を盛大に歪め、「は?」の一音で尋ねた。


「キミはいちいち反応が素直でいいね。見ていて面白いよ」

「いや、うるせぇよ!? 意味わかんねぇ! 家に帰らせてくれ!」

「悪いけどそれはできないんだ。でも大丈夫さ。親御さんはあの家にいないだろ?」

「な、なんで知ってんの?」


 そう口にした途端、漠然とした不安を感じた。たしかに両親は祖父の工房にこだわる巧を残し、母方の実家で暮らしている。もし先ほどのアレが夢でないなら――。

 チャッカが、巧に見せつけるかのように、壊れた靴で床を叩いた。


「ボクらは魔女だからね。調べればすぐに分かるのさ」

「ま、魔女? 魔女って……あんた、いったい、なんなんだよ!」


 バカにされているのかと思った巧は、声を荒らげていた。

 チャッカは小首を傾げ、困ったように答えた。


「だから、魔女さ。現代のね」

「魔女? 魔女ってあの、日曜の朝とかにやってるやつ? バカじゃねぇの?」

「それは魔法少女。子供の頃は憧れてたけどね。祖母にやめておけと言われたよ」

「なにそれ。冗談にしちゃ笑えないんだけど」


 鼻を鳴らして、巧はベッドに倒れ込む。寝よう。これは夢だ。

 しかし、それは許されなかった。横から「まだ眠いのかい?」なんて聞かれるからだ。現実感が乏しくなっているからか、全身が浮いているような感覚もあった。


「これで信じてくれるかな?」


 チャッカの声が、少し下から聞こえた。

 下だと? と巧は首を巡らせる。右足を僅かに上げたチャッカがいる。斜め下に。巧の躰が、かけられていた羽毛布団ごと、宙に浮いているのだ。


「うぁ、あ、はぁ? バカじゃねぇの?」


 巧は慌てふためいた。すると景色が下がり始めて、チャッカが足を下ろしきるのに合わせ、ベッドに軟着陸した。すぐに心配げな顔が覗き込んできて、頬をペチペチ叩かれる。「急いでいるんだ」という。


「い、急ぐって、なにを?」

「怒ってはいないみたいだね。良かった」


 そう言ってチャッカは、んん、と咳ばらいをしてから、口早に話しはじめた。


「キミの作った靴を回収しなくちゃいけなくてね。そうしないとキミの人生に大きな傷を残してしまうかもしれない。少なくともボクの人生はすでに影響を受けてるし」

「俺の作った靴? 人生に傷? なにがなんだか、まったく分からないんだけど?」


 巧は目を強く瞑った。まだ明るい。手で顔を覆う。

 チャッカは深くため息をつき、巧の躰を起こしながら続けた。


「すべてがキミのせいだと言うつもりはないよ。だけど、キミはキミも知らないうちに、魔女の靴を作ってしまったんだよ。少なくとも、二足はね」

「魔女の靴ってなんだよ!? 俺は注文通りに靴を作っただけだって!」

「怒りたくなるのも分かるけど、まず落ち着いてボクの話を聞いてくれないかい?」


 チャッカは、巧の手を顔から引きはがし、見つめた。黒い瞳は真剣そのものだ。


「さっき見せたように、ボクは魔女だ。そしてキミが靴を作ってやったドラ子も。そしておそらく、キミはドラ子の仲間にも変な靴を作らされたはずだよ」

「ドラ子って……龍鳴さん? あのゴスの子?」

「そうだよ」


 チャッカの目を吊りあげて、巧の胸倉をつかんだ。


「あの裏切り者さ。ドラ子の奴、ボクをボコボコに蹴りつけてきやがった」


 つい一瞬前までは気遣うようだった気配が、鋭さを増す。怖い。まるでギャングかなにかのようだと、巧は思った。


「――と、ごめん。どうもドラ子のことになると、ね」


 チャッカは握りしめていた襟をパッと離して整えつつ、苦笑する。


「キミの靴のせいで逃げる羽目になってね。悪かったよ。許してくれるかい?」

「と、とりあえず」

 

 巧は上ずる声を押さえ込もうと唾を飲んだ。


「お名前から教えてもらえます?」


 チャッカはキョトンと瞬き、口元を隠しつつ背を向けた。笑いをこらえているのか肩が揺れている。耐えきれなくなったか、快活な声をあげて笑った。

 チャッカは目尻に滲んだ涙を指で拭って、巧に手を差しだした。


「いや、ごめん。たしかに名乗ってなかったね。ボクは桜木さくらぎ真央まお。仲間も、それに敵も、みんなボクのことをチャッカと呼んでる」

「チャッカって……チャッカブーツのチャッカ?」

「そう。そのチャッカさ。魔女としての起源ルーツからは少し遠いんだけど、ボクはチャッカブーツばかり使っているからね。気づいたらそう呼ばれるようになってたよ」

「なんだそりゃ。魔女としての起源って……もう、わけわかんねぇ……」

「起源は起源だよ。まぁその辺の話は、おいおい教えてあげるよ」


 巧は差し出された真央の手を取り、ベッドから降りた。震えるほど冷たい床だ。丁寧に並べられたローファーに足を入れたところで気づいた。手が握られたままだ。


「えーと、その、手を……」

「手? 紐靴じゃないんだし、大丈夫だよね? それに手を繋いでおいてもらえないとキミがをくぐれないんだよ。少しの間、我慢してもらえるかな?」

「じゃ、じゃあ仕方ないっすね」


 巧は意味が分からないまま、頷いた。我慢することでもない。というか、こんな意味不明な状況でも、すべすべとした感触に幸福すら感じる自分が腹立たしい。

 手を引かれるままについていくと、厚そうな木扉の前で、真央が振り向いた。


「それじゃあ、絶対に手を離さないようにね」


 言いつつ扉に手をかけ、床をつま先でなぞった。白色の軌跡が淡く輝いている。踵で床を打つと、扉の隙間から青黒い煙が流れてきた。

 真央は煙に構うことなく扉を開く。


「う、お、おおぉぉぉ?」


 手を引かれた巧は、目の前に広がる光景に、思わず頓狂な声をあげていた。

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